酔いどれ日記14

今夜はMontlouisという白ワインを飲んでる。何かの花のような匂いと独特の渋みがあって、複雑な味わい。

今回は受験現国の話をしよう。

ぼくは中高生のとき、現国は文系科目の中で唯一好きな科目だった。論説文も小説も詩も好きだった。高校で「はずれ」な現国教員に当たったときは、授業を聞かずにずっと資料集を読んでいた。資料集には、文豪たちの小説がちょっとずつ載っていたから、文体と世界観をオムニバスで楽しむことができたからだ。効率的にたくさんの作家を知った。「はずれ」な現国教員は1人だけで、教わった他の2人は「当たり」な教員だった。彼らには大きな影響を受けた。そのうちの1人については、すでに酔いどれ日記2に書いた。もう1人は女性で、専門は古文の先生だが、現国も教わった人だ。

その女性教員の現国の講義のときは、彼女の問いかけに対して、ぼくはとにかくやみくもに発言をした。なんでもいいからアピールして、存在感を示したかったからだ。それだから彼女は、ぼくが文系志望の生徒だと思いこんでおり、ある時、「数学ですごいやつがいる、って聞いてたけど、それが小島のことだとは露とも思わなかった」と言ってくれた。(たしかにぼくは、その学年では数学はぶっちぎりに出来ていた。自慢話が鼻につくかもしれないけど、後に東大数学科に進学したぐらいだから、普通の高校なら当然のことで、自慢でもなんでもない)。

そんなぼくだけど、現国の成績は決してよくなかった。その女性教員もそのことには気づいて首をひねってたことと思う。授業中には玉石混淆ながら、それなりに「玉」な発言をするぼくが、テストになるとたいした成績がとれないのを不思議に思ってただろう。

それで高3のとき、その女性教員に、「現国で点が取れるようになるにはどんな参考書をやったらいいでしょうか」と教えを乞うた。そうして、良質の現国問題集を一冊紹介してもらった。夏休みに、その問題集の問題を1日1題ずつ解いていくことに決めた。ところがそれが、数日で頓挫することになってしまったのだ。

それは、三島由紀夫の小説が出てきたときのことだった。あまりにすばらしい文章に唖然とし惚れ惚れとなった。実は、三島の小説を読んだのは、それが初めてだった。ほんの一部を切り取ったものにすぎないけど、完璧で美しく魅力的だった。ぼくは問題を解く気にならず、何度も読み返しただけだった。それ以来、ぼくはその問題集を開くことはなかった。三島由紀夫の本はその後、30歳頃に一冊だけ読んだ。『音楽』という小説で、これもぼくがイメージしていた通りの、あまりに完璧で美しい文章だった。

これはぼくの悪癖だった。ぼくは現国の問題文ですばらしい文章に出会うと、問題を解く気が消滅してしまう。問題を解くことがその文章に対する冒涜のようにさえ感じられるのである。これでは現国ができるようになるはずはない。世の中にはぼくと同じ悪癖を持つ人が多くいるのではないかと思う。そんな人も悲観する必要はない、と声を大にして言いたい。そういう悪癖のぼくも、現国の不得意なぼくも、大人になって文筆家になり、数十冊の書籍を刊行しているもんね。

「受験科目」としての現国には馴染めなかったぼくだが、現国の勉強から大きな影響を受けた。ぼくは友達を参考に、Z会の通信添削を受講することにした。国数英の3教科だった。数学はそんなに問題が面白いとは思えなかった(満点を取れるわけじゃないけど、毎回高得点はとれて、名前が載った)。英語は不得意だったので毎回、四苦八苦しながら解いたが、記憶に残るほど面白いものではなかった。でも現国は、毎回、感心した。今でも記憶に残っているのは、なだいなださんの論説についての出題だった。

なだいなださんは、精神科医で評論家だ。ぼくがZ会の現国問題で読んだ文章は、(曖昧な記憶で書くことをご容赦)、「~イズム」というのが要するに「中毒だ」というものだった。その証拠として、「アルコール中毒」のことを英語でalcoholismというのだ、ということを挙げた。そうか!とぼくは膝を打った。「そうか、マルクシズムもキャピタリズムも、みんな中毒なんだな」とぼくはものすごく溜飲が下がってしまったものだった。なだいなださんの評論には、常に、そういったペーソスとユーモアと、そして本質を突くものがあった。

