還暦すぎて初めてたどりついたリーマン・ロッホ

 大学の講義が5月いっぱいまではオンラインになったため、運動不足をふせぐ目的で、毎日部屋でエアロバイクをこぐことにした。これは、東日本大震災の余震に見舞われていた日々以来、久しぶりのことだ。

 バイクをただこぐのは退屈なので、音楽を聴きながら、数学書を読むことにしている。専門の経済学は真剣に研究しなくてはならないので(笑)、趣味である数学のほうの書籍を読んでいる。

 それで(ほぼ)読破したのが、河井壮一『代数幾何学培風館だ。

この本については、

今頃になって、なんでか代数幾何が面白い - hiroyukikojima’s blog

多項式版フェルマーの大定理の証明 - hiroyukikojima’s blog

でも紹介したので、これらを先に読んでくださるとありがたい。

 この本の最終章である第6章は「1つのRiemann面上の議論ーー微分積分、Riemann-Roch」となっている。ついにこの章まで到達して、「リーマン・ロッホの定理」を理解できてしまったのだ。「リーマン・ロッホの定理」といえば、代数幾何学習の一つの(最初のというべきか)到達点。数学科在籍時以来、苦節40年、還暦過ぎてついに「リーマン・ロッホの定理」に到達した。

 前の2つのエントリーでも書いたが、とにかくこの本はわかりやすい。そのうえ読み進むのが楽しい。もちろん、数学の議論のわかりやすさは人それぞれだから、こういう書き方が好みじゃない人もいて不思議ではないが、ぼくにはめっちゃわかりやすく、めっちゃ楽しい数学書なのだ。

 それはこの本が、図形的で直感的な説明や証明法を用いているからだ。それは「リーマン・ロッホの定理」の説明でも一貫している。こんなにわかりやすくこの定理にたどりつく本は他にしらない。しかも、証明が図形的なので、どういう仕組みでなりたつかがおおまかに理解できるようになっている。

 この本での「リーマン・ロッホの定理」は、次のように提示されている。

(リーマン・ロッホの定理)

種数gのRiemann面X上の任意の因子Dに対して、

dim L(D)=deg D-g+1+dimΩ(-D)

が成り立つ

ここで種数gは、リーマン面に空いてる穴の個数。因子Dというのは、いくつかの点で(n重の)零点をもち、いくつかの点で(m重の)極をもつ(極というのは関数の分母が0になる点、つまり値が無限大になる点)ことの表現。deg Dはその重複度を(プラス・マイナスとして)総和したもの。 L(D)というのは、Dを足すと極が消えるような関数のつくるベクトル空間のことで、dim L(D)というのはその次元のことだ。Ω(-D)というのは、-Dを加えると極が消えるような第1種微分(正則なアーベル微分)の作るベクトル空間のことで、dimΩ(-D)はその次元のこと。

ざっくり言えば、 L(D)もΩ(-D)も零点や極の重複度に制限を指定した関数または微分のことと見なせる。

この「リーマン・ロッホの定理」とは、零点や極のあり方を制限して指定した関数たちがどのくらい存在するか、についての知識を与える定理なのである。例えば、

種数gに対してnがn≧2g-2を満たすなら、任意の点Pにちょうどn+1位の極を有する有理型関数が存在する

などということが証明できる。

 この本における「リーマン・ロッホの定理」の証明は、この本の中でのさまざまな定理の証明の中では最も長いが、7ページ程度だからがんばればなんとか読める。多くの代数幾何の本では、この定理は「コホモロジー群」を使って表現し、証明されるみたいだ。例えば、小木曽啓示『代数曲線論』朝倉書店でもそうなっている。次の式が「リーマン・ロッホの定理」だ。

h^0(O_X(D))-h^1(O_X(D))=1-g+deg D

ここでh^0、h^1は、0次コホモロジー群、1次コホモロジー群の次元のこと。この定理の証明は小木曽啓示『代数曲線論』では、2ページぐらいで済んでいるが、その前に、h^1の次元の有限性の証明のために14ページの難行苦行が待っている(笑)。

河井版のリーマン・ロッホと小木曽版のリーマン・ロッホは形式が違うが、小木曽啓示『代数曲線論』によれば、小木曽版にセールの双対定理を使えば、河井版が得られるとある。コホモロジー理論は、数学のあちこちで出てくるから、理解するにこしたことはないが、h^1(O_X(D))はイメージがわかないベクトル空間なので、わからない概念を使ってわからない公式を表している感じで、素人には大変つらい。h^1(O_X)が種数、つまり、図形の穴の個数だと言われても、「なんでやねん」となってしまう。河井版では、種数はコホモロジーではなく、もっと直接的に定義してあるから、胃もたれしない。だから、河井版を先に理解してから、小木曽版にチャンレジすることをお勧めしたい。(もちろん、そのルートでも、ある程度の純粋数学の経験が必要である)。

 河井壮一『代数幾何学第6章にはひとつだけ難点がある。それは、微分形式(アーベル微分、第1種微分)の詳しい解説がないことだ。もちろん、定理の証明に必要な知識は与えられるが、実際のところ第1種微分とは何のことなのかが具体的にイメージできない。それについては、小木曽啓示『代数曲線論』に詳しい説明があるので、こちらで勉強したほうがいい。微分形式とは、要するに、空間での微分(作用素)のことで、イメージ的には接空間を思い浮かべればいい。リーマン・ロッホ(河井版)とは要するに、リーマン面(たとえば、浮袋型)の上の関数の空間と、その接空間上の微分の空間との関係を表すものだと理解できる。

 ちなみに、小木曽啓示『代数曲線論』では、とかくイメージのわかない1次コホモロジー群(H^1)の次元について、リーマン球面のバージョンを具体的で直接的な証明を与えてくれているので、すごくうれしい。こういう例は貴重だ。

