来週、新著『暗号通貨の経済学』が刊行されます!

あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いいたします。
2019という数の持つ面白い性質をWEBRONZAに投稿した(2019に隠された数字の神秘 - 小島寛之|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト)ので、是非お読みくださいませ。
さて、来週、1月10日頃に、ぼくの新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエが刊行されるので、そろそろ宣伝しておこう。

前回(来月に、暗号通貨の本を刊行します! - hiroyukikojimaの日記)は、本のプロットだけを紹介したので、今回は目次をエントリーする。以下である。

『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエ
目次
序章 暗号通貨が世界を変える
 
第1部 ビットコインブロックチェーンの仕組み
第1章 暗号はいかにしてお金になるか
第2章 ブロックチェーンがもたらす新しい世界
第3章 オープンソースvsプロプライエタリ
 
第2部 お金をめぐる経済学
第4章 お金が社会で果たす役割
第5章 お金のコントロールはなぜ必要か
第6章 お金とは何か、何であるべきか
 
第3部 ブロックチェーンゲーム理論
第7章 ゲーム理論に入門する
第8章 ブロックチェーンという均衡
第9章 お金はどうして交換手段になるのか
第10章 ブロックチェーンが実現するゲーム理論的世界
 
補章 公開鍵暗号ハッシュ関数

第1部は、ブロックチェーンと数理暗号の仕組みをざっくりと説明した上で、暗号通貨がビジネスにどう使われているか、政治をどう変容させるかを説明している。さらには、プログラマーやソフト製作者やネットユーザーの間に存在する、オープンソース派とプロプライエタリ派の思想対立も関連する話題として取り上げている。
第2部は、経済学の立場から貨幣の果たす役割についてまとめている。貨幣は世紀の大発明であるけど、それが故に、国家(中央集権)に権力を付与する。ブロックチェーンは、その権力を打ち砕き無力化する可能性を秘めている。それは、世の中にとって有益なのか危険なのか。経済学が培ってきた知見を駆使しながら、総合的に論じている。
第3部は、ゲーム理論を使って、ブロックチェーンの可能性にアプローチしている。ブロックチェーンは、改ざん不可能なネット上の仕組みであるから、契約を綿密に記述し実行することができる。したがって、それは、戦略記述によって構築されるゲーム理論と親和性が高い。ゲーム理論ブロックチェーンをクロスオーバーさせながら、近未来のIT世界を予測する。
ちょっと自慢なのは、補章だ。この章では、第1部よりも詳しく、数理暗号を説明している。有名なRSA暗号は言うまでもなく、実際に暗号通貨の数理暗号として使われている楕円曲線暗号についてもある程度きちんと説明してる楕円曲線暗号は、ネットで調べても(少なくとも日本語では)あまり良い解説に当たらない。ぼくは、楕円曲線については知識があるが、楕円曲線暗号については無知だったので、書籍で勉強して、この章に導入した。手軽に読める解説で今のところ一番わかりやすいものではないか、と自負している。
 以上、本書は、いろいろな学問のてんこもり集大成の本であり、我ながらエキサイティングな本になったと思うので、是非とも手にとってみていただきたい。

来月に、暗号通貨の本を刊行します!

 年が明けた1月10日頃に新著が刊行されるので、第一弾の宣伝をしておきたい。
新著のタイトルは、『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエだ。カバーデザインは、下のよう。

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 この本は、ビットコインをはじめとした暗号通貨について、総合的に分析した本。ブロックチェーンの仕組み、公開鍵暗号の原理、貨幣の経済理論、ゲーム理論からのアプローチ、オープンソースの文化(コピーレフト思想)など、さまざまな角度からの分析をてんこ盛りにしている。
 具体的な内容については、もう少しあとに告知することにしようと思う。
 これだけで終わるのもなんだから、今週のぼくの行動について、備忘録をしたためよう。
 日曜日:映画『続・終物語を観に行った。物語シリーズの最新作。映画館で、ボールペン、キーホルダー、スケッチブック、クリアファイルなどのキャラグッズを大人買いした。1万円近くかかった。ばかっす。

