先日も報知しましたが、今週木曜に東大の文学部の多分野交流プログラムで講義をします。時間や場所は、前回の日記**************************************** - hiroyukikojimaの日記を参照こと。
困っているのは、このプログラムのタイトル「生命をめぐる科学と倫理」とのミスマッチ。いやまあ、「科学」のほうはいいよ、経済学が科学と言えるか、はともかくとして今回話すことには数学(数学基礎論)が含まれているから。でもねー、「倫理」のほうは困った。全部が全部とは言わないけど、現在、だいたいの経済学者は「倫理」とは一歩も百歩も距離を置いて経済を語っている、と思う。というか、経済「理論」の方向性は、「善悪」の概念を迂回して人間の営みを評価しようとする、ことにある。ぼくはそう理解してる。だから、「倫理」という言葉にはとても戸惑いを覚えるのだ。もちろん、心の中には、宿命的に、「倫理」の問題を抱えているさ。でも、それをひた隠して、平静を装って、理論を研究しているのだね。
しかも、初回である前回は、主催者の一ノ瀬正樹さんの講義だったんだけど、これがまったすごいのだ。「動物の生命について考える」というタイトル。非常に高度な哲学議論にバックアップされてはいるけど、あえてざっくりまとめてしまえば、「動物実験や、動物を殺して食べることは、禁じるべき」というラジカルな議論なのだ。動物たちへの道徳的配慮ということ。そして、一ノ瀬さん自身が、もう長い間、肉食を自分に禁じていることをカミングアウトされた。
一ノ瀬さんのこのような問いかけに賛同するかどうかはともかく、しょっぱなからこんな極度にシリアスな議論をレクチャーされてしまって、のこのこ2回目に出ていくぼくの立場は?・・・いんやー、参った。しかし、引き受けてしまった手前、予告したプログラムをこなさなくてはならない。ぼくは、ここ数日、ツタヤのただ券でレンタルしたテイラー・スィフトのグラミー受賞アルバムをリピートしながら、パワーポイントの仕込みを行った。
ぼくがレクチャーしようと思うのは、「社会において、全体と個の関係はどうなっているか」ということ。「全体」は「個」の意見や目的や嗜好から構築されるけど、いったん「全体」が構築されてしまうと、それは逆に「個」を統率していくことになる。ある意味では「動かしがたく」なる。これはいったいどういう仕組みになっているのか、そんなことだ。
物理学でいうなら、「イジングモデル」がその簡単な例になっているのだろう。磁性体中のスピン(=小さな磁石)のあいだには互いに同じ向きを向きたがる力が働く。他方、熱的なゆらぎのため、スピンたちは勝手な向きを向いてエントロピーを大きくしようとする。この両者の兼ね合いで、磁性体は全体として磁石になるかならないかの相転移をおこす。(註)
このことに近い経済モデルは、やはり、「相互推論」が導く「共有知識」だと思う。社会では、個人が勝手にいろんなことを考えるだけではなく、他人が何を考えているか推論をする。その推論をさらに他人が推論をする。つまり、「推論についての推論」をする。このようなメタ化が「社会の空気」を生み出していく。その仕組みを描写しようとしたのが、オーマンの共有知識なのだ。今回のレクチャーでは、オーマンの共有知識をヒュン・ソン・シンが、「証明可能性(provability)」から再構築した論文を紹介する。シンは、数学基礎論における証明論のテクニックを使って、ゲーデル的に共有知識を構築してみせたってわけ。パワーポイントを作ってみて、けっこう難しいレクチャーになってしまう予感がしてきたけど、ひよらずに実行しようと思う。一ノ瀬さんのラジカルさに答えるには、学問的誠実さで全力を尽くすしかないと思うから。
ちなみに、このプログラムに参加することになったのは、一ノ瀬さんとの個人的な交友からだった。一ノ瀬さんが、拙著『確率的発想法』NHKブックスを読んで、ぼくの議論を著作『原因と理由の迷宮』勁草書房に引用してくださり、この本を献本くださった。そこから(手紙だけでの)交流が始まったのだ。

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今度のようなことがあると、学者になれてよかった、としみじみ思う。東大で講義できるから、というのでは全くない。ぼくは講義することは大好きなので、うちの大学での講義も、高校生や中学生への講義も、世田谷市民大学でのシルバー世代への講義も、みんなそれぞれに楽しいし、どれにも手を抜かない。そうじゃなくて、このような先進的な学問的な出会いが、研究者同士の出会いがあるから、学者になれてよかったと思うのだ。

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(註) またまた田崎さんから、アドヴァイスをいただいて、書き換えを行いました。(註と添えてある部分の色つきの文です)。田崎さん、ありがとう。持つべきものは友人だ。まだお会いしたことないけど。