ゼータの図鑑を一家に一冊

数学者のグロタンディークが、今月亡くなった、ということで、追悼の意味を込めて、ゼータ関数の本を紹介しようと思う。ちなみに、グロタンディークは、1928年生まれ。奇しくも、9月にご逝去された宇沢弘文先生(宇沢弘文先生は、今でも、ぼくにとってのたった一人の「本物の経済学者」 - hiroyukikojimaの日記)も1928年生まれだから、同じ年に生まれ、同じ年に天に召されたことになる。
追悼の意味もあって紹介したいのは、黒川信重『ゼータの冒険と進化』現代数学社だ。

ゼータの冒険と進化

ゼータの冒険と進化

この本は、ざっくり言えば、「ゼータの図鑑」である。いろんなゼータが整理整頓されて、紹介されている。例えば、素朴なゼータ、群のデータ、代数群のゼータ、環のゼータなどが紹介されている。
まずは、この本の面白いところを、箇条書きにしておきたい。
1.いろんな種類のゼータが総覧できる。
2.どんなゼータが扱いやすく、どんなゼータが手に負えないのかわかる。
3.ゼータの進化の歴史が一望できる。
4.有名数学者の人となりを知ることができる。
5.黒川先生が、数学研究に抱くいろいろな思いや憤りがわかる。
という感じである。
 ゼータ関数というのは、現代数論の中心的な素材だ。18世紀にオイラーが研究の対象とし、さまざまな重要な性質を発見した。19世紀のリーマンがその研究を引き継ぎ、オイラーの研究で不明瞭だった部分をしっかり明確化させた上で、有名な「リーマン予想」を提出した。これは、ゼータ関数の零点と素数とを結びつける定理だが、いまだに未解決である。その後、20世紀には、数論研究における重要なテーマとなり、さまざまな発見がなされた。とりわけ、楕円曲線ゼータ関数の研究から、17世紀から350年未解決だったフェルマー予想が解決されたのは、華々しい結果だった。
 この本を読むと、ゼータ関数には「和による表現」と「積による表現」があり、それは別々に理解すべきであることがわかってくる。リーマンゼータというのでそれを紹介するなら、
A=(1のs乗の逆数)+(2のs乗の逆数)+(3のs乗の逆数)+・・・   (和はすべての自然数にわたる)
という無限和が、「和による表現」で記述したリーマンゼータである。他方、
B={(1−(1/(2のs乗))(1−(1/(3のs乗))(1−(1/(5のs乗))・・・}の逆数   (積はすべての素数にわたる)
というのが、「積による表現」で記述したリーマンゼータであり、オイラー積と呼ばれる。そして、この二つの表現が一致すること、すなわち、A=Bとなることが、オイラーによって発見され、リーマンによって、sを任意の複素数としたときの無限和の定義を含め、明確に証明されたのである。例えば、sが負数の場合、Aは、形式的には、増加する正数を無限に加える発散級数になるが、この場合、そういう風には見なさないで、収束する場合のsの関数を自然に複素数全体に拡張した「解析接続」と呼ばれる関数によって解釈するのである。
 本書では、この二つの「和による表現」と「積による表現」を別個に扱って、それぞれでゼータを定義していくので、「そうか、和と積は別個に考えるのか!」とばかり悟りに達することができる。たとえば、「和の表現」での「素数のゼータ」は、Aの形式で次のように定義される。
(和の形式での素数のデータ)=(2のs乗の逆数)+(3のs乗の逆数)+(5のs乗の逆数)+・・・ (和はすべての素数にわたる)
これについては、複素数sの実部が1より大のときは絶対収束し(言うなら、高校の教科書的な収束をし)、その関数は複素数sの実部が0より大のときまでは解析接続できるが、それより先へは解析接続できない、ということがランダウとワルフィッツによって1929に証明された、ということである。つまり、このゼータは、複素数全域では定義できないそうなのだ。その証明には、この(和の形式での素数のデータ)が、積の形式での素数のゼータBという関数の無限和に表現されることが使われている。
 一方、積の形式でのゼータには、例えば、
(積の形式での4で割ると1余る素数のゼータ)={(1−(1/(5のs乗))(1−(1/(13のs乗))(1−(1/(17のs乗))・・・}の逆数   (積はすべての4で割ると1余る素数にわたる)
というのを考えることができる。直感的に言えば、素数の半分だけを使って作ったゼータということができるが、こうするだけで、ゼータは非常に素性に悪いものとなってしまうことが指摘されている。黒川先生は、このゼータが複素数sの実部が0より大のときまでは解析接続できるが、それより先へは解析接続できない、ということを、ランダウ・ワルフィッツと似た方法で、1987年に証明したそうだ。
この方法論を見れば、フェルマー素数(2の(2のk乗)乗+1の形の素数)や、メルセンヌ素数(2のk乗−1の形の素数)が無限にあるのか、有限個なのかを解くアプローチ方法が見える。要するに、
(積の形式でのフェルマー素数のゼータ)={(1−(1/(3のs乗))(1−(1/(5のs乗))(1−(1/(17のs乗))・・・}の逆数   (積はすべてのフェルマー素数にわたる)
とか、
(積の形式でのメルセンヌ素数のゼータ)={(1−(1/(3のs乗))(1−(1/(7のs乗))(1−(1/(31のs乗))・・・}の逆数   (積はすべてのメルセンヌ素数にわたる)
