オイラー素数生成式の思い出

今回は、「オイラー素数生成式」について、出会いと再会を書いてみたい。

その前に音楽の話を一つだけ。前回のエントリー、

ネコの物語が、こよなく好きだ - hiroyukikojima’s blog

で、最近、音楽ユニット・ヨルシカが好きだということを書いたが、そのヨルシカがリリースした最新アルバム「盗作」があまりにもすばらしいのだ。一曲一曲もすごいのだけど、全体が一つのストーリーになっていて、コンセプト・アルバムになっている、というのがぶっとびなのである。こんなバカなアルバムを聴いたのは、ぼくの経験では、ピンクフロイドの「アニマルズ」「ウォール」以来、久々だと思う。(他のプログレのバンドを無視するな、という声も聞こえてきそうだが無視する。笑)。

しかも、ぼくが購入した「盗作」初回限定版には小説とカセット・テープがおまけで付いている!現在、ぼくの家にはラジカセがないので、途方に暮れているところだ。なんてことするんだ!

ボカロPのn-bunaさんの楽曲もめちゃくちゃ斬新だが、ボーカルのsuisさんの声と歌唱力がすばらしい。よくよくみたら、「TK from凛として時雨」のお気に入りの最新アルバム「彩脳」にsuisさんがゲストで入ってた!気が付いてなかった。このアルバムも最高のアルバムだ。

 さて、本題に戻ろう。

オイラー素数生成式」とは、(xの2乗)+x+41、という2次式である。これは、xに0から39まで代入すると、連続して40個の素数を生成するとんでもない2次式だ。天才オイラーの発見だから、オイラーにしてはたいしたことではないかもしれないが、ほれぼれしてしまう。

ぼくがこの式に出会ったのは、中学生のときだった。何かの啓蒙書で知ったのだと思う。記憶はあいまいだが、たぶんぼくのことだから40個計算して、それらが素数であることをチェックしたのだろう。そして、そのみごとさに見惚れたことだろう。

x=40を代入すると素数にならない、ということは勘がいい人ならすぐわかる。(41でダメなのは勘が悪くてもわかる。笑)。なぜなら、(xの2乗)+x=x(x+1)からx=40なら、これが40×41となるからだ。つまり、x=40では素数にならないことは簡単にわかるが、それまではずっと素数が生成される、というのはめっちゃすごいことである。

オイラー素数生成式」と再会したのは、塾講師をしていた頃だった。数学オリンピックで、次のような問題が出題されたのを見たからだ。

(数学オリンピック 1987年キューバ大会) 

nを2以上の素数とする。

0≦k≦√(n/3)をみたす任意の整数kに対して、(kの2乗)+k+nが素数ならば、0≦k≦n-2の任意の整数kに対しても(kの2乗)+k+nは素数であることを示せ。

この問題を見たときは心底驚いた。これは、まさに「オイラー素数生成式」をテーマにする問題ではないか!しかも、この問題(定理)によれば、√(41/3)=√13.6・・=3.6・・だから、k=0, 1, 2, 3について素数が生成されることを確認すれば、k=39まで素数であることが保証される、というのだ。こんなことが初等的に証明できる、ということに思わずのけぞったのである(数学オリンピックの問題は、原則として、数1までの知識で解けるように作られている)。

もちろん、証明は常人に思いつくようなものではなかった。面倒なので概要で済ませるが、次のようなものである。

まず、もしも、0≦k≦n-2のkに対して素数でないものがあるとして、最初のそれをsとする(つまり、それまではすべて素数となると仮定される)。その上で、(sの2乗)+s+nの素因数で最小のものをpとする。この素数pに対して、0≦k≦s-1なるkに対する(kの2乗)+k+nが、素数pそのものになるかどうかを検討する。sがある程度大きいと、(すなわち、√(n/3)以上だと)、0≦k≦s-1なるkに対する(kの2乗)+k+nのどれかが素数pに一致する。しかし、このように、pの倍数が2回現れることは不可能なのだ。それは、(sの2乗)+s+n-{(kの2乗)+k+n}の因数分解からわかるのである。(詳しい、証明は、拙著『数学オリンピック問題に見る現代数学ブルーバックスを参照してほしい)。

いやあ、すごいことを思いつく人がいるものだな、と惚れ惚れしたものだった。

 ところが、最近になって、この「オイラー素数生成式」とまた再会したのである。

それは、最近読んでいた小野孝『数論序説』裳華房である。この本については、

高木貞治『初等整数論講義』の続きで読むべき数学書 - hiroyukikojima’s blog

で紹介したので、参照してほしい。

この本の最後のほうに、唐突に「オイラー素数生成式」が登場する。しかも、なんと!練習問題での登場だ。それは以下のような問題である。(表現をわかりやすく変更している)。

問題4.16(ラビノヴィッチ) 有理数虚数mを添加した虚2次体をkとし、m≠-1, -3とする。

lを、m≡2, 3(4)のときは-mと定義し、m≡1(4)のときは、(1-m)/4と定義する。

さらに、

P(x)を、m≡2, 3(4)のときは、(xの2乗)+l、と定義し、m≡1(4)のときは、

(xの2乗)+x+l、と定義する。このとき、次の2条件は同値である。

(i) P(x)が0≦x≦l-2なるすべてのxについて素数

(ii) 2次体kの類数が1である。

この問題でm=-163としたものが、「オイラー素数生成式」である。実際、-163≡1(4)だから、

l=(1-(-163))/4=41、となる。つまり、P(x)=(xの2乗)+x+41、となる。

この問題(ラビノヴィッチの定理)から、虚2次体Q(√-163)の類数(あとで説明する)が1であることを確かめれば、「オイラー素数生成式」が40個の素数を生成することがわかるのだ。そればかりではない。この問題(ラビノヴィッチの定理)から、次のこともわかる!

(xの2乗)+x+lという式で、オイラー素数生成式よりももっと多くの素数を連続して生成するものは存在せず、オイラー素数生成式が最良である。

なぜなら、虚2次体で類数が1のものは、Q(√-163)のあとにはないと証明されているからなのだ。

「ラビノヴィッチの定理」については、ネット上に多くの解説がころがっており、厳密な証明をアップしているものもあるので、ここでは証明を紹介することにこだわらないことにする。そこで、数学愛好家諸氏のために、「類数」の簡単な解説をすることに集中する。

 2次体というのは、有理数に√mを添加して作った体Q(√m)のことで(mは1以外の平方因子を持たない)、(有理数)+(有理数)√m、という形の数の集合である。ルート数√2を加えた場合は、√2と有理数とで作られる(中学生におなじみの)数世界となる。虚数単位√-1を加えて作った場合、複素数の中の、係数が有理数である(高校生におなじみの)数世界となる。前者が実2次体、後者が虚2次体である(2次体については、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社ガロア理論の観点から勉強してほしい)。

 2次体Q(√m)の中で「整数」にあたるものが定義される。これはmを4で割った余りで分類される。Q(√m)の「整数」は、mを4で割った余りが2, 3の場合は(整数)+(整数)√mであり、mを4で割った余りが1の場合は(整数)+(整数){(1+√m)/2}、である。前者は自然だけど、後者は不自然な形をしていて、なぜこうなるかには理屈がある(整閉という理屈)が、省略する。