 リーマン・ロッホは、数論にも出てくるっぽく、普遍的な定理みたいだ。還暦すぎてたどりついても時すでに遅いかもしれないが、なんでも目標達成は嬉しいものなのだ。

 

講座 数学の考え方〈18〉代数曲線論

講座 数学の考え方〈18〉代数曲線論

 

 

 

 

高木貞治『初等整数論講義』の続きで読むべき数学書

 前回のエントリーからだいぶ時間が経過してしまったが、予告した通り、小野孝『数論序説』裳華房を紹介しようと思う。この本は、整数論の本だ。そして、ぼくの個人的印象ではあるが、高木貞治『初等整数論講義』共立出版を意識して書かれた本だと思う。そして、その意識の仕方が実にみごとで、だから、高木貞治『初等整数論講義』のあとに是非とも読むべき数学書なのだ。

 

数論序説

数論序説

  • 作者:小野 孝
  • 発売日: 1987/01/25
  • メディア: 単行本
 

 高木貞治『初等整数論講義』を中級の数学書とすれば、この小野孝『数論序説』は上級の数学書なので(ちなみにもっと難しい本を、ぼくは「専門書」と呼んでる)、ある程度数学科的数学になじんでいないと読みこなせないと思うので、万人向きではないから注意してほしい。

実際、「はしがき」に次のようにある。

第2章以降は`中等整数論'とでもいうべきものである。内容は高木貞治先生の2著「初等整数論講義, 共立出版, 1983」、「代数的整数論, 岩波書店, 1971」を適当に攪拌し当世向きに調合したものとでもいえようか。

したがって、もちろん、この本を読む前に高木貞治『初等整数論講義』を読破すべきだし、読破できたなら、(現代的な数学の心得が多少あれば)、本書にチャレンジするのが適切だと思う。(高木『代数的整数論』はわかりにくい本なので、読まないでこっちに進むのが吉)。ちなみに、『初等整数論講義』に対するぼくの感想は、

高木貞治の数学書がいまさら面白い - hiroyukikojima’s blog

にエントリーしたので、参考にしてほしい。

 『初等整数論講義』(以下、[高木]と略す)は、おおまかに言うと、「連分数」「平方剰余相互の法則」「2次体の数論」がテーマの本。ここで「連分数」とは、分数の分母が再び分数で、その分母が再び分数で・・・という形式で実数を表わす技術のこと。「平方剰余相互の法則」とは、素数を法とする合同式において、与えられた整数が平方数と合同になるかどうかを簡単に判定できる法則、「2次体の数論」とは、整数のルート数を有理数に加えた2次体(有理数+有理数√mの数の集合)において整数を定義し、その素イデアル分解を考察する分野のこと。

『数論序説』も、基本的には、同じテーマ「連分数」「平方剰余相互の法則」「2次体の数論」を踏襲している。ただ、その扱い方は、より現代的になっている。つまり、初等的に証明できる定理も、わざと現代数学の道具を使ってアプローチしているのである。

 「連分数」では、行列の成す群を駆使している([高木]にも多少は出てきてはいるが)。

 「平方剰余相互の法則」の証明ではそれは顕著で、[高木]では格子点を使って、非常に初等的に(中高生でも理解できる)証明しているけど、この本では「アーベル群の指標」というのを使って、「ガウス」を見ることで証明している。「アーベル群の指標」というのは、可換性のある有限群(有限アーベル群)から複素数への写像で、群演算を積とみなして保存するようなものだ。「ガウス和」とは、指標たちに1のべき根を掛けて足し合わせた和。これがある種の循環性を持つために、うまく「相互則」が出てくる仕掛け。

この「指標」と「ガウス和」を使う証明のほうが(難しいけど)優れていると思うのは、あとで(2次体を含む)「代数体の数論」を展開するとき役に立つからだ。例えば、「奇素数のルート数を添加した2次体が、円分体(1のべき根を有理数に添加して作る体)の部分体となること」が簡単に証明できるし、「フェルマー素数の正多角形がコンパスと定規で作図可能である」証明も著しく簡単になる(この証明はほんとにみごとで、[高木]より明快)。

 「2次体の数論」に至ると、これはもうすごくて、ガロア理論から「代数体の数論」を一般的に導出して(たぶん、[高木]よりエレガント)、そこから2次体の整数環に話を還元する。

 なによりぶったまげるのは、「2次体の数論」を完成するために、な、なんと!コホモロジー」を持ち出すのである。たかが2次体のために、たかがルート数のために、最先端の武器である「コホモロジー」という最強呪文を唱えるのだよ。

 「コホモロジー」というのは、集合たちと写像たちが、→A→B→C→、のようなつながりをしていて、Aの要素を2回の矢印で写像するとCにおいて0になるような構造を持つものに定義される量だ。最先端の数学をつかさどってると言っても過言ではない。

 ぼくは、ずっと「コホモロジーって要するになに?」を知りたくて、数学書を勉強してきた。でも、普通は代数幾何で、例えば、リーマン面の理論の中で扱われるのが常なんだけど、それが異様にわかりずらい。局所的な関数の集合を扱うから、定義もわかりにくいし、何をやらんとしてるのかがつかめないからだ。挫折を余儀なくされる。

 ところが、この本の「コホモロジー」はけっこうわかりやすいのである。それは、「有限群」(しかも、「巡回群」という簡単な群)を対象とするコホモロジーだからだ。定義もわかりやすいし、6角形を成す「完全系列」(「像」=「0の逆像」が成り立つ系列)の補題も簡単に証明を追える。だから、「コホモロジーって要するになに?」の解答を得るのは、この本が一番ではないか、と思えるのである。実際、ぼくは、「コホモロジー」目当てでこの本を購入した。

 おまけとして付け加えると、この本で与えられている「ガロアの基本定理(部分群と中間体の一対一対応)」の証明は、現存する最短の証明じゃないかと思った。わずか8ページで完成している。

