波乱の時代

 ここの1,2週間は、世界経済が、あまりの激動だった。
ぼくが、経済学と触れたのは、市民講座の宇沢先生のゼミに参加したときだったが、それは80年代後半から90年代の初め。宇沢先生は、ケインズの理論を扱うのに大恐慌の時代の混乱とかを話してくださったが、当時はバブル末期、ぼくには全くピンとこない話だった。まあ、ゼミの初回に、「1ドルが何円って誰が決めてるんですか?」という直球の質問をして、宇沢先生に思わず苦笑されたのが今でもありありと思い出される。そんな経済音痴だったぼくが、経済学者になって、まがりなりにも大学で経済学の講義をするようになってから、牧歌的な風景は一変してしまった。日本のデフレ不況と金融危機を目の当たりにし、今回の世界同時金融危機にリアルタイムで接触している。なんということだろうか。
 もちろん、経済学者としては、不謹慎であるが、エクサイティングである。
自分が解明したいと考えている経済メカニズムが目前で展開しているのだ。これがネットの中のバーチャルな光景だったり、ゲーム盤で展開される局面だったら、嬉々として鑑賞を続けるだろう。でも、これが現実で、事態の進行次第では、経済学者のぼくではなく、一人の「生活者」としてのぼくの人生も直撃しかねない。他人事でも対岸の火事でもないから、平常心でいることは難しい。
大学では、マクロ経済学も講義していて、1年生には経済成長論を、2年生には景気循環理論(ケインズ理論)を教えているが、やはり、これほどの事態が起こっているのだ、基礎的な定番の理論を道筋だって教えるべきか、それとも今ここで進行している事態を、個人的な観点から扱うべきか、とても迷う。今の事態を扱うことは、多かれ少なかれ、ぼく個人の経済観や見識を披露することになり、基礎的な講義でそういうことをすべきかどうか悩んでしまうのだ。
でも、学生たちだって、これほどの事態に立ち会うことは一生に何回もあることではないのだ。だから、ぼくの個人的な認識を語りながら、各人に何かを考えてもらってもいいのではないか、と思って、講義の途中に、リアルタイムで起きている事態についてのコメントを差し挟むことにした。
 そこで今週やっているのは、グリーンスパン『波乱の時代特別版〜サブプライム問題を語る』を紹介することである。

波乱の時代 特別版―サブプライム問題を語る

波乱の時代 特別版―サブプライム問題を語る

これは昨年に出たグリーンスパンの本『波乱の時代』の先月刊行されたペーパバック版で、そこに、新たに書き下ろしで追加されたエピローグだけを翻訳した本である。主に、昨年から今年にかけての金融収縮と金融の混乱について、任期中のできごとを回顧しながらコメントしている。この本を学生に紹介したのは、中身の良し悪しはともかく、崩壊して世界を今大変な事態に陥れている住宅バブル。それが膨らんだ時期にアメリ中央銀行の総裁をしていた人物の回顧録とコメントだからである。薄いし、500円と安価だから、学生が読むにはちょうどいいと思う。
いろいろ弁解がましいことも書いてあるが、当事者だっただけに、生々しい。秘匿していることもあるだろうし、気づいていなかったことを、あたかも知ってたかのように言っていることもあるだろう。けれども、虚偽を述べていることはないような気がする。
住宅バブルはなぜ生じたのか
この本にはいろいろな理由は書いてある。社会主義が倒れて、たくさんの労働力が資本主義市場に供給された。それが競争を激化し、物価を押し下げた。ともなって、インフレも沈静され、低金利が訪れた。また、どうしたわけか、新興国の過剰な貯蓄を消化するほどの企業家の実物投資がなく、余剰資金は行き場を失った。そんなこんなで、リスク資産のスプレッドは、異常なほど小さくなっていた。例えば、2007年のジャンク債の利回りは、安全資産であるアメリカ国債のわずか4パーセント高いものにすぎなくなっていた。
そう。確かにそうだったのかもしれない。でも、いったいなぜそうなったのか?なぜ、投資家や投機機関はそんなに低いスプレッドになるほどにリスク資産を発行し、そして買ったのか?ぼくが知りたいのは、その合理だ。だけれど、その解答をグリーンスパンは書いていない。なぜだか、そういうことが起きた、そういう感じなのだ。でも、それがバブルであり、危険であることは知っていた、そうグリーンスパンはいう。

「歴史を見れば分かるように、リスク・プレミアムが低い状態が長引いた後の時期は、一般に平穏ではない」。このときわたしが指摘したのは、世界のリスク管理者、つまり金融業界の経営幹部の間で一致した見方になっていた点だ。リスクが割安に振れすぎていたのである。

リスクが割安に振れすぎていることは疑問の余地がなかったのだが、それでも民間セクターのリスク管理部門は手綱を引かなかった。いまの時点から振り返るなら、とりわけ市場に精通したマネージャーは前述のように、異例のリスクをとっていることに気づいていたが、シティグループ最高経営責任者(CEO)だったチャック・プリンスが語ったように、「立ち上がって踊っていなければ」市場シェアを失って取り返しがつかなくなるとの懸念の方が強かったのだと思える。いずれ大洪水に見舞われることは分かっていた。だが、高リスクのポジションを積み上げていっても、大洪水が起こる前に解消できると考えていたのだ。そして、ほとんどの人は間違っていた。