 「整数」にあたるものが定義できたので、「約数」「倍数」を通常の整数の場合と同じに自然な形で定義できる。そうするとすぐに、「1の約数」について違いが出てくるのがわかる。通常の整数では、「1の約数」は±1の2つだけど、Q(√-1)では±1と±√-1, Q(√2)では(1-√2など)無限個になる。次に「素数」に対応する「既約元」が定義される。すなわち、「整数」aがa=bcと表されれば、bかcは「1の約数」になるものを「既約元」と決める。

 以上のような定義の下では、Q(√-1)や Q(√2)では「既約分解の一意性」が証明できる。これは通常の整数に対する「素因数分解の一意性」に対応するものだ。例えば、5は通常の整数世界では素数だが、Q(√-1)では既約分解できる。5=(1+2√-1)(1-2√-1)である。ここで、1+2√-1も1-2√-1もQ(√-1)世界での既約元(素数)にあたる。

 すべての2次体でこれが成り立てば、清純で平和な、しかし面白みのない数学になるが、実際はそうではなく、実に面白いことがわかった。それは、多くの2次体で「既約分解の一意性」が成り立たない、という事実だ。

 有名な例では、Q(√-5)では、6が2通りに既約分解される。実際、6=2×3=(1+√-5)(1-√-5)であるが、2も3も(1+√-5)も(1-√-5)も既約元で、これ以上分解されないのである。このことは、虚2次体に固有のことではなく、例えば実2次体Q(√10)でも生じる。

 このことは、通常の整数での素数が備えている二つの性質「既約元」「素元」が、2次体では分離されることを意味している。ちなみに「aが素元」であるとは、aがbcを割り切るなら、bかcを割り切ることを言う。通常の整数の場合は、「既約元」は必ず「素元」で、その逆も成り立つ。しかし、Q(√-5)では、上で見たように、2は(1+√-5)(1-√-5)を割り切るけど、(1+√-5)も(1-√-5)も割り切らないから、2は既約元だが素元ではない。このズレが、2次体の数論をめっちゃ豊かで面白くする源泉なのだ。

 さて、このズレを解消して、清純さを取り戻すために編み出されたのが、「イデアル」というツールだ。イデアルとは、Q(√m)の整数から成る部分集合Iで、次の2条件を満たすものである。

(i)  x,yIの要素なら、 x±yもそう。(ii)  xIの要素なら、 xの「Q(√m)での倍数」もそう。

(イデアルのもっと詳しい解説は、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書を読んで欲しい)。イデアルは、通常の整数の世界では、単なる「あるaの倍数の集合」となって、「倍数」概念と一致してしまうが、2次体の世界では「倍数」概念とのズレが生じる。例えば、Q(√-5)の整数世界では、

P={(2の倍数と(1+√-5)の倍数との和}と決めると、これはイデアルではあるが、「あるaの倍数の集合」とはならない。つまり、イデアルは倍数の拡張概念ではあるものの、2次体においては、「単なる倍数ではない場合」が生じるのである。

そこで、

イデアルQ={(3の倍数と(1+√-5)の倍数との和},

イデアルR={(3の倍数と(-1+√-5)の倍数との和}

と定義すると、(イデアル同士に適切な積を定義することで)、

(2の倍数の作るイデアル)=(Pの2乗),  (3の倍数の作るイデアル)=QR

(1+√-5の倍数の作るイデアル)=PQ,  (1-√-5の倍数の作るイデアル)=PR,  

となって、6=2×3=(1+√-5)(1-√-5)のもっと細かい分解が可能となる。そう、

6=(Pの2乗)(QR)=(PQ)(PR)

という形で、「分解の一意性」が回復されるわけである。

 長い道のりを進んできたが、やっと、「類数」にたどり着いた。

以上のように、ある2次体では、単なる倍数集合とは異なるイデアル(上記、P, Q, Rのようなイデアル)があることがわかったが、それらの中で「本質的に異なるものが何種類あるか」を問題としてみよう。

Q(√-5)では、(2の倍数の作るイデアル)や(1+√-5の倍数の作るイデアル)という自然なイデアル(単項イデアルと呼ばれる)のほかに、P, Q, Rのような「単項イデアルでないイデアル」がある。注目したいのは、このような「単項イデアルでないイデアル」で本質的に異なるものがどのくらいあるか、ということだ。

たとえば、さきほどのP, Qでは、αP=Qを満たすQ(√-5)の要素αが存在する(α=(1+√-5)/2)。したがって、P, Qは「本質的には異ならない」と見なせる。実は、Q(√-5)のいかなるイデアルも、単項イデアルであるか、Pと「本質的には異ならない」イデアルであることが示せる。そこで、Q(√-5)のイデアルの本質的に異なる種類は2種類であると考える。この「種類の数」を「類数」というのである。「Q(√-5)の類数は2」ということになる。

類数の観点から言うと、「類数が1」ということは、「イデアルが単項イデアルだけ」ということであり、「既約分解の一意性が成り立つ」単純な数世界ということになる。「ラビノヴィッチの定理」が述べていることは、素数生成式が可能であること」と「類数が1である単純な虚2次体であること」が一致する、ということなのだ。オイラーはこういう背景をうすうす直感していたのであろうか。

 「ラビノヴィッチの定理」の証明は、冒頭に述べた通りネット上にあるので、そちらを参考にしてほしい。おおざっぱに言えば、次のようになる。

任意の2次体の類数は有限である」ことは証明されており、その上限もミンコフスキーが不等式で与えている。なので、比較的小さい(有理)素数に対して、その素イデアル分解を調べれば類数を決定することができる。l-2はその上限に対して、十分に余裕があるのである。したがって、類数が2以上であれば、単項イデアルでない素イデアルがl-2より小さいxの P(x)に対する(有理)素数の素イデアル分解に現れるのである。

 この証明を見ていると、前半に述べた数学オリンピックの問題の解答と非常に似ている気もする。ひょっとすると、数学オリンピックの問題は、「ラビノヴィッチの定理」の証明を初等的に焼き直したものなのかもしれない。

実際、虚2次体Q(√m)の場合、先ほど述べたミンコフスキーの上限は、√(|判別式|/3)である(ここで判別式は、mが4で割って余り2, 3の場合は4m, 余り1の場合はm)。この上限は、数学オリンピックの仮定ととても似ている。もしかしたら背景にあるのは、「0≦k≦√(n/3)をみたす任意の整数kに対して、(kの2乗)+k+nが素数」→「ミンコフスキーの上限まで、素数の単項イデアルが素イデアル)→(類数が1)→「0≦k≦n-2の任意の整数kに対しても(kの2乗)+k+nは素数」という経路なのかもしれない、とふと今思いついた。(にわか仕込みなので、まだちゃんと突き詰めてはいない。笑)

 

 

 

 

 

 

 

ネコの物語が、こよなく好きだ

今回は、いつもと趣向を変えて、ネコにまつわる物語のことをエントリーしようと思う。どうしてそんなことを思い立ったかというと、ネットフリックス配信のアニメ『泣きたい私はネコをかぶる』を最近、観たからだ。

映画「泣きたい私は猫をかぶる」公式サイト|Netflixにて全世界独占配信中!

