論理パズルを攻略するテクニック

 来週、いよいよ、ぼくの単行本デビュー作『数学迷宮』の復刻版『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫が刊行される!これは待ちにまった瞬間だ。この本は、ぼくにとって最も大事な本だからだ。そして、いまだに乗り越えることができないぼくの最高傑作だからだ。実に感慨深い。

とは言っても、今回は、ものすごい改訂を行ったので、「復刻」というと語弊がある。原本とはだいぶ異なっている。ある意味、「原型をとどめないほど」、と言ってもいいくらいだ。テレビでやってる「ビフォー・アフター」ぐらい「なんということでしょう」的リフォームになってしまった。どの辺がそうなのか、ということを、何回かに分けて書こうと思う。それと同時に、この改訂のプロセスでおおいに参考になった文献などの紹介を併せてやってみる。
 今回は、「数理論理学」の部分についてだ。
 『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫は、「無限大・無限小・連続」といった「あやしい」数学概念について、それを「あやしさ」をごまかさずにむしろ正面から受けとめて紹介する本である。だから、ゼノンのパラドックスから始まって、カントールの無限集合論ヒルベルトの数理論理学、ゲーデル不完全性定理とびゅんびゅうとジェットコースター的にすっとんでく本なのである。この原本が刊行されたのは、18年も前のことで、それから18年の間に、さすがにぼくの数学や数理論理学に関する知識量は大きく増分した。今回の改訂では、主にゲーデル理解の部分に大きな改訂をほどこした。
 その一番のタネ本になったのは、http:////d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080605など何回か紹介してきた田中一之『数の体系と超準モデル』 裳華房だけど、今回は参考として読んでてとても面白かった本、リチャード・ジェフリー『形式論理学戸田山和久訳・産業図書のほうを紹介する。なぜなら、この本なら、どんな人も、予備知識なく(途中までは) 読めるからだ。
形式論理学―その展望と限界

形式論理学―その展望と限界

この本の面白さは、第一に、論理学を非常に適切な例によって平明に紹介しているところである。普通論理学の本は、面白みのない無機的な例文で埋められているか、不適切な多義的な自然言語を使ってぐだぐだな解説がなされているか、そのどちらかである。しかも、ものすごい記号論理の羅列で書いてある場合が多い。その著者ご自身は、記号論理の専門家だから慣れてるからいいだろうが、ふつ〜の人にはこれはとても苦痛である。それに対して、この本の例は、もちろん記号の羅列は避けられないものの、実に工夫した例文で作られている。例えば、よくない論証の例としてはこんな風である。

モリアーティ:「ミンは家にはおるまいよ。なぜならばミンが家にいるか船にいることは先刻承知していたし、ミンが船にいるということもたった今わかったのだからね。
シン:「ミンが船を住み家にしていないってことはわかっていたのかよ?」
モリアーティ:「おお、そうであった!」

これは、「AまたはB」と「B」から「Aでない」を導く論証が誤りであることを明らかにする例である。ぼくだけかもしれないが、これはともするとやってしまいがちな間違いをみごとについていると思う。
第二の面白さは、この本の前半のテーマ「ある論証形式が正しいかどうかは、機械的にチェックできる」ということをみごとにレクチャーしていることだ。これは一般人にはあまり知られていないことだが、「真理の木」という方法論によって、「論証形式が正しいか、間違っているか」は機械的に決定できるのである。
例えば、2つの前提「A」と「AならばB」から結論「B」を導く論証が正しいかどうかをチェックしてみよう。まず、前提を並べる

1:A
2:AならばB

次に、結論の否定(非B)をつけ加える。

1:A
2:AならばB
3:非B

あとは、「推論規則」(十数通りある) を適用して、木を成長させる。この場合は、「ならば」の推論規則を使う。「ならば」の推論規則とは、"「ならばの左側の文の否定文」と「ならばの右側の文」を並列に分岐させた行を加えていい"ということである。

1:A
2:AならばB
3:非B
4:非A  B

これは「閉じた木」と呼ばれる状態になった。閉じた木とは、上から下に木を追って行くと、「A」と「非A」、それと「B」と「非B」のように、すべての枝に「文とその否定文」が登場するものである。このように、すべての枝が閉じた状態の「閉じた木」ができあがれば、論証は正しい論証、だと結論することができる。
同じことを、さっきのモリアーティの間違った論証を例に適用してみよう。まず、前提を並べる

1:AまたはB
2:B

次に、結論の否定をつけ加える。(「Aでない」の否定は「A」だからそれを並べる)。

1:AまたはB
2:B
3:A

あとは、「推論規則」(十数通りある) を適用して、木を成長させる。この場合は、「または」の推論規則を使う。「または」の推論規則とは"「または」の両側の文を、そのまま並列の分岐で並べていい"というものである。

1:AまたはB
2:B
3:A
4:A    B

木は閉じないまま終わってしまった。これは「開いたまま終わっている木」と呼ばれ、こうなる場合は論証は正しくない、と結論できる。
 つまり、ある論証が正しいかどうかは、その論証の意味を考えることなく、「閉じた木」ができたか「開いたまま終わっている木」ができたか、そういう単なる機械的な手続きで結論付けることができる、ということなのだ。こういうのを面白いと思うかどうかは個人差があると思うが、ぼくはとても楽しい。少なくとも、この手の論証の問題は、就職試験や公務員試験の問題の常連であるから、その手の試験で切迫している人には一筋の光を与えられるかもね。(会得するには時間を要するので、効率的な勉強ではないかもしれない。失敗してもぼくのせいにしないで欲しい)。
この本の第三の面白さは、推論規則を「かつ」「または」「ならば」「でない」、そして、「すべて」「存在する」、さらには「等しい」、「関数」に対するものへと、順次発展させながら、それらの論理学上の特性をあぶりだす手続きを踏んでいくことである。この点は、論理学を切実に理解したい人にしか価値がないかもしれないが、ぼくにはいくつもの点で溜飲が下がったのは間違いない。最後の、第四の面白さは、この本の到達点が、ゲーデル不完全性定理」と「チューリングの計算不可能性定理」の完全な理解にある、ということである。「ゲーデル不完全性定理」とは、「自然数論の公理を含む無矛盾な公理系には、Aも非Aも証明できないような文Aが存在する」という定理であり、「チューリングの計算不可能性定理」とは、「ある種の計算を実行する機械的なプログラムが存在しないこと」を示したものだ。実は、この二つの定理は、ほぼ同じことを述べているものであることは、読んでいるうちに納得できてくる。これらの20世紀数学の最大の成果が、最後の最後に理解できてしまうのだから、公務員試験突破どころではない効能がある、と言って過言ではないだろう。
 そうは言ってみたものの、リチャード・ジェフリー『形式論理学戸田山和久訳・産業図書を読破するのは、時間もかかるし、骨の折れる仕事であることは確かだ。みんな、この不況の中、時間の余裕などないだろうし、きちんと形式論理学を理解するメリットも大きくないに違いない。そんなお忙しい人たちが「ゲーデルチューリングって要するにこういうこと」という総集編だけを知りたい場合には、拙著『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫がぴったりなんじゃないかな、というのが正直のところ言いたいことなのであ〜る。