月曜日:キングクリムゾンのライブに行った。二回目。
火曜日:エメ(Aimer)のライブに行った。
水曜日:キングクリムゾンのライブに行った。三回目。どうしても、最終公演を観ておきたくて、当日券で行った。ばかっす。そういう高齢者で3階まで埋まっていた。
 クリムゾンに一回目に行ったとき、路上で何かを配っている人がいて、いっしょに行った奥さんが「イエスのちらしを配ってる」と言ったんだけど、そのときぼくは、キリスト教系の宗教のオルグだとばっかり勘違いして、ちらしをもらわなかった。あとで、奥さんが、「イエス、来日するんだねぇ」と言ったので、その瞬間に「バンドのイエスのことだったのか」と理解して(笑)、水曜日には率先してちらしを受け取った。
 イエスの来日は、年が明けた2月。セトリが予告されているのが笑った。
Day1:『危機』完全再現、Day2:ベスト・セレクション、Day3:『サード・アルバム』完全再現
となってる。あざといセトリである。
『海洋地形学』完全再現なら、絶対行くんだけどな。今回のセトリだと、行くならDay1かな。

キングクリムゾンのライブを観てきた

 先日、キングクリムゾンのライブを観てきた。
クリムゾンは、ぼくにとって、今でも人生最高のバンド。ぼくの中では、懐メロではなく、現在形のバンドとして存在してる。実際、バンドメンバーも変わるし、新曲も作られている。
クリムゾンは、1969年から活動しているが、ぼくは14歳、つまり、72年から聴き始めた。だから、かれこれ、もう47年ぐらい聴き続けていることになる。
クリムゾンの思い出については、前に、堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記とか、続・続・堀川先生とキングクリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記とかにも書いたので、そちらも読んでほしい。
今回の編成も、トリプル・ドラム(ドラムが3機)で、2015年の来日と同じ。メンバーも演奏の形態もほぼ同じだった。昨年のシカゴでのライブ盤で、リザード組曲(1970年の3枚目のアルバムの曲)をやることは知っていたので、それが目玉の一つだった。ぼくが観た日にも、リザード組曲を演奏した。
ドラム3機は類例を知らないが、日本のバンドであるトリコ(Tricot)がドラム5機をやってのけたので(笑)、クリムゾンが最多ドラムスではない。でも、ドラム3機をあのようにアレンジし、別々のリズムを叩かせるという意味では、希有な演奏形態と言えるだろう。
クリムゾンのライブで最も注目しているのは、リーダーでありギタリストであるロバート・フリップがどのくらいちゃんと弾けるのか、という点だ。現在72歳、みまごうことなき高齢者。でも、今回のライブも、往年と同じく、みごとなギタープレーを見せてくれた。というか、難しい高速リフを、以前よりも軽々と弾いている印象があった。このプレイをするには、毎日毎日とんでもない時間の練習を要することだろう。少なくとも72歳までは、鍛錬によってはこのような技術水準が可能だ、ということだ。自分もがんばる勇気がみなぎった。何より、フリップが健在なうちは自分は死ねない(笑)、と思い新たにした。
 キングクリムゾンは、時期によって、表現する音楽が異なっている。初期はシンフォニックな曲をやっており、中期はジャズとクラッシックを融合したような音楽を作り、休止のあと再結成してからは、ハードな即興演奏を信条として、80年代に新規クリムゾンとなった際には、(スティーブ・ライヒを思わせる)ミニマル音楽を志向している。90年代以降は、それ以前のすべての音楽を発展・融合させた複雑な楽曲を生み出すようになった。
時期時期によって、フリップが志向する音楽が違うので、それぞれの時期にぼく自身が何をしていたか、ということが重なりを持って記憶に刻まれている。数学者を夢見ていた中高生時代、数学科で落ちこぼれている自分に苦しんだ大学生時代、塾講師時代、経済学部の大学院生時代、大学教員時代、とそれぞれに固有のクリムゾンが存在していた。
そういう意味で、今回のように、あらゆる時代から曲をやってくれると、「懐メロなんかでほだされないぞ」という気持ちとは裏腹に、走馬燈のように人生が蘇って、泣けてきてしまう。ぼくも老人だから、それはしゃーない(笑)。
 とは言え、今は、キングクリムゾンが一番聴く音楽ではない。というか、普段はほとんど彼らの曲を聴かない。普段聴いているのは、Aimerとか、凜として時雨とか、TK from 凜として時雨とか、Tricotとかだ。今年は、Aimerと、椎名林檎と、凜として時雨と、TK from 凜として時雨のライブに行った。来週にはAimerのライブにまた行く。1月には、Tricotの中嶋イッキュウのライブにも行く。人生のバンドと、現在追っかけるバンドは、もちろん違うのだ。
 

WEBRONZAに寄稿しました!