 ただし、証明は「代数的閉体」を使うので、かなり超越的。ツォルンの補題とか出てくるからね。数学科の数学に通じてない素人読者がこの定理を理解するには、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社が、最も初等的で最短で最適だと思うぞ(自画自賛)。

 とは言っても、まだ、前半の2章しか読んでないので、後半も読んだら、また紹介するつもり。

 

初等整数論講義 第2版

初等整数論講義 第2版

  • 作者:高木 貞治
  • 発売日: 1971/10/15
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 

 

Tricotの無観客ライブは、本当にすばらしかった。

今回は、久しぶりに音楽のことをエントリーする。

話題は、日本のバンドTricotの無観客ライブのこと。

Tricot(トリコ)は、女性3人と男性1人からなるJ-popのバンド。ボーカルの中嶋イッキュウさんは、ジェニーハイで有名になったので、Tricotももっともっと売れていいと思うのだが、チケットが手に入らなくなるのは困るので、痛しかゆしだ。

 彼らの音楽を何かのジャンルに当てはめるのは適切でないように思えるが、ぼくは「新世代のプログレ」に分類している。この辺のことはあとで説明する。

Tricotのライブには、もう10回ぐらい行ったと思う。それについては、

渋谷でトリコのライブを観てきますた - hiroyukikojima’s blog

赤坂ブリッツで、Tricotのワンマンライブを観てきた。 - hiroyukikojima’s blog

この世で観られる最高の音楽〜Tricot - hiroyukikojima’s blog

などで読んでほしい。

先週の3月14日にもTricotのライブが予定されたのだが、ぼくはもちろん、チケットを確保していた。しかし、コロナ肺炎感染拡大を受けて、ライブは振り替えとなり、演奏は無観客で行われ、それがネット配信された。

ぼくは高齢者なので、ライブが決行されても行かないつもりだった。今回を逃しても、生きてあと10回彼らのライブを観たほうが幸せだと判断したからだ。でも、予期せぬ幸運で、無観客の演奏をネットで観ることができた上、10月のライブにチケットは振り替えできた。めっちゃ嬉しかった。

無観客ライブは、リアルタイムで視聴したけど、その後もネット上に置いてあったので、夜中にもう一度観て、翌日以降にも2回ほど観た。めちゃめちゃ得した気分だ。

オフィシャルなアップロード(1曲だけ。音がいい)↓

https://www.youtube.com/watch?v=WC3VuXS_4xA

youtubeにアップされてる全編↓

https://www.youtube.com/watch?v=gUY79MfD2aE

tricotはこれまで自主レーベルだったが、去年エイベックスに移籍し、つい最近、メジャーデビューアルバム「真っ黒」をリリースした。そのレコ発ツアーだっただけに、無観客ライブになったのはさぞ無念だったと思う。

真っ黒(CD+Blu-ray Disc)

真っ黒(CD+Blu-ray Disc)

  • アーティスト:tricot
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: CD
 

  さて、このニューアルバムは、ものすごい名作だと思う。これまでもいいアルバムを作ってきたけど、そろそろネタが尽きるかと思いきや、どうしてどうして、こんなに斬新なアルバムを作れるのはすごいことだと思う。

このCDには、ブルーレイ付き(またはDVD付き)があって、フルライブの映像が観れるので、そっちを買うのがお勧めだ。14曲全部好きだが、とりわけ「秘蜜」「危なくなく無い街へ」がめっちゃ好きだ。特に前者は、「こんな曲を現代に作れる人がいるのか!しかも、女子が」とびっくらこいた。

 Tricotの音楽は、ぼくの中では「プログレ」なのだが(プログレは、プログレッシブの略)、現代の分類でいうと「Math music」というのに属するらしい。Mathは数学のこと。つまり、数学的な音楽のことだ。奇数拍子、変拍子、リズムの転換、リズムずらしなどを真骨頂とする。

 ぼくらの時代には、「プログレ」はキング・クリムゾンピンク・フロイド、イエスジェネシスなどたくさんあった。一大ムーブメントだった。ぼくは、この中ではキング・クリムゾンが一番好きだった(今でも好きだ)。この手の音楽は今のJ-popのメジャーシーンにはほとんど見かけないから、Tricotは貴重な存在なのだ。

 実は、Tricotで作曲をしているギタリストの木田モティフォさんは、キング・クリムゾンの影響を受けているのではないか、という邪推をしている。根拠は三つある。第一は、ギター2本のずらし(ポリリズム)を多用すること。第二は、ネットのインタビュー番組で、彼女の使っているエフェクターが父親譲りだと答えてたので、父親がギターを弾く人だということは、父親の影響でクリムゾンを聴いてて不思議ではないこと。第三は、彼女の作った曲「bitter」に、はっきりクリムゾンのリーダーのロバート・フリップへのトリビュートを感じること。ちなみに、この曲「bitter」は、前掲の「真っ黒」のブルーレイ・ライブ映像で演奏しているで、是非、聴いてみてほしい。

たぶん、「bitter」がトリビュートしているのは、ロバート・フリップのソロアルバムとか、ソロユニット「リーグ・オブ・ジェントルメン」のアルバムに収められている「Under Heavy manners」という曲だと思う。これは、トーキング・ヘッズのデビッド・バーンがボーカルをやっている。「マルクシズム」とか「ニヒリズム」などたくさんの「~イムズ」を連呼し続ける不思議な曲だ↓。

https://www.youtube.com/watch?v=_HNStzPtZ2M

そして、Tricotの「bitter」も、「~イムズ」を連呼し続ける曲(かなりふざけているが笑)。もしも「Under Heavy manners」を知らずに作曲したなら、それこそ恐れ入る。

 ちなみに、この頃からフリップは、フリッパートロニクスというエフェクターを自分で作成して使い始める。これはたぶん、オープンリールに即興で作ったフレーズを録音して、それをリピートさせながら、そこに新しいフレーズをかぶせていくマシン。メロトロンというキーボードから発想したんだと思う。これによって、フリップは、ギター一本で即興演奏をできるようになった。その後、このエフェクターは、サンプリングシンセの機能で簡単に使えるようになり、多くのギタリストが使っている。木田さんも最近よく使っている。

