ミシン機のトポロジー

今日も午前中に関東が震源地震があってびびった。例の地震以来、実は、ジムに行っていない。プールを歩きながら、論文や著作の構想を練るのを習慣としていたのだが、大きな地震が襲来したときに、さすがに水着いっちょで逃げるのが嫌だから、ジムを我慢してるのだ。それで、最近は、家でエアロバイクをこいで代替にしている。こいでいる間は、退屈つぶしに、YUIのライブDVDを観るか、YUIのアルバムをかけながら数学書を読むかどちらかを行っている。そんな中、最近読んでいる数学書は「ホモロジー理論」に関するものだ。昨年『天才ガロアの発想力』技術評論社を書いたとき、(詳しくは、『天才ガロアの発想力』出ました! - hiroyukikojimaの日記)、「位相空間ガロア理論」というのを再勉強し、それがめちゃめちゃ面白かったので、(ガロアの夢、ぼくの夢 - hiroyukikojimaの日記参照)、勢い余って、「複体のホモロジー理論」というのを勉強したくなって、学部時代から持っていた田村一郎『トポロジー』岩波全書を30年ぶりに読み始めたのである。
そーしたら、この本がめちゃめちゃよく書けた本なのだ。30年もたった今になって、感嘆の声をあげている。定理群の構成が実にみごとで、緻密に配列順序が考え抜かれていて、読み進んでいくと、なぜ前にその補題が準備されているのかが明らかになり、なるほどなー、と思わされる。証明も、いたずらに記号化されているわけでもなく、かといって、飛躍があるわけでもなく、また読者に計算を強いる手抜きをしているわけでもない。名人芸の数学書とはこういう本をいうのだろう。
実は、たぶん、ぼくは学部時代この田村一郎先生にこの本の内容を直に教わったような気がする。あまり出席しなかったので、記憶があいまいなのだが、当時の数学科の名簿を見てみたら、田村先生は在籍されていたので、たぶん教わったのだと思う。あいまいな記憶の中だが、期末テストのことはよく覚えている。なんといってもテスト時間が長く、2時間とか3時間とかあったんじゃなかったかな。ぼくは、結局、ほとんど勉強をせずにテストにのぞみ、ひどいことになった。解き方はおろか、問題の意味さえわからない。しかし、答案を出して早々に退出する勇気が出なかった。当時の数学科では、途中退出するのは、優秀な学生と決まっていた。天才くんたちは、持ち時間の半分も使わずに問題をすべて解き切り、悠然と退出していくのである。だから、ぼくには退出する勇気が出せなかったのだ。なにもわからないテストを前にした時間の経過のゆっくりなことゆっくりなこと。無限の長さにさえ感じられた。他の本を読んだりも当然できないので、地獄のような退屈さだった。そんなぼくが、30年も経過した今になって、講義とほぼ同じ内容の本を読み、わくわくしているのだからつくづく人生とはわからんものだ。
「複体のホモロジー理論」というのは、多面体を組み合わせてできる複体という図形(および、それを連続変形してできる球体や球面などの多様体)の「形状」を、ホモロジー群と呼ばれる「群」を利用して解析しようという分野である。定義は、本質的に、正負の整数と文字式の同類項計算だけでなされるので、定義だけなら中学1年生レベルだといえるが、図形の形状を把握する上で実に巧妙なアイデアなのだ。とりわけ、商群(群を正規部分群で類別してできる群)と有限生成アーベル群(交換可能な群)の威力がいかんなく発揮され、群というツールのすぐれぶりが納得できる。創案者のポアンカレは、本当に、生粋の天才だと思う。
しかし、田村先生の本を読み進めるうちに、そこはかとない「わからないぞ」感がわきおこってきた。それはなんというか、「手触りの鈍さ」「実感の薄さ」というか、そんな感じのものだ。証明を追うことはできるし、そこで何が行われているのかもわかるのだけど、「いったいそれが具体的に何をしているか」がわからないっていう感覚なのだ。「輪体っていったいなんだろ」「境界輪体で割るのは何をしてることなんだろ」「ホモロジー群にZ/(2)の計算、つまり、1+1=0が出てくるのだが、具体的には何を意味しているのだろう」などの「?」がいろいろ湧いてきてしまった。学生時代のぼくだったら、きっと、こうなったら「ゲームオーバー」だったと思う。一歩も進めなくなり、自分をごまかし、いいわけして、投げてしまったことだろう。でも、30年たったぼくは違う。こういうときの対処法は心得ている。同じ理論を別の角度から、別の構成で書いている本をひもとけば突破できる可能性がある。立脚点や視点が変わると、理論の見えていなかった部分が見えてくる。理論構築のある道筋で見えない風景(あるいはずっとあとで見える風景)は、別の道筋ではもっと早々に見える、ということがあるものなのだ。
それでぼくは、ホモロジー理論の本を数冊注文した。届いた本は、最初から精読するのではなく、疑問に思っている部分に焦点をしぼって、そこを重点的に読む。それは、その著者の工夫や個性の部分を読み解くのである。
それでまず感心したのが、瀬山士郎トポロジー:柔らかい幾何学日本評論社だ。

