続・堀川先生とキング・クリムゾンの頃

 ぼくの指導教官だった堀川先生の三冊の著作が、最近、相次いで復刊された。それを記念にして一冊ずつ三回に分けて紹介している。前回は、堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記で、『新しい解析入門コース』日本評論社を紹介した。これは、東大の一般教養の1年生向けの解析学の講義を収録した名著だった。今回は、二冊目として、複素関数論の要諦』日本評論社を紹介しよう。これは、東大数学科に進学が内定している2年生の後期の講義を収録したものである。

複素関数論の要諦[新装版]

複素関数論の要諦[新装版]

この本は、前にも一度当ブログで熱烈に紹介している。読者に優しい数学書を書く技術 - hiroyukikojimaの日記がそれである。今回は、これとは違った角度から紹介するので、先にこのエントリーを読んでおいてくださると嬉しい。実は、このエントリーを読んでくださっていた編集者のかたが、この新装版を送ってくださった。ありがとうございます。
 今、どういうシステムになっているか知らないが、ぼくが在籍した頃の東大は、2年生前期までが一般教養で、それまでの3セメスターの成績で進学が決まり、2年生の後期(第4セメスター)は、専門の講義を受けることになっていた。本郷の先生が来て、駒場で講義してくれるのである。記憶は曖昧だが、たしか、表現論を意識した群論、集合と位相、そして、この複素解析が講義されたように思う。それまでの一般教養の数学とは異なり、本格的な純粋数学の講義が展開された。
 この本は、その時期に堀川先生が行った複素解析の講義がもととなっている。演習問題も、テスト問題も、ヒントとコメントまで収録されている。
複素解析というのは、複素数を対象とした微分積分の理論だ。複素数というのは、(−1)の平方根i を実数に付け加えて、広げた数世界である。複素数の世界では、どんなn次方程式も(重複を含め)n個の解を持つ、というのが重要な性質。これは、実係数の方程式だけでなく、複素係数の多項式でも成り立つ。つまり、「代数方程式を解く」という意味では、複素数は閉じた(めいっぱいの)世界なのである。それで、「代数的閉体」と呼ばれる。別の言い方をすると、すべての(実係数、複素係数)の多項式が、1次式の積に因数分解できてしまう、ということである。これが、有名な「ガウス代数学の基本定理」だ。
 このように「代数的」には完成している複素数の世界で、微分積分を展開したらどうなるか、ということが19世紀に研究された。これを大きく進歩させたのが、コーシーであった。複素関数とは、複素数を変数とし、値も複素数となる関数のこと。まず、複素関数微分がどうなるか。これは、実数が直線であるのに対して、複素数が平面であることから、実数の微分とは異なる定義が必要になる。h→0という極限をとるときに、複素平面上のどの方向からどのように近づけても同じ値を生み出さないとならない。その上、複素数は(実数)+(実数)i となっているため、代数的な性質が効いてくる。微分可能な複素関数は「正則」と呼ばれる。この正則関数がみごとな性質を備えていることが判明した。