 還暦過ぎて、最も愛するクリムゾンの音楽の影を感じる音楽を、若い女性たちのバンドで聴けるなんて、自分は果報者だと思う。

 それにしてもつくずく思うのは、現代における視聴環境の激変だ。

トリコの無観客ライブは、ライブ配信でもあるが、ライブ後にも(一週間だけだが)観ることができる。こんな時代が来るとは想像もできなかった。

 忘れもしない高校3年のとき、NHKの洋楽ライブ番組「ヤング・ミュージック・ショー」でイエスのライブを放送することになったのだが、その放映日が不運にも、模試と重なってしまった。そのイエスのライブは、アズベリーパークで行われた伝説のライブで『海洋地形学の物語』を演奏したものだった。実は、ぼくはイエスの中では、大評判のアルバム『危機』や『壊れもの』より『海洋地形学の物語』が好きだった。だから、どうしても観たいに決まってた。仮病を使って模試を休むとか、行ったふりして友達の家で観るとか、いろいろ作戦を考えたが、まじめなぼくは結局模試を選んだ。問題を解いている間、頭を『海洋地形学の物語』が旋回して、集中できなかったのを今でも覚えている。そして、その後、ずっと後悔し続けた。とにかく当時は、オンエアーの時間にテレビの前にいないとどうにもならなかったのだ。そして、ビデオデッキはまだ庶民には買えなかったので、頭に焼き付けるしかなかったのだ。

 その後、新宿のAという有名なインディーズビデオ店で、イエスの「ヤング・ミュージック・ショー」の(非合法)ビデオを入手したときは嬉しかった。店主は、NHKの職員がお忍びでときどき査察にくるが、雰囲気でわかるので、NHKのビデオを全部隠すって言ってた。笑

 ヤング・ミュージック・ショーで秀逸だったライブ演奏に、ピンク・フロイドの「ポンペイ・ライブ」がある。これは、映画用に撮られた無観客ライブだ。ポンペイの遺跡で撮られたすばらしい演奏であった。ピンク・フロイドと言えば、『狂気』とか『ウォール』とかが名作と言われているけど、(もちろん、ぼくもそれらが大好きだが)、このライブではそれ以前の「神秘」とか「ユージン斧に気を付けろ」とか「エコーズ」とかを演奏している。これらの曲は真にプログレッシブ(アバンギャルド)で、ピンク・フロイドの本領だと思うから、すばらしいライブだった。

 ちなみに、自分でビデオ・デッキを買ったときは、真っ先にこのピンク・フロイドポンペイ・ライブ」のビデオ・ソフトを購入した。記憶では2万円ぐらいした。(あと日活ロマンポルノも2万ぐらい出して買ったのは内緒。笑)。

 このような苦労に比べると、今の若者は幸せだと思う。無観客ライブをネットで観ることができ、youtubeであらゆる音楽が聴ける。定額のサブスクで、いくらでも聴きたい音楽を聴くことができる。ぼくらの青春時代には、それなりに工夫をして、なんとか音楽を入手し、それはそれで楽しかったが、現代に若者でいたかったのは間違いない。

 数学クラスタで(クラスタって言葉は、今は鬼門だね)このブログを楽しみにしている人のために、ちょっとだけ数学ネタに触れておこう。今ぼくは、小野孝『数論序説』を読んでる。こっれがもう、めちゃめちゃいい本なんだ。それについては、次回にエントリーしたいと思う。 

 

 

 

 

 

多項式版フェルマーの大定理の証明

 今回も前回の続きで、河井壮一『代数幾何学培風館の紹介をしよう。前回のエントリー、

今頃になって、なんでか代数幾何が面白い - hiroyukikojima’s blog

を読んでない人は、先に読んでおいてくれるとありがたい。ついでに、黒川信重さんの新著『リーマン予想の今、そして解決への展望』技術評論社も併せて紹介したい。

 

リーマン予想の今,そして解決への展望 (数学への招待)

リーマン予想の今,そして解決への展望 (数学への招待)

  • 作者:黒川 信重
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 今回話題にするのは、「多項式フェルマーの大定理」だ。

フェルマーの大定理」は、門外漢にも知れ渡った有名な定理で、「nが3以上の自然数のとき、(aのn乗)+(bのn乗)=(cのn乗)を満たす自然数a, b, cは存在しない」という定理だ。17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが予想し、1995年にイギリス人の数学者アンドリュー・ワイルズが解決した。解決まで360年かかった超難問であった。

 実はこの大定理には、「多項式版」がある。それは、

「nが3以上の自然数のとき、(a(t)のn乗)+(b(t)のn乗)=(c(t)のn乗)を満たす、複素数係数の、定数でなく、かつ互いに素であるようなtの多項式、a(t), b(t), c(t)は存在しない」

という定理だ。

  ここで「定数でない」という条件は不可欠だ。定数でいいなら「a(t)=1, b(t)=1, c(t)=(2のn乗根)」が解になる。また、「互いに素」というのは「共通解を持たない」ということだが、これも不可欠。互いに素でなくていいなら、「a(t)=f(t), b(t)=f(t), c(t)=(2のn乗根)×f(t)」とか、「a(t)=0, b(t)=f(t), c(t)=f(t)」などが解となるからだ。さらには、「nが3以上の自然数」の条件も不可欠。n=2の場合は、「a(t)=(f(t)の2乗)-1, b(t)=2f(t), c(t)=(f(t)の2乗)+1」などが解となるからだ。

 ぼくは、「フェルマーの大定理」が未解決の難問であることを中学生のときに知って、数学ファンになった。この「多項式フェルマーの大定理」が既にずっと前に証明されていることも知識としてあったが、あまり興味を持たなかった。多項式は変数が含まれるので、条件が強くて、簡単に証明されても不思議ではないという感想を持ったからだ。