WEBRONZAに新しい記事を寄稿した。以下だ。
医学部受験で女子が差別される問題の本質的な背景 - 小島寛之|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト
今回は、私大医学部の入試での女子差別のことを論じた。
とは言っても、「公正な入試とは」というような視点の論説ではない。ひとことでテーマを表すなら、
優秀な女子は、東大より医学部を志向する、それはなぜか
という感じ。是非、お読みいただきたい。

読売新聞で坂井豊貴さんが、拙著を書評してくれました!

 今日(10月14日)の読売新聞の書評欄で、慶応大学の経済学者・坂井豊貴さんが、拙著『宇沢弘文の数学』青土社を書評してくれました!
この本については、当ブログでは、新著刊行と、書店での講演会のこと - hiroyukikojimaの日記とか、『宇沢弘文の数学』について - hiroyukikojimaの日記とかでエントリーしている。
坂井さんの書評は、あまりにすばらしいので、是非とも、多くの人に読んでいただきたい。(ここで読めるはず→『宇沢弘文の数学』 小島寛之著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE))
実際、坂井さんは、ツイッターで、

多作な小島先生の著作のなかでも、ひときわ入魂の一冊。私も私なりに入魂の書評。

と書いています。うん、ほんと、ぼくの入魂の本なんですよ。そして、坂井さんの書評も、偽りなく入魂。ほんとすばらしいです。
名文なので、全文引用したくなるけど、それはルール違反だろうから、一部のみ抜粋。
 最も感心したのは、次のフレーズ

宇沢は終生、社会を支える「資本」に深い関心をもち続けた。それは前期には経済成長を複雑な経路で支えるものとして。後期には、人間の善き生存を支えるものとして。

後期のほうは、要するに「社会的共通資本」のことを言っているんだけど、この表現はあまりに的を射ている。「人間の善き生存を支えるもの」、こんなジャストな表現は、思いつきもしなかった。
あともう一カ所、とても嬉しかったのは、

先日ノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマ−の研究は、宇沢モデルを大きな礎とする。

そんなんです、そうなんです。昨日は、経済学者の集まりで酒を飲んでたんだけど、みんなが口々に、「宇沢先生が生きていれば、今年、三人目として受賞したに違いない」って話してた。実際、今年の受賞は、ノードハウスとローマ−。ノードハウスは、環境経済学者として温暖化の問題を研究した人で、ローマ−は内生的経済成長理論を研究した人で、どちらも宇沢先生が先駆者なんだ。だから、だから、生きてさえおられれば。。。
その無念さを、坂井さんも共有しているような感じが、この文面からくみ取れて、嬉しかったとともに泣けてきた。
 坂井さんの書評の良いところは、情に流されず、慎重に言葉をひとつひとつ選んでいるところ。宇沢先生について語る人は、(ぼくが代表例だが)感情に流されて、大げさすぎるものになってしまう。でも、坂井さんは、経済学者の節度として、ぎりぎりの表現を心掛けておられる。そこもまた、「入魂」というに相応しい。でも、ツイッターに坂井さんが書いた、こういう話がめっちゃ坂井さんらしくて好きだ。

私は学部4年生のとき、うっかり宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)を読んでしまって、自動車の免許をとるのをやめてしまった。取るのがダメというのではなく、宇沢の激情が私にそれを許してくれなかった。こういう本との出会いは「交通事故」のようなものだ。

ぼくも、宇沢さんの影響で自動車免許を持っていない(と吹聴している)が、本当は、適性がなさそうだから取らなかったのもある。
 ちなみに、ぼくも当ブログで、坂井さんの本を紹介したことがある。例えば、古風な経済学の講義から脱出するために - hiroyukikojimaの日記とか、理系の高校生に読んでほしい社会的選択理論 - hiroyukikojimaの日記とかだ。この期に、坂井さんの本を是非、読んでみてほしい。本当にすごい説明能力なんだから。
 

