p進数の世界を旅しよう

いよいよ、2014年も終わろうとしている。このブログのエントリーを見直すと、今年もぼくにとって、さまざまなことがあった年だったなあ、としみじみする。
 さて、このブログでは、本の紹介をすることが多いのだけど、これまでは原則的に、取り上げる本は、全部(ないし、ほぼ全部)を読んだ本としていた。でも、そうすると、一冊の本を紹介するまでに相当なインターバルを要するし、分量の関係から、全部読んだにもかかわらず、紹介するのはほんの一部となってしまう。そこで、これからは、本の一部だけをとりあげて紹介することもよしとしよう、と決めた。だから、紹介した内容が、本の全体の焦点と不調和を起こしたり、一つの本が何度も取り上げられる可能性がある、ということをあらかじめお断りしておかねばならない。
 今回は、キャッセルズ『楕円曲線入門』岩波書店の2章から5章を取り上げる。

楕円曲線入門

楕円曲線入門

この本の2章から5章は、p進数についての「局所ー大域原理」という数論における重要な定理の証明にあてられている。ぼくがこれまで読んできた数論の本のいくつかには、この「局所ー大域原理」の証明が書かれていたけど、あまりピンときたことがなかった。でも、この本におけるこの原理の証明は、非常に簡潔で、かつ、とてもわかりやすいものだった。
数学の定理の証明というのには、少なくとも3つの評価基準があると思う。第1は、「簡潔かそうでないか」。第2は、「わかりやすいかわかりににくいか」。第3は、「その定理が成り立つことの本質的な理由が直感できる証明か、そうでないか」である。普通、この3つは相容れない場合が多い。簡潔な証明は、えてして、わかりにくい。抽象的で具体的な計算が見えにくいからだ。また、わかりやすい証明は、具体性のある計算に依拠しすぎるきらいがあり、その中の何がいったい定理を成り立たせるのか、が隠れてしまうことがおうおうにして起きる。ぼくは、このキャッセルズの2章から5章で繰り広げられる証明を推薦する理由は、この証明が上記の3つの基準をすべてクリアしているように思えたからなのだ。
 さて、では、p進数についての「局所ー大域原理」とは何かについて、おおざっぱな説明をしよう。p進数というのは、各素数pそれぞれに関して定義される新種の数の世界である。つまり、2進数、3進数、5進数、7進数、11進数・・・というふうに、素数ごとに定義される。これらが何であるかは、あとで解説するので、今は、すべての有理数を含むもっと広い数世界であり、四則計算ができ、極限操作の可能な数世界という程度の理解で読み進んでほしい。「局所ー大域原理」とは、2次曲線に関する定理だ。2次曲線とは、(xの2乗)+(yの2乗)−(zの2乗)=0とか、(xの2乗)+(yの2乗)−3(zの2乗)=0とか、(xの2乗)+5(yの2乗)−4xy=0のような2次(同次)式=0で定義される曲線のことであり、その上の点とは、少なくとも1つは0でないような座標のことである(同次座標)。これらについて述べた次のような定理が「局所ー大域原理」である。

与えられた2次曲線が(原点以外の)有理点を持つ必要十分条件は、その2次曲線が実数の点を持ち、かつ、すべての素数pに対して、p進数世界に点を持つことである。

必要条件であることはあたりまえである。実数も、p進数も、どちらも有理数をすべて含んでいるからだ。したがって、十分条件のほうが貴重なのである。ある2次曲線に有理点があるかどうかを知りたかったから、まず、実数点を持つかどうかを調べる。この場合は、その実数点はもちろん、有理点である必要はない。実数点が存在するとわかれば、次に2進数の中に点があるかどうかを判定する。それが存在するなら、3進数の中にあるかどうかを確認する。以下同様に、すべての素数pについて、p進数の中に点があることがわかれば、その2次曲線には有理点があると判定できる、そうこの定理は述べているのである。
この定理を発見したのは、ハッセという数学者だ。なぜ、「局所ー大域原理」と呼ばれるか、というと、実数体や、2進数体、3進数体、5進数体、・・・は、すべて有理数体の「局所化」と呼ばれ、有理数体自身は「大域体」と呼ばれる。(ここで、「体」とは、四則計算の可能な数集合のこと)。したがって、このハッセの原理は、次のように言い換えることできる。