しかし、民間だけなく、政府と中央銀行も、「バブルだ」とわかっていながら、それを止めることはできない、と弁解する。

陶酔感の芽を摘み取れるほどの景気後退を引き起こす意志があれば別だが、現代の民主主義社会で、実現しない可能性もある将来の問題に対応して、そのような厳しいマクロ経済政策をとろうとするとき、有権者が許容することを示す事実はみあたらない。(色での強調はぼくによるもの)

うーん、グリーンスパンさん、そうですか。ただ、全く理解できないわけではないのだ。わたくしごとになって恐縮だが、ぼくは、大学教員になる前の20年あまり、塾の経営に取締役の一人として参加していた。その塾は、受験ブームとバブルに乗って急成長し、絶頂期には生徒数は毎年2倍ずつになっていた。ぼくは取締役会で、「これは、ぼくらの実力ではない。なにかの偶然か、何かの強い力が働いている」と主張した。でも、「だから拡張をやめて引き返すべきだ」という主張まですることはできなかった。受付には、塾に入会したい、講義を取りたい、という客がわんさかやって来ている。「これはバブルなんです、だから、拡張はしないので、他に行ってください」とは口がさけてもいえなかった。「商品を欲しい」という人へは、できる限りお売りするのが、いわゆる「お客様への誠意」だと思ったからだ。そして、バブルははじけた。18歳人口のピークのずれで、数年の猶予はあったが、不況は自社も容赦なく襲ってきた。でも、そのときはマックスにまで規模を拡張してしまったあとだった。(かなりの痛手は受けたが、幸い、難を逃れることには成功した)。
バブルは察知するのが難しいし、うすうす察知できたとしてもどこで引き返すべきか、その判断は非常に難しい。それは、現実だけでなく、理論でも同じだ。バブルについての標準的理論は、まだ満足行く段階ではない。(バブルの合理的な説明については、拙著『サイバー経済学』集英社新書を参照して欲しい。)

サイバー経済学 (集英社新書)

サイバー経済学 (集英社新書)

 バブル崩壊後の問題は、いうまでもなく、どうやって金融システムのメルトダウンを防ぐか、ということだろう。流動性を枯らすことのない貨幣供給も大事だし、結局は公的資金注入が必要になるだろう。だけど、それで不況を避けることができるだろうか。そうは思えない。実際、17世紀のオランダ・チューリップバブルでも、18世紀のイギリス・南海会社株投機事件でも、そして、20世紀のアメリカ資産バブルでも、それがはじけたあと、長い不況にあえぐことになっている。これらが皆、後処理の失敗だとは思えない。バブル後の不況は、バブル破裂後の処理の失敗から起きるのではなく、バブルが膨らんだ時点でもう決定付けられいる、としか思えない。理論的には、単なる適正価格を超えた資産の取引は、資産分布を変えるだけで、実体経済には影響を及ぼさないが、実際のバブルは、ふくれたその時点で、経済を最適経路からはずしているだろう。長くなったので、その理由を書かないから、興味ある人は、拙著『容疑者ケインズ』プレジデント社の第2章を読んで欲しい。(ふっふっふ。これが罠だね) 。
容疑者ケインズ (ピンポイント選書)

容疑者ケインズ (ピンポイント選書)

 ただ、今回の騒ぎを見て、ふと閃いたことがあるので、最後に書き留めようと思う。以下はもちろん冗談なので、めくじらをたてないでもらいたい。
バブルの膨らむメカニズムがわからず、それをうまく防ぐことができず、しかしバブル後の税金による公的処理が不可避なんだとすれば、それを革命の( というのがおおげさなら、合法的でパレート改善的な所得移転の)ために利用すればいい、ということだ。革命を起こしたいなら、ヘルメットかぶって演説なんてしてないで、(って、最近は見かけないか) 、金融業に入社せよ。そして、自分が社会からの利益移転をほどこしたい層に対して、無謀な貸し付けを行え。ただしそれは、返済不履行になっても没収され得ないような資産への貸し付けでなければいけない。例えば、教育ローンなどである。そうして、返済不履行に追い込み、あとは公的資金の注入で始末する。こうすれば、合法的で、またセカンドベストという意味での国民の理解の上での利益移転が可能になる。これこそ、21世紀以降の無血革命の方法論ではあるまいか。って、冗談にしてもイマイチ出来が悪い、とは思うが、面白いことに、グリーンスパンの本には、次のようなことが書かれている。

めったに起こらなくなってきた金融危機に対応してFRBが貸出制度を劇的に増やしたために、連邦議会で魔法の貯金箱が見つかったようにみられていることである。( 中略)。その一ヶ月後には32人の下院議員が、学生ローンの証券化商品を発行するノンバンク金融会社に緊急支援を行うよう、FRBに求めている。

このことをグリーンスパンは、「危惧すること」として記述しているが、内心はどうなのだろう。どこかの新聞のグリーンスパンのインタビューで読んだ(気がする、妄想かなぁ)のだが、グリーンスパンは、次のような趣旨のことをいっていた。
「バブルだとはわかっていたが、貧しい人々が住宅を取得できるチャンスを潰す気にはなれなかった」
これがジョークや弁解やいいわけではなく、本心だとすれば、仮に債務不履行者が住宅を取り上げられないような政策が採られるとすれば、これはグリーンスパンの失策ではなく、金融システムとバブルを利用した確信犯的な「革命」だということになろう。マルクス主義者の青木雄二は、傑作マンガ『ナニワ金融道』で金融業を使って資本主義の矛盾を描こうとしたが、その金融業にこそ、血を流さず選挙も経ない「革命」の道があることに気づくべきだったかも。

ナニワ金融道(1) (講談社漫画文庫)

ナニワ金融道(1) (講談社漫画文庫)