数学的思考の技術

 たぶん、新著『数学的思考の技術』ベスト新書が、各書店に並んだと思うので、新著の自己推薦をば。

数学的思考の技術 (ベスト新書)

数学的思考の技術 (ベスト新書)

実は、昨日、新宿紀伊国屋に行って、並んでるかな、と見てみたら、すでにあった。しかも、希崎ジェシカさんのベスト新書の隣に並んでいた・・・希崎さんの映像作品は、何かを(どれとは言わない、笑い)鑑賞させていただき、楽しませていただいたことがあるはず。なんて光栄なんだ・・・などと、思わず、希崎さんの本をレジに持って行ってしまいそうな自分を押しとどめ、自著の勇姿をたっぷりと眺めた。至福のときであった。

あとは、小飼弾さんが、レビューを書いてくれるかどうかだな。

などと案じていたら、なんとなんと、今観にいったら、もうアップしてあるではないか!
404 Blog Not Found:数学的=普通 - 書評 - 数学的思考の技術
しかも、「小島寛之の最高傑作」と太鼓判を押してくださっている。実は、自分でもちょっとそう思う。だから、もう、自分からは何もいうことがない。だって、小飼さんのレビューで、この本について、重要なことは十分伝えられているからだ。小飼さんいわく、

blogもソーシャルメディアもある現在、普通に話を聞いてもらおうと思ったらふつうの発想ではふつうに埋もれてしまう。だから良い文章とは、1.自分にしか書けないことを 2.だれが読んでもわかるように書いた文章なのだ。1がなければ誰も見向きもしない。2がなければ誰にとってもわけがわからない。両方そろわないと駄目なのだ。

本書はこの1.と2.の組み合わせが絶妙。

そうなのだ。今回の本で、ぼくがチャレンジしたのは、「数式を出さずに、どこまで数理的な内容を正確に伝えることができるか」、そういうことだ。これを実現するために、素材選びも大事だったし、どんなふうに論述するかも工夫した。そういう意味で、小飼さんの評価はとても嬉しい。
その上で、一番役に立ったのは、経済学の論文のイントロのテクニックである。理論経済学の論文は、精緻に数学的に構築されなければならないが、レフリーにそれを読んでもらうためには、イントロで直観的な(intuitive)説明を上手に書かなければならない。天才的な経済学者、例えば、スティグリッツやマイヤーソンやクレプスなんかは、これがものすごくうまい。そういう「ざっくり説明」テクニックをできる限り拝借して書いたのがこの本なのだ。

さて、以下に序文をさらすので、まずはこれを読んでもらえばいいけど、そこに書いてないことを一つだけ補足しておこう。
本書には、「小野デフレ不況理論とは何か」についての解説が入っている。ぼくが、小野さん本人と議論してぼくがたどりついた新境地の説明である。実は、本書と3月末に出る拙著『景気を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫の2冊で、小野理論を完全にカバーしている。本書では、概念・思想バージョン、後者では数式入り理論バージョンと分けてあるのだ。この二部作が、ぼくにとっての、小野理論解説の完成版ということになると思う。では、以下、序文。

             はじめに
 現在、多くの人は、とても不確実な世界で生きることを余儀なくされている。
自分の年金はいったいどうなるんだ。お金を預けている銀行は破綻しはしないか。この不況はいつまで続くんだ。給料は減る一方だし、若者は職にも就けないではないか。
 こんな時代は、いったい何を頼りに生きたらいいんだろうか。

 本書での、その問いへの答えはこうだ。「数学的思考の技術を身につけなさい」。

 「数学」という文字をみて、思わず引いてしまったあなたも大丈夫だ。「数学的思考」と「数学」とは違うものだから。数学とは、学校で教わるあの忌々しい機械的計算のことにほかならない。大部分の人は、苦い記憶を持っているだろう。でも、数学的思考というのは、数学そのものとは異なり、「数学っぽく、ものを見て、数学っぽく、ものを考える」ということだ。もうちょっというと、ものごとを論理的に考えたり、図形を利用して考えたり、単純化してシミュレーションしてみたりすることだ。決してゴリゴリ計算をすることではない。その証拠に、本書をぱらぱらめくってみよう。そこにはおぞましい式は書かれていないはずだ。
 学校を卒業してしまえば、一部の人を除いて、数学なんかできなくたってかまわない。おぞましい計算は、専門家や機械に任せればいい。大人になるってなんて幸せなんだろう。
 でも、数学的思考の技術は身につけたほうがいい。これを使うことで、世の中のいろんな仕組みやからくりが解像度高く見えてくるからだ。
 例えば、「経営者ばかり高給をとってる」と思えることに対して、憤慨ばかりしていないで、その理屈を考えるのが数学的思考だ。理屈が見えると、捉え方も変わるだろう。あるいは、「不況は政府がだらしないせいだ」という怒りも、数学的思考をしてみると、そんなに単純ではないことがわかってくるだろう。
 こういう数学的思考は、あなたをとりまく世界の不具合をある場合は解決できる。でも時には、解決には至らないこともあるかもしれない。しかし、そうであっても、あなたを冷静にすることはできるし、少なくとも世界のからくりを見抜くことぐらいはできるはずだ。本書では、その一端をいくつかの分野についてお見せしたい。
 まず、第1部では、さまざまな「人生の問題」を数学的思考で解剖してみる。そこには、年金問題も、ボーナスの問題も、株式市場の問題も含まれている。あるいは、人が利害関係のなかで、どういうふうに戦略的に行動するかなんて問題も扱われている。これらを理解すると、「人を上手に動かすには、何に注目したらいいのか」なんてことも、数学的思考の標的なんだとわかってくるだろう。
 そして、第2部では、もっと大きな問題、「どんな社会がよい社会なのか」という問題を扱う。不況はどうして起きるのか、環境問題は解決できるのか。そうしたテーマを通じて、よい社会、暮らしやすい社会を模索していく。その際にだいじなのは、数学の有効性とその限界を明らかにすることだ。ちょっときどった言い方だが、数学の限界を理解するのも、数学的思考の技術の一つなのだ。
 最後の第3部では、なんと、村上春樹の小説に数学的思考の技術を使って挑むことになる。村上春樹のものの考え方、小説の創作法には、明らかに数学的思考が流れている。そのことを数学的思考によって明らかにしながら、「社会における物語の役割」というものを読者に伝えよう。小説を論じるのは突飛に思えるかもしれないが、これを理解することで、再び、第1部の「人生の問題」にも、第2部の「よい社会とは」という問題にも、新たな視点を切り開けるはずなのだ。
 本書はこんなふうに、経済学や都市論や哲学や文学などを、数学的思考の技術で串刺しにして、読者の皆さんに世界の新しい見方を伝授する本なのである。数学へのわだかまりを捨て、どうか、リラックスにして、好奇心をもって読んでほしい。