ガロアの夢、ぼくの夢

めちゃめちゃ忙しくて、ブログを更新することができなかった。そして、ほんとは今もめちゃめちゃ忙しいので、ブログを書いている暇はないんだけど、7月中にもう一個は日記を書いておきたくて、がんばって時間をとっている次第。
 ほんとに最近は、ガールポップしか聞かなくなってしまった。デミ・ロバートはあまりにすばらしすぎる。これで18歳なのか、というとんでもない歌唱力。曲もすごく良いものをもらっている。やはり、アメリカはすごい。デミ・ロバートにしても、テイラー・スイフトにしても、10代でありながら、「絶対、歌をやっていくんだ」という気概に満ちているのがいい。それは、「憧れ」だとか「夢」だとかいう、あまっちょろい感傷ではなく、ふつーの仕事に迎合できないことからの現実逃避でもなく、リアリティのある気概だから清々しいのだ。それは、彼女たちの歌唱力に率直に現れている。本気であらゆる時間を投じないとああいうテクニックは身に付かないだろう。そういうボーカリストを日本の女子に求めるなら、やはりYUIだろうと思う。YUIには、「自分には、歌しかないんだ」という痛々しいほどの気概がみなぎっている。しかも、アルバムにはいつも、ひょっとして彼女の身に起きたことなのかな、と思われる小ストーリーが入っている。ぼくのようなおぢさんは妄想をかきたてられ、はらはらしてしまう。まあ、小娘の術中、フィックションなんだろうけどさ。今回のアルバムHolidays in the Sunもすばらしい出来だ。Parade→Please Stay With Me→Kiss Meとつなげて聴くと、おぢさんの妄想は勝手に暴走し、YUIをこんな目にあわせたオトコはいったいどこのどいつだ、許さん、と怒りしんとうになる。
 ま、音楽の話はこのくらいにして、出版の話に移ろう。今、来月(8月)の終わり頃に刊行される新刊のゲラのチェックを終えたところだ。これは、ガロア理論の入門書。遂にガロア理論の本を出すんだよ。とても感慨深い。
 ガロア理論というのは、「5次以上の方程式には解の公式がない」ということの証明を与えた理論だ。「群」と「体」という二つの数学構造を行ったり来たりすることで証明する画期的な定理だった。ご存じの通り、エヴァリスト・ガロアは来年が生誕200年になるフランスの数学者。20歳の朝、オンナをめぐって銃で決闘して命を落とした。前夜に論文の余白に遺書を書き、それが後にガロア理論と呼ばれる論文だったわけだ。あまりに格好良すぎる。
 もともとこの原稿は、拙著『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書に入れる予定で書いたものだ。この本は、「その人が数学を得意としようが苦手としようが、数学はその人個人のパーソナリティと密接な関係を持っている」ということを主張した本で、数学に障害を持った人や落ちこぼれた子どもの話などがふんだんに入っているんだけど、その一例として、どうしてもガロアのことを入れたかった。なぜかというと、ガロアの生み出したあまりに画期的な方法論が、不良で学校を退学になったり、革命運動で逮捕されたり、オンナに騙されて愚かな決闘をしたりするガロアの性格と切っても切れない関係にあると思ったからだ。「理論」というのは、それを生み出した人のものの見方や人生観から生まれてくるものであり、その人のパーソナリティとは不可分だ、という例としてガロアの人生を書きたかったのだ。
 でも、その原稿は残念ながら却下された。それは技術上の問題だった。まず、分量が多すぎて、これを収めると新書にならなくなる。それから、他の章と比較にならないほど数式が多いので、縦組みでは無茶だ、というのもあった。それで泣く泣くカットすることを承諾したのだ。でもぼくは、この原稿を諦めきることができなかった。だから、生まれて初めて、出版社への企画の持ち込みということを試みた。これまでのぼくのすべての本は、出版社の注文に応じて書いてきたものだったのだ。難航を覚悟したけど、幸いにも二社目で、別の企画を進行中だった技術評論社がぼくの気概に応えてくださった。本当に嬉しかった。ぼくはそのご好意に報いるために、とても熾烈な改稿作業を行って、初稿とは似てもにつかない原稿に仕上がった。やっとそれが刊行の運びになるのだ。遂に、憧れのガロアに関する本を出すことができるのだ。
ぼくは数学者にはなれなかったが、「絶対、数学の本を書き続けて行くんだ」「自分には、数学しかないんだ」という気概だけは溢れるほどある。この本は、そういうぼくの魂を込めた本になったと思う。もうアマゾンに出ているので、リンクを張ります。
『天才ガロアの発想力〜対称性と群が明かす方程式の秘密』技術評論社
です。

天才ガロアの発想力 ?対称性と群が明かす方程式の秘密? (tanQブックス)

