水がどうして凍るのかは、まだ物理で解けていない

ぼくの新著『天才ガロアの発想力』技術評論社は、な、なんと発売2日で増刷となった。これは、たぶん、ぼくの本で新記録だと思う。まあ、新書や文庫に比べて初版部数が圧倒的に少ないので新記録というと他社の担当編集者に失礼にあたるだろうからあまり騒がないことにするけど、とにかく、ぼくはがんばってくれた編集者に報いるために、1回の増刷を勝ち取ることを目標にしているから、今回は非常に早期に目標を達成してしまったのでほっとしている。(新著の自薦は、『天才ガロアの発想力』出ました! - hiroyukikojimaの日記にて)。
今回も小飼弾さんが、拙著の書評をしてくださった。404 Blog Not Found:群の叡智 - ガロア理論を知るための三作で読める。実に見事な書評である。ぼくの本の特徴が、シャープにまとめられている。

天才の業績を再現するのに天才である必要は必ずしもない。ニュートン力学だって高校生で習うではないか。さすればガロアの理論だって中学生に理解できるように再構成できるはずである。
本書は、それをやった。

「天才ガロアの発想力」は、ガロアが「あれ」をどう解いたのかを説いた本としては、おそらく現時点で世界一簡潔な一冊。

もう、この2カ所だけで、ぼくの今回の本のウリはぜんぶ尽くされている。つけ加えることはないくらいだ。ぼくは、今回、この本を13歳だったときのぼくに向けて書いた。素数の秘密を知りたくて、ガロア理論の理解が必要になったのに、中学生が読めるそれなりきちんとした本がなくて悲しかった。道はあるようなのに、道の入り口がみつからなかったのだ。それで、40年後の自分がそれを書いた。そのときのぼくのように迷子になってる現在の中学生に向けて。
耳が痛いのは、小飼さんの「物足りなさもあるので」という一言。でもさー、はっきりゆーけど、数学版ギャル曽根の小飼さんが満足する数学書なんて書いたら、一般人はみんなお腹壊すと思うよ。小飼さんが「物足りない」本を書いた、というのは、ぼくとしては「成功」と捉えることとする。
 さて、新著のことはこのぐらいにして、今回は別の本。前に予告しておいた『現代思想2010年9月号』、特集は「代数学の思考法ー数学はいかにして世界を変えるか」が手元に届いたの宣伝させてください。ぼくはリードの論説を1つと、鼎談で参加している。他にも興味深い論説がいっぱい入っているけど、今回は、鼎談について紹介する。鼎談の相手は、物理学者の田崎晴明さんと加藤岳生さん。テーマは、「自然からの出題にいかに答えるかー数学的思考と物理学的思考」。数学者や経済学者との対談は前にあったけど、物理学者とは初めてだったので、とてもエクサイティングだった。

現代思想2010年9月号 特集=現代数学の思考法 数学はいかにして世界を変えるか

現代思想2010年9月号 特集=現代数学の思考法 数学はいかにして世界を変えるか

ぼくは学部時代は数学科に在籍してたのだけど、当時から、物理学者にとっての数学は自分たちが日々接触している数学と本質的に違うのではないか、そんな感触があった。今回の討議で、その辺のところがだいぶハッキリしたのが嬉しかった。おおざっぱに言えば、物理学にとって数学は「半分の決定的必然」であり、しかし、あとの半分は物理学に固有の強固なロジックがある、っちゅうことなのだ。それをお二人は、「普遍的な体系の織りなす網目構造」と呼んでいる。このことは、討論全体で大きな鍵になるし、ここで一言で語るのは難しいので、是非、本で読んで(感激して) 欲しい。
で、今回紹介したい内容は、田崎さんの発言の中に出てきた「水がどうして凍るのかは、まだ物理で解けていない」という思わずのけぞるびっくり証言のことだ。この話は、めちゃめちゃステキだった。今回の討議で記憶に残すことが1つしか許されないなら、迷わずこの話を残す。だって、このことは、数学で言えば、フェルマーの最終定理リーマン予想に匹敵する話だよ。しかも、単なるお水の話だよ。田崎さんの発言をそのまま引用しよう。

例えば、われわれは水が〇度で凍って一〇〇度で沸騰することをよく知っています。日々経験していますから。このような物質の状態の急激な変化を相転移現象と呼ぶのですが、これを数学的に定式化しようとすると物凄く難しいのです。「無限自由度の相互作用の結果として熱力学関数に特異性が生じる」という無限次元解析学の難問です。
仮に、われわれが現実世界での経験から相転移について学ぶことがなくて、数学だけが発展していったとしたら、解析学や確率論の中で相転移の理論が作られることはなかったんじゃないかと私は思っています。自然から教えてもらわない限りこんな凄まじいことが起きるなんて想像もしなかったろうし、数学者のノリで学問を進めていってもこういうものに気づくことはまずないだろうと思うのです。
しかし、われわれは水が凍るのを見ているから、これはやらねばいけないと思うわけです。水が凍るのは「自然からの素晴らしい出題」なんですよ。実は水が凍る問題はあまりに難しくていまだに全く手が着かないんですが、ともかく、物理をやっている人間には相転移現象は物凄く重要な問題だという強い意識があります。

自然からの素晴らしい出題」なんて、カッコ良すぎる。もう、これだけ読んだだけで血湧き肉躍るのではあるまいか。わくわくするのではないだろうか。「水が凍るのは、なぜなの」を、物理学者は真剣に悩んでる。どの家庭の冷蔵庫でも起きていることが、冬になれば道ばたでも起きることが、物理学ではまだ解けてないなんて。これこそが科学でしょう。「キレイな言葉をかければ、氷の結晶がキレイになる」なんて阿呆くさいみっともない「説教」とは気が遠くなるほど次元の違う、本当の科学でしょうよ。こういうホンモノの科学の美味しいところだけをつまみ食いできるのが、きちんとしたジャーナリズムのありがたさなのだと思うのだよ。(解いてるほうはそんな悠長じゃないでしょーからね>田崎さん)。中高生や若者は、こういう「夢」を見ながら、科学と接するべきだと思うのだよね。討議はこれを受けて、「統計力学とはどんな力学か」という論題に突入していく。統計力学については、お2人の説明を聞いて、積年の疑問というか、誤解を解くことができた。「ミクロとマクロのつながりの問題」に悩んでいるいろんな分野の科学者(生物学者しかり、経済学者しかり) はみんなこれを読むと参考になると思う。
今日の紹介は、ここまでにして、最後に、原稿提出直前まで原稿に書かれてて原稿提出の段階で抹消された超くだらないネタを、(2人には無断で)サービスしておこう。この鼎談では、「量子の非個別性」という現象についても議論している。「量子の非個別性」というのは、「同じ内部状態をとる二つの同一の量子力学的粒子は原理的に区別できない」、もっと平たく言うと、「ミクロの粒子に太郎、花子のように名前をつけて区別することができない」という現象なんだけど、これが原稿段階では「加護と辻」現象と書かれていた。こんな下らないことを言い出したのは誰かって?もちろん、田崎さんに決まってるじゃないですか。ぼくや加藤くんは真面目すぎて、アイドルになんてぜんぜんうといですもん。