理系の高校生に読んでほしい社会的選択理論

 今回は、坂井豊貴『社会的選択理論への招待』日本評論社を紹介しようと思う。この本は、刊行直後に手にしたのだが、じっくり腰を据えて読みたい、と思うあまり、今まで一年もの時間が経過してしまった。しかも、とても忙しいときに限って、逃避行動としての読書をしたくなるものであり、この時期に本書を読んだのは、正直、逃避行動である。であるから、かなり雑な読み方をしており、したがって、雑な書評になることを事前に言い訳しておきたい。ちなみに、著者の坂井さんについては、このブログで以前に、メカニズムデザインってだいじだと思う。 - hiroyukikojimaの日記などで紹介している。

社会的選択理論への招待 : 投票と多数決の科学

社会的選択理論への招待 : 投票と多数決の科学

お世辞抜きに言って、本書は、妬ましくなるほどに、みごとな構想と筆致を備えた本だと思う。これほどの原稿は、おそらく、相当に周到な計画と思索の時間をかけないと書き上げることができないと思う(そうでないなら、真の天才ということになろう。その場合は、妬み以前に、視界から抹消してしまいたい衝動が生じる。笑)。
 「社会的選択理論」というのは、政治学社会学、社会思想、経済学などの多くの文系分野にまたがった理論であり、そういう意味では、社会理論の原点と言っても過言ではない。要するに、「どういう政治体制や社会制度や社会政策を選択したらいいか」ということを論じる学問である。本書は、これについて、二つの意味で特化した内容となっている。第一は、投票の問題を中心的に扱っている、ということ。第二は、それを数学的な定式化のもとだけで解析している、ということ。もちろん、広義の社会選択理論には、もっとさまざまな問題設定やアプローチの方法があるから、本書はそういう意味では総論的ではない。
 まず、本書について、最初に強調したい評価は、「理系の高校生に是非とも読んでもらいたい」ということだ。一部には、歯が立たない部分もあるかもしれないが、ある程度の数学能力を持った高校生なら、ほとんどの部分を読解することができると思う。そして、数学という道具が、必ずしも、物理学や化学や生化学などの物質科学だけで力を発揮できるものにすぎないわけではなく、「人々がより幸せになるにはどうしたらいいか」とか「社会が危機に陥らないようにするには、どういうシステムが有効か」とかなどの、社会的な分析にも使える、ということを実感することができるからだ。
 優秀で、かつ、ませた高校生は、往々にして、社会に対してある種の視線を持っている。一家言ある。しかし、それを議論しようとする場合、その理系的な能力に比してみれば、とても貧弱になってしまう(ありきたりで軽薄になってしまう)ことが多い。ぼく自身、高校生のときそうだったから、そのことは実感している。(もちろん、そうではない、例外的な高校生もいるのだろうが)。それは、数学を利用する理系分野のように、「大人にも勝つことのできるルールでの勝負」ができないからだ。本書は、生意気だが、その生意気さを正当化するための努力を惜しまない高校生に、そのような勝負のための「武器」を与えてくれる。
 本書の良さは、まず、その洗練された数値例にあると言える。
投票理論を扱った本の多くは、例にあげる数字が鬱陶しく、読んでいてめんどくさくなる。他方、本書は、見事な数値例を、最も読みやすい方法で紹介しており、投票理論の解説につきまとう煩わしさを極限まで削減することに成功している。例えば、第3章の冒頭で紹介される例は、多数決、点数投票、ペア全勝者ルール、決戦投票付き多数決、逐次消去ルール、という5つの採決方法で、それぞれ別の選択肢が選ばれる例を挙げていて、舌を巻く。漫然と読んでいると気付かないかもしれないが、ぼくには著者の苦心が透けてみえる。具体例で証明したほうがいいものについては具体例で、一般論のほうがわかりやすいものは一般論で、と適切に分類されている。
 本書のモチベーションは、18世紀に投票(多数決)の問題について思案した二人の学者、ボルダーとコンドルセの問題意識と考え方を紹介し、それがその後の200年以上の時の中で、どう発展していったかを克明に追うことである。双方とも、単純投票による多数決の問題点を指摘しており、それに変わる投票の方法を提唱した。
 ボルダーは、例えば3つの選択肢に対しては、一番好むものに3点、二番目に好むものに2点、一番好まないものに1点、のように「順位得点を投票する」ルールを考案した。これは、のちにボルダールールと呼ばれるようになった。他方、コンドルセは、あくまで2つの選択肢同士に対して投票を行い、すべてのペアに対してどちらが優位にあるかを決め、その支配関係がサイクル(xをyより好み、yをzより好み、zをxより好む、のようなもの)を作ってしまった場合には最も僅差の支配関係を削除する、という方法を考えた。本書では、このボルダー案とコンドルセ案について、その後の研究をまとめている。
 第3章では、「ボルダールールのある意味での優越性」について解説している。例えば、「全員一致」を最も望ましい方法とする場合に、「選択方法が全員一致にどのくらい近いか」という「距離」にあたるものを定義する。その「距離」で測ると、ボルダールールが最も望ましいことが証明されるのである。さらには、「平均得票数」を望ましさの基準だと設定しても、ボルダールールの望ましさが証明される。これらの証明は、理系の優秀な高校生なら、十分に理解することができる。というか、雑誌『大学への数学』が添削問題として出題できるレベルだとさえ言える。ここで大事なことは、これらが単なる「数学パズル」とか「受験的良問」とかのチンケな問題ではなく、その背後に、「我々みんなが、公正で幸せな社会に暮らせるようになるには?」という重大なテーマが込められている、ということなのである。
 他方、コンドルセ案については、第2章で、ヤングが1988年に発見した「最尤法による順序づけ」が解説される。これは、「支配関係のサイクル」が生じた場合に、それを確率的な揺らぎによるできごとだと解釈し、その支配関係を生み出す順位付けの中で最も確率の高いものを「真の順位付け」とする考え方である。これは、「その現象を観測する確率が最も大きくなるものこそが、現実に起きていることである」とする、いわゆる「最尤原理」を用いている。最尤原理は、物理学や統計学での基本原理であるから、そういう意味で、ヤングの観点は非常に自然科学的だと言えよう。この解説は、普通の高校生にはハードルが高いかもしれないが、「優秀かつ生意気な」高校生であれば、アプローチできるであろう。
 以下、「高校生に推薦」の観点からはずれた論評を付け加える(もちろん、高校生にも十分適用できるとは思うが)。
 「社会的選択」と言えば、当然、「思想信条」がつきまとう。その点で、本書は、非常に不思議なスタンスの本になっているように思う。どういう意味かというと、著者の坂井さんが、思想信条の吐露や押しつけを慎重に忌避・回避しているように読める。言い換えるなら、非常にストイックに議論を展開している。それでいて、あふれ出る青白い炎、思想信条の炎も漏れ注いでくる。そこが、ぼくにとって「物足りなさ」でもあり、また、その新奇さに対するぼくの純粋な驚きと魅力でもある。つまり、ぼくの心の中に、本書はある種の矛盾を巻き起こすのである。
 ストイックでありながらも、本書は、「今こそきちんと論じるべきこと」を投入している。例えば、「改憲問題」については、Caplin and Nalebuff(1988)の議論(読めないので、そのままにした。笑)、すなわち、「支配関係のサイクル」を生じないなような投票制度のためには、「過半数」ではなく「64パーセント以上」を可決の条件とするべき、を紹介している。それでは、日本の「改憲には3分の2以上が必要」というルールはそれでいいか、という点について坂井さんは、「28%の得票率で79%もの議席を獲得できるような小選挙区制ではダメ」と結論付けている。Caplin and Nalebuff(1988)の議論については、最低限度の「科学的な」議論として、誰もが踏まえてしかるべきであろう。(ぼくは、この法則は全く知らなかった)。
 とりわけ、第7章の「投票と人民主権」は、青白い炎が大きく燃え上がる終章となっている。ここでは、「なぜ、我々は、社会的選択理論を構築しなければならないか」について、相当に坂井さんの肌身を晒した意見が表明されているように思える。例えば、冒頭を引用してみよう。

