人目を忍んでエントロピーを理解したい人へ

 はろー、ぼんじゅーるクマ。というわけで、宇多田ヒカルに急性感染症だい。
宇多田さんの音楽には、ずっと距離をとってきた。「落とされない」ようにしていた。デビューしたての頃、AutomaticのPVを見て、これは大変なことになった、と正直思った。こんな若くてぴちぴちの才能が現れたら、とんでもないことになると確信した。だから、「落ちたく」なかった。彼女を支えるのは、彼女の世代であるべきだし、ぼくら中年は突っ張ってはじき返すべきだと意地になった。幸い、土俵際での踏ん張りが効いて、押し出されてしまうことはなかった。しかし、いなされて、土俵の反対側につんのめりながら突進して、倉木麻衣のほうに落っこちてしまったから情けなかった。
 いや、予兆はあった。確かにあった。恋というものが、気づいたときは落ちているものなように、宇多田さんの曲が心に刺さっていた。それは、Flavor of Lifeという曲だ。これは、ドラマ「花より男子」の挿入歌で、これがかかるたびに、心が震えるのは感じていた。ぼくは、この曲を密かに「花沢類のテーマ」と呼んでいた。
 でも、そんじゃ、なんで今頃、急性感染したか。それは、彼女のTwitterを読むようになったからだ。彼女のつぶやきを毎日追っていると、彼女が思っていたようなアーティストとはちょっと違っていることがわかった。ぼくが勘違いな思いこみを持っていたことを悟った。悟った瞬間に、彼女に「落とされて」しまった。正確にいうと、彼女の「つぶやき」に落とされてしまったわけだ。
 すごく驚いたのは、彼女が聞いている音楽だ。アメリカのプログレパンクバンドAt The Drive-Inの話題が出たときには、我が目を疑った。しかも、彼女は、ATDIが分裂して作ったMars Voltaのファンでもあり、そのドラマーに電話をかけてオファーして、アルバムで叩いてもらったという。なんてこったい。どうして、彼女の音楽の隠し味にATDIやMars Voltaを感じとれなかったのだ。ぼくとしたことが、不覚だった。これじゃ、リスナー廃業だ。(ATDIやMars Voltaについては、過去の日記新しい革袋に古い音楽 - hiroyukikojimaの日記にも書きました)。そんなこんなで、最近出た、single collection vol.2を買って聞きまくっている。またまた衝撃を受けたのは、Passionという曲だ。これはもうプログレの匂いを感じる。ハウステクノのような、プログレのような、奇妙なニュアンスの曲。こういう曲が書ける人だったなんて。懺悔。

 しかし、今回書きたいメインのネタは、そのことじゃない。またまた物理ネタなのだ。
中学生の息子が、「パパ、田崎博士は、なんかフォンノイマンの論文を読んで触発されて、エントロピーのことを書きたくなったらしいよ」というので、どれどれと息子の愛読理科雑誌「Rikatan」の10、11、12月号を読んでみた。

RikaTan (理科の探検) 2010年 12月号 [雑誌]

RikaTan (理科の探検) 2010年 12月号 [雑誌]

