日経書評欄の短期連載のこと+おまけの本紹介

日経新聞の日曜の書評欄、『半歩遅れの読書術』のコーナーを、先週の日曜日(9月2日)から書いてる。4週連続の予定。日経をとってる人は、是非、お読みいただきたい。このコーナーは、自分の読書のスタイルについてのエッセイで、1冊以上本を紹介するもの。ただし、半年以内の本は(書評とバッティングする可能性があるので)避ける、というものだ。
 エッセイ自体は、日経新聞本体で読んでいただくとして、このブログでは、分量の制限から書けなかったことを補足しようと思う。
 前回は、数学一般書の読書のことを書いた。肩書きを「数学エッセイスト」にして欲しい、という依頼だったので、必然的に数学書の話を一回目に持ってきたのだ。ちなみに、このコーナーでは所属大学などを肩書きに用いない習わしとなっているらしく、帝京大学教授としてないのはそういう理由なのである(>同僚の先生がた)。ちなみに、明日は、経済学書なので、乞うご期待。
数学一般書の紹介としては、女流の数学のライターの本にしよう、というアイデアが閃いた。なので、紹介したのは、新井紀子さんの本2冊と、コンスタンス・レイドさんの本を1冊。新井さんの本で紹介したのは、『生き抜くための数学』『コンピュータが仕事を奪う』だ。これらは、以前、このブログで女子系数学書の誕生〜「式で書けること」と「計算できること」は違う - hiroyukikojimaの日記コンピュータが仕事を奪う - hiroyukikojimaの日記で紹介しているので、今回は、補足はしない。
レイドさんの本で紹介したのは、コンスタンス・レイド『ゼロから無限へ』(ブルーバックス)だ。この本については、(前にも当ブログで紹介したかもしれないが)、もう少し、補足しておこうと思う。

ゼロから無限へ―数論の世界を訪ねて (ブルーバックス)

ゼロから無限へ―数論の世界を訪ねて (ブルーバックス)