その後、大学生の頃に、なだいなださんが雑誌に覆面で連載した評論を集めた『透明人間、街をゆく』を読んだ。これにもものすごく驚かされた。一番驚いたのは、三島由紀夫の自決事件についての評論だった。三島の思想や事件の背景にはあまり深入りせず、きわめて冷静に、三島の人となりについて論じていた。三島が同性愛関連でとりざたされるのは知ってはいたが、なだいなだがその点について、自決後の解剖報告に言及したのには驚愕した。医師ならではの視点だったのだろう。

最終的に、受験現国はぼくの得点源とはならず、足を引っ張らない程度のものだった。(足を引っ張られて浪人の憂き目を見たのは、英語と物理だった)。でも、受験現国のおかげでぼくは、現在の文筆家の生業を得ることができたのだと思う。「得点できること」と「将来の血肉となること」とは同じではないのだな。

 

 

酔いどれ日記13

今夜はSantenayの赤ワイン。かなり美味しい。

今日は、駒場寮の思い出をエントリーしようかな、と思う。

(今は知らないが)、ぼくが入学した頃の東大は、1、2年生は東大駒場前にある駒場キャンパスで授業を受けた。駒場キャンパスは、旧制一高に代わって作られたキャンパスだ。主に一般教養の講義がなされていた。

駒場キャンパスには、キャンパス内に駒場寮というのがあった。歴史のある寮だ。寮費が信じられないくらい安くて、貧困な学生にはありがたい存在だった。ぼくの所属したクラスは、クラスとして寮の部屋を一部屋確保した。寮費は大学祭(駒場祭)の露天の売り上げで捻出した。その部屋は、講義の合間に昼寝で休んだり、集まって麻雀したり、飲み会で帰れなくなったら宿泊したりするのに使った。とても便利だった。今でも懐かしく思い出される。

ところでぼくが初めて駒場寮に足を踏み入れたのは高校2年のときだった。

何しに行ったかというと、駒場寮の中で密かに行われていた、ある差別問題に関する研究会に参加するためだった。もちろん、その差別問題に興味があったのではない。当時惚れていた女の子に会いたい(体験を共有したい)一心だっただけだ。その女の子とは、酔いどれ日記1に書いたその子である。詳しいことは忘れてしまったが、「大学生たちが集って勉強をしているので、一緒に行ってみない?」とかなんとか言われて、ほいほいと出向いたんだと思う。

その日行ってみたら、到着が早すぎたらしく、彼女はまだ来ていなかった。というか、主催者の東大生一人しかいなかった。それでぼくは、その東大生の寮の部屋でみんなが集まるのを待つことになった。その東大生は(たぶん)経済学科の学生だったのだと推察された。本棚にぎっしりとマルクス・エンゲルス全集と宇野弘蔵著作集の全巻が並んでいたからだ。もちろん、その東大生は別の学科の学生で、単に左翼思想に心酔していただけの可能性もあるけど。

ちなみに宇野弘蔵とは、(よくは知らないんだけど)、日本のマルクス主義研究の第一人者だと思う。市民講座で宇沢弘文先生のゼミナールにいたとき、経済学部卒のおじいさんが、いつも宇沢先生の名前を間違って「宇野先生」と呼んでしまって、そのたびに宇沢先生が苦々しい表情をしたのが可笑しかったものだった。

ぼくは、その東大生の部屋でぼそぼそと会話をしながら、すごく威圧されていた。「東大生ってこんな感じなんだ」と遠い星空を仰ぐような気分だった。別の部屋からは、明らかにプログレッシブロックと思われる音楽が大音響で流れてきた。たぶんメロトロンを使った知らない曲だった。イギリス系のプログレはだいたい知っていたので、フランス系かイタリア系のバンドだったんだと思う。とても良い音響に聞こえたのは、オーディオが良かったのか、駒場寮の反響が良かったのか、それともぼくの緊張感のせいなのか、今となってはわからない。

そのあと、数人が集まって、彼女も登場して、勉強会が始まった。その中に、上記の東大生の親友と思われるMという青年がいた。Mは東大生ではなく、というか、大学生ですらなく、たぶん浪人生かあるいは革命分子だったのだと思う。そして、このMと彼女が親密な関係にあることを、なんとなくけどってしまったのだ。それでぼくは、頭がぐるぐると旋回して、もうそのあとのことはすべて記憶から消えてしまった。