『宇沢弘文の数学』について

 先週、9月18日に拙新著『宇沢弘文の数学』青土社が刊行された。
実は、9月18日は、宇沢先生の命日だった。実際、ぼくは4年前に、宇沢弘文先生は、今でも、ぼくにとってのたった一人の「本物の経済学者」 - hiroyukikojimaの日記のエントリーで、この日に宇沢先生が亡くなったことを書いている。この日を刊行日に選んだのは、編集者の粋なはからいだったのだと思う。でも、ぼくは、不覚にも命日を忘れていた。このエントリーに書いているように、ぼくは先生の冥福をいまだに祈っていない。先生はまだ、ちょっと離れて場所にいらして、ぼくを導いてくださっている、そういう感覚が抜けないからだ。
 でも、本書を刊行できたのは、この上なく嬉しい。本書は、追悼の本ではない。あくまで、宇沢先生の理論を世に知らしめるための啓蒙書・研究書なのだ。

 さて、本書刊行を記念した講演会が来週に迫ったので、もう一度告知しておきたい。

青土社宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会
宇沢弘文の思想に迫る】
日時 2018年10月5日(金)19:00〜20:30(開場18:45)
会場 書泉グランデ7階イベントスペース

予約受付 書泉グランデ4階レジ ※9/18(土)10:00〜受付開始
参加方法 9/18頃発売 青土社宇沢弘文の数学』小島寛之/著 1944円(税込)を書泉グランデ4階にてご購入の方1冊につき1枚参加券をお渡しします。
店頭もしくは、電話、上記お問い合わせボタンより予約も承ります。
イベント名【小島寛之先生講演会】、お名前、電話番号を明記の上お申し込みください。
イベント開始時間までに、書泉グランデ4階レジにて、書籍の購入、参加券をお受け取り後イベント会場へお越し下さい。
青土社『宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会【宇沢弘文の思想に迫る】 - 書泉/神保町・秋葉原

 この講演会では、先生の理論ばかりではなく、先生のお人柄や、先生の思い出・エピソードもたっぷりお話しようと思っている。是非とも、足を運んでいただきたい。
 少し、本の内容について説明をしておこう。目次については、前回のエントリー新著刊行と、書店での講演会のこと - hiroyukikojimaの日記を参照してほしい。
本書は、講談社の雑誌『本』に寄稿した原稿の大幅改稿と、青土社の雑誌『現代思想』に寄稿した原稿の大幅改稿と、書き下ろし原稿から成る。書き下ろしは、第3章と第6章。とりわけ、第3章はぼくにとって、非常に大事な論考なのだ。なぜなら、この論考は、「数学は社会的共通資本である」という主張だからだ。
 数学が社会的共通資本である、とはどういうことか。それは、数学というものが、市民の共有財産であり、市民の基本的な生活や、人権や、尊厳に関わるものであるから、社会的に大切に管理・運営されるべきだ、といういうことである。数学に対して、このような見方をしている論説は世の中にはあまりないと思う。
 この論考は、実は、宇沢先生に依頼されて、先生が編纂する論文集に寄稿するべく執筆したものだった。先生は、その論文集に、「社会的共通資本としての医療」「社会的共通資本としての音楽」「社会的共通資本としての数学」の三本の論文を収録するつもりでおられた。最初のは先生自身が、二番目のは外国の女性研究者が、そして三番目のはぼくが寄稿することが予定されていた。先生が、「医療」「音楽」「数学」を社会的共通資本の三本柱とされたのは、非常に興味深いし、先生の心の豊かさを感じさせられる。
 けれども、この論文集は刊行されないまま、先生が他界されてしまった。だから、本書に、ぼくのこの論考を収録できたことは、先生のお導きのように感じられる。これほどに魂を込めて論文を書いたことはかつてなかったからだ。
 人生には、「すごく嬉しいこと」というのが、何回かは訪れる。ぼくにも、何回かあった。例えば、大学に合格したこと、査読付ジャーナルに論文がアクセプトされたこと、初めての本を刊行できたこと、息子が生まれたこと、息子が受験で合格したこと、などなど。
 でも、それらの中で、特別に嬉しかったことが二つある。両方とも宇沢先生に関することだ。
 一つは、宇沢先生から講演会での原稿の代読を依頼されたこと。これは、先生が参加されていた環境問題訴訟運動において、集会で先生が講演をすることになっていたのだが、うっかり渡航してしまい、帰国できなくなったときのことだ。起訴を担当している弁護士から、「それでは、お弟子さんが代読を」と言われ、ぼくに依頼してくださったのである。ぼくは、大学で先生のゼミを受けたわけではないので、本来の意味では「弟子」ではない。でも、この依頼を先生自身が海外からわざわざお電話してくださったとき以降、自分自身を宇沢弘文の弟子と名乗れるようになった。先生自身が弟子と認めてくださったのだから。ぼくは、訴訟運動をしている市民の方々に先生の声明を代読しながら、誇らしさと嬉しさをかみしめたものだった。
 もう一つは、本書の第3章の論文の執筆を依頼されたことだった。ぼくは、それまでも、先生にいろいろと褒めていただいたり、かいかぶられたり、励ましていただいたことがあった。でも、論文を依頼されたのは、このときが初めてだった。経済学者と認められた、ということだ。期待された、ということだ。こんなにも嬉しいことは、生きていて何度もあることではない。ぼくは、躍り上がるやら、涙ぐむやら、本当に大変な気持ちになったのだった。
 でも、先ほど述べたように、論文集は未刊行のままとなってしまった。先生と肩を並べて、論文を刊行する夢は潰えた。その論文を、今回、大幅な改稿の上、先生のお写真がカバーを飾る本に収録することができた。思った形ではなかったけど、先生の期待に応えることができたと思う。