この本は、ぼくは中学1年の終わりか中学2年の始めに読んだ。初版の刊行が1971だから刊行されてすぐに読んだ計算になる。この本は、数論の魅力を一般読者に伝える本で、中学生でも読めるように、証明は全く書かれていない。アメリカの科学雑誌サイエンティフィック・アメリカンにエッセイとして連載したものをまとめたものだからだ。この本を、中学2年のときに中学の数学の先生に勧めたら、その年の夏休みの課題図書の1冊に加えられた。けっこう多くの同級生が、(数学が苦手の子も含め)、この本でレポートを書いた記憶がある。そのくらい、この本は、読みやすい本なのだ。
この本は、構成が非常にみごとなのである。タイトル通り、数ゼロから始まって、1の話、2の話、と進んでいき、9の話まで進んだあとは、・・・の話となって、そのあとはeの話となる。それぞれの数でのトピックスの選び方が、また、絶妙なのである。
0の話では、インドにおける0の発見が話題となる。ここまでなら普通だ。けれど、最後には、ラッセルが、フレーゲの数理論理に依拠して、集合論を使って自然数を構成した話につながる。つまり、ゼロは空集合、という主張である。なるほど、さすが! (ちなみに、ラッセルの自然数論は、その後、フォン・ノイマンによって完成に導かれる。興味ある人は、拙著『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書を参照のこと。また、集合による数の構成一般については、拙著『数学入門』ちくま新書でどうぞ)。
1の話では、1がすべての自然数の共通の約数であることを述べ、そこから素数の話に突入する。そして、数論の基本定理として「素因数分解の一意性」が(証明抜きに)紹介される。
2の話は、当然2進法である。コンピュータの話が持ち出される。
3の話では、満を持して、素数の話が持ち出される。素数が無限にあることのユークリッドの証明(これは証明自体が紹介される)、素数が長い間出てこない素数砂漠、ウィルソンの定理、メルセンヌ素数にルカステストなど、涎の出るようなマニアックな話が続く。
4の話が、中学生だったぼくには最もわくわくした。ピタゴラス数(aの2乗とbの2乗を加えるcの2乗になる自然数の組a,b,c)から始まって、フェルマーの最終定理につなげ、フェルマーの2平方数定理(4で割ると1余る素数は必ず平方数2個の和となり、3余る数はそうできない)を紹介する。ぼくは、この2平方数定理に魅惑されて数学の道を志したと言っても過言ではない。
5の話が、この21世紀の現在から思い返すと、その後の多くを予言した章だったように感じられる。まず、5角数(5, 12, 22, 35, 51, ・・・と続く数)の紹介から始まり、フェルマーのn角数定理(すべての自然数はn個のn角数の和で表される。とりわけ、n=4の場合は4平方数定理として有名)につながる。そのあと、オイラーが母関数を使って、ある組み合わせ問題を解決し、その母関数に5角数が出現する不思議を紹介して終わる。これらの性質は、その後、ラマヌジャン等によって、テータ関数などに結びつけられ、遂にはフェルマーの最終定理の解決に結びつくことになるのだ。レイド女史は、もうちょっとだけ内容を増やせば、フェルマーの最終定理解決を予言できたのだ。惜しい!
6の話は、当然、完全数の話から始まる。完全数とは、「自分自身を除く自分の約数をすべて加えると自分になる」という性質の数で、6がその最初だ(1+2+3=6)。偶数の完全数は、メルセンヌ素数(2のべき乗から1を引いてできる素数)から作ることができ、それに限られる。このタイプの素数はコンピュータで比較的容易にチェックできるので、現在発見されている巨大な素数はすべてこのタイプである。奇数の完全数はいまもみつかっていないし、ないことも証明されていない。このことも本書に触れられている。わくわくどきどき。
7の話は、正多角形の作図の話。正3角形、正5角形はコンパスと定規だけで作図できたが、次の奇素数7はどうか。この2000年に及ぶ難問を解決したのが、弱冠18歳のガウスであった。ガウスはコンパスと定規だけで作図できる正「素数」角形は、フェルマー素数に限ることを証明し、5の次は17である、ということを明らかにしたのだ。
8の話は、かなりマニアックである。これは、加法的数論と呼ばれる分野に属し、世の中ではあまり有名ではない。すべての自然数が4個の平方数の和で書けることが、フェルマーの4平方数定理であったが、立方数ではどうか。ワーリングは「すべての自然数は8個の立方数の和で表せる」と予想した。この予想が肯定的に解決されたのは100年以上あとのことだった。レイド女史の紹介では、このあとにラマヌジャンがちょっとだけ出てくる。またまた、惜しい!
9の話。ここは、よく知られた9で割った余りについての「9去法」の話。そして、合同式の解説へ。こんな少ないページ数で、「平方剰余相互の法則」までもってく力量は半端ないと思う。
そして、「・・・の話」。ここで、カントールの無限集合論につなげるのは、みごととしか言いようがない。アレフゼロを数として扱っているのだね。ぼくはこの章で、連続体仮説の話を読んで以来、カントールの大ファンとなり、50歳を超えた今でもますます大きくなるばかりの数学基礎論への憧れを培った、と言っても過言ではないのだ。
最後を飾るのは、eの話。皆さんが大好きなネピア定数eである。ただし、レイド女史は、オイラー恒等式ではなく、素数定理のほうに向かう。nまでの素数の個数が、n/log nで近似できる、というやつ。この点でも、ぼくはレイドさんと趣味の一致を感じる。
本書には、訳者である芹沢正三さんの詳細な解説や注釈やお勧め文献がついていて、それがとてもありがたい。
コンスタンス・レイド女史の本の邦訳は、あと1冊しかない。それは、『ヒルベルト〜現代数学の巨峰』。ぼくは、単行本で読んだけれど、文庫になってたんだね。
ヒルベルト――現代数学の巨峰 (岩波現代文庫)

ヒルベルト――現代数学の巨峰 (岩波現代文庫)

この本は、若い頃に買って持ってたんだけど、長い間読まないでいた。著者がリードとなっていたので、コンスタンス・レイド女史と同一人物だと気づかなかったからだ。サイエンスライター吉永良正さんと雑誌で対談したときに、吉永さんに教えていただいて、このことに気づき、しょうーげきを受けて、あわててこの本を読んだ経緯だった。読んでみたら、あまりにすばらしい本だった。ちなみに、吉永さんは若い頃に、この本を読んでライターとして大きな影響を受けたとおっしゃっておられた。
数学科に在籍したとき、ヒルベルトの名前はあちこちで耳にした。代数幾何ヒルベルトの零点定理、数論のヒルベルト記号、関数空間のヒルベルト空間、数理論理のヒルベルトの公理系、・・・。でも、そんなに重要な人物だとは思っていなかった。ってか、一つの有機的な結びつきを感じてなかった(とほほ)。本書を読んでみれば、ヒルベルトがどんなに偉大な数学者で、20世紀の数学を方向付けた人だということが、嫌というくらいにわかる。レイド女史が、数論に詳しく、また数学基礎論にも造詣が深いのは、ヒルベルトのことを詳しく調べていたなら当然のことだとわかった。
 実は今、数理論理と経済とを絡める新書を執筆途中なので、再び、レイド『ヒルベルト』を読んでいる。本当にため息の出るほどすばらしい仕事だと思う。
 さて、明日の『半歩遅れの読書術』では、経済書を紹介する。その補足は、来週に当ブログに書く予定だ。
数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

数学入門 (ちくま新書)

数学入門 (ちくま新書)