バーナンキの背理法に足りないもの

田中秀臣さん、ナーイス。 バーナンキの背理法の原典を引用してくれた。
いやあ、背理法を使うとき忘れてはならないこと - hiroyukikojimaの日記を書いたのは、別にバーナンキ背理法を否定したり、リフレ派を攻撃するためじゃなくて、週刊東洋経済に書いた3本の小記事の多少盛り上げのつもりだったんだけど、思ってたよりは反響を呼んでしまったようで、どうしようかな、と思っていた。はてなブックマークとかのコメントとか読んでると、伝わっている人にはピンポイントで伝わっているし、わかってない人は果てしなく真意が伝わっていないので、まあいいか、とも思ったんだけど、ぼくの本を好意的に紹介してくださっているbewaadさんなんかも真摯に説明を要求しているし、ぼくが一目(井目?)置く稲葉さんに至っては、なにいってるのかわかりません(by サンドイッチマン)的なこといってるしで、(稲葉さん、いくらぼくをばかにしてても、酔っぱらってコメントするのはやめて、ちょっとはまともに考えてよね。笑) 、やっぱ補足したほうがいいかなぁ、と考えていたところに、またまた田中秀臣さんの助け船。乗らない手はない、というわけで。
あと、ついでにいうと、ぼくはケインズ経済学やリフレに関しては、むしろ共感を感じており、だからこそ、自分に徹底的な「査読」の作業を課している。一般に、ぼくらの経済理論の業界では、だめだ、と思うなら、「reject」の一言で終わり。レフリーから質問や意見や議論が来る、というのは、レフリーがいじわるをしているわけではなく、むしろ興味を持っていて、その主張が大事なことだと思うからこそ、徹底的に「査読」の作業をしてるってことなのだ。ジャーナルの世界では、査読はボランティアだから、時間とエネルギーをかけるのに値するものだけを論じる感じになってる。ぼくにはそういう性癖がつきつつあるんだと思う(ちょっと偉そうだったかな) 。
 田中さんによれば、バーナンキの背理法の原典は、

「金融当局は名目利子率がゼロの場合にも総需要と価格を上昇させることができるという議論は、概して次のようなものである。貨幣は他の政府債務と異なり、利子は支払わず、満期日もこない。金融当局は好きなだけ貨幣を発行できる。したがって、もし価格水準が本当に貨幣の発行量に依存しないのならば、金融当局は自らの発行した貨幣を使って無限の財や資産を獲得できることになる。これは均衡においては明らかに不可能である。それゆえ、貨幣の発行はたとえ名目利子率がゼロ以下にはなりえないとしても、結局は価格水準を上昇させる。この議論は初歩的だが、以下でみるように、金融政策は無力だという主張の痛いところを鋭く突いている」(訳書167−8頁)。