 駒場寮と言うと思い出されるのが、原口統三『二十歳のエチュードだ。原口統三は、詩人で、旧制一校に在籍。有名どころでは先輩の清岡卓行と親交があったらしい。旧制一校在学中に二十歳を目前に入水自死を遂げた。駒場寮の友人が遺稿を編集して刊行したのが『二十歳のエチュード』なのである。

この本は、詩集というより、詩句を断片的に綴ったようなもので、なんだかおしゃれで格好いい。例えば、

肯定が負担にならないように要心したまえ。

ニーチェは重荷を担いで、苦しまぎれに威張り散らす。

だとか、

沈黙の楽園はもう失われたか。

小鳥たちは武装しなければならない。

だとか、あるいは、

ヴァレリィはこう言って嘆息した。そうして長い夢から僕は目がさめた。

だとか。なんか、当時の旧制一高の雰囲気を遠回しに感じられる。

実は、ぼくが『二十歳のエチュード』を読んだのは、上に登場した女の子からその文庫本をもらったからだった。なんで、彼女がこの本をくれたのかは今はすっかり忘れてしまった。そして、今のぼくの書斎の本棚には存在しない。ずっと後生大事に持っていたが、何かのきっかけで捨てたのだと思う。上で引用したのは、Kindleから0円でダウンロードしたバージョンである。

 

 

 

酔いどれ日記12

今夜は南アフリカのCageという白ワインを飲んでる。たいした価格ではないが、特有の苦みがあって好みの味だ。

 今回は、ちょっと調べたいことがあってたまたま拾い読みした、中山幹夫『社会的ゲームの理論』勁草書房から面白いネタをエントリーしようと思う。この本は、ゲーム理論がどのように社会の分析に役立つかを網羅した本だ。

 第1章はゲーム理論誕生の歴史を解説している。もちろん主役はフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンだけど、フランスの数学者のエミール・ボレルも登場する。ボレルは、「ボレル集合」で有名だ。ボレル集合とは、ルベーグ積分(高校で習う積分は、リーマン積分だが、それよりもいろいろ操作性の良い積分理論)で、「測度」を定義するのに利用される概念である。ルベーグ積分は、測度論的確率論の土台となる。(測度論的確率論の意味合いについては拙著『確率を攻略する』ブルーバックス参照のこと)。

 そのボレルが、実はゲーム理論の研究を発表している、という事実が中山先生の前掲の本に書いてあった。ボレルは「じゃんけんの一般化」を考え、「混合戦略」を定義したとのことである。(混合戦略とは、選ぶ手を確率的に変化させること)。そして、フォン・ノイマンの用語で言えば「マックスミニ戦略」にあたる戦略についても分析したそうなのである。(マックスミニ戦略とは、ありうる中で最悪の利得が最大になるように手を選ぶ戦略)。数学者フレッシェは、「エミール・ボレルにこそゲーム理論創始者という名誉を与えるべきである」と訴えたそうだ。(フレッシェはたぶん、その筋では有名なフレッシェ微分の創案者だと思う)。

実際、フレッシェは1953年のエコノメトリカ誌に「エミール・ボレル心理的ゲームとその応用の創始者」と題するレターを寄稿した。これに対して、フォン・ノイマンが返答を掲載しているのだが、それが辛辣なものだったという。ミニマックス定理にたどりつけていないことを否定の材料とし、「フレッシェ教授ともあろう方が、戦略概念の単なる数学定義がゲーム理論創始者の主要な仕事と考えていることに多少の驚きを禁じえない」という皮肉を綴ったそうだ。

 フォン・ノイマンがナッシュの提案したナッシュ均衡について「それは、別の不動点定理にすぎない」と一笑に付した話は有名だから知っていたけど、ここでも同じような所業をしていたのだね。フォン・ノイマンの伝記には、彼の人格が露見するこの手のエピソードが事欠かない。

 学者の世界には、このように「価値判断」の問題は常につきまとう。ぼくも、研究報告で聞いた他人の論文について、心の中で「それほどでもないよな」と思ったものが、とても良いジャーナルに掲載されて、びっくりするとともに自分の批評眼の甘さを実感したこともあった(嫉妬まみれに)。また、自分が論文を投稿したときにも、レフリーによって評価が雲泥になることを経験し、採択・不採択もある種の「運」のなせる技だな、と感じる今日この頃である。

