数論マニア

 ここ数回は、今週刊行された『世界を読みとく数学入門〜日常に隠された「数」をめぐる冒険』角川ソフィア文庫にちなんで、数論のことを書こうと思う。(この本の序文は、世界を読みとく数学入門 - hiroyukikojimaの日記にさらしてある)。
 ぼくが、中学生のときから数論マニアであった、ってことは、以前孤独な数学少年 - hiroyukikojimaの日記「7の倍数」の判定法 - hiroyukikojimaの日記に書いた。今回の本は、その数論マニアとしてのコレクションを全面的に披露したものである。数論マニアとして書いた本では、ずいぶん前に刊行した『数学オリンピック問題にみる現代数学講談社ブルーバックスがある。

この本は、国際数学オリンピックから名作問題を選んで解説し、数学に目覚めてもらおう、という魂胆の本であった。分野的には、数論、集合論、実数論と3つの分野の名作問題を紹介しているが、数論の問題ではとりわけ数論マニアとしての趣味に走って、コレクションの中から美問を並べた。(そのため、問題がみな難しすぎる恨みが残ったけどね)。で、今回の本、『世界を読みとく数学入門〜日常に隠された「数」をめぐる冒険』角川ソフィア文庫では、そういう「数そのものに潜む性質」としてのコレクションではなく、「現実の自然や社会の中に潜む数」に関するマニアックなコレクションを披露することにしたのだ。つまり、『数学オリンピック問題にみる現代数学講談社ブルーバックスが、神々しい理想世界の(イデア世界の)数秘術を描いた本なら、今回の本は、人間の生臭い現実世界の数秘術を描いた本であり、そういう意味で「二部作」と捉えて欲しいものである。とりわけ、虚数」「複素数」のリアリティをわかってもらうために、ミクロの物質の物理法則である量子力学を持ってきているのが、類書が(たぶん)ない、大自慢な部分なのである。しかも、元本『数学の遺伝子』の原稿に、めちゃくちゃ筆を入れ、新しいエピソードやネタも導入したので、かなり別バージョンに生まれ変わったと思う。あとがきにも書いた通り、元本との関係は、
音楽で喩えるなら、リミックス曲ではなくカヴァー曲
という風情なのである。(先日、『容疑者ケインズの版元であるプレジデント社の編集者たちと飲み会をしたら、その中の一人が、「ディレクターズカットですね!」と言ってくれた。さすが編集者、そういう言い方もできる。あとがきには、そっちのことばを採用してもよかったな。)
 数論マニアとは、「初等数論」をこよなく愛するマニアのことである。もちろん、高度な数論は、高度な知識が必要だから、ついて行けようはずはなく、おのずと初等的な数論の問題や定理のコレクターとなるのだ。ぼくは、中学生の頃から初等数論についての収集に努めていたが、当時の出版状況では限界があった。その状況が一変したのは、秋山仁さんとピーター・フランクルさんが彗星の如く現れてからである。数学オリンピックを日本に定着させたのは彼らの功績である。彼らは、当時、ほとんど知られていなかった「離散数学」とか「組合せ論」とかを紹介する本を矢継ぎ早に刊行した。その中には、数論マニアのぼくをどきどきさせるような宝物がざくざく含まれていた。彼らの登場が、あと数年早かったら、ぼくの人生は大きな影響を受けていたと思う。例えば、次の本は、宝箱のようなものであった。
入門 組合せ論

入門 組合せ論

この本は、組合せ論の入門書ではあるが、数論的な問題もたくさん載っていて、しかもみんなぼくがよだれを垂らしてしまうような面白いステキな問題ばかりだ。例えば次のような問題は、傑作といっていい。

1から2nまでの整数のなかから任意にn+1個の数を選び出したとき、その中に一方が他方を割り切るような2つの数の組が必ず存在することを示せ。

例えば、n=50とするなら、こういうことを意味している。「1から100までの100個の整数から、好きに51個の数を選ぶ出すと、どう選んだとしても、かならず約数・倍数関係にある2数が含まれてしまう」ということである。ちなみに、50個なら約数・倍数関係を含まないように選ぶことができる。51から100を選べばいい。でも51個を選ぶことは不可能だ、ということなのだ。さて、どうやって証明すればいいのだろうか。解答は、最後に書くので、ちょっとだけ考えてみて欲しい。
 秋山仁さんは、個人的には三度目撃したことがある。
一回目は、ぼくが駿台予備校の講師採用試験に(仮)合格したとき、参考にする講義として秋山さんの講義を見せていただいた。大教室にぎゅうぎゅう詰めの予備校生たちを惹きつけ、笑わせながらも、すばらしい講義を展開していた。すごい話芸だった。(細かいことだが、ぼくはそのとき、河合塾の講師をしていたのだが、駿台の講師にはならず、結果的に河合に留まる選択をした)。2回目に目撃したのは、野崎昭弘さんが『不完全性定理日本評論社を刊行した記念パーティでだった。ぼくは、ある雑誌にこの本の書評を書いた縁で招待されたのだが、そこには秋山さんもいらしていて、このときは話をすることができた。酔っぱらった勢いもあると思うが、そのとき秋山さんは、「君はなかなか面白いね、今度、桃井かおりと飲むとき誘ってやるよ」といってくれた。楽しみにしていたが、その約束はいまだに果たされていない。そして、3回目は、書店だった。本を眺めながら散策していたら、ふいに机に座っている秋山さんに出くわしてしまった。サイン会をしているのだけど、もう一波終わってしまったのか、並んでいる客が一人もいなかった。秋山さんが、ぼくを覚えていてくださって、「よう!」と声をかけてくれたので、逃げられなくなった。仕方なくぼくは、秋山さんの新刊のエッセイを購入し、サインをしてもらうことになったのだった。
 さて、それでは、さきほどの問題の答えをば。n=100の場合で説明する。
この問題を解くコツは、整数を積に分解することなのだが、「中途半端な素因数分解」をするのがミソなのである。どうやるのか、というと、整数を
(2のべき乗)×(奇数)
と分解するのである。例えば、60だったら、60=(2の2乗)×15、と積で表す。奇数の場合、例えば15は、(2の0乗)×15=1×15と表す。今、1から100までの整数をすべて(2のべき乗)×(奇数)という形で表そう。その中から51個を選ぼう。ポイントは、この分解に現れる(奇数)は50通りしかない(1,3,5,7,・・・,99)ということである。50通りしかない中から、51個を選んでいるのだから、その中には重複がなければならない。つまり、同じ奇数が少なくとも2回出てくるはずなのである。その奇数をkと書くなら、選んだ51個の数の中に、(2のa乗)×kと(2のb乗)×kというのが入っている、ということだ。もしもaがbより大きければ、前者は後者の倍数であり、逆なら逆になる。具体的にいうなら、もしも奇数15が2回出てきているなら、例えば、2×15と2×2×15とか、1×15と2×2×15とかなっているはずだが、後者が前者の倍数なのは明らか、ということなのだ。
いかがだったろう。面白くて、エレガントな問題だと思わないだろうか。ちなみに、この問題を数学的帰納法でも証明することができるが、けっこうてこずるはずである。ツワモノは挑戦して欲しい。