新著刊行と、書店での講演会のこと

 新著が刊行される。大きい書店では、今日あたりから並び、アマゾンには明日入荷予定となっているので、満を持して宣伝をしよう。著作は、宇沢弘文の数学』青土社だ。

初めて、宇沢先生の名を冠した本を刊行することができたので、感無量である。
この本の刊行を記念して、書店イベントとして、講演会が行われるので、まずそっちを告知しよう。

青土社宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会
宇沢弘文の思想に迫る】
日時 2018年10月5日(金)19:00〜20:30(開場18:45)
会場 書泉グランデ7階イベントスペース

予約受付 書泉グランデ4階レジ ※9/18(土)10:00〜受付開始
参加方法 9/18頃発売 青土社宇沢弘文の数学』小島寛之/著 1944円(税込)を書泉グランデ4階にてご購入の方1冊につき1枚参加券をお渡しします。
店頭もしくは、電話、上記お問い合わせボタンより予約も承ります。
イベント名【小島寛之先生講演会】、お名前、電話番号を明記の上お申し込みください。
イベント開始時間までに、書泉グランデ4階レジにて、書籍の購入、参加券をお受け取り後イベント会場へお越し下さい。
青土社『宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会【宇沢弘文の思想に迫る】 - 書泉/神保町・秋葉原

今回は、1人だけで行う書店講演会なので、間が持つのか少し緊張している。でも、これまでぼくの本を愛読してくださった方々と触れあうことができるのは、とても楽しみだ。
 さて、本書、宇沢弘文の数学』青土社についてだ。
宇沢弘文」と「数学」とは、奇異な取り合わせに感じる人も多いだろう。実際、ぼくもそうだ(笑)。宇沢弘文と言えば、経済学者ではないか。その通り。だから、書店のイベントのタイトル「宇沢弘文の思想に迫る」のほうが本書の内容に近い。でも、編集者は、なんらかのインパクトを狙って、「数学」をトッピングしたんだと思う。
 もちろん、このタイトルは詐欺ではない。まず、第三章は「社会的共通資本としての数学」という内容になっている。次に、本書は、宇沢弘文先生の経済学や思想に対して数学的なアプローチをしている。さらには、第4章は統計学についてのサーベイだし、第5章はゲーム理論への批判的展望だ。そういう意味では、「数学」と銘打つのは詐欺とは言えないのだ。
 今回は、最初の販促として、目次を晒すことにする。内容については、刊行後に説明することとしたい。

小島寛之宇沢弘文の数学』
第1章  ケインズから宇沢弘文
第2章  宇沢弘文は何を主張したのか
第3章  社会的共通資本としての数学
第4章  統計学は世界を変え得るのか?
第5章  ゲーム理論の原点回帰
第6章  21世紀の宇沢理論ー小野理論・帰納ゲーム理論・選好の内生化
あとがき  かけがえのない回り道

 まずは、書店で手にとってみて欲しい。