 さて、ぼくは最近、素数ほどステキな数はない』技術評論社を刊行したんだけど、(例えばこのエントリーを参照のこと)、その中で最も重要な参考文献のひとつが、エミール・ボレル素数文庫クセジュだったのだ。この本は、ボレルが確率論的な立場から素数を解説したものだ。初等的に「素数定理」に迫っていることがポイント。素数定理とは、「x以下の素数の個数\pi(x)は、\frac{x}{logx}に漸近する」というものだ。素数は不規則に出現するけど、マクロで見ると、その確率はだいたい\frac{1}{logx}と見なせる、というものである。ボレルはこの定理を、「2n個の異なるものからn個を選ぶ組み合わせ数」の計算を使って説明している。高校生にもわかるぐらいの非常に初等的な議論である。「証明」というにはほど遠いが、それでも、「素数定理」の成立と正しさを信じるに足るほどの見事なアプローチになっている。しかも絶妙に確率論的なアプローチなので感心する。ボレルの才能を垣間見られる。ボレルのアプローチについては、拙著で丁寧に解説しているので、読んでみてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

酔いどれ日記11

今夜はコート・デゥ・ローヌの赤ワイン。今回は、PKディックSF小説のことを書こうと思う。

ディックの小説を初めて読んだのは、20代の中盤だったと思う。高校のときの親友が京都大学に進学して、そこで劇団の活動をしてた。親友が劇団で知り合った人の中に、SF小説SF映画に詳しい人がいて、親友もその人の影響でディックを読んでいた。ぼくはその二人からディックを紹介され、はまることになったんだ。

最初に読んだのは、たぶん、『火星のタイムスリップ』だったと思う。この小説には心底びっくらこいた。タイムスリップものとは言っても、そのタイムスリップの仕方がすごいんだよね。自閉症の子供は、心の中の時間の流れと現実の(外部の)時間の流れがずれているために自閉に陥る、と設定されていて、その時間の流れのズレを利用してタムスリップするという、とんでもない発想。そして、サラリーマンの主人公は、つまらない失敗をやり直したいがために、自閉症の子供の心の中に入り込んで時間を遡ろうとして、悪夢のような時空にはまってしまう、という話。

このあとに読んだのが、かの有名な『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』。映画「ブレードランナー」の原作となった小説だ。これは、火星で苦役を強いられているアンドロイドが地球に逃亡するので、それを始末する殺し屋の話である。アンドロイドはほとんど人間とそっくりなので、見分けるのに特殊な技術(テスト)が必要で、見抜いて抹殺すれば報奨金を得られるが、間違って人間を殺してしまうと殺人犯になってしまう。

この小説で最も面白いシーンは、主人公が自分自身もアンドロイドではないか、と疑って、自分で自分をテストするシーンだ。これは、「自然数論は自分自身が無矛盾であることが証明できるか」というゲーデルの第2不完全性定理を想起させるし、心を病んだものが自分が病んでいることを自覚できるか、という精神医学の問題にも抵触する。

このテーマに関して、30年くらい前、コンピューターに詳しい知り合いから面白い話を聞いた。(この話は一度エントリー済みかもしれないが、まあいいじゃん)。あるワープロソフトは、自分がオリジナルかコピーソフトで複製されたものかを判定するプログラムを内蔵している。もしもそれが複製されたものだと、3ヶ月ぐらい使ったあたりで「これは違法に複製されたものです。オリジナルを購入してください」というメッセージが表示されて、それ以降、使えなくなってしまうという。3ヶ月ぐらい使うと、そのワープロに慣れてしまうため、別のソフトに変更する気にならず、やむなくオリジナルを購入する、という仕掛けなのである。

ところが、これがうまくいかなかった。なぜかというと、オリジナルなのに、複製であるというメッセージが出ることが、頻出したからなのだ。オリジナルでも、(当時はフロッピーディスクだった)、ちょっとした傷や摩耗があると複製だと誤認してしまうという。ぼくはこの話を聞いたとき、「これって、ディックじゃん」って思ったものだった。