でも、その後、黒川信重さんと共著で本を作ったり、望月新一先生がabc予想を解決する論文を発表したりしたことで、意識が変わって、「多項式フェルマーの大定理」にも興味を持つようになった。

数学を専門的に勉強すると、「多項式の集合」と「整数の集合」には、代数的な類似性が大きいことがわかる。例えば、「割って余りを出すことができる」とか、「素因数分解の一意性が成り立つ」とか、「ユークリッドの互除法で最大公約数が出る」とか、「イデアルがすべて単項イデアルである」とかなどだ。(念のため言うと、これらの性質は独立ではなく、互いに関連性を持っている)。これらについて、詳しくは、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書で勉強してほしい。

したがって、多項式の世界と整数の世界には類似の定理が成り立つことが多々ある。「フェルマーの大定理」と「abc予想」はその最たるものであり、どちらも「多項式版」のほうが先に証明され、証明も初等的であった。「フェルマーの大定理」では、「整数版」のほうもワイルズによって証明された。望月先生の論文が正しいと確認されれば、「abc予想」の「整数版」も解決することになる。

 さて、「多項式フェルマーの大定理」の証明だが、これは黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』で読むことを強く推奨したい。ネット上にも証明がアップされているが、黒川さんの書いた証明が最もわかりやすいと思う。

 証明の概略を書くと次のようになる。まず、等式「(a(t)のn乗)+(b(t)のn乗)=(c(t)のn乗)」の両辺を微分する(合成関数の微分法)。次に、微分してできた等式と元の等式から、b(t)を消去する(連立方程式の要領)。すると、互いに素の条件から、多項式の倍数・約数関係が導かれる。それから次数についての不等式を導く。以上の作業を、a(t)の消去、c(t)の消去に対しても実行し、得られた次数についての不等式をうまく処理すれば、矛盾が導かれる仕組みだ。詳しくは、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』を読んで欲しい。この証明は、数Ⅲを学んだ、多少数学の得意な高校生なら理解できる、お手本のような証明だが、自分ではなかなか発見できないようなものなので、高校生にも高校の先生にも数学ファンにもすごく勉強になると思う。

 ちなみに、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』は『リーマン予想の探求~ABCからZまで』技術評論社を、最新情報を加えつつ、大幅に改定したもの。後者を持っている人も購入して損はない。リーマン予想、深リーマン予想絶対数学abc予想など、数学ファンには堪えられない面白い本だ。「関数体版abc予想」の完璧な証明も収録されている。

 さて、ここからが前回のエントリーの続きとなる。

 河井壮一『代数幾何学を第5章まで読み進んだ。第5章は、代数曲線(2変数の多項式=0で定義される複素射影空間の曲線)とその特異点を解消した「非特異モデル」(リーマン面)の「形」について解説した章だ。

 結論を言えば、「円盤にg個の穴を開けた形状」になる。gのことを専門の言葉で「種数」という。

 この種数についての定義とその性質を導くのだけれど、それがめちゃめちゃわかりやすい。ぼくの所有しているいくつかの代数幾何学の本(例えば、小木曽啓示『代数曲線論』など)では、種数とその性質を定義するのに、「層のコホモロジー」を経由する。きっと、そのほうがあとあと巧いことになるのだろうけど、ここまでの道のりが険しく、また、初学者には抽象的すぎてついていけない。わかったようなわからんような朦朧とした気分で進むしかない。それに対して、河井壮一『代数幾何学では、非常に簡単に、そしてクリアーな議論で種数の定義とその性質を導く。
代数方程式→重複点での分岐→分岐被覆→多角形の張り合わせ→穴の個数

というイメージしやすい議論を使うからだ(被覆については、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を参照のこと)。そこでポイントになるのは、多面体についてよく知られたオイラー指標である。オイラー指標とは、「(頂点の数)-(辺の数)+(多角形の数)」という計算で、穴の個数が固定されればどんな多面体でも一定数になる。

今までは、どれを読んでも曖昧模糊となっていた種数(穴の個数)の意味が、この本で初めて理解できた。

 この第5章のクライマックスは、「多項式フェルマーの大定理」の証明だ。この本ではこれを「Kummerの定理」と呼んでいるので、これがクンマーが証明した方法だからなのかもしれない(あるいは別の方法で証明した可能性もある)。ちなみに、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』では、R.リュービルという数学者が1879年に証明した、と紹介している。このリュービルは「リュービル超越数」のリュービルとは別人ということだ。

 さて、河井壮一『代数幾何学で解説している「多項式フェルマーの大定理」の証明は、おそろしく簡単で、たったの9行で済ませている。

 その手続きは、「(f(t)のn乗)+(g(t)のn乗)=1(n≧3)」を満たす定数でないtの有理式f(t), g(t)があったとして矛盾を導く、というものだ。

そのため、まず、「(xのn乗)+(yのn乗)=1」という式で定義される曲線Cを考える(リーマン面)。この曲線Cの種数(穴の個数)は、(n-1)(n-2)/2となる。ここで、「(f(t)のn乗)+(g(t)のn乗)=1」という仮定から、(f(t), g(t))はリーマン球面(複素平面無限遠点を加えて球面にしたもの)から曲線C(リーマン面)への正則写像(つまり、tの有理式でパラメーター表示できるってこと)となる。このとき、一般的な種数の公式を利用すれば、

2-2×(リーマン球面の種数)=m×(2-2×(曲線Cの種数))-(分岐指数から1を引いたものの総和)

が成立しなければいけないけれど、リーマン球面の種数=0から、この等式は成り立ちようがない。もっと簡単に言えば、リーマン球面には穴がないけど曲線Cには穴があるのでこの等式は成立しないから、パラメーター表示する写像があるはずがない。したがって、矛盾が生ずる、ということなのだ。

