村上春樹の新作、やくしまるえつこの新作、ジュリエット・シムズの新作のことなど。

ゴールデン・ウィークは、6月に出す予定の新著の原稿を書いていて終わってしまった。
一冊はブルーバックス、もう一冊は黒川信重先生との共著でリーマン予想関係の対談本である。これらについては、もう少し刊行が近づいてから宣伝をしようと思う。
ゴールデンウィークに楽しんだたった一つの娯楽は、村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年を読んだことだ。ほんとに唯一の楽しみ、唯一の息抜きといっていいものだった。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

さて、この新作は良い作品だろうか。
実は、ぼくには「良いか悪いか」を評価できない。ぼくにとっての村上春樹作品は、音楽と同じで、「好きか、好きじゃないか」としか評価できないからだ。
それでは、この新作をぼくは好きか、好きじゃないか。
どちらかというと「好き」である。いや、ひょっとすると、「結構好き」と言っていいかもしれない。そして、時間がたつと「すごく好き」というようになるかもしれない。わかる人にしか伝わらない表現で申し訳ないが、色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年は、キングクリムゾンで言えば、「ポセイドンのめざめ」のような位置づけだ。ピンクフロイドで言えば「炎〜あなたがここにいてほしい」のような作品だ。これらのアルバムは、彼らの代表作ではないし、また、実験的創造性に満ちた作品とも言えない。でも、ぼくはこの2枚のアルバムを「結構好き」だ。いや、本当は「すごく好き」なのである。
この新作からぼくが(勝手に)受け取ったのは、「他人を信じること」についての深い怖れである。他人の心の中というのは、究極的に何もわからない。あるのかさえもわからない。そういう、原理的に決して届かない海峡の向こうを、信じることができるか、そういうことだ。
村上春樹は、還暦をすぎてさえ、このような作品を書くことができるのは、驚くばかりである。
 音楽といえば、やくしまるえつこの新譜「RADIO ONSEN EUTOPIA」がすばらしい。
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これは、彼女のクリスマスのラジオセッションを収めたものらしい。既存曲のライブバージョンと、未収録の作品によって構成されている。ああいう困難な曲をライブでやれることだけで驚きだが、とにかく彼女の声は神の声としか思えない。とりわけ、最後に入っているロンリープラネットがあまりにすばらしくて泣けてしまう。フィッシュマンズを彷彿とさせる楽曲で、こういうことは佐藤伸治にしかできなかったのに、と思うと涙が出てくる。ちゃんと、引き継いでくれる人が音楽界にはいるのだね。
それから、オートマティック・ラブレターの新譜「The Kids Will Take Their Monsters On」をアマゾンからダウンロードした。試聴したときは、短すぎて、好きか好きじゃないか判断がつかなかったから、youtubeで何曲かを全編聴いてみたら、もう欲しくて欲しくてたまらなくなったのだ。
The Kids Will Take Their Monsters On

The Kids Will Take Their Monsters On

アマゾンは、いつダウンロード販売を始めたんじゃ? 知らなかった。アマゾンから買うと、パソコンさえあればどこでもアクセスして聴けるのがとても便利じゃのう。オートマティック・ラブレターは、メジャーデビュー作「Truth or dare」が大好きで、次回作を待ち望んでいた。でも、ずいぶん前、2011年に出ていたとは、つい最近まで気がつかず、やっと入手した次第。このバンドはもう、ジュリエット・シムズのボーカルのすばらしさにつきる。彼女のハスキーボイスは、ボニータイラー以来の衝撃だ。いや、ぼくにとっては、ジャニス・ジョップリンの再来といっていいぐらいのすばらしさなのだ。ジュリエットには、ジャニスが持っていた歌の巧さと情感と切なさがある。はかなさがある。クレージーさがある。抱きしめてあげたくなるような女なのだ。嘘だと思ったら、youtube「Black Ink Revenge」とか、「story of my life」とか聴いてごらん。また来日してライブをしてくれないかなあ。
Truth Or Dare

Truth Or Dare

 ああ、そうそう、ゴールデン・ウィークには、少し数理論理の勉強もしたのであった。なぜかというと、今年は、論理についての本を(たぶん2冊組で)刊行する予定なのだ。拙著『数学的推論が世界を変える〜金融・ゲーム・コンピューター』NHK出版新書で解説した数理論理の部分の完全版を書くつもりなのである。それで勉強のために読んだのは、トルケル・フランセーン『ゲーデルの定理 利用と誤用の不完全ガイド』(田中一之訳、みすず書房)
ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド

ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド

これは、みすず書房の担当者さんから献本していただいたもの(ありがとう!)。もとはといえば、その担当の方から、誰かこの本を訳せる適任者はいないか、という打診をいただいたので、(知り合いでもないのに)田中一之さんを推薦した縁があった。良い人(面識はないけど)を紹介できてよかったと思う。すばらしい翻訳に仕上がっている。
この本は、ゲーデル不完全性定理について、世の中で頻発している誤解や(ポストモダン的な)曲解を指摘し、修正をほどこす内容。正直いって、ぼく自身は、そういう誤解や曲解をあげつらった部分には興味がなかったので斜め読みしただけだった。ぼくにとって参考になったのは、著者が、「論理式を使わず、言葉だけで」不完全性定理のステイトメントや内容や意味について可能な限り正確に説明している部分だった。不完全性定理を(専門家を目指す人ではなく)一般の人に説明したいのなら、数式をできるだけ使わず、一般の人の理解できる(理解しやすい)言語で説明すべきだ。本書は、そういう試みをしている本と評価できる。
この本の良さは、「不完全性定理をきちんと理解したいなら、どういうアイテムを理解し、どういう勉強をすればいいか」がわかることだと言っていい。実際、ぼくはこの本を読んで、「ペアノ算術(PA)の不完全性の理解するためには、むしろ、完全な公理系を先に見たほうがいいのではないか」ということに気付いた。それで、この本で紹介されていた「プレスバーガー算術」というを勉強することにしたのである。
プレスバーガー算術については、田中一之『数の体系と超準モデル』で解説されている。これは、ペアノ算術PAから掛け算を取り除いた体系のことだ。ペアノ算術PAというのは、自然数の和と積についての等式と不等式のいくつかの法則を公理化しているもの。プレスバーガー算術は、そこから掛け算が関連する法則を取り除いた公理系である。そして、この体系は「完全な体系」となるのである。つまり、このプレスバーガー体系の言語で書けるすべての論理式φについて、φか¬φかどちらか一方が証明できるのである。その証明は、まだきちんとフォローしていないが、重要なアイデアは「量化記号の消去」ということらしい。つまり、どの論理式φについても、φと量化記号(∀、∃)のないある論理式とが同値であることを、プレスバーガー体系によって証明できるということなのだ。田中一之『数の体系と超準モデル』では、この量化記号の消去を説明するために、もっと簡単な公理系として、自然数についての不等式の法則だけからおおよそできている理論(T<)を紹介していてすばらしい。この体系が完全であることの証明は、かなり直観に訴える。プレスバーガーの定理を不完全性定理の前に理解しておくと、「その言語で書ける」ということの意味や、「どういう論理式ならその体系で証明ができるのか」ということが明確になり、その上で、不完全性定理の証明を読めば、その証明のツボがより掴みやすくなるような気がするのだ。
数の体系と超準モデル

数の体系と超準モデル

数学的推論が世界を変える 金融・ゲーム・コンピューター (NHK出版新書)

数学的推論が世界を変える 金融・ゲーム・コンピューター (NHK出版新書)