abc予想が解決された?

京都大学数理解析研究所望月新一教授が、「abc予想」を解決した、ということが新聞などで話題になっている。望月さんが総ページ数500ページに及ぶ4本の論文をホームページに公開し、それが「ネイチャー」で報じられたからだ。
実は、先週のアエラ(10/8日号)では、この件に関して、数学ライターの中村亨さん(コマネチ大学の出題者)とぼくからの取材で一本記事を作って報道している。望月さんと数理解析研が一切取材に応じない方針だそうで、編集者はがっかりしていた。それで、中村さんとぼくに(つまり、プロの数学者でない人に)白羽の矢がたったのだろう。こういうことがあるとつくづく思うのは、市民と学者の間をつなぐ専門報道者の必要性だ。何もゴシップに関する取材にまで誠実に答えよ、とはいわないが、マスコミを介して市民が大きな関心を持っているこのような大きな業績に関しては、ある程度は市民への情報サービスをしてほしく思う。こういう数学界のお祭りを、一緒に祝いたい市民は(ぼくを含め)相当数いて、そういう人たちは一緒に祝賀できるなら数理解析研の科研費のために自分たちの税金が使われることをむしろ喜び、光栄に思うに違いないからだ。まあ、すべてが完了してから発表する、という方針なのかもしれず、それも一つの考え方ではあろうけれども。
まあ、それはともかくとして、ぼくは、ワイルズによるフェルマーの最終定理の解決(それは、谷山ー志村予想の解決によってもたらされた)のときも、数学ライターとして関わることができて嬉しかったが、もしも望月さんの結果が正しいものであれば、abc予想の解決にも報道的に関与することができてとても嬉しい。こういうことは、数学文化のお祭りであって、みんなを幸せにすることだ。決して、個人や組織に帰属するものではないと思う。
 abc予想というのは、1以外の公約数を持たない自然数a, b, cがa+b=cの関係で結ばれているとき、a, b, cに約数として現れる異なるすべての素数の積dがある程度大きいことを主張するものだ。例えば、「c<(dの2乗)、が必ず成り立つ」、というのもabc予想の一部である。これが正しければ、フェルマーの最終定理は即座に、そしてものすごく簡単に証明できる。(高校生にも証明できる)。そればかりでなく、もっと多くのディオファントス方程式(多変数の多項式の方程式)の整数解に関する決着も得られる。もう少し一般的なabc予想の主張が証明されれば、ファルティングスが解決したモーデル予想(ある種のディオファントス方程式には整数解が有限個しかない)の別証明も得られる。だから、ものすごいことになるのである。
 abc予想に関しては、東北大学の山崎さんのサーベイ(http://www.math.tohoku.ac.jp/~ytakao/papers/abc.pdfでDLできる)がとてもわかりやすいと思う。(abc予想からフェルマーの最終定理を導く証明も載っている)。
山崎さんの解説によると、最初、これは多項式について証明されたようだ。1981年のこと。こちらはABC定理と名付けられている。それを整数に関する予想に模様替えして提出したのがabc予想で、1985年にマーサ−とオステルレという2人の数学者によるものとのこと。
 まじめに高校数学を勉強した人なら直観していると思うが、整数と多項式の間には高い類似性がある。それは、多項式にも「割り算をして商と余りを出す」計算が定義できることに依拠している。この性質を持っている代数では、素数に対応するものを定義でき、その上で素因数分解の一意性が証明できる。だから、整数で成り立つ定理に類似したものが多項式で成り立つことが多く、逆に多項式で成り立つ性質は多少模様替えをすれば整数で成り立つ定理に仕立てられることが多いのである(例えば、ユークリッドの互除法で最大公約数が求まることなど)。実際、フェルマーの最終定理は、多項式バージョンのほうは簡単に解決された。多項式バージョンのABC定理もすでに証明されている(山崎さんのサーベイに載っていて、賢い高校生なら理解できる)ので、整数バージョンのabc予想もなんとかなるかも、と考えることはそんなに突飛ではない。
 今回の望月さんの論文は、「宇宙際タイヒミュラー理論」(inter-universal Teichmuller Theory:http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Inter-universal%20Teichmuller%20Theory%20IV.pdfでDLできる)というものらしい。ざっと眺めてみたが、一行たりともわからん(爆)。でも、これまでの業績を見ていると、p進空間の研究を推進してきた人のようだ。p進空間というのは、素数1個ずつそれぞれに新しい空間を作ったもの。素数2には2進空間が、素数7には7進空間が、という風に新しい空間が作られる。実数の空間は、通常の距離に関して「すべてのコーシー数列が収束値を持つ」ように作られた空間(完備空間)だが、p進空間というのはp進距離に関して「すべてのコーシー数列が収束値を持つ」ように作られた空間であり、我々の常識では理解できないが、通常の数学を矛盾なく自由に展開できる空間だ(0.999・・・は1と等しいか - hiroyukikojimaの日記などを参照のこと)。おおざっぱに言えば、新しい空間を作ると、数学的素材はそこで今までとは違う振る舞いを見せる。別の顔を見せる。その別の振る舞いや表情を見ることで、今まで解けなかった問題が解けることがありうるのである。そうやって数論は進歩してきている、といえる。複素数空間を創造したとき、数学は大きく進歩した。また、カントールが実数を完備空間として創造したときも、数学の発展は著しかった。ヘンゼルによってp進空間が作られた20世紀の数論も著しい成果をあげている。とりわけ、グロタンディークが整数を操作するための新しい空間をスキームという形式で作ったことの影響は大きかったのではないか。グロタンディークの後継者と目される望月さんも、新しい空間を生み出して、そこでの幾何学を使って今回の結果を出したのではないかと想像している(いうまでもなく、論文はさっぱりわからないでの、根拠はない。笑い)。
 アエラの取材で、ちょっと反省しているのは、「望月さんの論文を理解できる(査読できる )人は世界でも4〜5人」と口走ってしまったこと。まさか、それがタイトル(理解できるのは5人)に引用されるとは思わなかった。「わたしは、理解できる6人目」と憤慨している人、す、すんませんです。