 微分の次には積分。この積分について、複素関数はすさまじくみごとな性質を備えている。まず、実数の関数について高校で教えられている「微分の逆」では定義できない。積分は(関数値)×(微小幅)の総和、というリーマン和の考えを採用する必要があるが、それだけではダメ。複素数は平面を成しているので、「どういう経路で集計するのか」を与えないとならない。つまり、複素平面上に曲線を描き、その曲線に沿って(関数値)×(微小幅)の総和を行うのが複素積分なのである。
すると、この複素積分にはめっちゃみごとな性質があることがわかる。「正則関数(微分可能な関数)を閉曲線に沿って積分すると、必ずゼロになる」というのがそれだ。これが、有名な「コーシーの積分定理」である。これは、実数の関数において、「aからbまで定積分して、bからaに戻る定積分をして、加えるとゼロ」というのの超一般化と見なすとイメージしやすいかもしれない。この定理の証明について、本書はめちゃくちゃ素晴らしい解説を繰り広げているのであるが、それは以前に、読者に優しい数学書を書く技術 - hiroyukikojimaの日記のエントリーで紹介しているので、ここでは繰り返さない。この定理が成り立つ根源的な原因には、複素数という数世界の持つ、みごとな調和があるのではないか、と思う。その調和は、代数の世界では「ガウス代数学の基本定理」として現れ、解析の世界では、「コーシーの積分定理」として現れるのではあるまいか。
 さて、本書が、数学の教科書として優れている点を箇条書きで書いておこう。
1.複素関数の持つみごとな性質が、本源的にどこからやってくるのかを、極力、言葉(自然言語)で補おうとしている。
2.各定理の証明を、できるかぎりイメージが湧きやすいように選んでいる。
3.周到に伏線が張られ、それが通奏低音となって、最後まで読者を脱落させない。
4.随所に見られる、数学を理解する際の堀川先生の脳内作業が、読者の今後の学習の礎となる。
 冒頭に述べたように、ぼくは、数学科に進学が内定した2年生後期に複素解析の講義を受講したが、堀川先生ではなかった。どうにか単位は得たけれど、正直言って、全く身につかなかった。「複素関数の本質」のようなものが全然見えなかったからだ。また、面白いとも思わなかった。数学科卒業後に何冊か複素解析の本を読んだけど、前よりはわかるようになったが、それでも「本質が見抜ける」ほどではなかった。そして、本書と出会った。これは、衝撃だった。「定理の理解の仕方」や「証明の勘所」を大胆な表現で書いてくれているので、するすると、必然性を持って、頭に入ってきた。
例えば、「コーシーの積分定理」の応用として、「コーシーの積分公式」というのが得られる。これは、円周γの内部の点ζに対して、変数zを持つf(z)/(z−ζ)をγに沿って(zで)積分して、それを2πiで割り算するとf(ζ)になる、という定理。ぱっと読んでもどこがすごいかわからないと思うが、そういう人に堀川先生の表現を引用しよう。いわく、

