無限を読みとく数学入門〜世界と「私」をつなぐ数の物語

『無限を読みとく数学入門〜世界と「私」をつなぐ数の物語』角川ソフィア文庫がアマゾンにも入荷され、書店にもぼちぼち並び始めると思うので、いよいよ宣伝攻勢をかけよう。
いやあ、感慨深い! とにかく感慨深い!
18年前のぼくのデビュー作『数学迷宮』の復活であり、しかも、進化しパワーアップしての復活である。これは、臆面もなく喩えるなら、我が愛するキングクリムゾンが、常に進化し、古い曲をさらなるテクニックでバージョンアップさせていくのに似ている。そういう観点でいうなら、『数学迷宮21世紀バージョン』あるいは、『数学迷宮パートIV』といった具合だろう。(パートIIもIIIもなくいきなりパートIVとなる、その意気込みだけはわかって欲しい。笑い)。じゃなきゃ、『数学迷宮ヌーボーメタル』(完全にバカ丸出しだ)。
 とにかく、この本は、自分でいうのも何だが、痛々しい本だと思う。しがない塾講師として失意の中で生きていた頃のぼくの怨念がこもっている。諦めと後悔と嫉妬と羨望と、そしてそこはかとない夢と希望が詰まった青春の書なのである。何度読み直しても、当時の自分がいとおしくなり泣けてきてしまう。
 比べるなら、今、月9でやってるドラマ「ブザービート」の北川景子ちゃん(と山ピー) の、あの切なく、痛々しい青春像!これは、毎週、涙で曇って見てられない。せっかくの北川嬢のご尊顔がモザイクになってしまうくらい泣いてしまう。嗚咽でテレビが聞こえない、と妻に叱られる。この本は、ぼくの「ブザービート」なのである。( ちょっと調子に乗りすぎか)。
 この本の全面改訂、大工事をしながら、ぼくは、18年前の自分と対話をした。あの頃の自分。痛々しかった自分。
確かに、力量は足りなかった。いろいろな知識が不足していた。何を勉強すればいいのか、どう勉強すればいいのか、わからなかった。啓蒙書を読みあさって啓蒙書を書く、そういう二番煎じみたいなことしかできない自分が切なかった。それに比べれば、今の自分はだいぶマシになったと思う。何より、文献の読み方や勉強の仕方が当時の自分とはまるで違う。でも、びっくりしたのは、プロット自体は、まったくもってひからびてない、ということだった。18年前に書籍としてチャレンジしようとしたことは、今でも全くブレがない。そういう意味では、18年前の自分を誉めてあげたいと思う。亀のようにのろい歩みながら、進んでいる方角は正しかったのだ。
 その点で面白いのは、原本の著者紹介に、「ケインジアンの仲間入りをするのが当面の目標」と書いていること。当時はまだ、経済学の大学院には入学しておらず、宇沢先生に市民講座でレクチャーを受けたに過ぎない段階だった。にもかかわらず、原本に無謀にもケインズ経済学の解説が入れてある。その大胆さと厚顔無恥が笑える。いいぞ、18年前のオレ。そして、なんということでしょう、18年後の自分は、本当にケインジアンの仲間入り(自称)しているではありませんか。これは驚くべきことである。生え抜きのケインジアンには怒られるかもしれないが、『現代思想』のインタビュー『「時間」と「不確実性」の経済学』は、朝日・日経・読売の論壇時評で誉められたので、ケインジアンを自称する資格はあると思う。(えへん!)。改訂の自問自答の中で、過去の自分に真っ先に言ってあげたのはこのことだった。「18年後に、君は実際、ケインズについての啓蒙書を書き、ケインズ研究者の仲間入りをしている」と、そして、「ケインズ貨幣論を数理化する研究に向かって着々と歩みを進めている」と。
 けれど、原本でのケインズ理論の解説は、今からみれば相当に表層的だったと思う。もちろん、素人だから仕方ない。だから今回の新版では、ケインズの部分は全面的に書き換えた。ページ数も、この部分は2倍に増え、22ページ分にも及んでいる。ここでのIS-LMの解説は、現時点でぼくにできる最善の方法だと思う。しかも、マクダガートの時間哲学や無限小算術などとの関係からケインズ理論に切り込んでいるので、世界広しといえど、そういう解説は(宇沢先生やロビンソンのものを除けば)ほぼないと言っていいから、経済学方面の人や思想・哲学系の人にも読んでいただきたい内容である。
 あと、原本では、第1章が数学青春小説になっているが、新版では順番を入れ替え最終章になっている。この小説は全面的に書き換えた。ぼくの青春は改造されてしまったわけだ。小説なのであまり多くは語らないことにするが、今のぼくの文章能力で尽くせるだけの努力をしたつもりである。あとは、読者の心のできるだけ深いところまで届いてくれるよう祈るばかりだ。
 では、記念に、「まえがき」だけさらしておくこととしよう。

      プロローグーー「無限」という迷宮への冒険が始まる

 本書は、まるごと一冊、「無限」についての本です。
 数学というのは、一点の曇りもないほど明快で、しゃちこばっていて、融通の利かない堅物、そう思っておられるかたも多いと思います。その印象はおおよそその通りなのですが、ただ一つ、そうではない領域があるのをご存じでしょうか。
 それは、「無限大」「無限小」「連続」にまつわる領域です。これは、数学の魔境だと言っていいでしょう。
 私たちは「無限」を具体的に体験することはできないのに、その存在を認知することはできます。これはとても不思議なことです。「無限」は確かに私たちの中にあるのです。この本は、そんな「無限」を数学を使って読みときます。そういう意味では「あやしい本」と言っていいでしょう。数学という明朗にして明快すぎる世界の中に、ただ一つだけ存在する「あやしさ」「危うさ」。それを暴き出す本なのです。
 本書には、三つのテーマがあります。古代からずっと人間の純粋な思弁として継承されてきた「無限」へのアプローチの歴史をひもとくのが、第一のテーマです。そして、その「無限」が、「現実」とどういう関わりを持つのか。それをあぶりだすのが第二のテーマです。
 第一章では、ギリシャの哲学者ゼノンの提唱したパラドクス「アキレスと亀」を発端に、「無限和」の是非をめぐって、古代から現代までを駆け抜けます。それは、「非ユークリッド幾何」と接触し、「力学」や「微積分」と絡めて「時間の哲学」に寄り道し、あげくは「ケインズの経済学」まで足を伸ばす壮大な旅となります。第二章では、数学者たちが「無限」を巧みに利用し発見した「存在」に関する数々の名定理を眺望します。そして第三章では、「無限」を神とあがめず、その本性に徹底的に迫った19世紀の天才・カントールの無限集合論に挑みます。この理論は、結果として現代数学の基礎を築くことになったとても画期的なものでしたが、発表当時は「数学の狂気」と見なされ、迫害を受けました。カントールの人生は悲劇に終わりましたが、それと引き替えに人類は、高度な数学認識を手に入れたと言っても過言ではないのです。この章では、カントールの切ない生涯と集合論の起こした「革命」を、できるだけ詳しく描き出しました。
 本書の第三のテーマは、「無限」と「私」との関係にアプローチすることです。この際どい私的なテーマを形象化するために、最終章に「小説」を導入しました。テーマはずばり、「数学をすることは、<この世界>という迷宮をさまようこと」、そして「<この世界>を解明することは、無限というものと対峙すること」というものです。
 では、皆さんも是非、ご一緒に「無限」という迷宮をさまよいましょう。そこは危険で不気味な異世界ですが、神秘的でスリリングで心ときめく不思議世界でもあるのです。