 この証明からは感ずるものが大きい。最初に紹介した黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』における証明が、微分という解析的性質とか、多項式の約数・倍数関係という代数的性質とかに強く依存しているのに対して、この証明は「穴が複数個開いた円盤」という「形」だけに、(つまり位相だけに)、依拠している、という点だ。これを読むと、数論は「ものの形状」から相当な情報を引き出せるんだろうな、という予感がひしひししてくる。簡単な定理ではあるが、現代数論のエッセンスを見た気になれるのである(単なる気分だと専門家に叱られるかもしれないが)。

 

 

 

 

 

今頃になって、なんでか代数幾何が面白い

 今回は、お正月から読みつないでいる代数幾何の教科書について紹介しよう。読みつないでいるのは、河井壮一『代数幾何学培風館だ。

現代数学レクチャーズ B 5 代数幾何学

現代数学レクチャーズ B 5 代数幾何学

 

 この本は、数学科の学部生だった頃に購入して、数学科の院試を受験している頃にチャレンジした本だった。

 ちなみに、ぼくは、学部では代数幾何を専攻していた。残念ながら、好きだったから選んだわけではない。数論を勉強したかったがゼミの応募者が多く、成績が悪くて落とされたゆえ、やむなく選んだ専門だった。

 堀川先生のゼミで、Mumford``Algebraic Geometry Ⅰ:Complex Projective Varieties'' Springer Verlagを輪読した。輪読した、と言っても、1章(20ページ程度)を終えたか終えないか程度で一年が終わってしまったから、ほとんど読んでいないに等しい。なぜそんなに進まなかったかというと、毎週、発表者が先生に撃墜されて、お説教を受けて終了、の繰り返しだったからだ。この体験談については、

堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojima’s blog

続・堀川先生とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojima’s blog

などで読んでほしい。

 当時の噂に聞いたところでは、著者のMumfordは非常に変わった偏屈な人物だが、堀川先生は友人だったらしい。堀川先生は、実力のある数学者だったが、(ある事情←今回は略、があって)、なかなか教授になれなかった。それで親しい数学者たちが、Mumfordに、「堀川先生が教授になれるように推薦してあげてほしい」と頼んだのだそうだ。そのときのMumfordの答えは、「堀川はdifficultだから嫌だ」というものだったという。偏屈で有名なMumfordにdifficultと言われるとは、どんだけ堀川先生が困った性格だったかがしのばれる。

 今、Mumford``Algebraic Geometry Ⅰ''が横に置いてあって、めくってみたが、表紙裏に雑誌の切り抜きが貼ってある。それは、数学セミナー』に掲載された小平邦彦先生のコラム「ノートを作りながら」だ。思い出してみるとこれは、堀川先生がわれわれの体たらくに激怒した際に、自分で探して読むようにと命令したコラムだった。実際、これは今読んでもすごいコラムだと思う。ちょっとだけ引用しよう。

数学の本を開いてみると、まずいくつかの定義と公理があって、それから定理と証明が書いてある。数学というものは、わかってしまえば何でもない簡単明瞭な事項であるから、定理だけ読んで何とかわかろうと努力する。証明を自分で考えてみる。たいていの場合は考えてもわからない。仕方ないから本に書いてある証明を読んでみる。しかし一度や二度読んでもわかったような気がしない。そこで証明をノートに写してみる。すると、今度は証明の気に入らない所が目につく。もっと別の証明がありはしないかと考えてみる。それがすぐに見つかればいいが、そうでないと諦めるまでにだいぶ時間がかかる。こんな調子で一カ月もかかってやっと一章の終わりに達した頃には、初めの方を忘れてしまう。仕方ないから、また初めから復習する。そうすると今度は章全体の配列が気になりだす。定理3より定理7を先に証明しておく方がよいのではないか、などと考える。そこで章全体をまとめ直したノートを作る。

いやあ、小平先生でさえこのような勉強をしていたのだと思うと、数学の勉強って、荒行そのものだよな。

 では、もとの話に戻ろう。Mumfordは難しすぎて歯が立たないので、院試の勉強のために、河井壮一『代数幾何学を購入した。しかし、いくら読もうとしても、どうしても面白いと思えず、数行読んでは挫折、の繰り返しとなった。小平先生の勉強方法とは似て非なる状態だ(笑)。結局、学部時代には読まずじまいに終わり、院試にも落ちてしまった。それ以来、長い間、代数幾何の勉強は封印していた。

 それがなぜ、今頃になってこの本を読み始めたか、というと、意外なことから代数幾何への興味がやってきたからだ。それは、雑誌『現代思想』の数学者リーマン特集で、黒川信重さんと加藤文元先生と三人で鼎談したことだった。その鼎談は、リーマンの数学と思想について、ぼくが聞き手となって、お二人からリーマンへの愛と敬意を引き出すものだった。

 その中で加藤先生の次の発言がずっと心にささっていたのだ。

加藤 (前略) 

リーマンは、関数は一つの概念として自体存在、それ自体が存在するものだということをどうもやり始めているようなのです。それはリーマンの関数論へのアプローチにもよく表れています。リーマンは式をあまり書かないわけですが、関数を扱う上で非常に直観的なんです。例えば面というものを扱ってそれによって関数を書く。複素関数論の話になりますが、例えばリーマン球面上の正則関数は定数しかないわけです。そういう意味では、リーマン球面上の関数は特異点の位置で決まるわけです。このように、目で見てわかる幾何学的な状況で関数を書こうということを彼は始めたわけです。そしてそれが面の話になっていく。そうして彼は「関数は面である」ということを言い出すわけです。もちろん、そこまでだったらリーマンがいなくても誰か他の人がやったかもしれません。しかし、ここがとても大事なところですが、リーマンはその逆も言っているのです。つまり「関数は面である」というだけではなく「面は関数である」ということまで言い出した。要するに、面と関数は同じだということまで言っているわけです。つまり彼は関数を本当に見えるものとして捉えようとしていたわけです。(後略)

ぼくは、この発言を聞いたとき、正直、震えるような驚きを覚えた。加藤先生の念頭にある「リーマン面」というアイテムについては、予習して行ったせいもあって、多少の知識があった。けれども、リーマン面を考えたリーマンの頭の中にあったイメージが、「関数と面は同じだ」というとてつもない発想であるとまでは理解していなかった。だから、近いうち、そのことをもう少しきちんと理解したい、という願望が生じたのだ。

 この鼎談から3年以上が経過してしまったが、今年の正月に、ふと戯れに、書棚から河井壮一『代数幾何学を取り出して、ページをめくってみた。そうしたら、あら不思議、読めそうな気がしてきて、その上、すごく面白そうにさえ思えたのだ。

 そして読んでみたら、まじ面白かった。どう面白かったのか?