この映画を観たのは、そもそもは「ヨルシカ」という音楽ユニットの曲を聴いたのがきっかけだった。ヨルシカの曲はあまりにすばらしく、久しぶりにぞっこんになってしまった。

まずは、「花に亡霊」↓

https://www.youtube.com/watch?v=9lVPAWLWtWc

この曲は、アニメのテーマ曲で、PVがアニメの宣伝にもなっている。めちゃくちゃ良いPVなのでこれだけでも観る価値がある。是非、観てほしい。きっとアニメも観たくなると思う。

もう一曲は劇中歌で、「夜行」という曲↓

https://www.youtube.com/watch?v=MH5noJJfqDY

この曲も、めちゃめちゃ良い。なんか、子供の頃特有の不安感と高揚感を思い出してホロっとなる。

 なぜ、ヨルシカの曲がそんなに衝撃なのか。それは、曲の出来の良さや女性ボーカリストの声と歌唱技術もさることながら、とにかく歌詞がぐっとくるのだ。こういう歌詞は今まで、あるようでなかったと思う。単なるおじさん殺しの曲なのかもしれないけどさ。

 アニメ『泣きたい私はネコをかぶる』は、かぶるとネコになることができる仮面を使って、ネコになる女の子の物語だ。ネコになって、恋心を抱く男子に会いにいくのだ。人間のままだと素直になれない主人公だが、ネコになれば男子と素直にコミュニケーションできる。男子の心に寄り添うことができる。でも、ネコのままでは人間の言葉を話せないから、彼女の気持ちを伝えることはかなわないのである。

 アニメ『泣きたい私はネコをかぶる』には、新海アニメ(の中の『君の名は。』『天気の子』)のような派手さはない。また、宮崎アニメのようなダイナミックで思想的な深みもない。どちらかと言うと、テーマが(家庭問題とか)今風な卑近さで、ちんまりした話になっている。まあ、それはそれでとても楽しめるんだけどね。とにかく、なんと言ってもネコたちがかわいくて、それでもう、すべて許せてしまうのだ(笑)。

 驚くのは、新海アニメもそうだけど、このアニメも、宮崎アニメの洗礼を受けているように思われることだ。もちろん、これはぼくの個人的印象にすぎないけど、随所のシーンの絵コンテに宮崎駿さんの生み出したイメージが感じられる。やはり、宮崎駿さんは天才なんだと思う。

 ネコの物語のアニメと言って他に思い出すのは、アニメ『銀河鉄道の夜だ。

銀河鉄道の夜 [Blu-ray]

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  • 発売日: 2014/05/30
  • メディア: Blu-ray
 

 これは、ご存知、宮沢賢治銀河鉄道の夜』のアニメ化なのだけど、ポイントになるのは、登場人物をネコにして擬人化したことだ。絵は、ますむらひろしさんの漫画を原案にしている。そのおかげで、あの悲惨な物語(とぼくは思っている)がいくぶん緩和され、幻想味の中でやんわり鑑賞できるようになっている。細野晴臣さんの音楽もすばらしく、さめざめと切ない映画に仕上がっている。このアニメも名作だと思う。

 もう一つ、忘れられないネコの物語は、劇団唐組の演劇『さすらいのジェニー』だ。これは、1988年に唐十郎の作・演出で上演された舞台劇。原作は、ポール・ギャリコの小説である。ギャリコは、映画化された『ポセイドン・アドベンチャー』で有名だ。

 劇団唐組『さすらいのジェニー』は、浅草の川沿いの隅田公園に小屋を建てて上演された。記憶では、芝居小屋を設計したのは建築家の安藤忠雄さんだった。金属の棒のようなものを縦横無尽に組み上げたへんてこな劇場だった。舞台には水路のようなものがあり、船で流れながら物語が演じられる、というすごい仕掛けだった。まあ、水を利用するのは、唐さんの十八番なのだけどね。そして、ジェニーを演じる主演は緑魔子さんだった。

 ぼくが最初に観に行った日は、緑魔子さんが喉を壊したため、休演となってしまった。しかし唐さんは、せっかくがんばって並んでチケットを買ったぼくらに粋なはからいをしてくれたのだ。それは、緑魔子さんの登場シーンまでを無料で見せてくれる、というはからいだった。水路の向こうの舞台の扉が、ばーん、と開くと、そこにネコのジェニーにふんする魔子さまが立っている、というまさにそのシーンまでみせてくれたのだった。

 ぼくはどうしても演劇全体を観たい気持ちにかられて、別日に再度並んで当日券をゲットした。その日は、あいにくの雨で、金属の棒で組まれた小屋は雨音の反響で台詞が聴きづらく、さらには金属が冷たくて、ものすごい逆境の中で最後まで観劇をしたのだった。それでも、切ない切ないネコたちの物語に、ぼくらはさめざめ感動したのだった。(実は、今年、唐組はこれを再演したらしい!)

 最後にもう一つだけネコの物語を紹介したい。

 そう、ぼくの書いたネコの物語だ。(実は、これを書くのが、このエントリーの真の目的なのだ。笑)。それは、『夜の町はネコたちのもの』という児童小説である。この小説は、拙著『ナゾ解き算数事件ノート』技術評論社という短編集に収録されている。

ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

 

 この本は、「パラドクス探偵団シリーズ」という、パラドクスに遭遇して成長していく子供たちの物語の短編集なのだが、最後に一篇だけ別の物語が付録として収録されている。それが、『夜の町はネコたちのもの』なのである。これはもともとは、『中学への算数』東京出版という(中学受験を目指す)小学生のための雑誌に連載したものだった。

 これは、政治家や役人が権力を使って悪事を働いていることに、一匹のネコが気づき、それを暴く物語だ。推理小説仕立てになっており、数学のある著名な定理が解決の糸口を与えることになる。もったいないのでネタばれしないから(笑い)、是非とも、ご購入の上、お読みいただきたい。

 実はこの物語は、亡くなった愛猫に捧げるために書いたものだった。ぼくは、20代の10年弱の間、一匹の雑種ネコと暮らした。そのネコは、ぼくの兄弟姉妹がどっかからもらってきたネコで、アパートの大家に見つかったため、数日だけ預かってくれと置いていったものだった。数日預かったら、情が移って、ずっと飼うことになった。思えば、最初からそれを見込んで置いていったのだと思う。そのネコは、あまり人に馴れず、かみついたり引っかいたりする乱暴なやつだったが、それでも主であるぼくには全幅の信頼を持っていてくれた。だから、亡くなったときはあまりのショックで、ぼくは体調を崩してしまうほど落ち込んだのだった。そのネコへの弔いとして書き上げたのが、この『夜の町はネコたちのもの』なのである。もう30年も昔のことなのだけど、いまだに、そのネコの夢を見て、起きて涙ぐむことがある。

ルート数のダンジョン、横から見るか、上から見るか。

 ずいぶん、間があいてしまったが、今回は「2次体の数論」の話、もっと簡潔に言えば、ルート数の魅力的な世界についてエントリーしようと思う。

 その前に、音楽の話をちょっとだけ。

ぼくが、Tricotという日本のバンドを好きなことは何回も書いてきた。例えば、直近では、次のエントリーだ。

Tricotの無観客ライブは、本当にすばらしかった。 - hiroyukikojima’s blog

そのTricotは今週にも、オンライン有料ライブ(課金+投げ銭)「猿芝居vol.2」を実施した。こっれがまた、すっばらしいライブで、感動しまくった。今回は、ファンからのリクエストの上位10曲を演奏する、というすばらしい企画。さすがTricotファン、リクエストの投票がめっちゃマニアックで、的を射ていた。すべてぼくの聴きたい曲だった。たった一つ残念だったのは、ぼくが最も好きで、一度もライブで聴いたことのない「42°C」が選ばれなかったこと。ぼくが投票しなかったのは、きっとみんなが投票してくれると信じていたからだ。笑

 新型コロナは、世界をいろいろ変えてしまったと思う。大部分は、「やもうえない変化」「悪い方向の変化」だけど、ごく少数だが、「良い変化」「必然的な変化」「気づきをもたらす変化」があったと思う。

