数学は異世界を創り出す

 今回は、来週刊行されるぼくの新著についての第一弾のプロモーションをしようと思う。
それは、小島寛之『数学は世界をこう見る〜数と空間への現代的なアプローチ』PHP新書だ。見本刷りも届き、アマゾンにもアップされたから、満を持して販促に励むことにしたい。

この本でぼくが最もアピールしたかったことは、「数学という学問は、新奇な異世界を自由自在に創り出す」ということ。それは、あるときは、我々が住み暮らすこの現実世界を反映したものであるし、あるときは、全く無縁の形而上的世界であったりもする。数学者は、そのどちらか一方を目指すというわけではなく、どちらかといえば、そういう「思考の自由性」を謳歌しているのだと思う。
こういう数学の「自由奔放な創造性」をアピールするために、本書では、「数学は、数や空間を発見するのではなく、むしろそれを創り出すのだ」という、その方法論を紹介することにした。目次立ては次のようになっている。

『数学は世界をこう見る』目次
第1章 素数の見方
第2章 「同じとみなす」ことで数世界を広げる
第3章 図形の「形」を解く計算
第4章 「関係性」を代数で捉える
第5章 方程式を対称性から見る
第6章 整数と多項式は同じ
第7章 図形の中の``素数''
第8章 空間でないものを空間と見なす

 目次を眺めると感じていただけると思うが、本書のテーマは「同じと見なす」ということだ。現代数学の顕著な特徴は、この「同じと見なす」という一言に尽きるように思う。専門的な単語でいうと、「同一視」というテクニックなのである。
代数学では、この「同一視」というテクニックを駆使することによって、「集合を1個の数と見なす」ことをしたり、「本来は空間と無関係の素材を空間と見なす」ことをする。これが「数学が異世界を創り出す」ということの意味である。
 「同一視」によって数学的対象を生み出す方法論はいろいろあるが、本書では「イデアル」に絞って紹介した。専門家向けに言えば(どうせ専門家はこのレベルの本は買わないだろうから無駄だとわかっているけど)、「可換環イデアルで割ることによって、数や空間を創り出す」ことの超初歩の解説書なのである。具体的には、「有限体の創り方」「無理数の創り方」「虚数の創り方」。あと、「空間化」のほうでは、「位相空間の創り方」と「素数の空間化(素イデアルの成すZスキーム)の創り方」を紹介した。そういう意味では、数学の営為を哲学・思想面から分析した本と言っていいかもしれない。
 ぼくはたぶん、中学・高校・大学時代を通じて、数学をこういうふうには捉えていなかったと思う。数学と言えば、「何かの問題を解く」作業だと見ていた記憶がある。数学がこういう「異世界を作為的に創り出す」ものだと感じ始めたのは、大学(数学科)卒業後だった。それは、塾の先生として、教育のために思想哲学が必要だと感じ、それらを勉強し始めたのがきっかけだったように思う。さらには、数学のそういう面にワクワクするようになったのには、もっとずっとあとで、三十代以降。数学基礎論の超準解析を知ったり、黒川先生との共著を出すためにスキームの勉強をした影響が大きい。大げさにいうなら、ぼく自身の人生での興味が大きく変容したことと関係がある。
 本書は一言で言うと、「代数幾何学」の超入門書と言ってしまえるかもしれない。ぼくが代数幾何の本を書くなど、自分でも可笑しくなってしまう。なぜなら、ぼくは、数学科在籍時には代数幾何を勉強したが、全くそれに関心を持つことができずに、結局ドロップアウトしたからだ。
 これまでこのブログで何度も書いてきたように、ぼくは在学時は数論を勉強したかった。それは、中学生のときに素数フェルマーの研究に触れて、憧れを持ったからだった。それで、数学科の4年では数論のゼミに希望を出した。その年は、数論のゼミは伊原康隆先生のものしかなかったので、そこに希望を出した。しかし、希望者が多数だったため、伊原先生は何人かの希望者を落とした。判定基準は当然、成績であった。ぼくは落とされた中の一人だった。路頭に迷ったぼくは、同級生(たぶん、宇沢先生の息子さんの宇沢達くんだったように記憶している)に相談に乗ってもらった。彼は、数論をやりたいなら、代数幾何を勉強しておくのが良いだろう、そう勧めてくれた。それでぼくは、まだ定員に空きのあった堀川穎二先生のところに相談に伺った。先生は、明らかに出来の悪そうな、しかも代数幾何に興味を持っていないぼくを見て、あからさまにネガティブな反応をしたが、定員割れの義務感から結局は引き受けてくださった。それには今でも感謝しているが、後悔したのは、ぼくのほうの判断だ。今は経済学者だから、合理的行動というものを真っ先に考えるが、当時はそうではなかった。ぼくは、「定員割れ」の意味をもっと深く熟慮すべきだったのだ。それからの一年間のゼミは、苦悶と自尊心の崩壊の一年となった(堀川先生の思い出は読者に優しい数学書を書く技術 - hiroyukikojimaの日記も参照のこと)。とはいっても、伊原ゼミに万が一入れたとしても、結局は、同じだったと思う。伊原先生も堀川先生同様、大変厳しい先生で、ゼミ生の何人かはいつも胃を悪くしていたみたいだった。
 ゼミではマンフォード『代数幾何1』を輪読した。ゼミは毎回、30分程度で発表者が撃沈されて終わるので、ほとんど進まなかった。当時は、全く興味を持てなかったし、また、自分の知的能力では読み解くことが困難だった。そのぼくが、この五十路を過ぎた頃に、独学で代数幾何(の初歩)を勉強し、それを本に書くなど、当時のぼくには想像もつかなかったことである。人生とは異なものだ。
 本書のもう少し具体的な内容については、書店に並ぶ来週の終わり頃にエントリーしようと思うので、乞うご期待。