数学セミナーの思い出

 久しぶりに数学セミナーに記事を書いた。今、店頭にある2009年10月号。
記事は、「遠山啓氏の思想から見えるもの」で、遠山啓氏生誕100周年の記念特集の一つである。今では、あまり知られていないかもしれないが、この雑誌の初期の責任編集は、遠山啓と矢野健太郎だったのである。いくつかの著作で書いたように、ぼくは遠山啓から大きな影響を受けているので、こういう特集に参加できるのは光栄だ。この記事では、遠山啓の数学教育の根底にあるビジョンのことを純粋数学、とりわけ無限集合論自然数理論との関連で論じた。そして、最後は、遠山啓が晩年、学習障害児の教育に取り組んだことに触れ、ぼく自身も今、経済学者として、障害の問題を考えていることで締めくくっている。

数学セミナー 2009年 10月号 [雑誌]

数学セミナー 2009年 10月号 [雑誌]

 何が光栄って、ぼくの青春は『数学セミナー』に彩られていたのだから、光栄なんて言葉では足りないくらいに光栄である。
前にも書いたと思うが、ぼくは中学1年生のときに専門の数学に目覚めた。それは、遠足のとき数学教師が「小島、素数を作る式を考え出したらノーベル賞だ」とあおったからだった。もちろん、ノーベル数学賞は存在しないから、これは教師の逃げ道を用意した煽りだったわけだけど、生意気で純粋だったぼくは日夜素数をいじくることとなった。これは難しい問題かもしれないと予感が走って、いくつか啓蒙書を買ってみて、これが2000年以上未解決の問題だとわかり、教師にはめられたことを悟ったが時既に遅く、ぼくは素数の魅力にはまってしまっていた。
 しかし、当時は今のように良い数論の啓蒙書がなかった。とりわけ、公立(区立)のふつーの中学生が読めるようなものはごくわずかだった。それで、必然的に、愛読書は『数学セミナー』となった。中学生のこずかいでもなんとか購入できる価格なのが助かった。もちろん、毎月購入することは無理だったので、すごく欲しい号だけ買って、あとは図書館で閲覧したものだった。『数学セミナー』を読んでいるだけで、けっこう数学能力をあげることができたのだから、なかなかのものだ。夏休みの自由研究で3×3魔方陣素数だけで作ったものを提出したときは、「どうやって作ったのか」と数学教師が目を丸くしたので、鼻高々だった。単に、3×3魔方陣は、すべての数に同一数を掛けても、同一数を加えても魔方陣のままだから、素数の等差列を調べればいい、と気がついただけだった。この頃すでに、中学の数学教師に対して、もちろん、知識量では負けるものの、数学感覚では勝ってしまっていたように思う。
 『数学セミナー』には、有名なコーナー「エレガントな解答を求む」というのがある。これは、数学者が出題した問題を、1ヶ月の期限で解いて応募するものである。賞品は何もない。名前が掲載される名誉だけである。ぼくは、何とかここに名前を載せたい、という強い願望を抱くようになった。けれど、(区立)中学生の知識でアタックできるような問題はなかなか出題されなかった。ちなみに、東大数学科に進学したとき、岩堀教授は巧妙な解き方を「エレガントな解答」、とにかく愚直な激しい計算でごり押しする解答を「エレファントな解答」と呼んでいていて、笑ったものである。思えば岩堀先生は、このコーナーの常連出題者であった。
 しばらくしてチャンスがやってきた。次のような問題である。

整数係数の多項式の「高さ」は、「次数」+「係数の絶対値の総和」で定義される。高さ20の多項式はいくつあるか

これは「やった」と思った。多項式の高さは、超越数が無限に存在する」というカントールの定理に使われる道具であることは知っていたので馴染みがあった(詳細は、拙著『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫参照のこと)。とにかく、エレファントに数え尽くせばいい、そう考えてアタックした。ちょっと計算違いをしてしまったが、苗字だけは掲載された。残念ながら最年少ではなかった。次のチャンスは、以下の問題のときであった。

(3の2乗)+(4の2乗)=(5の2乗)、(10の2乗)+(11の2乗)+(12の2乗)=(13の2乗)+(14の2乗)、のように、連続する2n+1個の平方数の最初のn+1個の和が、残りのn個の和と等しくなるようなものがどんな自然数nに対しても存在することを証明せよ。

これは易しい問題だったので正解してフルネーム掲載されたが、やはり最年少は逃した。この問題は、エレファントに計算することもできるが、(実際、中学生だったぼくはそういう風に解答した)、「数の対称性」を利用して、多少楽をするエレガントな解法もあるので考えてみてほしい。拙著『キュートな数学名作問題集』ちくまプリマー新書に入れてある。解答はそちらのほうで是非。

キュートな数学名作問題集 (ちくまプリマー新書)

キュートな数学名作問題集 (ちくまプリマー新書)

 あるとき、このコーナーにブロコード正点の作図問題が出た(面倒なので、どんな点かは詳しくは書かない)。こんな問題が解ける中高生なんかいるもんか、と思ったが、解答を見たら、中高生のレポートが優れたものとして紹介されていた。それは、筑波大附属駒場高校の数学クラブ(?)の連中であった。世の中には強者がいるものだ、と思った。でも、遠い星の、別の銀河系の人々だと思っていた。が、のちのちに、東大の教養課程のクラスで、それとおぼしき連中3人と出会うこととなりのけぞった。その3人といっしょに数学科に進学した。そのうち2人は、現在、数学者になっており、その一人、松沢淳一氏は、今回の『数学セミナー』に「ディンキン図形とルート系」という記事を書いている。奇遇である。
 さて、当時のぼくには、どうしても証明を理解したい定理があった。それは、次のものである。

自然数n以下の素数の個数をxとすると、n≦(4のx乗)、である

これは、素数の個数を評価する式で、最も初等的なものである。証明したのは、天才エルディーシュ。この定理と証明を本で見たのだけれど、証明にかっとんだ点があって、どうしても理解でなかった。それで中学の教師に質問したが、その人の実力ではわかるはずがなかった。高校の数学教師などひどいもので、この問題を質問してからぼくを避けるようになった。まったくもって、孤独だった。思えば、著者自身に手紙を書けばよかった。今のようにネットがあれば、誰かが親切に教えてくれるのにな、などとくやしく思う。
この評価式は、非常にユルイものである。例えば、100までにいくつ以上素数があるかをこの式で求めてみよう。100≦(4のx乗)を満たすxは、4≦xである。つまり、たった4個の素数しか保証してくれない。しかし、そうはいっても、この式によって素数が無限個あることは保証されるし、非常にずぼらな下限は与えてくれる。しかも、その証明は、わかってしまえば、非常に初等的である。中学数学で収まる。が、結局、ぼくは大学生になってから、自力で証明を理解することとなった。ヒントをいうと、
すべての自然数は(平方数)×(異なる素数の積)という形に一意的に表現できる
ということである。このエレガントでみごとなエルディーシュの証明は、前掲の拙著『キュートな数学名作問題集』ちくまプリマー新書でどうぞ。この問題が、この本の最後を飾る大団円の問題なのだ。だって、ぼくにとっては、怨念の問題、青春の問題だから。
 話が脱線しすぎてしまったけど、要するに、『数学セミナー』は、日本の数学文化を支える重要アイテムであり、皆さんも応援してあげてね、ということなのであ〜る。
 (追記) 「伊藤清先生の業績と数学・経済学への影響」という記事で、佐和降光氏と高橋陽一郎氏が対談してて、確率微分方程式(伊藤積分)のことがいろいろ書いてあるので、経済系、ファイナンス系の人も楽しめると思う。