世界を見つめる「思想」としての数学

ぼくの新著『数学は世界をこう見る〜数と空間への現代的なアプローチ』PHP新書が、書店に並び、アマゾンにも入荷されたようなので、前回(数学は異世界を創り出す - hiroyukikojimaの日記)に続いて、販促第二弾をエントリーしたいと思う。

この本のウリは、「中学数学だけの前提知識で、現代数学の方法論をのぞき見てもらう」ということである。自慢のメインディッシュは、ホモロジースキームだ。新書でこれをある程度のレベルで説明した(つまり、単なるお話でなく解説した)本は、ぼくが知る限り皆無である。
ホモロジーというのは、「トポロジー」と呼ばれる分野のアイテムで、図形の形状を位相的に分類するツールのこと。例えば、ドーナツ形と球は伸縮自在の下で同じか違うか、とか、メビウスの帯の両側のへりをねじって貼り合わせた射影空間は伸縮自在の下で見るとどんな「形」か、とか、そういったことを突き止める計算である。これを普通に解説しようとすると、有限生成アーベル群とか同型写像とか完全系列とか単体分割とか、とても一般人にはついていけない準備が必要になる。でも、その「キモ」だけを理解するなら、中学1年生で習う「文字式」だけで十分なのである。
また、スキームというのは、「代数幾何」という分野に属するアイテムで、可換環位相空間多様体に仕立ててしまう数学的な技術である。例えば、「素数の集合を遠近感を持った空間化する」ことなどがそれにあたる。スキームをきちんと構築するのは、あまりにたくさんの準備が必要である。でも、素数のスキーム(スペック・ゼット)だけなら、約数・倍数・素数といった中学の知識に、位相空間についての簡単な準備だけを加えれば、なんとか入り口には立てる。位相空間についても、ぶっちゃけ、中学の不等式の知識だけでなんとか大枠は理解できる。本書の最終目標は、素数のスキームの入り口に立つことなのだ。
この本でぼくが目指したのは、読者に現代数学をきちんと理解してもらうことでも、読者の数学的な能力をアップさせることでもない。ぼくが目指したのは、「数学って思想的なんだ」ということを実感してもらうことなのである。哲学では、例えば、「言語ゲーム」だとか「世界内存在」だとか「弁証法」だとか、耳慣れない概念、もっと言えば「かっとんだ概念」を使って、世界のあり方を思想的に捉えようとする。数学も同じように、ホモロジー群や位相や同値類別などを使って、世界を思想的に捉えようとしているのである。捉えるだけに留まらず、時には、世界を<ねつ造>さえする。そういう数学の思想的な面をなんとか伝えたい、そういう目標を持って書いた本なのだ。だから、読者には、現代数学の入り口に立つことを通じて、人間の知的な奥深さを知ってもらえれば、と望んでいる。
以下、いつものように、(長くなるけど)序文をさらすことにしよう。

        数学者のメガネをかけて、世界を見てみよう

この本の特徴は、ざっくり言えば、次の二つだ。
* 数学が世界を見る、その独特の見方を体験できる。
* 中学生の数学だけで、現代数学のキモを理解できる。
だから、高校のとき文系だった社会人にも読めるし、高校生や大学生の諸君にも理解できるはず。
 多くの人は、数学に対して、「規則でがんじがらめの、ただただメンドクサイだけの教科」というイメージを持っておられるだろう。確かに、教科書で教わる数学にはそういう面が否めない。それは、「規則・作法をいかに的確に覚えて使えるか」という能力によって子供を峻別する「教育」の目的からは仕方ないことではある。 
 一方、数学というのは、人類が二千年以上にもわたって構築してきた、この世界を認識するための技術だ。したがって、ホンモノの数学は、イメージ豊かで深遠で夢のある分野なのである。このことは、数学者が世界を見つめるその見方を知ると納得できると思う。数学者が生み出す数学は、新しい見方・奇抜な見方に満ちている。
 本書では、規則・作法としての数学を極力避けて、「世界を見つめるメガネ」としての数学を解説することを試みる。そして、その「メガネ」を獲得した読者は、副産物として、中高で習った数学を別の方角から理解し直すことができるだろう。
 どの章も中学生の数学から出発する(一部、高校数学を扱うが、それも中学の知識で理解できるように解説している)。正負の数、約数・倍数、素数、分数、文字式、因数分解多項式、1次関数、1次不等式など誰もが馴染みのあるアイテムである。これらが何であるかは最初に解説するが、その説明は教科書とは一風変わったものとなっている。なぜなら、本書では、規則・作法を訓練するものではなく、むしろ、これらの概念の背後にどんな思想や哲学が隠れているかを掘り起こす作業を行うからだ。そして、その掘り起こしをバネに、現代の先端数学へと一足飛びにジャンプするのである。つまり、
       中学数学→(ジャンプ)→現代数学
ということ。こう聞くと、読者は「そんなバカな」というだろう。中学数学だけで最先端の数学が解説できるわけないと。しかし、ちっともウソはついていない。その本質を中学数学だけで浮き彫りにできるような現代数学のアイテムもちゃんと存在するのだ。実際、本書では、イデアル、有限体、ホモロジー群、位相空間、スキームと言った現代数学のアイテムを解説している。きっと読者は、これらの専門用語が初耳に違いない。それもそのはず、これらは、数学科に所属しなければ理系の大学生であっても習わない類いのものである。目次を見てひるむ人もいるかもしれないが、大丈夫。本書は中学数学だけを前提知識とするし、面倒な計算やわかりにくい証明には極力踏み込まないで、ほとんど具体例だけで解説する手法をとっているからだ。
普通、現代数学の多くのアイテムは、少なくとも高校数学を(できれば大学数学も)まるまる知っていないと理解できない。とりわけ、微積分と行列の知識は必須である。だから、多くの人にとって、現代数学は縁遠い存在になってしまう。しかし、本書で紹介するアイテムに限っては、それらを知らなくとも理解可能なのである。いや、むしろこう言ったほうが正確だろう。中学数学だけから理解できるアイテムだからこそ、世界を見る見方として、より本質的で思想的で哲学的なのだ、と。これらのアイテムは、図形の形を捉えるための代数計算であったり、空間でないものを空間に仕立てる発想であったりする。そういう、空想力・創造力に富んだものの見方だから読者は、数学者たちが普通の人々とは異なる視界や発想や認識を持っていることを、長い準備を強いられることなく、直接的な形で実感できるだろう。そして、人類が備え持っている底知れぬ認識の力に、畏敬の念を抱くことができるだろう。
世界の見方が変わることは、とても楽しいことだと思う。子供から大人になったとき、恋をしたとき、美味なる料理を初めて食べたとき、世界の見え方はそれまでと違ったものになる。これは、数学の知識においてもまったく同じなのだ。世界の見方が変わることは、暮らしが豊かになることであり、人生に深みが加わることであり、生き方が前向きになることに他ならない。本書によって、数学の思想的な側面、哲学的な側面が理解され、読者の世界観が大きく広がることを願っている。