2次曲線が大域点を持つ必要十分条件は、それが局所的にいたるところで点を持つことである。

例えば、先ほどあげた例の中で、(xの2乗)+(yの2乗)−3(zの2乗)=0は、実数の中には点を持つ(x=√3, y=0, z=1がその一つ)が、3進数の中には点を持たないので、この方程式は有理点を持たないとわかる。他方、(xの2乗)+(yの2乗)−(zの2乗)=0は、実数の点を持ち、すべての素数pに対して、p進数の点が存在するので、有理点が存在することがわかる。(まあ、x=1, y=0,z=1がすぐ見つかるから、つまらない例ではあるが)。
この「局所ー大域原理」の最も劇的な応用例が、かの有名な「フェルマーの4平方数定理」の証明である。これは、「すべての自然数は4個の平方数の和で書ける」という実にシンプルな定理であり、フェルマーが「証明できた」と主張したものの証明を書き残さなかったため、その後、オイラーラグランジュの努力によって証明が完成した、といういわくつきの定理だ。この定理と「局所ー大域原理」との関係は次のようになる。nを任意の自然数とするとき、(xの2乗)+(yの2乗)+(zの2乗)−n(wの2乗)=0という2次曲線を考える。この2次曲線が有理点を持つかどうかは、2進数の世界に点を持つかどうかに帰着することが証明される。(他の局所体に点があることは自然に証明される)。2進数については、一部のとびとびの自然数たちを除く自然数nに対して、上記の2次曲線に2進数の中に点があることが証明できる。このことから、とびとびの自然数を除くnについては、有理点が存在することがわかり、それをうまく利用すると、nが3個の平方数の和であることが証明できる。その例外的なとびとびの自然数nについては、(n−1)が3個の平方数の和で書けることを利用して、4個の平方数の和で書ける、と証明されるのである。ちなみに、この4平方数定理に関する、p進数と「局所ー大域原理」も含めた、もうちょっとだけ詳しい解説は、拙著『世界は2乗でできている』ブルーバックスを参照してほしい。

