クオンツという人たち

 (前半は、自著の宣伝なので、そっちには関心が薄く、クオンツに興味がある人は、後半に飛んでくらはい)。
 これから2ヶ月の間に3冊の新著が刊行される。
最初は、今週末に刊行される『大悪魔との算数決戦』(すうがくと友だちになる物語1)技術評論社

大悪魔との算数決戦 (すうがくと友だちになる物語1)

大悪魔との算数決戦 (すうがくと友だちになる物語1)

これは、流れは変わった、今こそ目指せ、サイエンスライター - hiroyukikojimaの日記でも、入試国語に出題される、ということ。 - hiroyukikojimaの日記でも宣伝したけど、小学生向けの数学冒険ファンタジーだ。とはいっても、もちろん、大人が読んでも面白いように書いてある。昨日、見本刷りが手元に届いた。イラストも装丁も、すごくいい感じに仕上がってる。是非、書店で見てみて欲しい。
次の本は、来月の初めに刊行される、その名も『数学入門』ちくま新書
数学入門 (ちくま新書)

数学入門 (ちくま新書)

これについては、もう少し刊行が近づいたら、宣伝しようと思う。
そして、3冊目は、7月末刊行予定で、タイトルはまだ未定だけど、最初の本の続編の(数学と友だちになる物語2)技術評論社。これについても、刊行間際に、きちんと宣伝したいと思う。
 ついでに言うと、今週に発売になる受験雑誌『大学への数学』7月号(東京出版)に、久しぶりに記事を寄稿した。それは、数年に一度の割合で単発的に寄稿しているシリーズ「数学パロディシアター」の最新作である。これは、有名な小説とか映画とかマンガとかのパロディに、数学の解説を埋め込む、という画期的な作品なのだ。前回は、マンガ『デスノート』のパロディに国家公務員試験の問題を埋め込み、前々回は小説『ロード・オブ・ザ・リング』に環論(リング・セオリー)を埋め込んだ。今回は、マンガ『カイジ』のパロディに、ファイナンス数学を埋め込んだ作品「賭博数学録 カイゾウ」となっている。(書店で見てみてくらはい)。
このパロディ小説を書くにあたって、資料として、エドワード・ソープ『ディーラーをやっつけろ』パンローリング社を読んだ。
ディーラーをやっつけろ! (ウィザードブックシリーズ (109))

ディーラーをやっつけろ! (ウィザードブックシリーズ (109))

著者のソープは、カリフォルニア大学の数学者。この本は、ソープが1962年に発表したブラックジャックの必勝法を書いた本だ。ブラックジャックとは、ご存じのように、カジノで行われる賭けの一つ。手札の点数でディーラーと勝負をする。21を超えずに、大きい点数のほうが勝ちとなる。絵札(J、Q、K)は10点で、エースは1点としても11点としてもいい。プレーヤーは21を超える(バーストする)までは、何枚でもカードをもらう(ドローする)ことができるし、21点以下ならいつでも勝負する(スタンドする)こともできる。他方、ディーラーは16点以下なら必ずカードをドローしなければならず、17点以上になったから必ずスタンドしなければならない。プレーヤーが勝てば、賭け金と同額を得られ、ディーラーが勝てば賭け金は没収される。
ブラックジャックに必勝法があるのは、ディーラーがカードを使い切るまでは、使ったカードを元に戻さないしきたりになっているからだ。ディックに残るカードはどんどん少なくなるので、出たカードを記憶しておきさえすれば、ディックに残っているカードがわかり、次に出るカードを確率的に予想できる。だから、プレーヤーは、出たカードの組み合わせ(それによって、残るカードの組み合わせがわかる)に応じて、自分がディーラーに対して、どの程度勝率が高いか、あるいは低いかを、算出できるのである。
これがどういうことかを理解するために、ソープ自身が挙げたみごとな例を説明しよう。ディックの残りが六枚で、二枚の7と四枚の8だとわかった、としよう。その場合は、プレーヤーは有り金全部を賭けるべきなのだ。まず、プレーヤーは、とにかく、配られた二枚でスタンドする。7と7、7と8、8と8のいずれかだから、得点は14点、15点、16点のいずれかだ。一方、ディーラーは、どの二枚でも16以下だから、必ずもう一枚ドローしなければならない。そして、もう一枚を引くと必ず21を超えて、バーストしてしまう。だから、プレーヤーの必勝なのである。これは、確実性の担保された希有な例だが、残るカードの組み合わせ次第では、プレーヤーが1%有利になることも、5%有利になることも、すごいときには9%も有利になることもある。このような場合を記憶しておいて、有利さが大きいときは大きく賭け、小さいとき、あるいは不利なときに小さく賭ければいい、ということなのだ。『ディーラーをやっつけろ』には、10点の残り枚数をカウントする「テン・カウント法」など、いろいろな必勝法が確率値とともに書かれている。数学者らしい、非常にすっきりとした明晰な記述で、読むのがとても楽しかった。(念のために注意しておくと、このようなカード・カウンティングを実際にカジノで実行して、それがばれると、怖い人が出てきて大変なことになるらしいぞ)。
 ところで、この本を読むことになったのは、その前に、スコット・パタースン『ザ・クオンツ〜世界経済を破壊した天才たち』角川書店を読んだからだった。
ザ・クオンツ  世界経済を破壊した天才たち