ぼくはディックの小説を、たぶん、20冊以上読んだと思う。時々、つまらない作品やはちゃめちゃすぎてついていけない作品をあったけど、だいたいの作品は面白かった。

ディックの大きなテーマは、「目の前の時空間の崩壊」なんだけど、とりわけ麻薬によるそれは面白いものが多かった。中でもいまだに鮮烈に覚えているのは『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』という作品だ。主人公は、チューZという強力な麻薬を使って幻覚世界に入り込む。そこは現実世界のわずかな時間の間に永遠もの時間を経験できる。過去や未来にも行き来できる。ところが、そこは実は悪夢のような世界だった。パーマー・エルドリッチという男が君臨し、自由自在に世界を作り変えることができるのだ。パーマー・エルドリッチは、義眼と義歯と義手という三つの聖痕を身につけて、どの空間、どの時間にも存在していた。

この小説は、麻薬トリップしているときの記述が卓越であり、読者をもバッド・トリップの迷宮に誘いこんでしまう迫力がある。そういう意味で、ぼくにとって、ディックの中でもものすごく好きな作品の一つだ。

パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』があまりにも好きすぎて、ぼくは昔、受験雑誌『大学への数学』にパロディ小説を書いてしまった。それは「クンマー・エルドリッチの三つの正根」というタイトルの小説だ。

このパロディ小説は、ドラッグを使うことで複素数を使えるようになった受験生が、いくつかの受験問題を複素数によって簡単に解けるようになった一方、悪夢のような魔窟にはまってしまう、というストーリーである。それは、ある与えられた3次方程式に3つの正根があることが明らかなのに、それを求めようとすると虚数\sqrt{-3}が根の表記に現れて、どうしても消えなくなるという魔窟だったのだ。

この不可思議な現象は、簡単に言えば、3次方程式のガロア群の性質によるものなんだけど、詳しくは拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を参照してほしい。

クンマーとは、「フェルマーの大定理」に対して、初めて一般的な結果を与えた19世紀の数学者の名前だ。「フェルマーの大定理」は、ご存じのように、「n≧3のとき、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x,y,zは存在しない」というものだけど、nが正則な素数(あるいは正則な素数で割りきれる自然数)については定理が成り立つ、という結果を証明したのだ。(正則素数については説明が面倒なので、ものの本にあたってほしい)。クンマー等の研究によって、円分体(1のべき根を有理数に加えた体)で定義される整数に類似した世界では、素因数分解の一意性が成りたたないことが判明した。これもバッドトリップの魔窟である。

リドリィー・スコット監督の映画「ブレードランナー」は、ディックの原作とはだいぶ面持ちの違う作品だけど、名作であることは疑いないので、未見なら観たほうが良いと思う。ぼくがこの映画を初めて観たのは、原作を読んだあとだった。カーペンター監督の『遊星からの物体X』と二本立てで観た。最初に物体Xを観て、あまりのすごさ(ひどさ)に頭が痺れてしまって、大丈夫だろうかと案じたけれど、「ブレードランナー」はその麻痺感覚をきれいに清浄したうえで、切ない気持ちになる感動を与えてくれる映画で、見まごうことなき名作だった。

ディックもブレードランナーも物体Xも、その京都大の人の勧めで知ることができた。その人は数年前に夭折したと人づてに聞いた。影響を大きく受けた人だけに、とても残念な気持ちになった。

 

 

 

 

素数の分布になぜ偏りがあるのか?

 今回のエントリーは、今年最後ということで、数学のことをを書こう。テーマは、「素数の分布に偏りが見られる理由」である。

 ディリクレの研究によって、素数を「割った余り」で分類しても、極限で見るかぎり、その割合はみな同じであることがわかっている。

例えば、素数を末尾で分類する(10で割った余りで分類する)と、2と5を除けば、どの素数も末尾は1, 3, 7, 9のいずれかだ。そして、x以下の末尾1の素数の割合、x以下の末尾3の素数の割合、x以下の末尾7の素数の割合、x以下の末尾9の素数の割合は、xを無限に近づけるとき、みな1/4に近づく(均等に近づく)のである。これを「ディリクレの算術級数定理」と呼ぶ。(どの末尾の素数についても無限個存在する、という証明は拙著素数ほどステキな数はない』技術評論社を参照のこと)

このことは数値計算でも見てとれる。実際、100000000番目までの素数を分類すると、末尾1は24999437個、末尾3は25000135個、末尾7は25000401個、末尾9は25000027個となっており、ほぼ4分の1ずつの均等になっている。他方、連続する素数(隣り合う素数)の末尾の組で分類してみると、見逃せない偏りがあることがOliver&Soundrarajanの論文で報告されている。これについては省略するので、詳しくは、素数ほどステキな数はない』技術評論社を参照してほしい。