などのようなものを考えればいいのであろう、ということなのである。しかし、これらのゼータはとてつもなくたちが悪いことは、上記の黒川先生の例を見るだけで容易に想像できる。黒川先生は、これまでの著作で、「フェルマー素数が無限にあるという予想」や「メルセンヌ素数が無限にあるという予想」が、解決が難しく、まだまだ年月を要する、という推測を書いておられるが、その根拠はこういうところにあるのである。
 これらのことは、前の箇条書きの2番目に書いたことである。こういうことを書いてある本は非常に少ない。ほとんどすべての数学書では、素性のいい概念しか紹介しないからである。そういう意味で、本書は異色だと言っていい。
 箇条書きの1番と3番にあたることは、群のゼータ、代数群のゼータ、環のゼータの紹介ということにつきる。ただし、これらの章を理解するには、その前に、群や代数群や楕円曲線や環の定義を知らないといけない。そういう意味では、それらの定義を先に何か(有限体や環については、例えば、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書)で読んでから、これらの章を読むか、逆にこれらの章で、なんとなくそれらの概念に当たりをつけてから、ものの本で調べるか、すればいいと思う。例えば、典型的な群のゼータは、
(群Gのゼータ)=(|G/H1|のs乗の逆数)+(|G/H2|のs乗の逆数)+(|G/H3|のs乗の逆数)+・・・ (和はすべての部分群にわたる)
と定義される。ここで、|G/H| というのは、群Gの部分群Hによる右(左)剰余類の要素の個数である(群の剰余類については、拙著『天才ガロアの発想力』技術評論社などを参照のこと)。例えば、群Gを有限巡回群(例えば、{0, 1, 2}にmod 3の加法を定義した加法群など)とした場合には、これらのゼータは、「関数等式」「オイラー積表示」「リーマン予想の類似」が成り立つ、ということが証明も含めて紹介されている。つまり、これらのゼータは素性のいいゼータであり、有限巡回群の要素数を無限にもっていったものが自然数だと理解すれば、有限巡回群のゼータの「極限」のようなものがリーマンゼータと解釈できることから、リーマン予想が成り立ってもおかしくない、と想像できる、と黒川先生は書いておられる。
 環のゼータの章は、面白いことに、ほとんど数式を使わず、文章だけで書いてある。それによると、環のゼータは、積の形式から作られ、それは極大イデアルにわたる積によって構成される、ということである(極大イデアルについては、前掲の拙著『数学は世界をこう見る』参照のこと)。そのゼータが、ハッセやヘッケや岩沢によって少しずつ解明されてきた歴史がまとめられる。それが、箇条書きの3や4としたことである。そして、いよいよ、グロタンディークの登場である。グロタンディークは、スキームという概念を構築することによって、スキームのゼータというものを生み出した。スキームは、空間の概念を一新するものとなったということが示されるのである。その際、スキームのアイデアの源泉は、ゲルフォントが証明した位相空間のある定理にあることが提示される(ゲルフォントの定理の証明は、ぼくと黒川先生の共著『21世紀の新しい数学』技術評論社に収められている)。
 以上、「ゼータの図鑑」としての本書の内容を簡単に紹介してきたが、実はこの本の面白さは、その隠し味にある。隠し味というのは、黒川先生の実体験や、数学に対する価値観が、ところどころに込められている、ということである。それが、数学ファンにはこよなく楽しいものなのだ。
例えば、黒川先生が「多重三角関数」(三角関数も進化する - hiroyukikojimaの日記参照)を発見し、それを論文化して投稿したときの、不採択とされた査読報告の話だ。それは、「次のようにすれば多重三角関数論を使わずに簡単に証明できる」と数ページにわたるオイラー・マクローリン公式の込み入った計算が示されたものであった。まあ、こういういじわるな、心の狭い査読というのがあるのは想像に難くないが、黒川先生は、「こんなことでは、現代数学にも先はありません」と憤りを露わにしている。他にも、研究費申請の審査の問題とか、長期計画の問題とか、いろいろ本音を書いてあって、身につまされる。本書の数式があまり理解できなくとも、そういう、数学研究や、研究にまつわる様々な制度などについての黒川先生の見解を知るだけでも、十分に本書を読む意義があると思う。それが箇条書きの5として提示したことだ。
 数学の話ばかりになったので、最後に、音楽の話を付け加えておくことにする。
最近買ったアルバムでは、赤い公園の新譜『猛烈リトミック』とテイラー・スウィフトの新譜『1989』が、めちゃめちゃ気に入っている。後者は、いずれ紹介することにして、今回は前者を紹介しよう。
 赤い公園は、二十歳そこそこの若い4人の女子によるガールズポップ・バンドである(このバンドについては、前にも、赤い公園のライブのこと、森内二冠の就位式のこと - hiroyukikojimaの日記などで紹介した)。今回のニュー・アルバム『猛烈リトミック』は、前作に比べて、ずっとポップになっている。
猛烈リトミック(初回限定盤)(DVD付)

