『現代思想 総特集 宇沢弘文』が刊行されました!

 雑誌現代思想の3月臨時増刊号として「総特集 宇沢弘文〜人間のための経済」が刊行された。是非とも、多くの人に読んでいただきたい。

ぼくは、この号の企画段階から参加し、論考も寄稿している。
ぼくの論考は、「宇沢理論の21世紀」と題するものだ。宇沢先生への追悼の文章は、宇沢弘文先生は、今でも、ぼくにとってのたった一人の「本物の経済学者」 - hiroyukikojimaの日記にエントリーしたが、この文章がぼくの本音であるとともに、とても感情的な内容であったため、今回の論考では、経済学者であるという自覚の下、感情と多少の距離を置いたものを書いた。
今回の論考で意識したのは、次の二点である。
第一は、雑誌が『現代思想』なのだから、宇沢先生の理論について、思想的・哲学的なアプローチを心がけること。第二は、宇沢先生の新古典派時代の成果と制度学派時代の成果とを公平に紹介し、その関連性を明らかにすること。宇沢先生の理論が評されるとき、なぜだか、「新古典派時代の成果だけを評価し、制度学派時代は無視する人」と「新古典派時代の成果についてはスルーして、制度学派時代のみを論じる人」に分離される。今回の『現代思想』でも、予期した通り、その二派にほぼ分離されている(一部に、両方に言及している人もいる)。それで、ぼくは、使命感として、両方に公平に言及することを目指したのである。
そんなことから、ぼくの論考は、次のような構成にした。
(先生の渡米中の理論の紹介)→(先生の帰国後の理論の紹介)→(21世紀に先生の思想を発展させると予期する理論の紹介)
もちろん、最初の二つについては、それらが孤立して相容れない成果ではなく、強い関連性・必然性を持っていることを論証しようと試みた。ぼくがそのポイントとしてあげたのは、「資本と貧困」である。これが、宇沢先生の学生時代に持ったテーマであり、それが渡米時代にも帰国後にもより深く研究されたのではないか、というのがぼくの仮説なのだ。
そして、三番目の(21世紀に先生の思想を発展させると予期する理論の紹介)で、例として取り上げたのが、小野善康さんの小野理論と、金子守氏と松井彰彦さんの「帰納ゲーム理論」である。実は、ぼくが小野理論を高く評価してきたのは、本当のところは、宇沢先生に教わった初心があったからなのだ。先生のマクロ経済学、とりわけケインズ理論への想いを、ぼくは二年間、ゼミで拝聴し続けた。その中で、先生にとってのケインズ理論は、「おかしいと感じるものの、何か突破口も垣間見える理論」というアンビバレントな位置づけであり続けたように感じた。小野さんの理論に出会ったとき、ぼくは、その宇沢先生の想いがここに結晶している、と強く思ったから、小野理論に惹かれたのである。(念のために言うと、ぼくの論考の中で、先生が小野理論には全く関心を示さなかった事実も指摘している)。
宇沢先生が直接に関わったわけでもなく、また、先生からの影響で築かれたわけでもない理論を、なぜ紹介したのか。それは、先生の理論を「懐古的に」語るのが嫌だったからである。それだと、先生の理論は、「死んだ古典」となってしまう。ぼくは、先生の理論は今世紀の経済問題を解決する重要な鍵となる理論だと信じている。だから、「生きた理論」として扱うために、これらの新しい研究が、先生の理論を発展させる可能性があることに言及したのである。
 さて、この「総特集 宇沢弘文〜人間のための経済」には、たくさんの論考が載っていて、盛りだくさんだから、まだ全部は読破できていない。気になった論考だけを拾い読みした段階である。そういういくつかの論考を紹介し、感想を述べよう。
 もちろん、宇沢先生の『ケインズ=ベヴァリッジの時代を振り返って』は、『現代思想』2009年五月号の再掲なのだが、みごとな論考なので必読だと思う。
 間宮陽介先生の『社会的共通資本の思想』西川潤氏の『社会的共通資本(SOC)とコモンズ』は、先生の社会的共通資本の理論という制度学派の理論を、社会思想の観点から論じていて読み応えがある。とりわけ、両方の論考で、先生の市場観とカール・ポランニー(主著は『大転換』)のものとが共通していることが指摘されていることは興味深い。
 内橋克人氏と神野直彦氏の討議『宇沢弘文の思想と仕事』は、先生の思想と社会運動をきちんと評価できている内容だと思う。宇沢先生が一生を通じて(アメリカ時代も含めて)貫かれた社会正義のスタンスについて、きちんと論じている討議だと感じた。とくに、神野氏の発言には、先生の学生時代・渡米時代・帰国後時代に一貫するテーマが、みごとに端的に言い表されており、溜飲が下がった。少し引用すると、次のような発言である。