しかし、今回紹介するのは、Oliver&Soundrarajanの偏りではなく、「チェビシェフの偏り」と呼ばれるものである。ぼくはこれを知らず、小山信也先生のyoutubeでの講演動画、「チェビシェフの偏り」の解明と一般化、で初めて知った。

「チェビシェフの偏り」とは、19世紀の数学者チェビシェフが見つけたもの。例えば、x以下において、4で割った余りが3の素数のほうが、余り1の素数よりたいてい多い、という現象のことだ。講演によれば、26861未満では常に余り3の個数の方が余り1の個数以上であり、26861で初めて逆転するが、その後すぐにまた余り3の個数の方が多くなり、それが長く続くのである。

この「チェビシェフの偏り」は、「ディリクレの算術級数定理」と食い違っているように見えるが、そうではない、というのが、小山先生と共著者の最新の発見なのである。小山先生によれば、それは「リーマン予想」から説明できる、という。

 「リーマン予想」については、以前、「シン・リーマン予想」というタイトルでエントリーしてあるので、詳しい解説はそちらで読んでほしいが、要するにリーマン予想を強めた予想のことである。リーマン予想とは、「ゼータ関数の虚の零点の実部がすべて1/2」という未解決の予想であるが、「深リーマン予想」とは、「実部が1/2の複素数オイラー積が条件収束する」という予想である。「深リーマン予想」⇒「リーマン予想」ということが証明されている、つまり、「深リーマン予想」が証明できれば、それから「リーマン予想」が正しいことが示されることから、「深」と冠付けられているのだ。(ぼくは庵野監督にならって、シン、とすることを提案している。笑)。

小山先生のyoutubeのレクチャー「チェビシェフの偏り」の解明と一般化では、「深リーマン予想」が正しいとすれば、「チェビシェフの偏り」が数学的に証明できることを説明している。そして、その説明はめちゃくちゃ明快である。「チェビシェフの偏り」とは、4で割った余りの例で言うなら、「余り3の素数と余り1の素数は、無限まで見れば同数だが、順序的には余り3のほうが相対的に早く出てくる」と解釈できる。そしてそれは、なんということか、「ディリクレのL関数のオイラー積が、実部1/2の複素数で条件収束する」に帰着させることができるのである。詳しくは動画で学んでほしい。きっと、その明快さに目からうろこになると思う。

「深リーマン予想」から「チェビシェフの偏り」が証明でき、しかも、「チェビシェフの偏り」が数値計算からかなり正しい手応えがある、ということは、「深リーマン予想」が正しいという傍証となる。したがって、今回の小山先生と共著者との結果によって、「深リーマン予想」の信憑性が高まったということができるだろう。また、このような研究の仕方は、数学研究の良い模範になるに違いない。

 

 

 

 

酔いどれ日記10

 今は、イヴに飲んだボーヌ・ロマネの残りを飲み干し、サン・ジョセフの赤ワインを飲んでる。

 中高生の頃、クリスマス・イヴの夜にはディケンズクリスマス・キャロルを読むのを習慣にしていた。いろいろな出版社の文庫で、異なる訳本が出版されていたので、毎年違う訳者の訳本で読んだのだった。

 『クリスマス・キャロル』はすごく好きな物語だった。クリスマスに従業員を働かせる守銭奴の主人公スクルージを、死んだ共同経営者のマーレイの幽霊があの手この手でこらしめて、スクルージがそれに諭されて改心する話だ。こんなすばらしい話はない。

 むかし、アルバイト先の塾の社長が、イヴの夜に講義を設定しようとしたとき、同僚の大学生が「イヴの夜に仕事をさせられるなら、ぼくは今すぐに退職します」と言ってのけて、ぼくは心の中で喝采を送ったものだった。

 大学生になってからは、イヴの夜には友達とパーティをするようになり、本を読む習慣はなくなってしまった。それはそれで楽しいイヴの過ごし方だけど、読書のイヴも今となっては思い出深い。

 高校3年だったか浪人生のときだったか忘れたが、『クリスマス・キャロル』の手に入る訳書をすべて読み尽くしてしまっていたため、やむなく別の本を読んだことがあった。ヴェルコール『海の沈黙』岩波新書だった。なぜ、この本を買ったのかよく覚えていない。尊敬していた高校の現国の先生2人のうちのどちらかに勧められたのか、あるいは左翼系の友人が読んでたからかもしれない。