こ、これが面白いのだ。とても子供向けの雑誌とは思えないクオリティーの解説だ。いや、子供向けの雑誌に大人向けに書いているわけじゃない。こういうトンチンカンな科学者は掃いて捨てるほどいるが、田崎夫妻(田崎晴明&田崎真理子)の記事「リカ先生の10分サイエンス」は、本当に子供が読めるように書いてある。にもかからわらず、大人が人目を忍んで読むのに、ぴったりな書き方をしてくれているのだ。
 一度試しに、身近な物理学者に「エントロピーとは何ですか」、と質問してみるといい。わけのわからない用語を連発して、ひどいと数式をつらねはじめることだろう。そうなると、聞いているほうは単なる苦痛な時間となって、聞いたことを後悔する。これは、たぶん、その学者が物理を商売に使えるくらいは理解しているが、心底わかっているわけではないか、自然言語レベルでまで理解することに興味がないか、そもそも言語能力が劣っているか、そのどれかだと思う。
 でも、田崎夫妻の記事は、そうではないのだ。
まず、最初の10月号では、「シャノンの情報エントロピー」を講義している。エントロピーを解説するのに、情報理論の側から分け入る、という手口は初めてみた。「シャノンの情報エントロピー」とは、「与えられた情報源をどのくらい短く符号化できるかの限界を示す」ものだ。ということが、生まれて初めて、この記事で理解できた。要するに、例えば文章は、文字の記号への置換の仕方を工夫すれば短くできるが、それには下限があって、それはシャノンのHだということなのだ。このことが具体例を使って、非常にみごとに記述されている。
 そして、11月号では、いよいよ「熱力学のエントロピー」が講義される。しかも、その「ざっくり解説感」が半端ではない。こういう解説をできるには、信じられないほど深く概念を理解していることに加えて、信じられないほど自然言語を巧みに操ることができる、ことが必要だ。前者だけなら、たくさんいるだろう。でも、後者も加わると、その人口は、あまりに稀になるだろう。ここでは、熱力学を「できること」と「できないこと」で解説している。

例えば、温度を上げる断熱操作は「できる」が、下げる断熱操作は「できない」、という感じで話を進めていく。そうして、次の発言に結晶する。

りか:なるほど、断熱操作には「できる」ものと「できない」ものがあると。で、エントロピーというのを出してくると、何が「できて」何が「できない」かがスパっとわかるってことになるのかな? だったら、なんか先月の情報のエントロピーの話と似てますね。

ここにきて、ぼくは突如、なぜ「情報エントロピー」がエントロピーなのか、雷に打たれたように理解できてしまった。それは、エントロピー自然言語に落とす、という苦心を田崎夫妻ががんばったおかげだと思うのだ。この11月号で出されている例ほど、熱力学の本性を解き明かしているものを他に知らない。
 で、次の12月号(最新号)だ。ここで、遂に、例の超ゆーめーな「マックスウェルの悪魔」が登場する。ご存知だと思うが、一応解説すると、もしも悪魔のような存在が気体の入った箱の中にいて、仕切りの小さい窓を開け閉めし、速度の速い分子を右に、遅い分子を左にと分ければ、ぬるま湯が熱湯と冷水に分かれてしまう。これはエントロピー増大の法則に反していないか。そういう問題だ。ここで、前二回の「情報の問題」と「熱力学の問題」が突如、結びつく。20世紀後半ぐらいから判明してきた「情報エントロピーと熱学エントロピーの関係」のことが解説されるのだ。それは、次の発言に結晶する。

リカ:ははーん。それで、悪魔くんが情報をいっぱいとれば、その分、気体のエントロピーは下がって、「できない」はずのことが「できる」っていうわけか。
博士:その通り、さらに、デーモンが情報処理をすることまで考慮にいれれば、全体のエントロピーは減らない。つまり、第二種の永久機関はできないことがわかっておるんじゃ

いんやー、ここを読んだときは、むちゃくちゃ興奮した。人類の知性は、確実に進化してるんだなあ、と激しく思った。息子がどれほど理解できているかは謎だが、面白いといっておった。
 エントロピーのことを理解したい、でも、何を読んでもわかった気がしない、と人知れず悩んでおられるかたも多いだろう。そういう人への即効薬として、Rikatanの「リカ先生の10分サイエンス」を人目を忍んで読むことをお勧めする。で、専門家でない人は、もうこれで十分だと思うよ。
 そんなこんなで、親子で興奮していたある日、さらに興奮することが起きた。妻の見ていたジャニーズの嵐の番組に、田崎晴明さんの顔写真が!うちでは全員揃って、叫び声をあげた。「何をやっておるんよ、田崎さん!」。実際、超超下らないネタだった。我々の推測を書こう。田崎さん自身は、嫌がったんだろうけど、きっと、奥さまに「断ったら、離婚よ」といわれたか、娘さんに「断ったら、もう一緒に歩かないからね」といわれたに違いない。物理学者、田崎晴明の、遂に遂にの、バラエティ(写真での)出演。パフュームとか、林檎じゃなくて残念だったね。( 結局、最後のこのネタが書きたかっただけだったりして)。