スティグリッツ氏の講演を聴いてきた

昨日、宇沢弘文教授メモリアル・シンポジウム「人間と地球のための経済 ― 経済学は救いとなるか?」が、国連大学で開催されたのに行ってきた。(人間と地球のための経済 ― 経済学は救いとなるか? - 国連大学参照)。主催は、宇沢先生の思想の普及を目標とする非営利団体・宇沢国際学館。
シンポジウムは、宇沢先生のご子息・宇沢達さんによる宇沢先生の業績と思想の紹介、ノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・スティグリッツによる講演(1時間)、宇沢先生のお弟子さんである松下和夫氏による宇沢先生の環境問題へのアプローチの紹介、スティグリッツ氏・宇沢達さん・松下和夫氏をパネリストとする討論、というプログラムとなっていた。
ここでは、スティグリッツ氏の講演についてだけ感想を書くことにする。
 とは言っても、氏の講演内容をきちんと把握できているわけじゃないことを前もって弁解しておきたい。なぜなら、英語が苦手なぼくは同時通訳で聴いたからだ。同時通訳の人は、とても優れた翻訳をしてたけど、経済学の専門用語をときどき訳し損なってたので、同時通訳が氏のニュアンスを100パーセント伝え切れているとは言えない。しかも、パワポのスライドの転換が速すぎたので、ちゃんと理解しないうちに次から次へと進んで行ってしまった。今思えば、デジカメで撮っておけばよかったと後悔している。備えが悪すぎた。
いやあ、同時通訳を聴くのは楽でいいんだけど、二つの難点があることがわかった。第一は、言葉が日本語でスライドが英語だと、頭の中がパニックになること。第二は、ジョークで聴衆が先に笑ってしまうので、遅れて笑うのがめっちゃ悔しいこと。それはさておき。
 スティグリッツ氏の講演の大部分は、宇沢先生に関する思い出と、二酸化炭素削減に関する国際協定のことだった。これについては、当エントリーでは触れないことにしたい。後者について知りたい人は、飯田香織さんのブログ(【スティグリッツのロールモデル】 : 飯田香織ブログ 担々麺とアジサイとちょっと経済)が参考になると思う。
ただ、この環境問題に関する氏の考えを聞くと、「宇沢先生のアメリカにおける正統的な後継者は、スティグリッツさんなんだなあ」という思いが強くなった。先生には、アカロフとかボウルズとか、アメリカにはたくさんの教え子がいる。しかも、多くは優秀な経済学者たちだ。でも、宇沢先生の帰国後の(非新古典派的な)方向性まで含めて継承している経済学者はいないように思っていた。今回の講演を聴いて、スティグリッツ氏がその人なんだ、という確信に至った。十数年前、環境問題に関する市民運動の集会の帰りに宇沢先生を電車でお送りした際、先生はスティグリッツ氏のノーベル賞受賞を心から喜んでいらした。「彼は、正義感の強い人でね」と手放しで褒めてらしたことを今でも思い出す。
実は、スティグリッツ氏のちょっと前の著作を読んで、氏のシャープさが影を潜めてしまった、どうしちゃったんだろう、と心配していた。でも、今回の講演を聴いてそんなことはない、と印象が覆った。きっと、氏は今、新しい経済学の方法論の構築に向かっているのだと思う。そういう意味で、行ってよかったと思った。
二酸化炭素削減以外の経済学的な議論の中で、興味深かったことを一つだけメモしておこう。それは、「選好の内生化」という話だった。これもきちんと聞き取れたわけでなく、スライドも写メってこなかったので、あくまでぼくが一聴した印象にすぎない。
経済学では、基本的に、「選好(preference)」という概念を使って、人間の経済行動を表現する。「選好」とは、「人の好み」を順序集合(要素の間に順序関係が定義された集合)で表現したものである。ようするに、行動たちの選択肢の間に、不等号と同じように、「順序」を入れるのである。普通は、効用関数というものを導入して、選好順位関係を関数値の大小関係で表す。
このような選好は、通常、経済環境から独立していて、個人の中に予めしっかりと根付いて変化しないもの、と仮定されている。
スティグリッツ氏は、選好自体が環境によって変化する、という風に考えようと提案している。経済環境が、選好によって選択されていくというのが従来の考え方だけど、氏は、選好が経済環境によって変化していくこともある、ということを言っている(ように思えた)。
その例として、たぶんジョークだと思うけど、氏は二つの例を挙げている。
第一は、「経済学を学んだ人は、経済合理性を意識した行動をするようになる」という例。これは、確か、どこかで実証研究が発表されていたような気がする。第二は、「銀行業に従事すると、どんどん銀行家的な嗜好を持つようになる」という例。これは、実証研究があるのか、氏のギャグ(皮肉)なのか、わからない。信憑性のほどはわからないが、氏は要するに、環境によって、人の選好(嗜好)は変わる、ということがいいたいのだ。それはつまり、今は絶望的に思える環境改善についても、未来にもそうであるとは限らない、なぜなら、人間の選好は変化するから、ということを主張するものなんだ、と思う。
実は、このことは、ぼくが宇沢先生の社会的共通資本の理論について考えたときにたどり着いた一つの理論的可能性なのだ。実際、拙著『確率的発想法』NHKブックスの中の自前の理論「論理的選好」の中で解説している。スティグリッツ氏が似たような方向性で思想を生み出そうしているのは、(レベルの差はともかくとして)、嬉しいことである。
 氏の話の中で、他の面白かった発言をいくつか書き留めておこう。
まず、昨日・今日、ニュースや新聞を賑わしている消費税増税の先送りの提言。これについては、今日の報道ステーションでの氏のインタビューでも言っていたが、増税を止めろという主張ではなく、財源は他で作れ、という提言である。氏は、炭素税や相続税など、環境改善や不平等是正に効果を持つ税を使うべき、というのである。税の戦略的利用ということだ。
それから、TPP反対については、次のようなことを言っていた。すなわち、「貿易の利益を否定しているわけではない」ということ。問題なのは、「すべてが取り払われると、何かの障害が生じたときに、それに対処をしようとすると他国から提訴される、ということになるのが良くない」ということらしい。これは質疑応答の中で言われたことで、細かく説明はされていなかったので、以下はぼくの解釈に過ぎない。例えば、EUで今、経済の動揺が起きている背景には、ユーロ圏では、単独での金融政策が難しい、ということがある。各国には、個別の事情があっても、政策はグローバルに行わなければならない。それはさまざまな問題を解決困難にする。それに似たことかな、と思う。
最後は、個人的に受けたジョーク。氏は、トランプ氏の躍進について、「もしも万が一、大惨事が起きて、トランプ氏が大統領になったとしたら、今のトランプ氏よりは少しマシになるだろう。なぜなら、ちゃんとしたブレインがつくだろうから」と言った。「大惨事が起きて」は同時通訳なので、本当はなんと言ったか知らないけど、爆笑してしまった。
アメリカの大きな問題として、アメリカ人の90パーセント以上の人の所得が80年代のまま伸びていないこと、そして、学歴の低い層の貧困が非常に深刻なことを挙げていた。

スティグリッツ入門経済学 第4版

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確率的発想法~数学を日常に活かす

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