カーズ2のこと、代数学のお勉強のこと

 息子を連れて「カーズ2」を観てきた。パフュームがキャンペンガールをしてるから、というのはではあくまでなく、ピクサー作品のファンだから行ったのだ。息子にはできるだけ、こういう良質な映画を見せたいと思っている。実際、宮崎アニメも好きだけど、ぼくはピクサーアニメのほうがもっと好きである。宮崎アニメが、宮崎監督一人の思想や主張で成り立っているのに対して、ピクサー作品にはアメリカ人の優れた人たちのハートが総力的に結晶していて、主張的にとてもバランスが良いと感じるからなのだ。
 今回の「カーズ2」も、子供向けとばかにできないほどのクオリティのシナリオになっている。なんてったって、前回主役だったレースカーのマックィーンではなく、親友のポンコツレッカー車のメーターが主役で、友情がテーマになっているところなんかすでに泣けてしまう。アメリカ映画をみるといつも思うのだけど、アメリカのシナリオライターが持っている技術者(工員とか修理工とか)に対する敬意はすばらしいものだと思う。この映画でも、非常に重要なところに、このことが込められている。「カーズ2」は、ざっくりといえば、スパイものなんだけど、メーターのある種の「おつむの緩さ」がむしろ事件解決に有効に働く、というそりゃもうすばらしいシナリオなのだ。しかも、ちゃんと「エネルギー問題」が隠れたテーマとして込められており、この映画の中の「石油」を「原子力」に読みかえれば、現在の日本人には身に沁みすぎる問題提起と感じられるだろう。この映画を通じて、パフュームの「ポリリズム」が世界中の子供に浸透すればうれしいな、とも思う。
 さて、トークショーが来週末に迫ってきたので、しつこく広報活動に入ることにしよう。下記のように、内田麻理香さんとのコラボのトークショーをやります。ふるってご参加くださいませ。

『理系なお姉さんは苦手ですか?』発売記念
内田麻理香先生×小島寛之先生トーク&サイン会
日時:8月20日(土)(19:30〜〈19:00開場〉)
場所:ジュンク堂書店 池袋本店4階カフェ
定員:40名
入場料:1000円(ワンドリンク付き)
お申し込みはジュンク堂書店池袋本店1Fサービスカウンターまで(電話:03-5956-6111)。

ちなみに、内田さんの(お顔写真付き)ブログ(2011-08-07)でも宣伝されておりますよ。
さて、震災以来、家でエアロバイクをこぎながら、数学書を読んでいることは何度も書いた。そんなかで、最近読んだ数学書を紹介しよう。酒井文雄『環と体の理論』共立出版だ。この本は、代数学の初級と中級の間くらいに位置する本で、大学1年程度の線形代数を知らないと歯が立たないと思うけど、知っているなら、なんとか読みこなせるだろう。

環と体の理論 (共立講座 21世紀の数学)

環と体の理論 (共立講座 21世紀の数学)

ぼくが、この本を読んだのは、代数学が大好きだから、というわけでは全くない。このブログにも何度か書いたけれど、ぼくは数学科の学生の頃は数論を勉強したかったので、体論や環論などの代数学はどうしても身に着けなければならない必須アイテムだった。でも、この年(50歳を超えた年)になった今、ほんとに不思議なことに、数論に対する興味は全くといっていいほど消え去っている。あの情熱や、あのわくわく感はどこに行ってしまったんだろうと思う。それに対して、今すごく興味がある数学は、このところ当ブログにずっと書いている数学基礎論(数理論理学、公理論、モデル理論)だ。いわゆるゲーデル系のメタ数学。なぜなら、ぼくが現在、経済学者であり、しかも意思決定理論やゲーム理論を専門にしているので、「人の行動の背後にある推論はどういうものか」に強い関心がある。こういう題材に対して、最も有効な数学はいうまでもなくゲーデル系のメタ数学なのだ。実際、9月に刊行される予定の松原望先生との共著『戦略とゲームの理論』では、ぼくは「推論」という視点からのゲーム理論の紹介に挑んでいるのだ。まあ、この本については、おいおいキャンペーンをはっていくことにしよう。
それにしても、ここ数日の株価の総崩れは、すさまじいものがある。ぼくの感想としては、ここ数か月のアメリカの株価は、実体経済の足踏みに比してバブルとしか思えなかったのだが、その化けの皮がはがれた、というところではないだろうか。このような、実体経済とかい離した資産価格の高騰は、「互いが互いの推論をどう推論しているか」に依存して生じるきわめて戦略的な様相を持っていると思う。すなわち、、「人の行動の背後にある推論はどういうものか」が重要なカギになるのだと思う。それを説明するには、「推論の理論」としてのゲーム理論が適役だ。たとえば、グローバルゲームや、むかでゲームなどの「推論における合理性の役割」が解明の第一歩のような気がする。これについては、拙著『景気を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫でも、わかりやすく解説したつもりだ。
景気を読みとく数学入門 (角川ソフィア文庫)