 局所的にいたるところで点があれば、全域点がある、という「局所ー大域原理」には、何か哲学的な響きがあって、ぼくにはとても感動的な定理に思える。
 そもそも、ぼくが中高生のときに数学にはまったのは、このように、数学の発想が持っている「哲学的な面」に惹かれたからだったように思い起こされる。思い出してみると、理系の高校生だったぼくは、もちろんそこそこに数学の問題練習をしたはしたけれど、問題解き自体にはそんなに大きな喜びを感じたことはなかった。音楽で言うところのスケール練習のように、退屈で、ときには苦痛であるような修練だと感じていた。ぼくが数学を面白いなあ、と思うのは、数学が創りだす新しい世界や新しいツールによって、この世界の見え方が一変する、そういう劇的な場面を目の当たりにしたときだった。そういう意味は、ぼくは、当時から既にどっぷり「文系」だったのだろうと思う。
 キャッセルズ『楕円曲線入門』では、2章でp進数の説明をし、3章で「局所ー大域原理」を提示した上で、その証明の半分ほどを行い、4章で「数の幾何学」という「ある性質をもった点の存在についての幾何的な条件」を与え、5章で「局所ー大域原理」の証明の後半を記述している。どの章も数ページ程度なので、読み通すのにそんなに労力はいらない。
 本書の2章でのp進数についての説明は、他の本に比べて、非常にクリアカットだと思える。
数列で、十分先にある2数がいくらでも「近く」なるものをコーシー列という。コーシー列がすべて収束するような集合を完備という。例えば、有理数の集合は完備ではない。具体的には、
1, 14/10, 141/100, 1414/1000,・・・   (1)
という有理数の数列は、十分先の2数は十分近くなる(例えば、10番以降の2数は10のマイナス9乗より差が小さい)。しかし、これは有理数の中に収束値を持たない(収束値があるなら、それは2乗すると2になる数だから)。そこで、コーシー列の収束値を人工的に創って(ねつ造して)、それを有理数に添加することで完備な集合を創ることができる。これを、完備化という。その際、「近く」を表す「距離」にいろいろなケースを与えると、個別にいろいろな完備集合が作れる。例えば、有理数の集合に対して、2数の「近さ(距離)」を単なるその「差」で定義し、その「近さ」に関して、完備化したものが実数だと定義される(カントールの定理)。このような実数は、すべて、
a_n・(10のn乗)+・・・+a_1・(10の1乗)+a_0+a_(−1)・(10の−1乗)+a_(−2)・(10の−2乗)+・・・    (ただし、a_kは0から9までの自然数)  
という形で表現できる。(10の正のべき乗)のほうは有限和になっているが、(10の負のべき乗)のほうは無限に延びていっていいのがポイントである。他方、有理数の集合に対して、2数の「近さ(距離)」を「2数の差の分子がpのk乗でぴったり割り切れるとき、2数の近さはpの(−k)乗」と定義し(これをp進距離という)、その「近さ」を基準にして、コーシー列すべてが収束列になるように集合を広げた世界(完備化した世界)がp進数なのである。このようなp進数は、すべて、
a_(-n)・(pの−n乗)+・・・+a_(-1)・(pの−1乗)+a_0+a_1・(pの1乗)+a_2・(pの2乗)+・・・    (ただし、a_kは0からp−1までの自然数)
という形で表現できる。実数とは逆に、(pの負のべき乗)のほうは有限和になっているが、(pの正のべき乗)のほうは無限に延びていっていいのがポイントである。見た目だと、この和が無限の大きさになって収束しないように思えるだろうが、(pのk乗)と0とのp進距離が、(pの−k乗)だから、(pのk乗)はkを大きくすると、どんどん0と「近く」なっていくことから、収束性は理解できよう。2数の「近さ」の定めかたが違うので、似ているのに違う、という表現形式が得られる。当然、代数的な性質も、似ているけど違う。例えば、実数の中には、「2乗すると−1になる数」は存在しない。しかし、5進数の中には「2乗すると−1になる数」が存在する。なぜかというと、上のp進数の表現で、「5のk乗の項までの総和を、2乗して、1を加えた数が、pのk乗で割り切れる」ように、a_0、a_1、a_2、・・・を、mod 5の計算によって逐次的に決定していくことができるからだ。この作業は、ルート2の小数点以下の各ケタを「2乗して2を超えないぎりぎりの数」として逐次的に決めていく操作(数列(1)がそれだ。これは中学生のときに習ったはず)と似ているが、「mod 5での剰余算」なのでもっとずっと見通しがよい。
 以上の説明でわかるように、p進数というのは、mod pでの剰余算なので、有限代数を基礎にしたものとなっている。なのに、なぜ、そのような有限代数を総合すると、無限代数である有理数における大域点の存在が突き止めらるのだろうか。それには、4章の「数の幾何学」がみごとな働きをするのだ。これは、ミンコフスキーという数学者によって編み出された方法で、「引き出し論法」と類似した証明法である。引き出し論法とは、「N個の引き出しにN+1個以上の品物をしまえば、少なくとも1個の引き出しには2個以上の品物が入ってる」という原理であり、こんな当たり前の原理が、意外な定理の証明に使えるのが面白い。これを拡張すると、「N個のものをH個の引き出しに入れるとき、N>mH(但し、mは整数)なら、少なくとも1つの引き出しに(m+1)個のものが入っていなければならない」となる。これを連続化して、空間の体積と加法群の指数に関する原理と化させたのが、「数の幾何学」である。この原理を使えば、個別の素数pに関する剰余の性質を、具体的な有理数の存在に結びつけることができるのである。この技術も、名人芸と呼ぶべき惚れ惚れするもので、その巧みさにはうならされる。
 以上が、本書・キャッセルズ『楕円曲線入門』の2章〜5章の紹介である。そこそこ現代的(p進数世界を利用している点)でありながら、そんなに抽象的ではない(現代数論は恐ろしく抽象的である)ので、現代数論の香りをお試し程度に嗅ぐにはとても良い本だと思える。とは言っても、大学初年級程度の数学を勉強したか、それと同等の数学力を持っていないと、記述自体についていけないかもしれない。予告編的にかいつまんで知りたいだけでいいなら、さっきも紹介した拙著『世界は2乗でできている』ブルーバックスが最適だと思う(結局、これが言いたい。笑)。
 それでは皆さま、良いお年を。