 このことを思い出したので、昨夜(イヴ)の読書はヴェルコール『海の沈黙』にしてみた。ものすごく久々、40年ぶりくらいの再読だった

 この小説は、フランスの抵抗文学のひとつだ。時は1941年、ナチス占領下のフランスの話。ドイツ軍の将校が、占領しているフランス家庭に寝泊まりするようになる。その家には、主人公の老人と姪が暮らしている。ドイツ将校は、二人にいろいろなことを語りかけるが、主人公と姪は、一切返事をしない。一言も話かけない。将校をあたかも幽霊のように扱う。それは、自国を蹂躙するドイツへの頑な抵抗の所業だった。

 したがって、物語は、将校の独り言で進んでいく。主人公たちの気持ちは、主人公の独白で読者に伝えられる。将校は、自国での職業は作曲家であり、あらゆる芸術に造詣が深い。だから、蕩々とフランス文化への尊敬を語り続ける。バルザックボードレールプルーストの名をあげる。しかし、主人公と姪は、一切、反応をしない。

将校は、このナチスの占領が、ドイツとフランスの「幸せな結婚」を意味すると根拠ない妄想を抱いていた。しかし、あるきっかけから、そうではなく、ナチス・ドイツのフランスへの単なる蹂躙であるという現実を思い知ることになる。単なる野蛮な所業だということに衝撃を受ける。

 ぼくが10代でこの小説を読んだときは、主人公たちが最後まで抵抗し、一言も言葉を発せず、将校が前線に志願して、彼らのもとから去るときに初めて、「ご機嫌よう」と一言だけ言うのだと記憶していた。しかし、今回読んでみて、そうでないことがわかった。

と言うか、今回読んでみて、主人公と姪のいろいろな心の葛藤が描かれていることに気がついた。ドイツ将校に対して、実に複雑な心理変化を描いていることがわかったのだ。とりわけ、姪と将校に特殊な関係性が育まれていく様子がきめ細やかに描写されていたのである。当時は素朴な少年であったぼくには、「沈黙=抵抗」としか読めていなかったのだ。やはり、小説というのは、単純な「論理構成物」ではなく、もっと深みのあるものだと再認識することになった。

 何歳になっても、クリスマス・イヴは特別な夜だ。これは死ぬまで続くことになるに違いない。これからのイブが、どんな夜になるのか、それがとても楽しみではある。来年のイヴは何を読んでいるだろうか。

 

 

 

 

酔いどれ日記9

今日は、赤ワインのロッソ・ディ・モンタルチーノを飲んでる。ぶどうはサンジョヴェーゼ。イタリアワインのぶどう品種では、ぼくはサンジョヴェーゼが一番好きだ。

 さっきまでゼミ生とスタジオで録画撮りをしていた。今年もゼミライブをライブハウスで実施することができず、結局、動画制作をすることになった。ゼミ生たちの就活の都合もあるので、たった2回のスタジオ入りで撮影せざるを得なかった。まあ、それでも、伝統イベントを繋いだ、ということで一安心。

 今夜の日記では、昨夜に観た原一男監督のドキュメンタリー『全身小説家について書こうと思う。

 この映画は、小説家・井上光晴の晩年5年間を撮影したドキュメンタリー映画だ。井上光晴は、左翼系の小説家で、数々の優れた小説を書いた。映画は、井上の交友関係、講演会、小説作成教室、読書会などを取材して編集したもの。途中に、彼の幼少期の記憶を再現したイメージ映像を差し挟んでいる。

 親しい作家仲間として、埴谷雄高野間宏瀬戸内寂聴が出演している。井上光晴は若い頃にいくつか読んだ作家だが、本人の実像はけっこう意外だった。豪傑で、エネルギッシュで、多弁な男だった。一方で、埴谷雄高は物腰が柔らかく、知的で、冷静な人だった。これも意外な人物像だった。

 井上が小説の修行中の人たちを指導するシーンや、雑誌に掲載されている他人の作品を品評するシーンがあり、井上の小説観や作法が垣間見られて興味深い。前に酔いどれ日記4で書いたように、小説というのは単に感性やセンスで書くものではなく(もちろん、それらも必要だが)、緻密な計算で書くものだ、ということを再認識させてくれる。