宇沢先生は「私はマルクス経済学はわからない」とおっしゃっているけれど、実はわかっているわけですよね。数理経済学者としての宇沢先生に世界的な評価を与えた、「二部門経済の成長理論」は、近代経済学に足りなかった成長の問題、技術革新の問題にまさに『資本論』の資本蓄積論を取り込んで挑んでいるわけですよね。近代経済学マルクス経済学を融合させて書いた論文として評価していいと思います。宇沢先生は、もともと資本主義体制と社会主義体制に関心があったのです。アメリカに行かれてからもずっと追っかけられていたのは、分権的社会主義というテーマで、つまり分権的な市場経済社会主義のなかにどう取り入れるかということを研究された。そうしながら、社会主義に当てはめる議論を資本主義の成長理論に持っていったということに、この理論の特徴があると思います。しかも、先生はそこに留まったのではなく、資本主義と社会主義を越え、そしてマルクス経済学と近代経済学とを越えて、この「経済学の危機」と言われるような時期に「新しい経済学」をつくらなくてはならない、と考えられたのです。

これは、ぼくの先生の仕事全体への評価とほぼ一致していて、嬉しくなった。
 個人的に、最も感慨深かったのは、斉藤驍氏の『宇沢さんと意見書』である。斉藤氏は、弁護士で、宇沢先生と一緒に環境裁判の訴訟を行っていた人だ。マルクス経済学を学びたくて経済学部に進学し、その後、弁護士を目指した、と書いておられる。ぼくも、先生との関係の中で、斉藤氏が弁護を務める裁判や集会に参加したことがある(詳しくは、宇沢弘文先生は、今でも、ぼくにとってのたった一人の「本物の経済学者」 - hiroyukikojimaの日記を参照のこと)。ある集会で、斉藤弁護士は、「環境問題のような問題では、普通、被害者は受益者に比べて少数になるので、多数決では絶対に勝つことができない。しかし、民主主義には、それが正当であるなら、少数派が意見を叶えることができる制度が存在する。それが裁判制度だ」と演説をされた。それがとても感動的だったことを覚えている。斉藤弁護士の論考の中では、宇沢先生と数学者の銀林浩先生が環境裁判において、共闘されていたことが綴られていた。実際、集会で、銀林さんとご一緒したこともあったので、「やっぱり、そうだったのか」と感慨深かった。
ぼく自身は、銀林さんとは、全く別の団体で知り合いになった。それは、数学教育の方法論を研究する数学教育協議会という民間の団体だ。ぼくは、この団体の開発した「水道方式」「量の理論」などに大きな影響を受けて、それらの発想を独自にアレンジした上で、塾講師時代の中学生向けのテキストを作成した。当時は、銀林さんと一緒に何度もヨーロッパに研修旅行をして、その旅の最中に、いろいろな数学教育の方法論を議論させていただいたものだった。
 今でも不思議に思うのは、宇沢先生に銀林さんのことをお尋ねしても、銀林さんに宇沢先生のことをお尋ねしても、なにか返答をはぐらかされている感じがしたことだった。お二人は、同時期に東大数学科に在籍しており、旧知の仲だったはずで、その真相はいまだにわからない。けれども、こと環境問題に関しては、タッグを組まれていたのは、ぼくにとっては不思議な縁を感じることであった。
 先生の思想と運動に対して、多少批判的な論考も収められている。吉岡斉氏の『原子力発電について沈黙した宇沢さん』室田武氏の『宇沢理論における経済の形式と実在』である。前者は、先生が原発問題に対して、公的には沈黙をし続けた理由をいろいろと推測する論考であり、後者は、その理由を「地球温暖化ガスとしての二酸化炭素の排出を削減する代替として、原発には目をつぶったのではないか」と結論する論考である。特に、後者は、「地球温暖化説」に対して否定的であり、それに手放しで与してしまった先生の行動を先生の数少ない「間違い」として評価している。こういう論考をも掲載するのは、思想誌としては当然の編集方針だと思う。
 原発については、ぼく自身も、宇沢先生が何を考えておられたのか、いまだによくわからない。市民大学のゼミにおいて、エネルギー問題の議論になったときに、(当時は広瀬隆氏の本が話題になっていた)、ぼくは先生に原発についての意見を質問したことがあった。そのときも、先生は、言葉を濁すような感じになり、日本における原発導入の経緯に触れて「軍事マターですね」というような簡単なまとめをされただけだった。地球温暖化については、室田氏の指摘する通り、ぼくも温暖化説とその懐疑論の中で揺れており、以前ほどには前者に手放しの賛成をしていない現状である。いずれにしても、地球という巨大な熱学系において起きる現象はあまりに複雑で、現段階の科学では手に余る問題ではないか、と思える。
 以上は、抜粋しての紹介にすぎず、まだ読んでいない論考もたくさんある。いずれにせよ、宇沢先生の思想について、総合的によく編集された一冊だということは間違いない。集まった論考を見ると、宇沢弘文という学者が、経済学者の枠にも収まらず、経済思想家の枠にも収まらず、社会運動家の枠にも収まらない、本当に広い活動領域を持った人だったと思い知らされる。こんな人は、もう二度と出ないのではないか、とさえ思う。もちろん、そうあってはならない。第二、第三の宇沢弘文が待望される。