宇沢師匠のこと

 ぼくは、人生の中で、運命的な出会いというのを何回か経験した。
 それらの出会いは、現実のぼくの運命を大きく変えてしまい、ぼくの「いま」を生み出すこと
となった。中でも経済学者・宇沢弘文師匠との出会いが、最も大きなものだった。


 宇沢先生と出会ったのは、世田谷区の開催した「市民大学」という市民講座だった。
ここでぼくは、宇沢先生から2年間にわたってゼミの指導を受けた。
そもそもは、ミーハーであり、区の広報などにもくまなく目を通すつれあいが講座を
発見した。ぼくは宇沢先生の息子さんと大学の数学科で同期だったので、先生の名は
知っていた。だから、そんな著名な学者に、非常に安価で教えを受けられる講座が
あるのなら、受けない手はないと、いさんで申し込んだのだ。当時職業が塾講師
だったので、昼間は比較的暇だったから、受講が可能だった。


 そこで宇沢先生から受けた講義は、あまりに衝撃的だった。


 宇沢先生は、市民向けの講座だからと茶うけ話にすることを一切せず、切々と経済学の成果と
その問題点を説いて下さった。そのあまりの真剣な面持ちに、ぼくは心底驚いた。こんな
人が世の中に存在するのか、そんな風にきつねにだまされているような気持ちだったのだ。


 宇沢先生の講義は、主に、環境問題との関連で、新古典派経済学ケインズ経済学を批判
するようなものであった。とりわけ、先生が提唱する「社会的共通資本の理論」というものが、
ぼくには非常にインパクトのある理論であった。この理論のついては、wired visionのブログ
のほうで、何回かに分けて解説するつもりだ。ちなみに第一回は、
環境を通じて経済をコントロールする
というタイトルで今日アップした。
 その理論の中に含まれる、「インフレーションの生じている経済状況下では、
貨幣による生活保証はむしろ不平等を増進するので、生活基盤となる施設や制度
を完備することで、貧困者の救済をすべきである」
という論証には、驚きを通りこして、胸が熱くなった。ここでぼくにとって重要だったのは、
この説が、「思想信条としてそうあるべし」としているのではなく、
「数学的に証明される事実である」という点だった。
この理論のことは、wired visionの次回に解説するつもりだ。


 息子さんと同級生だったこともあり、市民講座のゼミのあとに良く飲みに連れていっても
らった。決まって、町中の普通の蕎麦屋や中華店であった。
宇沢先生は、酔っぱらうと、人を誉める酒癖があった。ぼくは、いろんな人に喩えられて
誉めてもらった。宇沢先生も数学科の出身であったため、ぼくと話すと数学を志した頃の
気持ちが戻ってくるのだと思う。
 親友だった数学者・久賀道郎さんに似てるといわれたときは少し嬉しかったが、佐藤超関数
佐藤幹夫に似ている、と言われたときは必死になって否定した。たぶん、佐藤幹夫が数学者
になる前に、一度は高校教員をしていたこととぼくの経歴を重ねたのだと思う。
 そういえば、先生の前で初めて、「塾の先生をしてます」と打ち明けたときは、
恥ずかしさで胸がはりさけそうな気分だった。当時のぼくは、自分の職業をとても後ろめたく
感じていたからだった。
そのとき先生は、急に笑顔を作ってこういった。
 「小島くん、ぼくもね、引退したらこどもたちに数学を教える塾を作ろうと思ってる
んですよ」
ぼくは、先生の優しさに、嬉しいやら切ないやらで、思いがいっぱいになってしまって、
それに答えることができなかった。(先生は、東大退官後、「好きになる算数」というシリーズ
を出版しているので、実は本気だったにすぎない、と後になってわかったのだが) 。

 他にもいろいろな人に喩えられた。
 『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデンに似ている、といわれて、未読だった
ぼくは、あわてて読んだのだが、その主人公のキャラクターにちょっとショックを受けた。
(この話は、別の機会に書くとする)。でも、最も嬉しかったのは、「ハメルンの笛吹男」
と喩えてくださったときだった。
 「小島くんは、数学という笛を吹きながら、こどもたちをどこかに連れていって
しまうんじゃないか、と思うんですよ」
そんな風に先生はおっしゃった。
ぼくはこのことばが嬉しくて、このことをエッセイに仕立てて塾のテキストの序文に書いて、
そのテキストを先生にも送ったのだった。


 そのエッセイと思いもかけないところででくわすことになった。
宇沢先生のゼミに参加した数年後、ぼくは経済学を本格的に勉強したくなり、
東大経済学部の大学院を受験した。
口述試験のとき、経済学部の出身ではないぼくは、非常にあがって
しまい、しどろもどろになっていた。そんなぼくに、試験官の一人であった
石川経夫先生が、ふいに、「あなたにはハメルンの笛吹男のエッセイがありますよね」
と声を掛けてくださったのだ。そして、宇沢先生に読ませていただいたので、と
付け加えられた。これは試験の査問とは関係なく、ぼくが書いた研究計画書の
文章や一緒に提出した自著と関連づけて尋ねられた質問だったのだが、
たぶん、助け船を出してくださったのだと思う。実際、ぼくはこの一言で我に返った。
そうだ、宇沢先生の仕事を理解したくて受験しているんじゃないか、何をあがっているんだ、
普通の受験生とは違うんだぞ、
と自分に言い聞かせて冷静になり、それからは自分の研究計画をスムースに
論じることができた。そして、このとき、天啓のように、初めてお目にかかった
(そのときは名前さえも知らない)この石川経夫先生に師事すべきだという想念が芽生え、
実際に後に指導教官になっていただいた。これももう一つの運命的な出会いとなった。


 宇沢先生と出会わなければ、今の経済学者としてのぼくはいなかっただろう。
文筆家としてのぼくもいなかったかもしれない。きっと屈折した気持ちを抱いた
まま、今も塾の先生を続けていただろう。
 読めもしない宇沢先生の英文の論文集を購入し、サインをせがんだことがあった。
そのとき先生は、
「若い知性の代表としてがんばってください」
と添え書きしてくださった。
ぼくは、苦しいとき、落ち込んだとき、その添え書きをみて心新たにしてきた。
今回のwired visionは、その論文集を参考に書いている。もう若くもないし、
知性の代表でもないけど、少なくとも宇沢先生の論文を理解できるように
なった自分がここにいる。