ゲーム理論の重力場

先日、東大の経済学者でゲーム理論家・松井彰彦さんと対談してきた。青土社の雑誌「現代思想の8月に出る号がゲーム理論特集で、その中の企画の一つのためのものである。ぼくとしては、「聴き手」のつもりだったが、松井さんが「対談」というので、一応、ここでは「対談」にしておこう。
実は、経済学の大学院に在籍していたとき、松井さんの私的な勉強会に参加させていただいた経緯があるので、ぼくにとって松井さんは師匠の一人であるが、年下なこともあるし、今は一応同業者なので、さん付けで呼ぶことにする。そのときの勉強会、というのは、またマニアックなもので、「記号論理」をベースとした意思決定理論についてだった。今ではゲーム理論の分野で大活躍している清水さんや関口さんなどが参加している非常にレベルの高い勉強会で、ぼくはここから少なからぬ影響を受けたのだった。
 ところでぼく自身は、というと、大学院在学時には、ゲーム理論から一定の距離を置いていた。どうしてか、というと、一つにはグッバイ・ケインズ - hiroyukikojimaの日記に書いたように、当時はケインズ理論に惚れ込んでいたので、マクロ経済を専攻したいと思っていたのと、あともう一つは、ぼくが数学科の出身で数学書もたくさん書いていたことから、院の同級生たちが「小島さんは当然ゲーム理論をやるんだよね」的な決めつけをしていたのがしゃくにさわって意地になったのもあった。ぼくは数学科で挫折したこともあるし、わざわざ経済学という分野にやってきたのだから、できる限り数学からは距離を置いて、生臭〜い経済理論をやりたかったのだ。
 けれども、修士論文で取り上げたテーマは、「帰納的な推論を基礎とした選好理論」だった。これは、拙著『確率的発想法』NHKブックスのあとがきに書いた通り、経済学の意思決定が、全知全能の仙人のような知識と推論とを基礎にしていることに反感を感じ、そういう方法を前提とすると、ぼくが幼少時に至近で見てきたような「恵まれない経済環境にある真面目な労働者たち」が、望んでそういう境遇にいることになってしまうことが許せない気持ちからだった。このような「帰納的」な方法論は、既存の経済理論にはない、と思いこんでいたのだが、実はこのとき、松井さんが金子守氏との共同研究で成果を出しつつあった。また、シュマイドラーとギルボアによる「事例ベース意思決定」の方法論も確立された直後だったのだ。そういう意味では、嫌だ嫌だといいつつ、このときすでにぼくは、ゲーム理論重力場に捉えられていた、といっていい。
 それでも、卒業後しばらくは、マクロの論文を書こうと躍起になっていた。一つ論文を書いて、学会で発表し、小野善康さんから暖かい励ましのコメントをいただいたが、あまりできのいいものではなかった。そんな中で、たまたま、シュマイドラーとギルボアによる(事例ベース意思決定ではなく)ナイト流不確実性理論にはまることとなった。それは、この理論が、ケインズ流動性選好に関係があるような予感がしたからであり、あくまでマクロ経済的な興味からである。そしてこの分野で初めてまともな論文を書くことができた。この論文をきっかけに梶井さん、宇井さんと出会って、共同研究をすることになる。そこで3本の論文を作ったのだが、そのうち、2本はナイト流不確実性の論文であったけれど、残る1本は、協力ゲームの論文となった。協力ゲームはおろか、ゲーム理論自体をまともに勉強したことのなかったぼくは、このとき初めて、協力ゲームと真正面から向かいあうこととなった。
 そして、協力ゲームの重力場にはまってしまったのだ。
実際、協力ゲームは、ぼくが頭に思い描いていた「ケイザイ」というものに、とてもフィットしていた。ひょっとすると、マクロ経済学よりもぼくのテーマに近いところにあるような気さえしてきた。ずっと拒否し続けてきたゲーム理論に、遂に魅せられてしまうことになったのだ。まるで、子どもの頃にずっと嫌いだったセロリが今では大の好物になっているのと同じである。
 そんなわけだから、ぼくは、今回の「現代思想」のゲーム理論特集号では、協力ゲームについて書いている。入り口は、甲斐谷忍のマンガ「ライアーゲームから入って、出口はギルボア&シュマイドラー理論という画期的な原稿である。( なんちゃって)。
 こんな風にぼくは、ゲーム理論重力場に捉えられ、そのアリ地獄に落ちようとしているのだ。人生、どんな未来が待ち受けているかわからないから、未来について「絶対」などといっちゃいけないね。
 松井さんとの対談の中で最もエクサイティングだったのは、「障害」の問題を論じたところだ。ぼくは、松井さんが「障害」に関心を持っていることを雑誌のインタビューで読んで知っていたので、ほどよい頃合いにふっかけてみようと、虎視眈々とチャンスを狙っていたら、なんと!松井さんに先手を打たれてしまった。松井さんは、このブログに書いた『数学でつまずくのはなぜか』 - hiroyukikojimaの日記をコピーして持参してきており、突然これをネタに奇襲攻撃をしかけられてしまったのである。たじたじになったぼくは、しどろもどろな情けない返答をしてしまった。とほほ、である。それはともかく、この議論は特集記事のなかでも非常に先鋭的なものになる、と思う。詳しい内容やぼくの感想については、「現代思想」が刊行された頃にまた書こうと思っている。
 まあ、とにかく、松井さんとの対談は、ぼくにとって非常にエクサイティングな経験になり、きっと今後の研究に何かの影響を及ぼすに違いない、という予感がしている。