 有権者が自らの意に沿わない投票結果に対して従わなければ「ならない」という義務はどこから生じるのだろうか。従わなければ罰せられるから従うというのは服従であり、義務ではない。国家は刑事司法という暴力を発動するための合法的装置を定義的に備えているから、服従を義務に擬態させることはできるが、それは正義や倫理により根拠を与えられる本質的な意味での義務とは異なるものだ。
 義務の発生に正当性を与えるのは、投票の結果が正しい、あるいは正しい確率が高いということに他ならない。それが成立するためには、有権者が総体として一定水準以上の理性を備え、かつ彼らの理性を集めるための社会選択の方法すなわち集約ルールが合理的に出来ている必要がある。

実に、美しい論理だと思う。さらに、坂井さんは、次のように燃え上がる。

賢明な有権者の育成無くして人民主権の社会は成立しない。経済学の言葉で言えば、賢明な有権者は世に資する公共財である。近年の日本では教育が私的利益や市場原理の言葉で語られることが多いが、それらはいずれもこの観点を欠いている。

 このあと、坂井さんは、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅氏の言葉を引用したり、論文の共著者が不当に逮捕された事件などについて言及したりする。このあたりについては、皆さんが自分の頭で読み、自分の頭を通して評価すべきだと思うから、ここではこれ以上は触れない。
 ぼくの本書に対する評価は、次元の異なる二つの部分から成っている。第一は、数学的な社会分析の本として、すこぶる面白く、また、みごとに構築されている、という点。第二は、現状の社会システムに関する思想信条を表明する本としては、ぼくにとって定形外・新型であり、当惑をもって、その奇妙な魅力の落とし穴に落ちないように抵抗したい、という点である。
 またまた長くなってしまった。ぼくと一緒にお仕事をしている、あなたやあなたへ。これは、逃避行動なんだが、逃避は終わったので、ちゃんと仕事に戻りますよ、はい。ちゃんとやりますってば。