トポロジー:柔らかい幾何学

トポロジー:柔らかい幾何学

この本は実にがんばって書かれた本である。著者がホモロジー理論を理解するために行ったのであろうさまざまな思索の結果が詰め込まれている創意工夫に満ちた本である。失礼にあたること承知であえていうと、著者はホモロジー理論を最初はすんなりわからなかったのではないか。だから、ホモロジー群を具体例をもって理解する努力をいろいろな方法で行った。だからこそ、こういう「かゆいところに手が届く」解説ができるのだと思う。最初から数学理論を丸呑みして消化不良を起こさないある種の達人(数学胃腸の強い人)にはこういう本は絶対書けない。人がつまずくところが皆目わからないからだ。この本を読んで、ぼくは多くの「?」を解決することができた。「輪体とは、へりのない図形のこと」「境界輪体で割るのは、境界輪体が図形の形状を知るうえで詰まらないモノだから、それを無視するため」などなど。とりわけ、「射影平面メビウスの帯のへりに球面を張り付けたもの」であることの図示による説明(十字帽)は圧巻であり、目から鱗だった。これをイメージできてしまうと、射影平面ホモロジー群に「1+1=0」という計算(Z/(2))が現れる理由は直感的に理解できる。メビウスの帯は2回まわると元に戻るからに他ならない。あまりにすばらしすぎる。そもそも、瀬山センセの本は、前半に古典的なトポロジー理論としてベッチ数をきちんと説明しているので、ベッチ数を通じてホモロジー群の意味を理解することができるし、だからこそホモロジー群の巧妙さが際立つ。実際、ポアンカレはベッチの研究を踏襲してホモロジー群を考えたわけだしね。瀬山センセの本は、複体のホモロジー理論を理解したい人は必読だろう。
次に読んでぶっとんだのは、杉原厚吉トポロジー』朝倉書店。瀬山センセの本を「懇切丁寧なわかりやすい本」と評するなら杉原センセのは「ウィットに富んだ面白すぎる本」と評するべきモノである。
トポロジー (応用数学基礎講座)

トポロジー (応用数学基礎講座)

この本は、位相空間、基本群、ホモロジー群を紹介し、結び目理論への応用や、ベッチ数を計算する最新のアルゴリズムなどが解説されている。定理の精密な証明は略されていたりするが、あらゆる素材が直感的に把握できるような巧妙な書き方がなされていてすばらしい。ぼくが、そう思うのは、ひょっとすると、すでに田村先生の本でホモロジー群を理解できているからかもしれないので、人によっては田村本か瀬山本で多少勉強してから、杉原センセの本にアタックしたほうがいいのかもしれない。
この本で最も面白かったのは、第3章の「結び目理論とマジック」。この章では、トポロジーを使って結び目を解明する「結び目理論」を概説し、その応用を5つあげている。その2番目の「ニコニコパズル」というのは、実在のパズルで顔型の板の口を通して絡む紐の左右に玉が通されていて、玉は口の開きより大きいため、口を通らないように見えるのに、実際には右から左に移動させることが可能で、二個の玉を左側に集めることが可能、というもの(図がないとわからないと思う。笑い)。3番目が傑作で、ワンピースを着た女性が、輪になった長いロープを腕に通し、その手をワンピースのポケットに入れて、ポケットの布地をしっかり握って離さない。この状態のまま、ロープをこの女性の腕からはずしたい。どうしたらできるか、というもの。その杉原センセの説明は以下のようである。

そんなことできるはずはないと思われるかもしれない。しかし、できるのである。できるはずだということは、トポロジーの立場から次のように考えれば納得できるであろう。まず、人は連結な図形である。ワンピースも、もう一つの連結な図形である。一方、人の体とワンピースの間にはすき間がある。ワンピースと体がぴったりフィットしていても、すき間を作ろうと思えば作れる。この意味で、体とワンピースは離れている。両者がつながっているのは、ポケットの布地をにぎった手の部分だけである。したがって、図3.10の体とワンピースの関係は、図3.11に示したように、ワンピースを脱いで手にもった状態と位相同型なのである。

いやあ、ここで図3.11に視線を移す瞬間はハラハラドキドキものだったぜよ。そして、笑ったぜよ。いやあ、とても良いっす。数学書にこんなイラストが出てきたことがかつてあったろうか。(過剰な期待をしないようにね。笑い)。でも、一番な〜るほど、と思ったのは、5番目の例の「ミシンはなぜ縫えるか」。ぼくは常々、ミシン機の原理ってどうなってるんだろう、と思いつつ早うん十年である。つれあいに聞いてみたら、あたしも十分には納得していない、といった。杉原センセも、「トポロジー的に不可能」と思ったらしい。だから、きちんと調べてみたのである。そして、その巧妙な仕組みに驚いた、とのことだ。杉原センセに説明されて、ぼくもこの仕組みには舌を巻いた。手品、と評してもいいほどである。ミシンの仕組みを知らない人、また、なんでそんなことが疑問になるのかが疑問な人も、ぜひ、、杉原厚吉トポロジー』朝倉書店をお読みになっていただきたい。純粋数学でなく応用数学の専門家によるトポロジーの実践的な理解の仕方は、きっと別のインパクトを与えることと思う。なお、杉原先生の著作では、以前に、

を読んだことがある。論文の共著者に、論文英語の勉強にと勧められたから読んだのだ。これもあまりにすばらしい本だった。英作文について、ほんとに「理科系」的に解説してある。だから、いわゆる英語勉強本とは一線を画している。非常に「効率的に」「理路整然と」、理系研究の主張を英語で表現するにはどうすべきかがまとめられている。この本を読むだけで著者がどんなに頭のいい人かわかる。こっちも大お勧めである。とはいっても、ぼくはこの本を読んだからといって、目覚ましく英文を書けるようにはぜんぜんなっていないので、(論文の共著者さん、すみませ〜ん)、効果のほどは人とレベル次第、ということも付記しておこう。
ああ、今回もまた長かった。