 井上が語る井上の少年期を、イメージ映像として投入したのは、ドキュメンタリー映像としては珍しいことだが、後半になるに従って、その理由がわかってくる。これも見所の一つだ。

このイメージ映像は、(たしか)、劇団・燐光群の役者さんたちが演じていてびっくりした。燐光群は、20年ぐらい前に何度も観た劇団だ。劇作家の坂手洋二が社会派の、それでいて前衛的で、かつ芸術的な舞台を生み出す劇団だ。とても奇遇に思った。

 ドキュメンタリーの中で、たくさんの女性が、いかに井上光晴が魅力的な男で、自分がどんなに恋愛感情を抱いたかを語っている。要するに彼はモテ男なのである。それでちょっと思い出されることがあった。

 映画を観始めてすぐに感じたのは、井上の方言が「どこかで聞いたイントネーション」と思ったことだった。井上の故郷が長崎県佐世保とわかって、記憶が像を結んだ。昔に、このイントネーションそのままの男性を一人知っていたのだ。それは、数教協(数学教育協議会)のXさんだった。

 数教協とは、数学の教え方を相互に学び合う先生方の非公的な団体だ。小学校の先生から大学の先生まで幅広い学校の先生方が手弁当数学教育の議論をする。創始者は数学者・遠山啓先生である。遠山の数学教育や思想については、拙著『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫で読んでほしい。ぼくは、数学教育にも、抽象数学の理論や哲学が必要であることを遠山から学び、実践している(つもり)。

ぼくは30代前半の一時期、数教協の海外研修に3回ほど参加した。それは、ヨーロッパの学校見学をメインに、ついでに観光をする旅行だった。その旅行でいつも一緒だったのがX先生だった。X先生は佐賀県の小学校の先生だった。豪傑ながら優しさもあり、進歩的ながら旧態依然とした男尊女卑の雰囲気も備えている人だった。そのXさんのイントネーションや話し方が井上光晴のものとほとんど同じだったのだ。

面白いことに、Xさんも女性にすごくモテる人だった。Xさんを慕って、九州地区からたくさんの女性の先生が研修旅行に参加しており、みんながXさんをハートマークな目線で見ることに驚かされた。偏見かもしれないが、九州の男と女の間には、ぼくには及びもつかない「暗号性言語」があるのかもしれない、と思ったものだった。『全身小説家』で女性たちが語る井上への恋情も、そういう「暗号性言語」のなせる技だったのかもしれない。

 ぼくが井上光晴の小説を初めて読んだのは高校生のときだったと思う。たぶん、国語の先生(酔いどれ日記2でのO先生)の推薦だったと思う。そのときに読んだのは、『地の群れ』だった。これは(記憶では)、被爆者、被差別部落民、在日朝鮮人という虐げられた人たちがいがみあう、という、とてもいたたまれない小説だった。「なんで、どういうつもりで、こういう小説を書くんだろうか」と思ったものだった。高校卒業後に、『ガタルカナル戦詩集』を(たぶん)読んだ。『他国の死』は長い間本棚にあったが読んだ記憶がない。今の本棚にはないから、たぶん読まずに捨てたのだろうと思う。井上光晴がどういうことを描きたいのかは理解できたつもりだし、優れた作品なんだろうともわかったけれど、どうしても小説として好きになれなかった。

埴谷雄高も左翼系の作家で、高校生のとき、左翼かぶれの友人が心酔していた。ちょうど、大作『死霊』が刊行された頃で、ぼくも購入したが結局は読まずじまいで、今の本棚にはなくなっている。友人が「死霊はシレイと読むんだぞ」と自慢げに語っていたのを今でも覚えている。今、ネットで調べたら、その後も『死霊』は書き続けられたらしい。それは知らなかった。ときどき行くワインバーで、たしか埴谷雄高貴腐ワイン・シャトー・デュケムを飲んでいる写真を観たと思うので、調べてみたのだけど、「貴腐ワイン通」という情報は見つかったがシャトー・デュケムについての記載は発見できなかった。シャトー・デュケムは、ぼくが死ぬほど好きなワインで、高くてほんのときどきにしか飲めないのだけど、死ぬ前に一杯だけ何か飲んでいいと言われたら、間違いなく迷いなくこれを選ぶと思う。