なーんだ、さすがバーナンキは経済学者だ。ちゃんと、「均衡においては」、っていってるやん。(原文はどうだろ?)。つまり、あくまで、経済理論モデルとしての均衡、のことを語ってるわけよ。で、ここには、「均衡が存在するならば」、というニュアンスが込められている。なぜなら、それが経済理論の揺るぎないコンセンサスだからだ。
 念のため確認しておけば、マクロモデルにおいての「均衡」というのは、「均衡動学経路」のことで、田中さんのバーナンキの背理法の原典にどっかから持ってきて貼り付けてある図(図表化と書かれているもの)の一本一本の曲線のごとき曲線のこと。(すまん、老眼のため、何の図なのかがわからない)。これは、すべての時点において、「価格が無限大になる」とか「販売量が生産量を超えている」とかいう矛盾が起きていないこととか、各経済主体の長期的な、また、ワンショット的な、予想やインセンティブと整合的な状態が実現されているとか、を前提に描かれる曲線だ。専門家でないと、こういう「均衡動学経路」がいつでも存在している、と思うかもしれないが、モデルにこういう経路が存在することを証明することはすごく難儀なことなのだ。それは、背理法を使うとき忘れてはならないこと - hiroyukikojimaの日記で書いた「等周問題」で「長さが一定の曲線図形に面積最大なものが存在する」ということと同じくらい大変である。(というか、そっくりな作業だといっていい)。ここで紹介した「等周問題」の証明は、スタイナーという天才がやったものだけど、他の数学者から「その証明は、そういう最大面積の図形が仮に存在するとするなら、それは円、ということを証明したにすぎず、完成するには、そういう図形が存在することを示さなければならない」、と批判されたわけ。しかし、口でいうのはやすしで、存在証明はものすごい困難なことなのだ。(やってみればわかると思う) 。これを置き換えれば、バーナンキ背理法」を完成するには、「均衡動学経路が実際存在する」ということを証明しなければならない。田中さんは、「バーナンキ背理法を批判する者がみたくないのは、ぐちゃぐちゃのもの」といってるけど、そうじゃなくて、「一本もなければバーナンキは破れる」ってことだ。(これで、な〜んだそんなことか、と思うか、それは深刻だ、と思うかは人によってだと思うし、正直どっちもアリだと思う。感じ方や立場はいろいろだから)。仮に、こういう整合性を持つ均衡動学経路が一本も存在しないなら、「均衡動学経路が非インフレ」が否定されるだけではなく、「均衡動学経路がインフレ」も否定されてしまう。(だって、そもそも存在しない曲線について語ってるわけだから)。つまり、「バーナンキ背理法」は、すべて存在しないのに、インフレ経路だけを残して他を否定して、あたかも均衡動学経路がインフレであることを示したふりをしていることになる。(池田信夫さんがhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1b677a730752b3ba389fff1ed0280952でいっているのはこういうようなことだね、たぶん) 。
 でも安心していい。ぼくは均衡動学経路はあると思ってる。かなり簡単に均衡動学経路の存在を証明できるんじゃないかな、と思う。きっとそうだ。それがすぐに思い浮かばないのは、ぼくのモデル建ての能力がまだ十分ではないからだろう。
ただ、「かなり簡単」であっても、「めちゃくちゃ簡単」なわけではない、といいわけをぼくの試行経験から書き留めておこう。まず、注目すべきことは、「バーナンキ背理法」が論じられるときは主に「中央銀行国債を徹底的に買う」というに注目が集中するけど、子どもじみた素朴な懐疑論者のぼくが突っかかるのは、「誰が国債を売っているのか」、ということだ。「中央銀行インフレターゲットにコミットして国債を買い続けることが絶対に信じられている環境下」で、誰がどんな予想(期待)とインセンティブでいくらの価格で国債を売るのか、ということをまず記述する必要がある。これを最もシンプルなモデルでやろうとしてぼくは失敗してしまった。直感を先にいうとこんな感じだ。今、「期限までに目標のインフレを達成できなかったら、中央銀行の総裁は死刑になる」というえげつないルールを作ろう。そして、期限はあと一回の売買にかかっているとする。このとき国債を持っている国民はどうするだろうか。中央銀行は総裁の命がかかっているのだから、いくら高くても国債を買うはずだ。だとすれば国債の価格は無限大になってしまう。価格が無限大になる、ということは、ぼくの理解では、資産にハイパーインフレが起きたことではなく、モデルが破綻している、ということだ。つまり、均衡動学経路が存在しない、ということになる。この直感をもっとゲーム論的にサポートするなら以下のようになる。今、国債を持つ国民は一人だけで、その国債を市場に提出し、国民と中央銀行で入札ゲームをするとしよう。お互いに金額を入札し、高い金額を申し出たほうが落札し、同じ額なら中央銀行が落札することにする。M円で中央銀行が落札したときの国民の得点はM、中央銀行の得点は(1/(1+M))としよう。国民が落札したときは、(国民は自分で自分に金額を払うので)、国民の得点は0、中央銀行の得点は(−1)とする。この設定では、ナッシュ均衡は無数にあり、国民も中央銀行も任意の同じM(>0)の入札をすることだ。でもこれは、探している均衡ではない。なぜなら、例えば、両者が10円を入札するのがナッシュ均衡になるのは、国民が11円を入札すると国民が落札することになって国民の得点が0点になることが脅しになっているからであり、これは中央銀行国債を買うことにコミットしてないことにことを意味してしまうからだ。ゲーム理論でコミットメントを扱うときはおおよそ展開型ゲームなのだけど、ほぼ同じ意味のことをこのゲームで結論するなら、こうなる。中央銀行国債を買うことにコミットしていて、それが両プレーヤーの共有知識になっているのなら、国民の入札額が中央銀行の入札額を超える、という組合せは除去される。ならば、均衡があるとすれば、国民の入札額Xと中央銀行の入札額Yは(X≦Y)を満たすはずだが、これは均衡ではない。なぜなら、国民がYより大きい額を入札すれば必ず今より多くの得点を得られるからだ。(ここで「迷題」における「最大の自然数」のことを思い出して欲しい) 。このように、ぼくの浅はかなモデルではナッシュ均衡がなくなってしまったので、均衡動学経路の存在が示せない。もちろん、これはちゃちすぎるから、責任はぼくにあり、無視していいものだ。また、なんかゲーム論的にも間違っている予感がするので、まじめに受けとらないで欲しい。(さっき家族旅行の帰りに電車の中で考えたものだし)。
 でも、上のモデルがたとえトンデモであったとしても、それでもなお、指摘した、バーナンキ背理法」を完成するには、「均衡動学経路が実際存在する」ということを証明しなければならない、ということ自体は間違っているわけではなく、自信があることだ。もちろん、賢い人が、きちんと考えて、うまくモデル化すれば、きっとうまく行くのだと思う。そのとき成功をおさめる均衡というのは、財市場と労働市場をも含めた均衡動学経路でなければいけないのはいうまでもない。それが面倒なら、クルーグマンのモデルを出してくればいい。(ただし、国債を売る人のインセンティブバーナンキ論法と整合的であることをチェックする必要あり)。でも、そうするなら「バーナンキ背理法」なんて使わなくても、インフレ経路であることは示されている。「バーナンキ背理法」が有益なのは、「均衡動学経路が存在することは証明できても、その経路がインフレであることを直接証明するのがなぜだか困難な場合」に限られるだろう。これは、数学を長年やってきた経験から来る直感だ。このように、「バーナンキ背理法」は正しいとは思うが、「スタイナーの等周問題の証明」のように、その欠けている部分から考えると、いまのところはぼくにとって「教育的な興味」の段階である。

* 一部に挑発的でよくない発言がある、と知り合いに指摘されたので、最初のバージョンから少しだけ書き換えました。確かに筆がすべってた感がある。不快感のあった人、スミマセン。