数学オリンピックについて思うこと・その1

 Wired visionブログ連載で宇沢先生の「教育に関する経済理論」を紹介するために先生の著作『日本の教育を考える』(岩波新書)を読み直した。
読み直してみると、あまりにすばらしく、自分の今回の著作『数学でつまずくのはなぜか』(講談社現代新書)がめちゃめちゃ大きな影響を受けていることをいまさらながら思い知らされた。(その記事は、http://wiredvision.jp/blog/kojima/200802/200802041600.htmlにアップしてある)。その宇沢先生の新書の中に、先生が数学オリンピックの選手強化合宿にゲストとして招かれて、経済学の話をしたときのことが書いてあり、再読して懐かしく思った。なぜなら、あまりの奇遇にも、まさにちょうど同じとき、ぼくは合宿のコーチの一人だったからだ。(担当した日が異なったうえ、宇沢先生がゲストだとは知らなかったので、お会いすることができなかったのを、今でも残念に思っている)。
 知らない人のために、念のため解説すると、数学オリンピックというのは、毎年開催され、世界中の国から6人ずつの中高生が代表選手として集まって、数学の能力を競うイベントである。6題の難問が与えられ、それを数時間にも及ぶ長い持ち時間の中で解く。優秀な成績を収めた個人に、金銀銅のメダルが与えられ、また6人の総合成績によって参加国が順位付けられるのである。どのくらいの難問かというと、数学者さえ悩んでしまってほとんど解けないぐらいである。(一応、制限時間内では、と付け加えておこう)。
 強化合宿というのは、予選を2次まで通過した中高生の20人あまりを集めて、トレーニングを行い、同時に行うテストの合計で代表6人を選ぶためのものだ。ぼくは、10題ほどの問題をレクチャーのために用意して彼らに挑んだが、すべてあっという間に解ききられてしまった。例えば以下のようなオリジナル問題である。
「数列は、次の漸化式で与えられる。(第n+3項)=(−1)×(第n+2項)+2×(第n+1項)+8×(第n項),(第1項)=(第2項)=(第3項)=1。この数列のすべての項は平方数(整数の2乗)であることを証明せよ」
(ちなみに、高度な知識は不要だが、かなりの難問だから、素人は手を出さないほうがいい)。
 でも、ぼくはこのようなパズルチックな問題を彼らにアピールするだけに終わらないぞ、という秘めたる決意でこのレクチャーにのぞんでいた。すべての問題が解ききられてしまったあと、実は経済学の著名な定理である「アローの不可能性定理」の証明を講義し、数理経済学のすばらしさを宣伝するつもりだったのである。この定理は、簡単にいうと、「社会政策の完全な民主主義的な決定方法は存在しない」というもので、数学的には「順序集合論」の分野に属する。(詳しくは、拙著『文系のための数学教室』講談社現代新書を参照のこと)。これを講義したときは、どんな反応が返ってくるか興味津々だったが、子どもたちは思った以上に目を輝かせてくれた。ぼくの感触では、数学オリンピックの多くの問題は、「単なるパズル」にすぎない。そんなものに青春の時間を費やすぐらいならもっと輝かしい学問的素材に触れて、夢を持ったほうがいい、と密かに思っており、そういう思いを込めた講義だったので、嬉しかった。
しかも、その後には、世界的経済学者である宇沢弘文の講演会が待ったいたのだから、期せずして最高の連携プレイになったわけだ。
 でも宇沢先生の冒頭で紹介した新書には、しょーげき的な文章が書かれていたのだ。そのまま引用すると、
「ところが、子どもたちのもつ異様な雰囲気に先ず愕然としました。( 中略)。私の講演の後、パーティがあってご馳走が出ました。しかし、そのパーティには、予選に落ちて、後ろのほうで立ったまま私の講義を聞いていた子どもたちは呼ばれていませんでした。パーティの席で、現場の指導者らしい人物が得々として、以上の経緯を話してくれましたが、その人物はとても数学を勉強したことのある雰囲気ではなく、考える力をつけるのではなく、ただ叩き込めばいいといった姿勢が気になりました。」
 ぼくのショーゲキというのは、ぼくもこの人に対して、全く同じ印象を持っていた、という点だった。「数学を勉強したことのある雰囲気ではなく」とは思わなかったが、(というか、その人は数学者だった)、でも、すごくぞんざいな人だったのは確かだ。でもそれは、ぼくがそんじょそこらの塾講師で、馬の骨だから、頭っからバカにしてこういう横柄な態度なんだろうな、とちょっと悲しい気持ちにもなっていただけだった。でも、宇沢先生にまでそういう(そう観られるような)態度をとっていたのだとすると、根っから不遜な人だったのだろう。ぼくが「アローの定理」を講義しているときの、その人の見下すような不愉快な態度は、今でも鮮明に怒りを持って思い出す。

 でも、このことは宇沢先生にはまだ伝えていないのだが、その選手団の中にいた一人の高校生は、その後、実際の経済学者になったのだ。しかも、ばりばり業績を挙げている新進気鋭の経済学者に。
ぼくは、実際その人と話したことがあるし、その人は「あのとき、小島さんや宇沢先生の話を聞いたことが、ちょっとは影響がある」といっていた。宇沢先生、ぼくと先生の努力は無駄ではなかったんですよ!( ちなみに、その「指導者」の名誉のためにいうと、その経済学者に成長した人の話では、宇沢先生のパーティについての話には、多少の誤解があるとのことだ)。

 ぼくは当時、数学オリンピックに対して、とても複雑な気持ちを持っていた。一方では、ぼくが数学少年だった中高生の頃にあってくれたら楽しかっただろうに、というのがあった。というのは、数学オリンピックの一部の問題は、整数論集合論などの著名な結果を背景にしたものがあったからだ。その一方で、「数学の問題を時間を競って解く」ということに、必要以上の(言い換えるなら、国家的な)名誉が与えられるのは腑に落ちない、という気持ちが強かった。数学というのは、人と人の勝負ごとではなく、人間と神との対話だと思っていたからだ。だから、ぼくは『数学オリンピック問題にみる現代数学』(講談社ブルーバックス を書いたときは、序文に、「この本は出場する選手6人にではなく、残りの(n−6)人に捧げる」と書いた。選手6人の名誉と引き替えに、ものすごくたくさんの少年少女に数学についての間違った位置づけを植え付けてしまうことが我慢ならなかったからだ。

 ただ、それから少しして、数学オリンピックへ日本が参加する道を切り開いた数学者・秋山仁さんとあるパーティでご一緒して、経緯を聞いて、ちょっとその気持ちが薄らいだのだった。秋山さんは、「スポーツ少年少女が、スポーツで注目と名誉を浴びるのだから、数学オタクの少年少女にもそういう場があってもいいんじゃないか、単にそういうつもりだった」といっていた。確かにそれは、なるほどな、だった。(裏腹には、秋山さんが専門の離散数学を表舞台に出す魂胆もあったろうと、いう憶測もあるのだが)。

長くなったので、続きはまた今度。