1.この本は、代数曲線の話から始まっている(リーマン面ではなく)。

ここで、代数曲線とは、(xとyを変数とする多項式)=0という方程式で定義される曲線。ただし、曲線とは言っても、高校で習う放物線とか円とかとは異なる。xとyは複素数なので、4次元空間の中の(太さのある)「線」。その上、曲線を考えるのは、射影空間という特殊な空間だ。他方、多くの代数幾何の教科書は、リーマン面(複素平面の開集合をぺたぺた張り合わせて作られる多様体)から入るので、多様体のイメージがないとなかなか何をしようとしているかわからない。ぼくには、リーマン面より代数曲線のほうがイメージしやすい。それは、高校数学での知識が多少役に立つから。

2.この本は、図形的なアプローチをしている(代数的ではなく)。

普通の代数幾何の教科書は、代数的なアプローチをする。環とかイデアルとかヒルベルトの零点定理とか必ず出てくる。ぼくは、こういう代数的(環論的)アプローチになじめなかった。でも本書は、解説を、非常に図形的に展開する。図が描いてあるので、イメージを作って解説を読み進むことができる。この手法は、久賀道郎『ガロアの夢』日本評論社を想起させる。『ガロアの夢』は、証明を数式一辺倒ではなく、図形と言葉で展開した斬新な本だ。詳しくは、次のエントリーで読んでほしい。

ガロアの夢、ぼくの夢 - hiroyukikojima’s blog

実際、久賀先生の本で勉強して、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社で解説した「被覆空間」が、河井壮一『代数幾何学でも重要な役割を果たしていて、非常に役立った。(皆さんは、被覆空間について、拙著のほうで勉強してほしい)。

3.この本では、代数幾何のおいしい話たちが早めに出てくる。

代数幾何には、ベズーの定理(m次曲線とn次曲線の交点数は、重複も含めると、mn個)とか、「2次元複素射影空間の解析的曲線は代数曲線」(複素微分可能な関数の零点で定義される曲線は実は多項式で定義されるのと同じ)とか、「2次元多様体の局所的正則関数の作る環では、因数分解の一意性が成り立つ」とか、かっこいい定理がいっぱいあるが、たいていの教科書では、たくさんのうんざりする準備のあとに解説される。でも、この本では、全体の3分の1ぐらい(60ページ程度)まで読めば、これらの証明を理解することができる。しかも証明が図形的なため、めっちゃ理解しやすい。

4.この本では、「関数と面とは同じだ」、の証明が、とてもわかりやすい。

この「関数と面とは同じだ」という定理も、本の真ん中くらいで出てくる。要するに、多項式f(x, y)=0で定義される代数曲線と多項式g(x, y)=0で定義される代数曲線があるとき、それらの「非特異モデル」が複素多様体として同型ならば(つまり、同じ形をしているならば)、それらの上の関数体は同型であり、逆もまた成り立つ、ということが示される。ちなみに、非特異モデルとは、代数曲線には自分同士で交わる点(特異点)が有限個あり得るが、その交差する点で一方の枝を持ちあげて立体交差にして、交わらないようにしたもの。

ただし、この関数体をちゃんと理解するには、多項式の作る環をイデアルで割った商集合を理解してなくちゃならないので(そいつの商体と同型になるから)、そのためには、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書を読むと助けになるだろう(笑)。

 以上で、この本のおおよそ前半部分については紹介できたと思う。まさか、40年も経過してから、この本がこんなに面白いと思えるようになるとは想像もしなかった。タイムリープして当時の自分に教えてあげたい。この本の「はしがき」には、

現在活躍中の某氏が、かつて学生時代、「代数幾何をやらないやつの気が知れない」と言って、他分野の同級生達のひんしゅくを買ったという話があるが、そのような言葉が口からでるほど代数幾何はおもしろいものだということを伝えおきたい。

とあるが、このはしがきが、なまじ嘘には思えなくなってくるほど面白い。

 ただ、この本の唯一の、そして無視できない弱点は、「具体例がほとんどない」ことだ。具体例がないと、実際、定理たちがどういう計算で確認されるのかがよくわからない。そのために、ぼくは、以前から買ってあった上野健爾『代数幾何入門』岩波書店を併読した。

代数幾何入門

代数幾何入門

 

 この本は、もうまるで、河井壮一『代数幾何学の「資料集」として書かれたような本であることがわかった。実際、この本では、次に読む本として河井本を勧めている。上野本は、厳密な証明に拘泥することなく、具体例で代数幾何の醍醐味を伝えた貴重な本だ。残る半分くらいは、河井本とは異なるアプローチをしているが、並行して読むと双方の理解が深まると思う。

 ぼくが代数幾何を勉強したいもう一つの理由は、もちろん、スキーム理論やカテゴリー理論を理解して、リーマン予想の解決された部分を理解したいからだ。だから、河井本の残り半分もなんとか読破して、再度、スキーム理論にチャレンジしたい。

ガロアの夢―群論と微分方程式

ガロアの夢―群論と微分方程式

 

 

【完全版】天才ガロアの発想力 ―対称性と群が明かす方程式の秘密― (知の扉シリーズ)

【完全版】天才ガロアの発想力 ―対称性と群が明かす方程式の秘密― (知の扉シリーズ)

 

 

数学は世界をこう見る 数と空間への現代的なアプローチ (PHP新書)

数学は世界をこう見る 数と空間への現代的なアプローチ (PHP新書)

 

 

 

 

 

京都で宇沢先生の思想についてレクチャーします!