天才ガロアの発想力 ?対称性と群が明かす方程式の秘密? (tanQブックス)

この本のウリはもちろん、ガロアの定理をぼく流の方法で紹介した、ということにあるけど、(具体的なことは発売された頃に書くね)、もう一つのウリは、最後の第8章に、久賀先生の名著『ガロアの夢』日本評論社の導入編を入れたことだ。
ガロアの夢―群論と微分方程式

ガロアの夢―群論と微分方程式

この本は、1968年に初版が出ている古い本だけど、すんごい名著である。書き方があまりにユニークなのだ。位相空間の被覆空間に関するガロア理論を解説し、そのあと複素関数に展開して、最後は「ある種の微分方程式が四則計算、微分操作、不定積分操作、exp作用素で解けるか」という問題へ解答を与えている。要するに、微分方程式版のガロア理論ということになる。
この本のユニークさは、数式と論理記号を羅列した通常の数学書とは全く違う記述の方法をしている、ということ。概念や証明のアイデアを、図式と言葉だけで展開していく。啓蒙書ならともかく、専門書としてこんなスタイルを貫いた本は他にないのではないか、と思う。前々から、ぼくもいつかはこんなスタイルの本を書いてみたい、という願望を持っていたけど、今回のぼくの本はそれにちょっと近づけたかもしれない、と自負している。
久賀先生の本には思い出が二つほどある。
以前、河合塾という予備校で浪人生を教えていたとき、教授室で休み時間にこの本を読んでいたら、見知らぬ先生に声をかけられた。「君はそんな本を読んでいるなんて、東大の数学科の出身だね」とかなんとか。確かに久賀先生の本は、東大の駒場でのセミナーを本にしたものだから、そう思われても不思議はない。その人は、ぼくよりも一回り年上で、予備校で食いぶちを稼ぎながら数学の論文を書いている人だった。予備校で数学を教えて、無垢な学生の尊敬をいいことに、偉そうにして、いばりちらしている人はいるけど、結局は「数学落ち武者」にすぎない。数学をちゃんと研究し続けている人は希有だ。(もちろん、多くの予備校数学講師は、誠心誠意、受験生のために、こけおどしの知識ではなく、新井紀子さんのいう「生き抜くための」数学を伝授していることは付記しておく) 。でも、その先生は、本当に論文を書いて投稿していた。ぼくは休み時間にその先生とよく話をするようになった。その先生はよほど楽しかったのか、(孤独だったんだろうな) 、自分が若い頃に数学者たちと撮った写真なんかを持ってきて、「これが有名な**先生、こっちが**先生」などと目をほそめながら説明してくださった。彼は今、どうしているだろう。とてもいい人だったのだけど、あまりに数学者風な講義をするために、学生には人気がなく、すぐにクビになって予備校を渡り歩いているみたいだった。でも、彼に勇気をもらっていたんだな、とぼくはあとあと気づいた。彼には、「自分には数学しかないんだ」という気概がみなぎっていたから。
もう一つの思い出は、宇沢先生とよく飲みに行っていた頃のことだ。市民講座の帰りに、宇沢先生がちょっとだけビールを飲もうというので、蕎麦屋で軽くビールをおつきあいした。そのとき、宇沢先生は、「君をみていると数学科のときのことを思い出す」とおっしゃってくださった。そして、久賀道郎という親友がいて、小島くんはよく似ている、と急にいい出すので、あまりに驚いて返事さえできなかった。今にして思えば、きっと、ぼくを励まそうとして言ってくださったのだろう。それはともかく、宇沢先生が久賀先生と親友だったなんて、びっくりだった。宇沢先生は、よく冗談もいうのだけど、これは本当の話だとあとでわかった。別の数学者から聴いた話だけど、アメリカで数学者の仕事をしていた久賀先生が不治の病に倒れたとき、真摯に世話をしたのが他ならぬ宇沢先生だったのだ。
ぼくは、蕎麦屋から家に帰って、ほろ酔い加減で、『ガロアの夢』を久しぶりに本棚から出してひもといた。この本は、大学に入学してすぐに買ったものの、とても読解できるような気がしなくて、本棚に押し込めたままだったのだ。そのときも、少し読んだら、理解できないやら、自分の境遇が情けなくて泣けてくるやらで、すぐにまた本棚に戻してしまった。
この久賀先生の本を読破したのは、ほんの数年前である。そのときは、なぜか読み通すことができた。そして、久賀先生がどうしてこんなユニークな書き方をしたのか、その気概がひしひしと伝わった。きっと、いつのまにやら、ぼく自身が大きく変容していたんだと思う。そして、今回、ぼくが久賀先生の本から学んだことを、ぼくの新刊本で試してみたわけなのである。(いかん、また、感傷的なことを書いてしもうた)。
数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)