経済学はどこへ向かうのか(Our Time is Here)

 先々週の朝日新聞夕刊に「菅政権 壮大な社会実験」という論説を寄稿したら、先週(7月2日)の朝日新聞朝刊の社説で、「経済学は物理学でいえばニュートンよりだいぶ前の段階」というところを引用していただいた。ぼくのこの表現は職業上の謙遜でも文学的レトリックでもなく、ぼくの本当の実感だ。経済学を15年しか研究していないぼくがこんなことをいうと、超ベテランの経済学者に叱られてしまうかもしれないが、もしも職業的体面からでなく本気で経済学が物理学に追いついていると思っている経済学者がいるならちょっと驚いてしまう。そういう経済学者は、きっと、物理学を数学的にしか理解していないか、あるいは、「現実へのフィット」というのをものすごくゆるく捉えているのだと思う。もちろん、「ニュートン以前」というのは揶揄ではない。むしろ、少し底上げ気味であるとさえ思う。ニュートン以前にだって、ガリレオケプラーなど宇宙の法則を解き明かしたすごい天才がいたのだ。経済学者の中には既に、「物理学でいえば、ガリレオケプラーに匹敵する」とやがて呼ばれるようになる人が存在しているのだろうと思う。でも、それは悲しいことに、経済学版ニュートンが出現しなければ誰であるかはわからないことなのだ。
 その社説は、基本的には、菅ー小野政策への期待を謳っていると感じた。とりわけ、小野理論に対して、敬意を払っている雰囲気があるのが良い。かくいう小野さんは、テレビに引っ張りだこである。政策方針ではなく、純粋な経済理論がここまでテレビで脚光を浴びるのは珍しいことだと思う。これは、経済学にとって歓迎すべきことだ。テレビの短い時間では、小野さんの主張がどんなモデルを念頭をおいてのことなのかが伝わらないのが残念だ。小野さんのモデルで最も重要なことは、時間軸の中で展開するデフレという現象を扱う動学モデルであるということだ。なのに、経済学者(を自称する人)の中にさえ、通常の学部教科で学ぶケインズ(静学)モデルと区別のついてない情けなく不勉強な人も見かける。NHKあたりが、じっくりと時間をかけて、マクロ動学モデルのことを特集してくれればいいと思う。もちろん、小野理論が正しいとか、いや正しいのはニューケインジアンだとか、新古典派だとか、結論付ける必要はない。実際、数学的にはすべて正しい。問題は、どれが最も現実にフィットしているか、なのだ。それは社会実験でしかわからない。健康なときや普通の薬が効く病気に新薬を試すのはモラルの問題になるが、原因不明の深刻な病気のときこそ新薬を試すチャンスであろう。というか、そういう切羽詰まった段階でしか(いや、そういうときでさえも)社会実験を始動できる論拠は与えられ得ないのが、社会科学の発展の難しさなのだから。
 一時、復旧しかかった株価は、現在、また下落基調になっている。2008年12月に、ぼくは、急激に退行する世界にて - hiroyukikojimaの日記という日記の中で、「目前で展開するこの光景、これはいったい何なんだろうか。」とか「この急激に退行する世界の中で、ぼくは固唾を呑んで行方を見守るしかない。」とか綴った。経済学者としての素直な驚きの言葉だった。あれから、すでに1年半以上が経過した。ぼくは、その間、五感すべてをできる限り鋭敏にして、成り行きを見守ってきた。リーマンショック以前の状態に復帰しつつあるように見えた経済は再び乱調な足取りとなった。もちろん、これが一時的なことで、あと少しで暗い穴から脱出できるなら、それでいいと思う。それなら、金融的なマクロ経済政策の少なからぬ進歩だという評価がなされてもいいだろう。でも、もしそうでないなら、ケインズ以降の70年間にマクロ経済学には何の進歩もなかったことになる。大恐慌のときの動学経路と似た経路(もちろん、あれほどのひどさではないにしても)を辿っていることになる。だとすれば、経済学はこれまで単なる数学的形而上学を弄してきただけだと批判されても仕方がないのではないか、と思う。実は、ぼくだけでなく、(沈黙を守る)少なからぬ経済学者がこの光景を見つめながら、そういう悪寒を感じているのではないだろうか。
 もしも、このまま経済が、あたかも妖怪によって暗い沼の底に足をひっぱられていく如き展開になるのであれば、小野理論、ニューケインジアン新古典派の中で、最もそれを説得的に説明できるのは小野理論だと思う。そういう意味では、菅政権が経済に何らかの恣意を加えねばならないとするなら、インフレ目標も試してみたいものの、やはり小野理論を実践してみてほしい。それは、今後の新しい経済学の扉を開くかもしれない。ぼくの根拠のない直感なのだが、ニューケインジアン理論はかなり現実説明力は弱い。それに比べると、小野理論はかなりの説明力を持っているように見えるのだが、それでも何か足りないファクター、ヒドゥンマターがあると感じる。それが何であるかは、今後の経済学者の研究にかかっているのだけれど、実践での成果が手に入れば、(たとえそれが否定的な結果であっても) 、マクロ動学の研究のスピードは速まるに違いない。
 ここで話は突如、アイドルに方面にそれる。ぼくの老化したオツムでは、AKBを覚えきれなくなり、学生がメールで送ってくれたせっかくのシノマリの水着の写真(美しい!)を板野と見間違う失態をおかし、日本のアイドルからは足を洗うことにした。今は、アメリカのティーンの歌姫、デミ・ロバートにくびったけである。「キャンプロック」という青春映画でデミたち数人のティーンの女子が歌った「Our Time is Here」という曲には、心底痺れる。めちゃめちゃいい曲なのだ。Our Time is Hereとは、ティーンに最もふさわしいことばだ。歌詞にもキュンとなる。でもティーンのものばかりじゃない。そう、経済学者にとっての今は、まさに、Our Time is Here、なのだから。(かっこつけすぎた。笑い)
 ちなみに、小野理論についてのぼくの解説は以下の2冊。上のは、数式なしでの説明。下のは、数式っぽいのも入れて説明してる。今回の「増税で成長」を多少理解するには、下のほうが適切かもしれない。

サイバー経済学 (集英社新書)

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