景気を読みとく数学入門 (角川ソフィア文庫)

こんなふうに数学基礎論に惚れているにもかかわらず、なぜ、代数学のお勉強をしているか、というと、一番大きな理由は、とある専門書出版社からシリーズ本として数冊の数学の教科書を出す企画を抱えているからだ。これは、ぼくのフィーリングによる大学数学の専門書になると思う。これを書く下準備として、なるべく広く、数学の勉強をしておきたいわけなのだ。
さて、前置きが長くなったが、酒井文雄『環と体の理論』共立出版だ。これは、実によく書けた本だった。とりわけ、第3章「加群とベクトル空間」が、めちゃめちゃ面白かった。加群というのは、環を係数とするベクトル空間だ。環というのは、加減乗の法則(加法の交換、結合法則、乗法の結合法則、加法・乗法の分配法則など)を備えた空間で、整数の集合や実数の集合や複素数の集合や多項式の集合などが代表的なものである。大学で習う線形代数は、実数や複素数を係数とするベクトルの空間の理論なんだけど、この係数を一般の環に拡張したら、どこまで同じでどこから異なるか、それをつきとめるのが加群の理論というものなのだ。
この第3章は、環をネーター環というところまで許して、理論を展開するんだけど、その抽象化の度合いが「(数学者でない)普通の学徒にもなんとか読める程度」に収まっているところがすばらしい。ネーター環というのは、乗法の交換法則を備える環(可換環)であり、かつ、イデアルがすべて有限個の生成元を持つようなもので、体(除法に閉じている環)も整数の作る環も多項式たちの作る環もみんなネーター環に属するから、ネーター環で成り立つ性質は非常に広い応用性を持っている。ネーター環の性質を勉強することで、イデアル(和に閉じていて、倍数に閉じている部分環)という素材がいかに代数的に重要なものかがわかる。そして、ネーター環というかなり広い(抽象度の高い)領域でベクトルの理論を見ることは、普通のベクトル空間の性質(対角化とかジョルダン細胞とか)がなぜ成り立つのか、について、非常に根源的な答えを見せてくれるし、また、テンソル積みたいなわけのわからない素材も、けっこう自然なものとして理解させてくれるのである。この本で、ぼくが最も好きだった部分は、「完全系列」という道具の使い方である。完全系列というのは、・・・→A→B→C→・・・のように、集合の列(A、B、Cなど)とそれをつなぐ写像(→たち)によって成り立っていて、一個前の写像の像(Im)と一個あとの写像の逆像(Ker)が一致しているようなもののこと。現代代数学のかなめの道具といっていいけど、これがなぜそんなにパワフルなのかを理解するには、(ぼくのような)普通の学徒は相当に苦労する(だろうなと思っている)のだ。でも、この本では、非常に適度にこの完全系列を用いるので、辟易とすることなく、ため息つくことなく、この道具のパワフルさを理解することができる。この本で勉強すると、「集合と写像の図式」こそが、数学の根源的な装置のような気になってくるから不思議だ。これをホモロジー代数とかで勉強しようとすると、のっけから「ど抽象」で全く読み進められない。だから、この本のバランス感覚はみごとだと思う。憶測だが、これは講義から生まれた書き方ではないだろうか。「なんとか(天才ではない)ふつうの学生にわかる講義を」と工夫した講義をしてこなければ、こういう書き方はできないだろう。すばらしいことに、ほとんどの定理の証明は数行で終わるように書かれていて、理解のために苦痛が少ない。わずかにある長い証明でも2ページ程度だ。だから、大きな負荷がかからず、苦悶もせずに、読み進むことができる。
 数学を専攻しているが、大学教養課程程度の数学と専門の数学のはざまで苦悶している学生、あるいは、社会人で数学ファンで、代数学(数論や代数幾何)に興味があるけど、専門書ではあまりに抽象的すぎて全く読み進められない人におすすめしたい。あるいは、線形代数を講義している(数学者以外の)先生で、もっと高台から線形代数を眺望してみたい人なんかにも良いと思う。