トリコの新譜がとても良い

 やっと、数百枚の期末テストの採点を終え、成績も付け、ゼミ合宿にも行ってきたので、ブログを書く余裕ができた。今日は台風だから外出しないしね。
 そんなわけで、とりあえず、聴いている音楽のことを書こうと思う。
 今、リピートして聴いているのは、トリコ(Tricot)の新譜『Break』。トリコのことは、渋谷でトリコのライブを観てきますた - hiroyukikojimaの日記とか、赤坂ブリッツで、Tricotのワンマンライブを観てきた。 - hiroyukikojimaの日記とか、下北沢でトリコ(Tricot)を観てきた。 - hiroyukikojimaの日記とか、何回も紹介してきた。ぼくが現在、最も気に入っているバンドの一つだ。当初は、女子3人(ギタボ、ギター、ベース)と男子1人(ドラム)だったけど、男子が脱退したため現在は、女子4人(ギタボ、ギター、ベース、サポート・ドラマ−)となっている。

Break (初回限定盤)

Break (初回限定盤)

この新譜『Break』は、結構、予想をはずされた曲の組み合わせとなっていた。どういうことか、というと、「とても懐かしい感じがする」楽曲となっているからだ。もちろん、トリコの楽曲には以前からそういう面があった。赤坂ブリッツのライブを観に来ていたSUGIZO氏(Luna Seaのギター&バイオリン)が、ツィッターで「彼らの音楽は、新しくて、どこか懐かしい」というようなつぶやきをしたことからもそれは裏付けられる。(このとき、たぶん、SUGIZO氏は、2階で観ていたに違いないから、同じフロアーで聴いていたSUGIZOファンのぼくとしては、大変、いい気分なのだ)。いったい、彼女たちは、何を聴いて音楽を始めたのか、本当のところを知りたくなる。
新譜の表題曲「Break」は、何とも評しがたいタイプの音楽だ。めちゃめちゃカッコイイのだけど、ぼくにはどこか懐かしい。ぼくの貧しい音楽経験から言うと、スティーリー・ダン(スティーリー・ダン - Wikipedia)の「Aja」を思い出させる。これはものすごくスタイリッシュで、かっこいいコード進行とリズムで構成された曲たちだった。トリコのメンバーが、これを聴いているとは想定できないので、どこかでだれかがこれを源流とした音楽をやっているのかもしれない。
カップリングされている曲「after school」になると、もうこれは「70年代の日本のロック」としか評しようがない。思い出せるものは少ないけど、はっぴいえんど(はっぴいえんど - Wikipedia)とか、チューリップ(チューリップ (バンド) - Wikipedia)とか、フラワートラベリンバンド(フラワー・トラベリン・バンド - Wikipedia)とか。まあ、どこが似てるんだ、と言われれば、「おじさんの懐古的願望」としか答えられないのではあるが。とにかく、今回のシングルのほうには、「懐かしくて、どこか新しい」という表現がぴったりだと思う。
このシングルは、何通りかのバージョンがあるが、リンクをはった「初回限定版」のDVD付きがいいと思う。DVDは、ライブ映像になっていて、これがまためちゃめちゃカッコイイからだ。
トリコをぼくが好きなのは、その(自称)D難度の楽曲のためだけではない。ボーカルの中嶋イッキュウさんの書く歌詞がぐっとくるからもあるのだ。確かに、いくつかの曲には、「若気の至り」としか思えない内容のものもある。まあ、若気の至りをやらかすのが許されるのは、若いときだけなので、思う存分やっていいと思う。でも、多くの曲の歌詞は、とてもセンシティブで、切なくて、秘めた想いが麗しいのである。また、時に、若さゆえの「痛烈さ」もある。例えば、デビューアルバム『爆裂トリコさん』に入っている「爆裂パニエさん」(MVは、https://www.youtube.com/watch?v=P_B_GalsJrE)には、こんな歌詞の一部がある。

嘘を吐いているのは僕なのか
はたまたただの野次馬の君か
想像の管理も上手に行えていないくせに
ぼくは人をダマせるほど頭が良くは無いだろうし
本当の事をすべて話すほど「馬鹿」じゃない
それを嘘と真実の境界線を消す為だけに
ただ踊り続けているだけの
「馬鹿」野郎だと
(爆裂パニエさん、music:キダ先輩、words:中嶋イッキュウ)

もう、これなんか読むと、今も進行しているとんでもない事件が、まるで予言されているかのように思われてしまうよ。詩人の感性がなしえたブンガク的な予言だね。

爆裂トリコさん

爆裂トリコさん

 ちなみにトリコの9月の代官山でのライブのチケットはゲットしたけど、今月にあるシェルターでのライブは見送ることにした。行けば行ける日程なのだが、ライブのやり方が気に入らないからだ。シェルターでのライブは、「女性だけが入場できる日(女MATSURI)」と「男性だけが入場できる日(男MATSURI)」に分かれている。つまり、女湯・男湯のようになっている、ということ。したがってぼくは、行くとすれば、男MATSURIのほうだが、それは嫌なのだ。もちろん、客に女子がいないのがやだ、というわけではない。客が男だけだと、低身長(160センチ)のせいで、全くステージが見えなくなること必至だからだ。そして、それでなくても暴れる客の多いトリコのライブ(前述のDVDを観ればわかる)が、とんでもなく荒くれることが間違いないからだ。こういう二分割の形式にしたのは、シェルターのキャパだと、みんなが入場することが不可能だからだろう。それなら、「身長170センチ以上の人が入場できる日(タッパMATSURI)と「身長170センチ未満の人が入場できる日(チビMATSURI)とで分けてくれれば良かったのに(笑)。
今週、ゼミ合宿に行ったとき、トリコのTシャツと、赤い公園のTシャツを持参していった。さて、どっちを着たものかと思案の末、赤い公園のほうを選んだ。その選択は正しかった。ゼミ生の男子が一人、トリコのTシャツを着ていたからだ。あぶなく「兄弟(いや、父子だな)」になるとこだった。笑い。彼は、ドラマーなので、今年のゼミライブで活躍してくれることだろう。もちろん、D難度の曲はうちらには不可能だけど。