 Tricotの無観客オンライン・ライブはその一つ。彼らのライブはだいたい、スタンディングのライブハウスで行われており、ぼくのような老人には正直きつい。さらに、背も低いので、ステージが見えず二重苦だった。それが、オンライン・ライブだと、疲れず、感染の危険もなく、好きな時間に安全に、ステージ上をまるごと観ることができる。こんなすばらしいことはないと思う。Tricotは、新型コロナ収束後も、是非、これを続けてほしい。

 もう一つ。ぼくの大学ではオンライン講義が実施されているが(少人数は対面)、オンライン講義のほうが勉強しやすい学生がかなり多くいる、ということが明らかになった。音声を何度でも聴くことができるし、掲示板での質問は敷居が低いし、オンラインでの確認テストは何回でも入力できる(ように設定している)から、納得するまで勉強できる。大学での講義様式も、きっと、新型コロナ後に変化していくのだろう。

 さて、本題に入ろう。

今回は、「2次体の数論」の本を紹介する。ネタ本は、山本芳彦『数論入門』岩波書店である。現在、この本を精読している理由は、雑誌『高校への数学』東京出版の今年度の連載で「ルート数の冒険」と称して、2次体の魅力を中学生たちに布教しているからである。(興味ある人は是非、連載を読んでほしい)。

 

数論入門 (現代数学への入門)

数論入門 (現代数学への入門)

  • 作者:山本 芳彦
  • 発売日: 2003/11/11
  • メディア: 単行本
 

 この本は、数論全般を扱っているが、「2次体の数論」に多くのページを費やしている。

 2次体というのは、mを平方数でない(正負の)整数とするとき、「(有理数)+(有理数)√m」という形の数の集合(ℚ(√m)と記す)のことをいう。このような数に対する整数論を展開するのである。

 この本の最も大きな特徴は、「(有理数)+(有理数)√m」の中で、「(整数)+(整数)√m」という集合の持つ数論的性質を詳しく調べていることだ。本書では、この集合「(整数)+(整数)√m」を整域ℤ[√m]と呼んでいる。

  整域ℤ[√m]は(有理)整数と類似した世界として扱うことができる。例えば、ℤ[√m]において「a+b√mがc+d√mの倍数である」ということを、「(a+b√m)=(c+d√m)(x+y√m)となるℤ[√m]の要素x+y√mが存在する」と定義すれば、倍数・約数の概念を定義することができる。そうすれば、「素数」にあたる概念も導入することができるようになる。ただし、(有理)整数の世界では、素数pは「pがこれ以上、(1以外の数で)積に分解できないこと」と「pがabを割り切るなら、aまたはbを割り切る」と両方の性質を持っているが、整域ℤ[√m]ではこれを区別しないとならない。すなわち、前者を「既約元」、後者を「素元」と呼び、一般には異なるのである。後者のほうが大事であり、後者が素数に対応する。(後者ならば前者、は必ず成り立つ)。

 2次体の数論で最も面白いところは、前者と後者のずれが起きることなのだ。

例えば、m=2のときの整域ℤ[√2]では前者と後者が一致する。したがって、既約元たちの積への分解について「既約分解の一意性」(素因数分解の一意性に対応する性質)が成り立つ。他方、m=10のときの整域ℤ[√10]では、前者と後者は一致しないので、「既約分解の一意性」が成り立たない。

 整域ℤ[√m]という「(整数)+(整数)√m」タイプの数の代数世界は、中学生にもなじみの深いものだ。これが、(有理)整数世界と似ている部分を持ちながら、違う正体、異なる顔も持っている。これはとても深淵なことではないか!

 山本芳彦『数論入門』の優れている点は、まさに、この整域ℤ[√m]をダイレクトに扱っていることだ。通常の数論の本では、整域ℤ[√m]ではなく、「2次体ℚ(√m)の整数環」というのを解説する。これは、ℚ(√m)の中の数で、(xの2乗)+ax+b=0(a, bは整数)という2次方程式の解となる数の集合のことだ。したがって、「(整数)+(整数)√m」だけではなく、「(有理数)+(有理数)√m」のタイプの数も一部混じることになる。例えば、(xの2乗)+x+1=0の解は、(-1+√-3)/2なので、これは「2次体ℚ(√-3)の整数環」の「整数」となる。このような集合を考えるのには必然性があるのだけど、(素イデアル分解の話につなげる必然性)、素人しては、やはり素朴な整域ℤ[√m]での数の振舞いを先に見ておきたい。この本は、それをやってみせてくれる稀有な本なのである。非常に簡単な工夫だが、これまでこういうことをやった数論の本はぼくは知らない。

 この本での整域ℤ[√m]に関するアプローチは、おおざっぱにまとめると、次のようなものだ。(m=3を例に説明する)

 (1) 素数pが「(xの2乗)-3(yの2乗)」という形式で表されるのは、どんなときか? (2次形式)

 (2) 3が素数pを法として平方剰余となる(3が平方数と合同になる)のは、どんなpか? (平方剰余相互の法則)

 (3) 整域ℤ[√3]の集合で、(有理)素数pが素元になるのはどんなときか? (素元分解整域)

この3つは、相互に緊密な関係を持ち、同じ根っこを持った問題なのである。これは、数論の本領であり、実にエキサイティングなことだと思う。それを、深い理論を使わずに、非常に初等的に証明するのが、この本の面目躍如なところだ。また、豊富な例と具体的な計算が投入されているのも他書に差をつけている。

 ただ、以上のことはこの本の欠点にもなっている。

なぜなら、通常の代数的整数論の本で必ず解説されている「イデアルの包含関係は、約数・倍数関係」や、「素イデアル分解の一意性」や、2次体の類数についての「ミンコフスキーの公式」など、重要な定理が証明なしで掲載され、それを前提に解説が進むことである。これらを証明するには紙数が足りなかったのだろう。また、どうやったって、初等的では済まなかったからなのだろう。

 この点を補うには、以前に

高木貞治『初等整数論講義』の続きで読むべき数学書 - hiroyukikojima’s blog

で紹介した、小野孝『数論序説』裳華房が最適であろうと思う。

 この本は、上記のエントリーで書いた通り、代数的整数論の解説書として最も優れた構築をしている本だと思う。「2次体の整数環」についての諸性質を示す場合にも、もっと広い「代数体」全体の性質を見たほうが近道なのだ。例えば、「イデアルの包含関係は、約数・倍数関係」とか、「素イデアル分解の一意性」とかは、この本ではガロア理論を援用して、非常に鮮やかに証明されている。したがって、山本版で省略されている証明を知りたかったから、小野版にあたるのがいいと思う。

 山本芳彦『数論入門』は、ルート数のダンジョンという魅力的な世界を、横から見て、楽しく冒険する本である。他方、小野孝『数論序説』は、そのダンジョンを高見(代数体のガロア理論)から俯瞰して、ダンジョンの構造をまるっと掌握する本である。どちらが好きかは、好みと知識のあり方に依存するだろう。

 山本芳彦『数論入門』の奥付によると、この本は2003年に刊行され、山本先生は翌年の2004年に亡くなっている。覚悟の上で書いたのなら良いが、そうでないなら、この本の行く末を見届けずに他界したことはさぞ無念であったろう。(合掌)。

 

数論序説

数論序説

  • 作者:小野 孝
  • 発売日: 1987/01/25
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

世界は素数でできている (角川新書)