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言い換えると、前に蔓延していた「おどろおどろしい感じ」が、かなり薄らいでいる。ぼくは、そのおどろおどろしさも好きだったから、そのままでもよかったけど、今回のポップ全開な感じも非常に好きである。また、いろんなタイプの楽曲があることも飽きさせなくて良い。作詞・作曲の津野さんの天才ぶりは健在だと思う。名曲はたくさんあるが、「サイダー」なんかがめちゃめちゃ良いと思う。これは、ぜったい、サイダー会社からのCMオファー狙いだと思う(本当は、依頼されて作ってるのかもしれないが)。もう、能年玲奈とか本田翼とかのキャストでの映像が目に浮かぶようである(笑)。ただ、ちょっと気になることを言えば、歌詞に「食い物」が満載なのは、狙ってかどうか、という点だ。作詞家もマンガ家も、書くことがなくなると、「食い物ネタ」に走る、ということを聞いたことがある。本アルバムには、サイダーの他、イチゴとか、ラーメンとか、食い物ネタが多い。それが、コンセプトアルバムだからであって、スランプだからでないことを祈りたい(余計なお世話か、笑)。いずれにしても、このバンドは、ガールズポップの新天地を切り拓いていることは疑いない。今週、六本木シアターでのワンマンライブに行くので、非常に楽しみである。
天才ガロアの発想力 ?対称性と群が明かす方程式の秘密? (tanQブックス)

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