ゲーデル本食い歩き - hiroyukikojimaの日記の付記や、完全性定理って、素人には、そんなにむずかしいわね、確かに。 - hiroyukikojimaの日記でリンクを貼った(2011-12-14 - /dev/wd0a)の主が、(あの有名な)鴨浩靖さんだと今頃、気づいた。確かに書評のリンク先が、鴨さんのページだったので、若干頭をよぎったのだけど、まさか国立大学の偉い専門家さんが、自分の専門分野の内容について、非専門家に向かって、「こんなこともわからんのか」などというはずがない、という思い込みがあって、「単なる他人のページへのリンク」だと思っていた。その思い込みのせいで、なぜかプロフィールを読まなかった。これはぼくの単純な過失だ。すんません。上から目線なのは当たり前だね、だって「上」の人なんだから。笑い。「専門家っぽい人」だとか「専門家ぶりたい人」だとか、大変失礼な言葉を書いてしまって申し訳ない。
「完全性定理って、その主張を理解することすら困難な難しい定理ですか? 数学啓蒙書で実績のある二人が、そろってまったく同じ間違いを犯すほど,難しい定理なんですか?」などという(ネット厨のような、笑い)言い方ではなく、もっと大学の先生としての落ち着いた表現であれば、ぼくもカッとはこなかったと思うんだけど、よくよく考えてみると、「数学啓蒙書で実績のある二人」というところに重きがあるのかもしれない、と急に思った。つまり、純粋な「驚きの声」なんじゃないか、と。ぼくは、吉永さんのほうは「実績のある啓蒙書書き」だと思ってるけど、自分についての自己イメージはそうではなかった。だから、純粋にアホ呼ばわりされたのだと思って悲しくなったのである。(だって、あのエントリーは自分の主張ではなく、5冊の本の紹介だからね)。もし、この仮説が正しいなら、ぼくはコケにされたのでなく、一定のステイタスがあったということなのかもしれない。(いや、勘違いで、単にばかにされただけなのかもしれんが)。
で、だったら、胸を借りればよかった、と今頃になって思った。(後の祭りだ)。というのも、田崎晴明さんが公開で書いている数学の教科書Math bookが、鴨さんなどたくさんの人の手を借りて、どんどん良いものに進化してってるからだ。実際、今日読んでみたら、論理のところとか、すごく為になるような解説になってた。これからの啓蒙書の書き方の、一つの方向性をこれが示しているんじゃないか、と考え始めてる。ゲーデル理論の啓蒙書で鴨さんが褒めている結城さんの本(『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』)も、こういう風に専門家の力を借りて書いたと聞いている。(すんません、まだ読んでないです。基本的に同業者の本は影響されるとやなのでなるべく読まないようにしてるので・・・笑い)。鴨さんが、書評(数理論理学)で、吉永さんの本を批判しながらも、「執筆時に、専門家の助力がまったく得られなかったのだろう。今からでも協力してくれる専門家をみつけて、全面的に改稿することを、版元と著者にお勧めしたい。」と書いていて、これも冷静に読めば、さっき書いた「啓蒙書のこれからの方向性」を示唆するもののように思う。とりわけ、ネットという強力なツールが完成した今、啓蒙書にも書き方の革命がもたらされていいはずだ。
実際、ぼくが最近、数学基礎論とかゲーデルの定理のことをこのブログに書いているのは、来年に執筆する予定の新書が、テーマは経済学(というかゲーム理論)だけど、それに数学基礎論的な(ゲーデル的な)ことがかかわるので、頭を整理する意味がある。頭の中ではうまくいってても、実際に書いてみると細かいことでうまくいかない、ということはままあることで、だから一回ブログに書いてみることは良いウォーミングアップになるからだ。
その一環として、ゲーデル本食い歩き - hiroyukikojimaの日記 を書いたわけだけど、書いているうちに最初は考えてもいなかった「命題論理の完全性定理によれば、命題論理では不完全な体系は作れないよね」ということを急に思いついて書いてしまった。鴨さんの指摘(公理はなんですか?)によって、「すべての素論理式について、そいつかその否定かが公理にあれば、どの命題も、そいつかその否定は証明できる」とちゃんと書くべくだったことに気づいた。これは、やはり、ネットの効能だと思う。これを「命題論理の完全性定理」と呼んではいけないかもしれないし、「解釈」がおかしいのかもしれないし、不完全性定理と対比することに無理があるのかもしらん。鴨さんが2011-12-17 - /dev/wd0aで書いている「PAと命題論理でパラレルに展開できるものであって、PAと命題論理の違いをことさらに際立たせるものではない」ということが、ぼくの「命題論理の体系に素論理式またはその否定が公理にあったら、どうやったって不完全にはならないよね」ということとどう関与するのか、(素人の)ぼくにはよく理解できなかった。単なる「解釈の問題」という印象を持った。(12月19日に追加:よく読んでみると、なんとなくおっしゃってることの意味がわかってきた。命題論理の体系に素論理式またはその否定を公理として加える、ということは、PAにだって対応する操作を行うことが可能で、そうすれば完全な理論になるのは同じ。だから、ぼくの主張した「不完全性定理は述語論理だから可能」ということは全く的を射てない、ということかしら。だとすれば、なるほどだ。さすが専門家。勉強になった!やはり、専門書に書いていることを逸脱して、余計なことをいうべきじゃないかもなあ。鴨さん、ありがとうございました。すべてのお返事は、この中にあったのですね。)
まあ、それはそれとして、今回のやりとりで、急に新しい啓蒙書書きのスタイルを閃いたので、それは怪我の功名だと思う。実際、ぼくの本でも、専門家の助けを借りた本(『ゼロから学ぶ線形代数』講談社とか『完全独習 統計学入門』ダイヤモンド社とか)はアマゾンのレビューとかネット上のレビューとかでとても評判がよい。他方、名前はあげないけど(笑い)、ぼく一人で書いたある本は、いろいろと難癖をつけられている。これまでは、専門家の力を借りるには、友人のつてしかなかったけど、ネットを利用すると、その問題は解消されるようにも思える。ただ、版元との関係が難しいかもしれない。企業秘密というのはあると思うので。剽窃にも気を付けなればならないだろう。そこをなんとか突破すれば、新しい啓蒙書の時代が到来するのかもしれない。
そんなわけで、完全性定理って、素人には、そんなにむずかしいわね、確かに。 - hiroyukikojimaの日記の付記は消す。(時間の無駄、というようなことを書いてしまったので)。でも、ゲーデル本食い歩き - hiroyukikojimaの日記の付記のほうは、失礼な表現を若干訂正するけど、基本的には全文を残す。なぜなら、そこに書いた数学ライターとしての想いは変わらないし、鴨さんが、血眼になって、啓蒙書の間違いを探して「間違い本狩り」をしようとしているスタンスには全く共感できないので。(ご自分で、めっちゃいい一般向け啓蒙書を書いて出版するほうがずっと建設的だと思う)。

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