世界は素数でできている (角川新書)

 

 

 

還暦すぎて初めてたどりついたリーマン・ロッホ

 大学の講義が5月いっぱいまではオンラインになったため、運動不足をふせぐ目的で、毎日部屋でエアロバイクをこぐことにした。これは、東日本大震災の余震に見舞われていた日々以来、久しぶりのことだ。

 バイクをただこぐのは退屈なので、音楽を聴きながら、数学書を読むことにしている。専門の経済学は真剣に研究しなくてはならないので(笑)、趣味である数学のほうの書籍を読んでいる。

 それで(ほぼ)読破したのが、河井壮一『代数幾何学培風館だ。

この本については、

今頃になって、なんでか代数幾何が面白い - hiroyukikojima’s blog

多項式版フェルマーの大定理の証明 - hiroyukikojima’s blog

でも紹介したので、これらを先に読んでくださるとありがたい。

 この本の最終章である第6章は「1つのRiemann面上の議論ーー微分積分、Riemann-Roch」となっている。ついにこの章まで到達して、「リーマン・ロッホの定理」を理解できてしまったのだ。「リーマン・ロッホの定理」といえば、代数幾何学習の一つの(最初のというべきか)到達点。数学科在籍時以来、苦節40年、還暦過ぎてついに「リーマン・ロッホの定理」に到達した。

 前の2つのエントリーでも書いたが、とにかくこの本はわかりやすい。そのうえ読み進むのが楽しい。もちろん、数学の議論のわかりやすさは人それぞれだから、こういう書き方が好みじゃない人もいて不思議ではないが、ぼくにはめっちゃわかりやすく、めっちゃ楽しい数学書なのだ。

 それはこの本が、図形的で直感的な説明や証明法を用いているからだ。それは「リーマン・ロッホの定理」の説明でも一貫している。こんなにわかりやすくこの定理にたどりつく本は他にしらない。しかも、証明が図形的なので、どういう仕組みでなりたつかがおおまかに理解できるようになっている。

 この本での「リーマン・ロッホの定理」は、次のように提示されている。

(リーマン・ロッホの定理)

種数gのRiemann面X上の任意の因子Dに対して、

dim L(D)=deg D-g+1+dimΩ(-D)

が成り立つ

ここで種数gは、リーマン面に空いてる穴の個数。因子Dというのは、いくつかの点で(n重の)零点をもち、いくつかの点で(m重の)極をもつ(極というのは関数の分母が0になる点、つまり値が無限大になる点)ことの表現。deg Dはその重複度を(プラス・マイナスとして)総和したもの。 L(D)というのは、Dを足すと極が消えるような関数のつくるベクトル空間のことで、dim L(D)というのはその次元のことだ。Ω(-D)というのは、-Dを加えると極が消えるような第1種微分(正則なアーベル微分)の作るベクトル空間のことで、dimΩ(-D)はその次元のこと。

ざっくり言えば、 L(D)もΩ(-D)も零点や極の重複度に制限を指定した関数または微分のことと見なせる。

この「リーマン・ロッホの定理」とは、零点や極のあり方を制限して指定した関数たちがどのくらい存在するか、についての知識を与える定理なのである。例えば、

種数gに対してnがn≧2g-2を満たすなら、任意の点Pにちょうどn+1位の極を有する有理型関数が存在する

などということが証明できる。

 この本における「リーマン・ロッホの定理」の証明は、この本の中でのさまざまな定理の証明の中では最も長いが、7ページ程度だからがんばればなんとか読める。多くの代数幾何の本では、この定理は「コホモロジー群」を使って表現し、証明されるみたいだ。例えば、小木曽啓示『代数曲線論』朝倉書店でもそうなっている。次の式が「リーマン・ロッホの定理」だ。

h^0(O_X(D))-h^1(O_X(D))=1-g+deg D

ここでh^0、h^1は、0次コホモロジー群、1次コホモロジー群の次元のこと。この定理の証明は小木曽啓示『代数曲線論』では、2ページぐらいで済んでいるが、その前に、h^1の次元の有限性の証明のために14ページの難行苦行が待っている(笑)。

河井版のリーマン・ロッホと小木曽版のリーマン・ロッホは形式が違うが、小木曽啓示『代数曲線論』によれば、小木曽版にセールの双対定理を使えば、河井版が得られるとある。コホモロジー理論は、数学のあちこちで出てくるから、理解するにこしたことはないが、h^1(O_X(D))はイメージがわかないベクトル空間なので、わからない概念を使ってわからない公式を表している感じで、素人には大変つらい。h^1(O_X)が種数、つまり、図形の穴の個数だと言われても、「なんでやねん」となってしまう。河井版では、種数はコホモロジーではなく、もっと直接的に定義してあるから、胃もたれしない。だから、河井版を先に理解してから、小木曽版にチャンレジすることをお勧めしたい。(もちろん、そのルートでも、ある程度の純粋数学の経験が必要である)。

 河井壮一『代数幾何学第6章にはひとつだけ難点がある。それは、微分形式(アーベル微分、第1種微分)の詳しい解説がないことだ。もちろん、定理の証明に必要な知識は与えられるが、実際のところ第1種微分とは何のことなのかが具体的にイメージできない。それについては、小木曽啓示『代数曲線論』に詳しい説明があるので、こちらで勉強したほうがいい。微分形式とは、要するに、空間での微分(作用素)のことで、イメージ的には接空間を思い浮かべればいい。リーマン・ロッホ(河井版)とは要するに、リーマン面(たとえば、浮袋型)の上の関数の空間と、その接空間上の微分の空間との関係を表すものだと理解できる。

 ちなみに、小木曽啓示『代数曲線論』では、とかくイメージのわかない1次コホモロジー群(H^1)の次元について、リーマン球面のバージョンを具体的で直接的な証明を与えてくれているので、すごくうれしい。こういう例は貴重だ。

 リーマン・ロッホは、数論にも出てくるっぽく、普遍的な定理みたいだ。還暦すぎてたどりついても時すでに遅いかもしれないが、なんでも目標達成は嬉しいものなのだ。

 

講座 数学の考え方〈18〉代数曲線論

講座 数学の考え方〈18〉代数曲線論

 

 

 

 

高木貞治『初等整数論講義』の続きで読むべき数学書

 前回のエントリーからだいぶ時間が経過してしまったが、予告した通り、小野孝『数論序説』裳華房を紹介しようと思う。この本は、整数論の本だ。そして、ぼくの個人的印象ではあるが、高木貞治『初等整数論講義』共立出版を意識して書かれた本だと思う。そして、その意識の仕方が実にみごとで、だから、高木貞治『初等整数論講義』のあとに是非とも読むべき数学書なのだ。

 

数論序説

数論序説

  • 作者:小野 孝
  • 発売日: 1987/01/25
  • メディア: 単行本
 

 高木貞治『初等整数論講義』を中級の数学書とすれば、この小野孝『数論序説』は上級の数学書なので(ちなみにもっと難しい本を、ぼくは「専門書」と呼んでる)、ある程度数学科的数学になじんでいないと読みこなせないと思うので、万人向きではないから注意してほしい。

実際、「はしがき」に次のようにある。

第2章以降は`中等整数論'とでもいうべきものである。内容は高木貞治先生の2著「初等整数論講義, 共立出版, 1983」、「代数的整数論, 岩波書店, 1971」を適当に攪拌し当世向きに調合したものとでもいえようか。