ザ・クオンツ 世界経済を破壊した天才たち

クオンツというのは、高度な数学的手法を利用して、金融市場における投資戦略を考え出したり、金融商品を開発したりする専門家のことらしい。数学や物理をバックボーンに持って、金融界に参入した人々をイメージすればいいだろう。この本は、そのようなクオンツが、どのように巨万の富を得て、また、どのようにリーマンショックに巻き込まれていったかを描く、波瀾万丈のノンフィクションである。読み出したらやめられなくなり、一気に読破してしまった。こんなに面白いビジネス本(マネー本)は、久々だった。
スコット・パタースン『ザ・クオンツ〜世界経済を破壊した天才たち』角川書店は、前掲のソープの人生を描くことから始まる。ソープは、ブラックジャックだけではなく、ルーレットの必勝法まで開発している。それも、情報エントロピーを生み出した天才シャノンとともに研究してのことだ、というのが興奮のエピソードだ。その後、ソープは、ワラントという金融商品の値付けについて、ブラウン運動の理論を利用した研究をし、理論価格と比べて明らかに割安と思われるワラントを購入し、割高だと思われるワラント空売り(ショート)する戦略によってがっぽり儲けたのであった。つまり、ソープが、クオンツの草分けになったということなのだ。その後、ソープは、ヘッジファンドを設立して、成功を収めている。
この本では、このエピソードを皮切りに、何人かのクオンツの人生を描写している。彼らの多くが、ソープの『ディーラーをやっつけろ』で開眼し、この本をバイブルのようにしているのが印象的だった。
そして、『ザ・クオンツ〜世界経済を破壊した天才たち』は、このあと、クオンツたちが、どのようにデリバティブという新しい金融商品を開発し、とりわけ、サブプライムのようなモーゲージを生み出していったか、を追うこととなる。最後は、リーマンショックの渦中での、悲喜こもごもの顛末にたどりつく。
 『ザ・クオンツ〜世界経済を破壊した天才たち』が面白かったのは、ぼくが数学科に在籍した頃(1980年前後)には、こういうタイプの人間を見たことがなかったからだ。数学科の人たちは、いい意味でも悪い意味でも、「浮き世離れした」人たちばかりだった。少なくともぼくにはそう見えた。儲けることはおろか、生活臭さえなかった。社会・経済などにはまるで無頓着な人ばかりだったのだ。
でも、その後、日本でもクオンツっぽい職業につく人々がそれなりに出現したようだ。理学部の物理や数学、工学部などから金融界に就職する学生がたくさん出たらしい。今野浩金融工学の挑戦』中公新書によれば、1989年には、東工大の卒業生の30%が、東大工学部機械系の50%が、金融界に参入したそうである。そういえば、たしかに、ぼくが働いていた塾でバイトをしていた物理系の学生の何人かは、外資系の銀行に就職した。
クオンツとは、言ってみれば、恵まれた数理的能力を備えた山師と言っていいだろう。このようなクオンツのあり方に対して、伝統的な数学者や物理学者は、顔をしかめるかもしれない。けれども、ぼくは、ぜんぜん否定的には考えない。市場における経済の動きを、何かの法則性を持った「運動」だと理解して、その法則性を暴き出そうとする。その法則理解の正しさは、それを使った戦略で実際に「儲ける」ことによって実証される。これは、考えようによって、全く新しい「科学」であり、と同時に全く新しい「賭博」である。科学と賭博の二面性を持った生き方、それがクオンツの生き方なのだ。考えてみれば、ガリレオパスカルフェルマーたちによって確率論が生み出された背景には、賭博師の存在があった。20世紀後半から、新しい市場と新しい理論とによって、そのリバイバルが成された、と考えられるだろう。
実は先日、銀行に勤める友人の紹介で、クオンツの人と飲む機会を持った。次に書く本の取材の一貫だった。その人は、確かに、数理的な明晰さと山師的な賭博熱とを備え持った人だった。ぼくが、「今のアメリカの株価は適正ではないんじゃないか(バブルではないか)」と言うと、彼はその根拠を執拗に尋ねた。ぼくがいくつかのデータ的な根拠を挙げると、彼は、「それは、北極星をどこに見てるかの違いだ」と一蹴した。まるでケインズみたいな考え方だな、と思った。もちろん彼は、明らかに、ぼくが数学科で観測した人たちとは違う匂いを持っていた。その人の話を聞いていると、バーチャルな抽象数理世界とリアルで生臭い投資の世界を小刻みにスイッチする思考生活は、とてもエクサイティングなんだろうなあ、などと感慨深かった。実際の内心は、違うのかもしれないけどね。
ちなみに、「賭博数学録 カイゾウ」を書くために、映画『ラスベガスをぶっつぶせ』も観てみた。これは、MITの教授と学生が、ソープのカード・カウンティングを使って、実際にカジノで荒稼ぎをする物語。まあ、映画としては面白いから推薦はするけど、全く数理性はないすよ。

金融工学の挑戦―テクノコマース化するビジネス (中公新書)

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