森内名人の就位式に参加してきますた。

先週の木曜日、7月26日に、森内俊之名人の第七十期名人就位式に参加してきた。就位式の様子は、http://www.shogi.or.jp/topics/2012/07/70-5.htmlで観ることができる。
どうして参加できたか、というと森内名人ご自身に招待していただいたからであ〜る(えへん!)。実は、ちょっと前、ある編集者のお計らいで、森内名人と会食することができたのである。それも、名人とぼく、それと編集者2名という、超おいしい環境での会食だ。長く物書きをやっているけど、こういう役得にめぐりあうことはほとんどない。今年の全部のツキを使ってしまったかもしれない。
森内名人は、本当に謙虚で、その上細やかな気遣いをされる方であった。ぼくは当初、日本一の棋士と会う、ということで非常に緊張していたのだけれど、名人のお人柄に触れるにしたがって、だんだん、気が緩んでいって、最後はけっこう傍若無人なことを語っていたように思う。(後悔先立たず)。
就位式も、そんなお人柄がにじみ出るような、とても心温まる式典だった。とりわけ、指導した横浜市の中学生たちを舞台に上げてのイベントは、名人の指導者としての熱心さを垣間見ることができた。また、元日本チェスチャンピオンのジャック・ピノー氏の、友人としての祝辞もすばらしいものだった。ちなみにこの方が、森内名人と羽生2冠にチェスを指導した人らしい。
会食で伺ったお話は、たぶんに個人的なこと(オフレコ話?)も混じっているだろうから、ここですべて公開してしまうわけにはいかないんだけど、一つだけ書いてしまいたいことがある。まあ、きっと、この内容は、森内名人もいろいろなところで述べておられることだろうから。
今回の名人戦は、ぼくはニコ動で(一般会員で)すべての勝負を観戦したのだけど、森内名人の強さについて、ある仮説を持った。そして、名人位防衛のあと、いくつかの新聞で報道を読み、その仮説は正しいのではないか、という手応えを持った。それは、森内名人の将棋の極意は「読み潰し」にあるのではないか、ということだ。つまり、森内名人は、他の棋士よりも多くの可能性を読んで手を探すのではないか、そういう仮説である。実際、新聞報道でも解説者がそう書いていたし、羽生2冠自身も敗者の弁として、同様のことを語っていた。
それを知ったぼくは、こう思ったのだ。羽生2冠の気風を物理学者に喩えるなら、森内名人のそれは数学者に喩えられるのではないか、と。
それはこういうことだ。物理学者は、数学的に緻密に論証をする必要はない。(まあ、「したほうがいいが、絶対必要というわけではない」ぐらいの表現のほうが妥当かもしれない)。なぜなら、その法則が正しいかどうかを決めるのは、数学的論理ではなく、自然界だからだ。物理法則というのは、自然界の中で、すでに決まっていて、物理学者はそれを暴く。だから、ほとんどおおよそ合っていれば、それは法則を突き止めたに等しく、あとは自動的に物質自身がその素性を露わにしてくれるはずに違いない。羽生さんの将棋はそれに似ていると思う。とにかく手が見えて、「これで十分有利だろう」という指し手が浮かぶのに違いない。だから、とりわけ早指しに強い。対して、数学は物理学とは違う。ほとんどすべての場合で証明が完了しても、残るたった一つの場合分けでうまくいかなければ、それは定理とは呼ばれない。見落としは絶対に許されない。森内名人の将棋というのは、そういう「数え落としのない」将棋、つまり「読み潰し」の将棋ではないか。だから、名人戦のような長時間の持ち時間の勝負に強い。そんな気がしたのだ。
それで、この話を、(失礼かも、と思いつつ)、森内名人にぶつけてみた。すると、森内名人の返答は次のようなものだった。すなわち、「棋士というのは、3手以上手が浮かぶのは弱い、と言われています。多くとも2手、できれば、1手だけの正着が見えるのが強い人ということです。でも、わたしの場合、4手、5手が見えてしまうんですね」。これは、多分に謙遜混じりであろう、とは思うのだけど、ぼくの推測を裏付けてくれる返答だったと思う。そう、森内名人はどちらか、と言えば、数学者に近いのではないか、ということなのだ。
昔に観た外国のドラマで、「ハローアインシュタイン」というのがあった。そこにこんなシーンがあった。アインシュタインが助手に計算をさせていて、自分はヨット遊びをしている。そして、ひとしきり遊ぶと助手のもとに帰ってくる。そして、どうなったかを尋ねると、助手は、「先生、計算が合いません。先生の考えは正しくないように思います」という。するとアインシュタインは、その計算も見もせずに、「いやいや、そんなことはありえない。もう一度、計算してごらん。ぜったい、言ったようになるから。自然がそうでないはずはない」、そう言うとまた、ヨットに向かうのである。これこそが、物理学者的認識であり、羽生2冠のような「ものの見え方」なんじゃないかと思う。でも、数学者は、これとは少し違うように思うのだ。
そんなことを考えながら、ぼくは、「やっぱり数学のほうが好きだなあ」と再認識した。正直、ぼくは、昔から物理には向いていなかった。物質現象にそんなに強い関心が持てない、というのもあるけど、わざと偉そうにいうと、自然界に縛られることを窮屈に感じるからかもしれない。これは、新著『数学入門』ちくま新書にも徹底して書いたことだけど、物理に対して、数学は自由。この宇宙から自由である。数理論理的におかしなこと(論理矛盾)をしない限り、どんな荒唐無稽であってもかまわない。どんなフィクションだって受け入れてもらえる。欲しいものは作り出せばいい。あらゆることから自由。それが数学の良さなんじゃないか。そして、勘違いを臆せず言えば、森内将棋の神髄はそれなのではないか、そんな風に思うのだ。
さて、このブログは、自著の宣伝のために書いている(まあ、楽しいから書いてるのは確かだけど)ので、次の本の宣伝をしておくね。8月に『すうがくと友だちになる物語1〜大悪魔との算数対決』技術評論社の続編の『すうがくと友だちになる物語2〜ナゾ解き算数事件ノート』技術評論社が出るのだ。もう、アマゾンにあがっているのでリンクしよう。

ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

この絵本も、夏休みの課題図書に最適だぞ。小中学生の子どもさんがいらっしゃれば是非とも。1巻が、冒険対決ものだとすれば、この2巻は、推理ナゾ解きもの。こっちのほうが好みという人もいると思う。(いて欲しい)。内容については、刊行された頃にまた。
まあ、とにかく、就位式の行われた椿山荘のビュッフェとワインはめっちゃ美味かったぜよ。だから、というわけではなく、来年も森内名人に是非とも、名人位を防衛していただいて、また、就位式に招待していただきたい、と切に望むす。
数学入門 (ちくま新書)

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大悪魔との算数決戦 (すうがくと友だちになる物語1)

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