したがって、もちろん、この本を読む前に高木貞治『初等整数論講義』を読破すべきだし、読破できたなら、(現代的な数学の心得が多少あれば)、本書にチャレンジするのが適切だと思う。(高木『代数的整数論』はわかりにくい本なので、読まないでこっちに進むのが吉)。ちなみに、『初等整数論講義』に対するぼくの感想は、

高木貞治の数学書がいまさら面白い - hiroyukikojima’s blog

にエントリーしたので、参考にしてほしい。

 『初等整数論講義』(以下、[高木]と略す)は、おおまかに言うと、「連分数」「平方剰余相互の法則」「2次体の数論」がテーマの本。ここで「連分数」とは、分数の分母が再び分数で、その分母が再び分数で・・・という形式で実数を表わす技術のこと。「平方剰余相互の法則」とは、素数を法とする合同式において、与えられた整数が平方数と合同になるかどうかを簡単に判定できる法則、「2次体の数論」とは、整数のルート数を有理数に加えた2次体(有理数+有理数√mの数の集合)において整数を定義し、その素イデアル分解を考察する分野のこと。

『数論序説』も、基本的には、同じテーマ「連分数」「平方剰余相互の法則」「2次体の数論」を踏襲している。ただ、その扱い方は、より現代的になっている。つまり、初等的に証明できる定理も、わざと現代数学の道具を使ってアプローチしているのである。

 「連分数」では、行列の成す群を駆使している([高木]にも多少は出てきてはいるが)。

 「平方剰余相互の法則」の証明ではそれは顕著で、[高木]では格子点を使って、非常に初等的に(中高生でも理解できる)証明しているけど、この本では「アーベル群の指標」というのを使って、「ガウス」を見ることで証明している。「アーベル群の指標」というのは、可換性のある有限群(有限アーベル群)から複素数への写像で、群演算を積とみなして保存するようなものだ。「ガウス和」とは、指標たちに1のべき根を掛けて足し合わせた和。これがある種の循環性を持つために、うまく「相互則」が出てくる仕掛け。

この「指標」と「ガウス和」を使う証明のほうが(難しいけど)優れていると思うのは、あとで(2次体を含む)「代数体の数論」を展開するとき役に立つからだ。例えば、「奇素数のルート数を添加した2次体が、円分体(1のべき根を有理数に添加して作る体)の部分体となること」が簡単に証明できるし、「フェルマー素数の正多角形がコンパスと定規で作図可能である」証明も著しく簡単になる(この証明はほんとにみごとで、[高木]より明快)。

 「2次体の数論」に至ると、これはもうすごくて、ガロア理論から「代数体の数論」を一般的に導出して(たぶん、[高木]よりエレガント)、そこから2次体の整数環に話を還元する。

 なによりぶったまげるのは、「2次体の数論」を完成するために、な、なんと!コホモロジー」を持ち出すのである。たかが2次体のために、たかがルート数のために、最先端の武器である「コホモロジー」という最強呪文を唱えるのだよ。

 「コホモロジー」というのは、集合たちと写像たちが、→A→B→C→、のようなつながりをしていて、Aの要素を2回の矢印で写像するとCにおいて0になるような構造を持つものに定義される量だ。最先端の数学をつかさどってると言っても過言ではない。

 ぼくは、ずっと「コホモロジーって要するになに?」を知りたくて、数学書を勉強してきた。でも、普通は代数幾何で、例えば、リーマン面の理論の中で扱われるのが常なんだけど、それが異様にわかりずらい。局所的な関数の集合を扱うから、定義もわかりにくいし、何をやらんとしてるのかがつかめないからだ。挫折を余儀なくされる。

 ところが、この本の「コホモロジー」はけっこうわかりやすいのである。それは、「有限群」(しかも、「巡回群」という簡単な群)を対象とするコホモロジーだからだ。定義もわかりやすいし、6角形を成す「完全系列」(「像」=「0の逆像」が成り立つ系列)の補題も簡単に証明を追える。だから、「コホモロジーって要するになに?」の解答を得るのは、この本が一番ではないか、と思えるのである。実際、ぼくは、「コホモロジー」目当てでこの本を購入した。

 おまけとして付け加えると、この本で与えられている「ガロアの基本定理(部分群と中間体の一対一対応)」の証明は、現存する最短の証明じゃないかと思った。わずか8ページで完成している。

 ただし、証明は「代数的閉体」を使うので、かなり超越的。ツォルンの補題とか出てくるからね。数学科の数学に通じてない素人読者がこの定理を理解するには、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社が、最も初等的で最短で最適だと思うぞ(自画自賛)。

 とは言っても、まだ、前半の2章しか読んでないので、後半も読んだら、また紹介するつもり。

 

初等整数論講義 第2版

初等整数論講義 第2版

  • 作者:高木 貞治
  • 発売日: 1971/10/15
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 

 

Tricotの無観客ライブは、本当にすばらしかった。

今回は、久しぶりに音楽のことをエントリーする。

話題は、日本のバンドTricotの無観客ライブのこと。

Tricot(トリコ)は、女性3人と男性1人からなるJ-popのバンド。ボーカルの中嶋イッキュウさんは、ジェニーハイで有名になったので、Tricotももっともっと売れていいと思うのだが、チケットが手に入らなくなるのは困るので、痛しかゆしだ。

 彼らの音楽を何かのジャンルに当てはめるのは適切でないように思えるが、ぼくは「新世代のプログレ」に分類している。この辺のことはあとで説明する。

Tricotのライブには、もう10回ぐらい行ったと思う。それについては、

渋谷でトリコのライブを観てきますた - hiroyukikojima’s blog

赤坂ブリッツで、Tricotのワンマンライブを観てきた。 - hiroyukikojima’s blog

この世で観られる最高の音楽〜Tricot - hiroyukikojima’s blog

などで読んでほしい。

先週の3月14日にもTricotのライブが予定されたのだが、ぼくはもちろん、チケットを確保していた。しかし、コロナ肺炎感染拡大を受けて、ライブは振り替えとなり、演奏は無観客で行われ、それがネット配信された。

ぼくは高齢者なので、ライブが決行されても行かないつもりだった。今回を逃しても、生きてあと10回彼らのライブを観たほうが幸せだと判断したからだ。でも、予期せぬ幸運で、無観客の演奏をネットで観ることができた上、10月のライブにチケットは振り替えできた。めっちゃ嬉しかった。

無観客ライブは、リアルタイムで視聴したけど、その後もネット上に置いてあったので、夜中にもう一度観て、翌日以降にも2回ほど観た。めちゃめちゃ得した気分だ。

オフィシャルなアップロード(1曲だけ。音がいい)↓

https://www.youtube.com/watch?v=WC3VuXS_4xA

youtubeにアップされてる全編↓

https://www.youtube.com/watch?v=gUY79MfD2aE

tricotはこれまで自主レーベルだったが、去年エイベックスに移籍し、つい最近、メジャーデビューアルバム「真っ黒」をリリースした。そのレコ発ツアーだっただけに、無観客ライブになったのはさぞ無念だったと思う。

真っ黒(CD+Blu-ray Disc)

真っ黒(CD+Blu-ray Disc)

  • アーティスト:tricot
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: CD
 

  さて、このニューアルバムは、ものすごい名作だと思う。これまでもいいアルバムを作ってきたけど、そろそろネタが尽きるかと思いきや、どうしてどうして、こんなに斬新なアルバムを作れるのはすごいことだと思う。

