変格推理小説・三大奇書の思い出

前回、小林泰三『アリス殺し』を紹介した(『不思議の国のアリス』は数学的? - hiroyukikojimaの日記参照)流れで、昔読んだミステリーの話を書こうと思う。
ぼくは、中学生のときからミステリーが大好きだった。
中学生のときは、ミステリー好きな同級生が数人いて、お互いに面白かった作品を教え合ったものだった。当時は、エラリー・クイーンアガサ・クリスティクロフツなどが流行っており、面白そうな作品は矢継ぎ早に読んだ。しかし、そのミステリー仲間の中に、その後、プロの将棋棋士になった奴がいて、そいつはとても困ったやつで、一言で犯人とかトリックとかをばらしてしまうので、そいつに教えられてしまったのは、名作と言えど読んでいない。中でも残念だったのは、『オリエント急行殺人事件』と『アクロイド殺人事件』と『ドリルレーン最後の事件』。やつにトリックを一言でばらされてしまい、そのあまりの傑作ぶりにのけぞったとともに、読んで感動することができなかったことを、今でも恨みに思っている(聞いてるかい?> Mくん)。
でも、ミステリーに最もはまったのは、浪人して駿台予備校に通っているときだった。
駿台では、たまたま隣りの席になった男子、および、その友人となんだか親しくなった。彼らは、学大付属の卒業生たちで、みんな優秀な連中だった。その中の一人に、ミステリー狂のIくんがいた。彼は、東大の受験者だったが、受験間際に高木彬光のミステリーにはまってしまって、一日に三冊とか読みまくってて(笑)、当然のように落ちて予備校に来ることになったのである。
当時は、角川が、ミステリーブームを仕掛けて、みごとに成功させていた頃だった。高木彬光森村誠一横溝正史を、三大推理作家として売り込んでいた。ぼくも、Iくんに勧められて、高木彬光は、一日に一冊の勢いで読んだ。たぶん、一ヶ月で30冊は読んだと思う。そのあと、森村誠一横溝正史も、名作だけはフォローした。
でも、Iくんがすごかったのは、当時はマイナーであった、推理雑誌『幻影城を読んでいたことだった。そのときは、新人賞を受賞してデビューしたばかりの泡坂妻夫さんが、亜愛一郎シリーズを連載していた。それと同時に、竹本健治さんが、大学生でありながら匣の中の失楽を連載していた。泡坂さんと竹本さんとは、その後、ご本人と(夢や妄想ではなく)現実にお会いすることとなった(その話はあとのほうで書く)。
Iくんとは、駿台の講義を受講しながら、「二人とも東大に合格して、二人で推理小説を書いて、幻影城の新人賞に応募しよう」と誓いあって、授業の合間に、トリックとストーリーを構築した。駿台山本義隆先生の物理の講義中に殺人事件が起こる、というプロットだった。高木彬光に「我が一高時代の犯罪」という短編があって、これは、東大駒場の時計塔から忽然と人が消失するプロットのミステリーなのだが、「駿台殺人事件」のあとには、この作品を凌駕する「東大駒場殺人事件」を書こう、というのが合い言葉だった。肩身の狭い浪人時代にもかかわらず、Iくんのおかげで、実に楽しく毎日を送ることができたことを今でも覚えている。
幸運なことにも、二人とも東大に合格し、実際にミステリーを共作して、新人賞に応募した。一次予選は通過したが、4〜5本の候補作にしぼる二次予選で落選した。
そういう結末だったが、大学生になったあとも、ぼくのミステリー好きは勢いを増すことになった。それで読んだのが、三大奇書と呼ばれる、変格ミステリーだった。一般教養、つまり、東洋史だとか社会学だとかの大教室の講義は、最後列に座って、ずっとミステリー読んでいた。三大奇書とは、
夢野久作ドグラマグラ
小栗虫太郎黒死館殺人事件
中井英夫『虚無への供物』
である。ぼくは、これに、
日影丈吉『内部の真実』
を加えて、四大奇書と呼ぶことにしている。
すべての作品が好きであることはいうまでもないが、『ドグラマグラ』については、拙著『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫で論じたので、ここでは省略する。
残る三冊の中で、読んでいて最も「頭がおかしくなりそう」なのは、『黒死館殺人事件』である。とにかく、何を言ってるのかさっぱりわからない。一文一文は、意味をなした文章になっているのだが、つなげて読むと、その意図することがさっぱりわからないのである。最後のほうで、「意外な」犯人が明らかになるのだが、そもそも事件自体の意味がつかめないので、何が「意外」なのかも理解できないスバラシサである。(ひょっとすると、精読すればわかるのかもしれない。うん、わかる人がいるのかもしれないので、あくまでぼくの一読の感想にすぎないことを注意しておく)。しかし、よくこんな作品を書き上げたと思う。そのエネルギーには敬服する。
とはいえ、ぼくは最も好きな作品は、『虚無への供物』だ。すべての意味において、ぼくにとって、これに勝るミステリーはいまだに現れない。好きな作品はいくらでもあるけれど、『虚無への供物』ほど心を揺さぶれたミステリーは、これを読破したあとの30年の歳月の中で皆無である。とにかく、湯水のように乱発される密室トリックといい、展開の面白さといい、キャラクターの魅力といい申し分ないが、中でもぼくにとってもっとも重要なのは、「動機(ホワイ・ダニエット)」なのだ。もう、読み終わって泣けて泣けてしょうがなかった。こんな「動機」を思いついた推理作家が他にいただろうか。この「動機」を書くために、長い長いストーリーを書き上げたのだと思うと、本当に涙が出てしまう。未読のかたは、是非読んでいただきたい。(たぶん)いまだに輝きを失っていない超名作だと思う。先ほど出てきた竹本健治さんの『匣の中の失楽』は、新たな「虚無への供物」としてのチャレンジ作品だ。ある意味においては、「虚無への供物」に最も肉薄した作品と言っても過言ではない出来ばえである。これを大学生のみそらで書いたのだから、天才としかいいようがない。
『虚無への供物』と、ある点で、同じ水準に達している作品が、『内部の真実』だ。これも読み終えたとき、重い感動に沈んでしまって、浮上するのが大変だった。これは、戦時中に、日本軍が占領した台湾が舞台の殺人事件なのだが、こんなばかなトリックをまともに構築したことには惚れ惚れしてしまう。文章もすばらしく、異国情緒もみごとである。
 そんなこんなで、ミステリー好きが高じたぼくは、小学生向けの受験雑誌『中学への算数』でいくつかの短編ミステリーを掲載した。本当は、チャンスがあれば、いつかミステリー作品を世に問いたいと思っている。宣伝になって申し訳ないが、寄稿した中の一編『夜の町はネコたちのもの』は、拙著『ナゾ解き算数事件ノート』技術評論社にリライトして収録したので、騙されたと思って、是非お読みいただければ、と思う。
前のほうで書いたが、泡坂妻夫さんと竹本健治さんとはお会いしたことがある。泡坂さんについては、泡坂妻夫さんと会ったときの話 - hiroyukikojimaの日記を参照のこと。竹本さんについては、つれあいが熱狂的なファンで、あるきっかけから、竹本さんのラボに出入りするようになり、コントラクト・ブリッジを教えていただくようになったのだ。それが縁でぼくも一度だけお会いした。下北沢のバーで、ブリッジをしているところに遊びにいったのである。
こんな年齢になってしまって「夢」とか言うのは気がひけるが、いつか、変格推理小説を世に出してみたいものだ。でも、「変格的」なトリックを思いつく才能がなさそうなので、夢は夢のまま終わるに違いない。

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

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ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

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ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

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