統計的推測に最新の現代数学のトッピング

 いんやー、テイラースィフトに惚れきってしまって、2枚のアルバムを交互にリピートしてる状態。日本の演歌は苦手なんだけど、なんだかアメリカ音楽ではカントリーがぐっとくる。スィフトちゃんは、ミッシェルブランチ以来のマイブーム。とりわけ、「チェンジ」のプロモはすごい、北川景子がカントリーを熱唱してるみたいで、めちゃめちゃ好みだ。今もスィフトちゃんを聴きながら、これを書いてる。
 と言っても、今日の話題は全く音楽とは別。最近、ざっと目を通した渡辺澄夫『代数幾何と学習理論』森北出版の紹介だ。

代数幾何と学習理論 (知能情報科学シリーズ)

代数幾何と学習理論 (知能情報科学シリーズ)

 この本のすごさがどこにあるかってぇと、それは「卓越したサーベイ能力」というものにつきる。一般に、理系の人はサーベイの能力が欠損してる人が多い。ざっくりと言い切ることに不要に臆病になって、結局、「全部を語って」しまう性がある。もっとひどいと、専門用語にこだわるあまり、結局何言ってるんだかわからん状態に陥る人が多い。そういう中、渡辺さんのこの本のサーベイはあまりにスゴイ。
 この本は、統計学におけるベイズ推定での渡辺さんの世界的な業績の紹介なんだけど、その目的を果たすには、数学的な準備があまりに遠大なのだ。現代代数学の花である「代数幾何学での特異点解消」という実にマニアックな分野が必要である。さらには、関数解析の花である「超関数」まで持ち出す必要がある。だから、この本は、その特異点解消と超関数のサーベイが全体の3分の2を占めている。そのサーベイがあまりに卓越なのである。
 特異点解消は、告白してしまうと、ぼくはよく理解してなかった。それがこの本を読んで、天啓のようにわかってしまった。いえね、今だから言うけど、ぼくは数学科時代、代数幾何学を専攻したんだよね。それは本意ではなかった。本当は数論をやりたかったんだけど、希望者が多くて、成績の悪い者は落とされた。それで仕方なく代数幾何学のほうに行ったのだ。そこでは、天才マンフォードの本を輪読した。正直言って、何もわからなかった。代数幾何学を勉強するにはあまりに基礎知識に欠けていた。しかも、指導教官が運悪かった。めちゃくちゃ厳しい人で、ゼミはいつも20分で先生が切れて、それで終了の繰り返しだった。それもそのはず。その先生はマンフォードの友人あるにもかかわらず、その人がいつまでも講師の地位であるのを残念に思った友人たちがマンフォードに推薦をお願いしたら、マンフォードに「**はデフィカルトだから推薦はしない」と言われてしまったような偏屈な人だった。そんな人の指導だったので、一年間は地獄でありこそすれ、何の勉強にもならなかった。それだから、特異点解消は愚か、リーマン面にさえ到達しなかったのだ。
 そんな脛に傷持つわたくしめ、渡辺さんのこの本を読んで、雷に打たれたように特異点解消を中心に代数幾何学のなんたるかをインスパイアされてしまったのである。渡辺さんの本はそのくらいみごとなサーベイだ、ということなのだ。何がいい、って、すべて具体例で説明するんだよね。これはスゴイ。代数幾何学の本をいくつも眺めたけど、それらに一番欠けていたのは、「要領をえた具体例」というものなのだ、と今にして思う。「ブローアップ」にしても、「根基イデアル」にしても、「ザリスキー位相」にしても、こんな風に最小の準備で具体例で教示してくれれば、もっとわかったし、もっと興味をもてたと思う。そのくらい渡辺さんの説明はぼくのツボだったのだ。まあ、渡辺さんが数学者じゃないからできたことかもしれないけどね。実際、代数幾何学の専門家になる修行をするには、そんな安易なサーベイではダメなんだろうと思う。でも、ざっくりとしたツボの解説を知ってから修行に入るのも悪くない。数学だって「体育会系の根性主義」では参加者を減らすだけなんじゃないかな、ってこの頃切に思う。
 特異点解消は、いうまでもなく、日本の誇る広中平祐の偉大な業績。広中氏がやったのは、標数ゼロ(要するに有理数を基礎にしたもの)なんだけど、まだ標数正(有限の体を基礎にしたもの)の場合の特異点解消は解決してない。実は、標数正の場合の特異点解消には、親友でアメリカで活躍している数学者・松木が今、肉薄している。是非とも彼にはこの偉業を達成して欲しいと切に願っている。松木が帰国するたびに一緒に飯を食うんだけど、そのとき、特異点解消の話題になると、心苦しく思ってた。彼はぼくが代数幾何学を専攻してたのを知ってるから、それを前提に話すんだけど、仕方なくぼくは適当に話を合わせるんだけど、まさかぼくがこんなに知識がないと知ったら驚いてのけぞることだろう。この本を読んだ今や、今度松木が帰国したら、胸をはって得意げに彼の話を聞いてやろうと思う。
 話がそれてしまったので、渡辺澄夫『代数幾何と学習理論』森北出版に戻ろう。この本で、ぼくは統計的推定理論の深淵を見た気がした。「そうか、ベイズ推定による予想分布と真の分布との距離を測るにはカルバック情報量を使うのか」とか「カルバック情報量って、物理学者のボルツマンが生み出したのか」とか驚きの連続だ。しかも、それを計測するのに、特異点解消と超関数を使うなんて、やっぱり数理科学は巧妙にできている、とか。
 でもねー、一つだけ不満を言えば、特異点解消と超関数のサーベイはあんなにみごとなのに、専門の統計的推定の話に入ると、とたんに不親切になるんだよねー。具体例なくなるし。やはり、専門だと用心深くなりすぎるのか。希望としては、渡辺さんに、その卓越したサーベイ能力で、ベイズ推定の深淵をサーベイと具体例で解説してほしい。
 この本でも、ぼくはまた「奇遇」に遭遇した。この本を紹介してくださったのは、友人の経済学者、横国の宇井貴志さん。ベイズ推定の本を書くなら、このくらいは読んどくべき、っていう意味で教示してくださった( 多謝)。たまたまその話を友人の物理学者の田崎晴明さんに話したら、奇遇にも、田崎さんは渡辺さんと親しいとのこと。そればかりではない。田崎さんはぼくと東大の同学年だったんだけど、渡辺さんも田崎さんの物理学科の同級生で、しかも彼は数学科の講義に入り浸ってたとか。ということは、ぼくと一緒に同じ教室で講義を受けてたことになる。ニアミスしてたってことだね。ぼくがもっとちゃんと数学科の講義に出席してれば、お近づきになったかもしれない。あの頃は、バイトに明け暮れてたからなああ。
 と、とりとめがなくなったけど、代数幾何とか超関数に興味があれば、是非、この本をご参照あれ。ただし、親切心でいうと、ある程度専門の数学のトレーニングを受けたことがないとかなりきついとは思うよ。