このCDには、ブルーレイ付き(またはDVD付き)があって、フルライブの映像が観れるので、そっちを買うのがお勧めだ。14曲全部好きだが、とりわけ「秘蜜」「危なくなく無い街へ」がめっちゃ好きだ。特に前者は、「こんな曲を現代に作れる人がいるのか!しかも、女子が」とびっくらこいた。

 Tricotの音楽は、ぼくの中では「プログレ」なのだが(プログレは、プログレッシブの略)、現代の分類でいうと「Math music」というのに属するらしい。Mathは数学のこと。つまり、数学的な音楽のことだ。奇数拍子、変拍子、リズムの転換、リズムずらしなどを真骨頂とする。

 ぼくらの時代には、「プログレ」はキング・クリムゾンピンク・フロイド、イエスジェネシスなどたくさんあった。一大ムーブメントだった。ぼくは、この中ではキング・クリムゾンが一番好きだった(今でも好きだ)。この手の音楽は今のJ-popのメジャーシーンにはほとんど見かけないから、Tricotは貴重な存在なのだ。

 実は、Tricotで作曲をしているギタリストの木田モティフォさんは、キング・クリムゾンの影響を受けているのではないか、という邪推をしている。根拠は三つある。第一は、ギター2本のずらし(ポリリズム)を多用すること。第二は、ネットのインタビュー番組で、彼女の使っているエフェクターが父親譲りだと答えてたので、父親がギターを弾く人だということは、父親の影響でクリムゾンを聴いてて不思議ではないこと。第三は、彼女の作った曲「bitter」に、はっきりクリムゾンのリーダーのロバート・フリップへのトリビュートを感じること。ちなみに、この曲「bitter」は、前掲の「真っ黒」のブルーレイ・ライブ映像で演奏しているで、是非、聴いてみてほしい。

たぶん、「bitter」がトリビュートしているのは、ロバート・フリップのソロアルバムとか、ソロユニット「リーグ・オブ・ジェントルメン」のアルバムに収められている「Under Heavy manners」という曲だと思う。これは、トーキング・ヘッズのデビッド・バーンがボーカルをやっている。「マルクシズム」とか「ニヒリズム」などたくさんの「~イムズ」を連呼し続ける不思議な曲だ↓。

https://www.youtube.com/watch?v=_HNStzPtZ2M

そして、Tricotの「bitter」も、「~イムズ」を連呼し続ける曲(かなりふざけているが笑)。もしも「Under Heavy manners」を知らずに作曲したなら、それこそ恐れ入る。

 ちなみに、この頃からフリップは、フリッパートロニクスというエフェクターを自分で作成して使い始める。これはたぶん、オープンリールに即興で作ったフレーズを録音して、それをリピートさせながら、そこに新しいフレーズをかぶせていくマシン。メロトロンというキーボードから発想したんだと思う。これによって、フリップは、ギター一本で即興演奏をできるようになった。その後、このエフェクターは、サンプリングシンセの機能で簡単に使えるようになり、多くのギタリストが使っている。木田さんも最近よく使っている。

 還暦過ぎて、最も愛するクリムゾンの音楽の影を感じる音楽を、若い女性たちのバンドで聴けるなんて、自分は果報者だと思う。

 それにしてもつくずく思うのは、現代における視聴環境の激変だ。

トリコの無観客ライブは、ライブ配信でもあるが、ライブ後にも(一週間だけだが)観ることができる。こんな時代が来るとは想像もできなかった。

 忘れもしない高校3年のとき、NHKの洋楽ライブ番組「ヤング・ミュージック・ショー」でイエスのライブを放送することになったのだが、その放映日が不運にも、模試と重なってしまった。そのイエスのライブは、アズベリーパークで行われた伝説のライブで『海洋地形学の物語』を演奏したものだった。実は、ぼくはイエスの中では、大評判のアルバム『危機』や『壊れもの』より『海洋地形学の物語』が好きだった。だから、どうしても観たいに決まってた。仮病を使って模試を休むとか、行ったふりして友達の家で観るとか、いろいろ作戦を考えたが、まじめなぼくは結局模試を選んだ。問題を解いている間、頭を『海洋地形学の物語』が旋回して、集中できなかったのを今でも覚えている。そして、その後、ずっと後悔し続けた。とにかく当時は、オンエアーの時間にテレビの前にいないとどうにもならなかったのだ。そして、ビデオデッキはまだ庶民には買えなかったので、頭に焼き付けるしかなかったのだ。

 その後、新宿のAという有名なインディーズビデオ店で、イエスの「ヤング・ミュージック・ショー」の(非合法)ビデオを入手したときは嬉しかった。店主は、NHKの職員がお忍びでときどき査察にくるが、雰囲気でわかるので、NHKのビデオを全部隠すって言ってた。笑

 ヤング・ミュージック・ショーで秀逸だったライブ演奏に、ピンク・フロイドの「ポンペイ・ライブ」がある。これは、映画用に撮られた無観客ライブだ。ポンペイの遺跡で撮られたすばらしい演奏であった。ピンク・フロイドと言えば、『狂気』とか『ウォール』とかが名作と言われているけど、(もちろん、ぼくもそれらが大好きだが)、このライブではそれ以前の「神秘」とか「ユージン斧に気を付けろ」とか「エコーズ」とかを演奏している。これらの曲は真にプログレッシブ(アバンギャルド)で、ピンク・フロイドの本領だと思うから、すばらしいライブだった。

 ちなみに、自分でビデオ・デッキを買ったときは、真っ先にこのピンク・フロイドポンペイ・ライブ」のビデオ・ソフトを購入した。記憶では2万円ぐらいした。(あと日活ロマンポルノも2万ぐらい出して買ったのは内緒。笑)。

 このような苦労に比べると、今の若者は幸せだと思う。無観客ライブをネットで観ることができ、youtubeであらゆる音楽が聴ける。定額のサブスクで、いくらでも聴きたい音楽を聴くことができる。ぼくらの青春時代には、それなりに工夫をして、なんとか音楽を入手し、それはそれで楽しかったが、現代に若者でいたかったのは間違いない。

 数学クラスタで(クラスタって言葉は、今は鬼門だね)このブログを楽しみにしている人のために、ちょっとだけ数学ネタに触れておこう。今ぼくは、小野孝『数論序説』を読んでる。こっれがもう、めちゃめちゃいい本なんだ。それについては、次回にエントリーしたいと思う。 

 

 

 

 

 

多項式版フェルマーの大定理の証明

 今回も前回の続きで、河井壮一『代数幾何学培風館の紹介をしよう。前回のエントリー、

今頃になって、なんでか代数幾何が面白い - hiroyukikojima’s blog

を読んでない人は、先に読んでおいてくれるとありがたい。ついでに、黒川信重さんの新著『リーマン予想の今、そして解決への展望』技術評論社も併せて紹介したい。

 

リーマン予想の今,そして解決への展望 (数学への招待)

リーマン予想の今,そして解決への展望 (数学への招待)

  • 作者:黒川 信重
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 今回話題にするのは、「多項式フェルマーの大定理」だ。

フェルマーの大定理」は、門外漢にも知れ渡った有名な定理で、「nが3以上の自然数のとき、(aのn乗)+(bのn乗)=(cのn乗)を満たす自然数a, b, cは存在しない」という定理だ。17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが予想し、1995年にイギリス人の数学者アンドリュー・ワイルズが解決した。解決まで360年かかった超難問であった。

 実はこの大定理には、「多項式版」がある。それは、

「nが3以上の自然数のとき、(a(t)のn乗)+(b(t)のn乗)=(c(t)のn乗)を満たす、複素数係数の、定数でなく、かつ互いに素であるようなtの多項式、a(t), b(t), c(t)は存在しない」