もっとも重要なのは、ζが円の中心αの場合である。この定理のおもしろいところは、円周上で積分することで、原点における関数の値を``遠隔操作''のようにわかる、ということである。グリーンの定理は、円周上の積分で円板内部の``何かの総量''が分かる、というものだったが、それが、関数の正則性とむすびつくことでおどろくべき結果となった。3.3節のRPGモデルを使えば、コーシー・リーマンの方程式は、「正則なf(z)に対して、f(z)dzは``収支の釣り合った風''である」と主張している。コーシーの積分定理は、「収支の釣り合った風のもとで一周すれば、損得はない」と言っている。特異点は、風の吹き出し口であったから、(f(z)/(z−α))dzは、z=αに吹き出し口をもち、それ以外では吹き出しも吸い込みもない風である。「したがって、ひろがっていく風を円周上で観測すれば、f(α)がどこのくらいの大きさか分かる!!」と言うのである。

こんな書き方をしている教科書、こんなことを教えてくれる数学書が他にあるだろうか。(まあ、あることはあるけど)、大変希有な教科書なのである。
 3で述べた「周到な伏線」について、説明を追加しておこう。本書は、付録として「解析接続」を解説している。この付録のために、本の最初のほうで、複素変数zに対する対数関数log zに関する丁寧な解説が付けられている。複素関数にも、指数関数exp(z)とか、三角関数sin(z)、cos(z)などを定義できる。これはテイラー展開を使って複素平面全体で定義できる。しかし、指数関数exp(z)の逆関数であるlog zは様子が異なるのだ。それは、「多価性」という性質を持っている、ということだ。多価性というのは、関数の値が一つに定まらず、複数あることをいう。簡単な例で言うと、実関数でも、y=(xの2乗)の逆関数、つまり、「平方根」は、正負に一つずつ二つの値を持つ。これが多価性である。実関数では、log xは普通の関数だが、複素関数とすると(無限個の)多価性を持ってしまう。ぼくは、このことにあんまり関心を持っていなかったけど、本書で、かなり重要なことだと実感した。それは、解析接続を理解する上で、ものすごく良い具体例を与えてくれるからである。
 解析接続というのは、複素平面上の各円板ではテイラー展開で与えられ、それらの円板を重ねながらつなげて平面全体の関数として構成したものだ。「局所をつないで全体を生成する」という数学の極意である。解析接続は、とりわけ、「リーマン・ゼータ関数」で重要になる。「すべての自然数を足すと(−1/12)」という式は、多くの数学ファンに解せない事実だと思うけど、これは解析接続を理解しないとわからない。ぼくは、黒川信重さんとの共著『21世紀の新しい数学』技術評論社を作ったとき、解析接続をどう説明すべきか苦労した。結局、そこでは、1/(1−z)という分数関数のテイラー展開を例としているけど、これでは解析接続の本質の半分くらいしか説明できてないなあ、という実感があった。
 それに対して、本書での堀川先生の説明は、非常にタイトで要領を得たものだと思う。原点を中心とした半径1の円をCとおく。log zをC上の点z=1を中心にテイラー展開する。それは、半径1以内で収束する。次に、C上の点z=(1+i)/√2を中心にテイラー展開する。これも半径1以内で収束する。この二つのテイラー展開は、収束円の重なった部分では同一の関数となる。以下、円C上に中心を持つように、重なりをもたせながら、テイラー展開を続けていく。重なりの部分では、テイラー展開は関数として一致している。さて、こうやって、円Cをぐるっと一周して来たらどうなるか。出発点と同じ1を中心したテイラー展開が作れるが、これは出発点の関数とは違ったものになってしまう。log zの多価の別の値が得られるのである。このように、テイラー展開を重ね合わせていくことで、関数を生み出すことができ、多価性も表現できるのだ。堀川先生は、このことを理解させるために、対数関数について、入念な準備をしているわけなのである。
 本書、『新しい解析入門コース』日本評論社を読んで、ぼくはやっと、複素解析の面白さ・みごとさに気づかされた。でも、それは、現在のぼくだからであって、仮に数学科時代に講義を受けても、こういうふうな感銘を受けられなかったろうと思える。そういう実力も、感覚も、センスもなかった。壊滅していた。
 最後に堀川先生に会ったのは、東大の経済学部の大学院を受験するため、推薦書を書いていただくために訪問したときだった。1994年か1995年あたりだと思う。1995年に、キング・クリムゾンが来日公演をしているのが奇妙な符合に思える(読者に優しい数学書を書く技術 - hiroyukikojimaの日記参照)。先生は、ゼミを受けているときとは違い、非常に穏やかに、優しく接してくださった。ぼくが社会人として来訪したこともあるし、数学科ではなく経済学部であったこともあったと思う。でも、大きかったのは、ぼくの塾での教え子が、堀川先生の駒場での講義を受けており、そのときに、「小島先生に数学に導いてもらった」ということを話したのが最も大きな原因だったように推測している。ぼくから話したわけではないのに、「君は、塾で、専門的な数学のことを子供に教えているそうだね。良い講義のようだね」と仰った(言葉はこのままではない、意味的にこういうふうなこと)ので、とてもびっくりしたのだった。そして、そんな簡単な先生の言葉が、心から嬉しかったことが、今でも切なく思い出される。
 先生は、それから約10年後に病気で急逝された。まだ、50代の若さだった。数学科のとき、もっときちんとして、もっと先生にいろいろ教えていただければどんなに良かったか、と思うが、時間を遡ることができてもそれは不可能だ。なぜなら、当時のぼくはいうまでもなく、今のぼくでも、堀川先生が納得するような数学の才気がないからだ。でも、書籍は違う。堀川先生の本は、ぼくを叱ることなく、今でも、いつでも、ぼくに大切なことを教えてくれるのだ。