 来週、京都のお寺で、宇沢先生の思想についてのレクチャーをする。具体的には、

宇沢弘文を読む』

日時:2月17日(月) 17:00~19:00

場所:法然院 

京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町30番地

登壇者:小島寛之(帝京大学 経済学部 教授)

詳しくは、以下のサイトから↓

宇沢国際学館 #5 | Peatix

関西方面に居住の方は、是非、ふるってご参加ください。

 宇沢先生の制度学派としての仕事「社会的共通資本の理論」については、先生のお弟子さんの一部が、継続して研究を進展させておられる。一方で、宇沢先生には、東大での教え子がものすごくたくさんおり、しかも、皆さんとても優秀で業績の高い方々であるのに、そのほとんどの方は「社会的共通資本の理論」に興味を示さず、貢献もしていない。その現状を打破すべく、宇沢先生のお嬢さんである占部まりさんが、(医師という職業を持ちながらも)、宇沢先生の思想を広め、深める活動をしておられる。今回のレクチャーも、お嬢さんが企画したものだ。

 宇沢先生の弟子筋学者のほとんどの方が、先生の理論・思想に興味を持っていないのは、ぼくには、「悲しい」というより、とても「不思議」なことなのだ。

 「社会的共通資本の理論」はそんなに魅力のない考え方なのだろうか。そんなに荒唐無稽な思想なのだろうか。

 ぼくには全くそうは思えない。プロの経済学者となり、主流の経済学の研究をかなりな水準で理解できた今でも、その思いは同じだ。主流派の(新古典派的な)経済学の理論が、先生の理論・思想に比べて、突出して優れていて、段違いに「真実である」ようには全く思えない。

 もちろん、主流の経済学は、数理モデルを使って構築する、というルールを決めたことで、「勝ち負け」を判定しやすくなり、「競争」に適するようになったのは事実だろう。将棋や囲碁のように、「競う」方法が明確になり、序列(ランキング)をつけやすくなった。そういう構造を作れば、「組織的秩序」を生み出しやすい。優れた知的能力を持った人々は競うのが大好きだから、そういう構造・秩序は動学的に安定的(進化ゲーム理論で言うところの、進化的な安定)であろう。

 でも、経済学って、そういう学問でいいんだろうか?

ぼくはそういう素朴な疑問をぬぐえない。経済学は、「科学」であって欲しい、のと同時に、「思想」でもあって欲しい、というのがぼくの切なる願いなのだ。だから、単なる「数学的遊戯」に陥って欲しくない。

 「社会的共通資本の理論」に対して、理論として曖昧過ぎる、という批判があるのもわかる。(そりゃ、主流派のようなルールの明確さがないからね)。あるいは、「単なる公共財の理論に毛の生えたもの」という評価もわかる。(公共財の理論も、非常に手厚く研究されているからね)。現在のぼくには、そういう批判・評価に抗する材料も成果もない。

 ただそれでも、この理論・思想に中に、「空虚ではない何かの存在」を感じるのだ。

 最初は、一般市民として宇沢先生に市民講座でレクチャーを受けて、この思想に素人の熱狂をしたのに過ぎなかった。その後、大学院で主流派の経済学の手ほどきを受け、主流派の経済学(ミクロ経済学マクロ経済学や社会選択理論やゲーム理論など)の数理科学的なみごとさを理解した。そうした上で、というかそれだからこそやっぱり、主流派の経済学に欠けているものがあるという感触に至った。「欠けているもの」というより「届かないもの」と表現したほうがいいかもしれない。それは、喩えてみれば、力学方程式を足し算して行っても統計力学に到達しない、みたいな「届かなさ」だ。これについては、前のエントリー、

経済学で最も大事だと思うこと - hiroyukikojima’s blog

を参照して欲しい。宇沢先生もたぶん、同じことを感じて、新しい方法論を模索したのだと思う。その「届かないもの」にたち向かうには、「社会的共通資本の理論」のような制度学派の方法論を取り入れるしかないような気がするからだ。

 そんなわけで、ぼくは先生のお嬢さんに協力しつつ、それをムチにして、バネにして、宇沢先生の思想の進展に自分を鼓舞しようとしている。今回の法然院のレクチャーをお引き受けしたのも、自分の研究活動推進の一環なのだ。

 そんなわけなので、時間に余裕のある、関西方面在住のかたは(もちろん、日本のどこのかたでも)、是非、聴きにきてほしい。

 

 

WEBRONZAに新しい論考を寄稿しました!

WEBRONZAに、新しい論考を寄稿した。タイトルは、

数学女子に育てたければ、女子校に入れよ - 小島寛之|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

というものだ。

このブログでは、主に、経済学や数学の理論の紹介、専門書・啓蒙書に対する書評、小説・映画・音楽のレビューをエントリーしている。

それに対して、WEBRONZAでは、経済学の論文から一般の人々にも価値があるだろう内容を引用して、できるかぎりわかりやすく、そして刺激的に紹介することにしている。だから、WEBRONZAでの論考は、理論よりデータ(実証)を重視している。

 ぼく自身は、経済学の研究者としては実証を全くやっていない。けれど、最近、WEBRONZAの寄稿のために実証系の論文も読むようになっている。それはぼく自身にもすごく楽しく、また、勉強になることなのだ。執筆と研究の両面に効能を持っているのだな。

 実証系の論文は、同僚や友人の経済学者から教えてもらっている。こういうことができるのは、学者のコミュニティにいるからで、そういう点では、学者になって本当によかったと痛感する。