という定理だ。

  ここで「定数でない」という条件は不可欠だ。定数でいいなら「a(t)=1, b(t)=1, c(t)=(2のn乗根)」が解になる。また、「互いに素」というのは「共通解を持たない」ということだが、これも不可欠。互いに素でなくていいなら、「a(t)=f(t), b(t)=f(t), c(t)=(2のn乗根)×f(t)」とか、「a(t)=0, b(t)=f(t), c(t)=f(t)」などが解となるからだ。さらには、「nが3以上の自然数」の条件も不可欠。n=2の場合は、「a(t)=(f(t)の2乗)-1, b(t)=2f(t), c(t)=(f(t)の2乗)+1」などが解となるからだ。

 ぼくは、「フェルマーの大定理」が未解決の難問であることを中学生のときに知って、数学ファンになった。この「多項式フェルマーの大定理」が既にずっと前に証明されていることも知識としてあったが、あまり興味を持たなかった。多項式は変数が含まれるので、条件が強くて、簡単に証明されても不思議ではないという感想を持ったからだ。

でも、その後、黒川信重さんと共著で本を作ったり、望月新一先生がabc予想を解決する論文を発表したりしたことで、意識が変わって、「多項式フェルマーの大定理」にも興味を持つようになった。

数学を専門的に勉強すると、「多項式の集合」と「整数の集合」には、代数的な類似性が大きいことがわかる。例えば、「割って余りを出すことができる」とか、「素因数分解の一意性が成り立つ」とか、「ユークリッドの互除法で最大公約数が出る」とか、「イデアルがすべて単項イデアルである」とかなどだ。(念のため言うと、これらの性質は独立ではなく、互いに関連性を持っている)。これらについて、詳しくは、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書で勉強してほしい。

したがって、多項式の世界と整数の世界には類似の定理が成り立つことが多々ある。「フェルマーの大定理」と「abc予想」はその最たるものであり、どちらも「多項式版」のほうが先に証明され、証明も初等的であった。「フェルマーの大定理」では、「整数版」のほうもワイルズによって証明された。望月先生の論文が正しいと確認されれば、「abc予想」の「整数版」も解決することになる。

 さて、「多項式フェルマーの大定理」の証明だが、これは黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』で読むことを強く推奨したい。ネット上にも証明がアップされているが、黒川さんの書いた証明が最もわかりやすいと思う。

 証明の概略を書くと次のようになる。まず、等式「(a(t)のn乗)+(b(t)のn乗)=(c(t)のn乗)」の両辺を微分する(合成関数の微分法)。次に、微分してできた等式と元の等式から、b(t)を消去する(連立方程式の要領)。すると、互いに素の条件から、多項式の倍数・約数関係が導かれる。それから次数についての不等式を導く。以上の作業を、a(t)の消去、c(t)の消去に対しても実行し、得られた次数についての不等式をうまく処理すれば、矛盾が導かれる仕組みだ。詳しくは、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』を読んで欲しい。この証明は、数Ⅲを学んだ、多少数学の得意な高校生なら理解できる、お手本のような証明だが、自分ではなかなか発見できないようなものなので、高校生にも高校の先生にも数学ファンにもすごく勉強になると思う。

 ちなみに、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』は『リーマン予想の探求~ABCからZまで』技術評論社を、最新情報を加えつつ、大幅に改定したもの。後者を持っている人も購入して損はない。リーマン予想、深リーマン予想絶対数学abc予想など、数学ファンには堪えられない面白い本だ。「関数体版abc予想」の完璧な証明も収録されている。

 さて、ここからが前回のエントリーの続きとなる。

 河井壮一『代数幾何学を第5章まで読み進んだ。第5章は、代数曲線(2変数の多項式=0で定義される複素射影空間の曲線)とその特異点を解消した「非特異モデル」(リーマン面)の「形」について解説した章だ。

 結論を言えば、「円盤にg個の穴を開けた形状」になる。gのことを専門の言葉で「種数」という。

 この種数についての定義とその性質を導くのだけれど、それがめちゃめちゃわかりやすい。ぼくの所有しているいくつかの代数幾何学の本(例えば、小木曽啓示『代数曲線論』など)では、種数とその性質を定義するのに、「層のコホモロジー」を経由する。きっと、そのほうがあとあと巧いことになるのだろうけど、ここまでの道のりが険しく、また、初学者には抽象的すぎてついていけない。わかったようなわからんような朦朧とした気分で進むしかない。それに対して、河井壮一『代数幾何学では、非常に簡単に、そしてクリアーな議論で種数の定義とその性質を導く。
代数方程式→重複点での分岐→分岐被覆→多角形の張り合わせ→穴の個数

というイメージしやすい議論を使うからだ(被覆については、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を参照のこと)。そこでポイントになるのは、多面体についてよく知られたオイラー指標である。オイラー指標とは、「(頂点の数)-(辺の数)+(多角形の数)」という計算で、穴の個数が固定されればどんな多面体でも一定数になる。

今までは、どれを読んでも曖昧模糊となっていた種数(穴の個数)の意味が、この本で初めて理解できた。

 この第5章のクライマックスは、「多項式フェルマーの大定理」の証明だ。この本ではこれを「Kummerの定理」と呼んでいるので、これがクンマーが証明した方法だからなのかもしれない(あるいは別の方法で証明した可能性もある)。ちなみに、黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』では、R.リュービルという数学者が1879年に証明した、と紹介している。このリュービルは「リュービル超越数」のリュービルとは別人ということだ。

 さて、河井壮一『代数幾何学で解説している「多項式フェルマーの大定理」の証明は、おそろしく簡単で、たったの9行で済ませている。

 その手続きは、「(f(t)のn乗)+(g(t)のn乗)=1(n≧3)」を満たす定数でないtの有理式f(t), g(t)があったとして矛盾を導く、というものだ。

そのため、まず、「(xのn乗)+(yのn乗)=1」という式で定義される曲線Cを考える(リーマン面)。この曲線Cの種数(穴の個数)は、(n-1)(n-2)/2となる。ここで、「(f(t)のn乗)+(g(t)のn乗)=1」という仮定から、(f(t), g(t))はリーマン球面(複素平面無限遠点を加えて球面にしたもの)から曲線C(リーマン面)への正則写像(つまり、tの有理式でパラメーター表示できるってこと)となる。このとき、一般的な種数の公式を利用すれば、

2-2×(リーマン球面の種数)=m×(2-2×(曲線Cの種数))-(分岐指数から1を引いたものの総和)

が成立しなければいけないけれど、リーマン球面の種数=0から、この等式は成り立ちようがない。もっと簡単に言えば、リーマン球面には穴がないけど曲線Cには穴があるのでこの等式は成立しないから、パラメーター表示する写像があるはずがない。したがって、矛盾が生ずる、ということなのだ。

 この証明からは感ずるものが大きい。最初に紹介した黒川信重リーマン予想の今、そして解決への展望』における証明が、微分という解析的性質とか、多項式の約数・倍数関係という代数的性質とかに強く依存しているのに対して、この証明は「穴が複数個開いた円盤」という「形」だけに、(つまり位相だけに)、依拠している、という点だ。これを読むと、数論は「ものの形状」から相当な情報を引き出せるんだろうな、という予感がひしひししてくる。簡単な定理ではあるが、現代数論のエッセンスを見た気になれるのである(単なる気分だと専門家に叱られるかもしれないが)。