スティグリッツの思想

 前々回に、スティグリッツの講演を聴いてきた話を書いた(スティグリッツ氏の講演を聴いてきた - hiroyukikojimaの日記参照のこと)。それは、故・宇沢弘文先生のメモリアル・シンポジュウムでの講演だった。ぼくは、以前に、スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』徳間書店を読んで、「スティグリッツの論文に感じるシャープさが全く見られない、ぼけちゃったんじゃあるまいか」と、残念な気持ちと心配な気持ちが勃興し、その後のスティグリッツの著作を追ってこなかった。
 でも、今回のメモリアル・シンポジュウムを聴いて、そんなことはない、と悟った。そればかりではなく、「スティグリッツこそが宇沢先生のアメリカでの生粋の後継者なんだ」と気づかされた。宇沢先生の日本のお弟子さんたちは、新古典派時代の先生の業績を受け継ぐ人と、制度学派としての先生の思想を受け継ぐ人に完全に分断されてしまい、その両方を継承する人はいないように思う。先生は、その両方を、同じ意志とビジョンを持って研究されていたので、これはとても残念なことに思っていた。それに対し、スティグリッツはまさに、新古典派の道具を縦横無尽に使いこなしながら、制度学派的な信条を展開させる、というまことに宇沢先生の生き写しのような学者になっておられ、とても眩しく頼もしい。
 そこで、この機に、スティグリッツの新しい著作を二冊を読んでみた。一冊は、2015年の『世界に分断と対立をまき散らす経済の罠』徳間書店で、もう一冊は今年2月に刊行されたばかりの『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』徳間書店だ。

世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠

世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠

これから始まる「新しい世界経済」の教科書: スティグリッツ教授の

これから始まる「新しい世界経済」の教科書: スティグリッツ教授の

前者は、『ヴァニティ・フェア』誌や『ニューヨーク・タイムズ』紙等に連載したコラムなどで構成されている。後者は、ルーズベルト研究所の報告書を基にして作られた本だ。内容に重複の多い前者より、後者のほうがシャープで読みやすいが、後者には前者が前提になっている部分もあり、両方読むことで相補いあえるようになっていることを付記しておきたい。
 以下、二冊の本をひとまとめにして、スティグリッツの思想を読みといていく。
 1. スティグリッツは、新古典派から制度学派に宗派を変えた。
今回、ぼくが最も驚いたのは、この点だった。新古典派とは、現代の経済学の理論的な土台であり、どの大学でも、経済理論と言えば、基本的に新古典派の方法論を教えている。いわゆる、ミクロ経済学マクロ経済学と言えば、新古典派の理論だと思っていい。これは、経済主体を変数で表し、それらの経済行動の目的を、利潤最大化や効用最大化として関数設定し、それらを実現する状態を均衡として解くものだ。
他方、制度学派というのは、経済社会の営みを、それを統制する「制度」のあり方から捉え、市民のより良い暮らしを実現する「制度」がいかなるものであるかを論じる学派である。主に、社会学的な、文化論的な、あるいはフィールドワーク的な方法論に依拠する。宇沢先生は、ミルやヴェブレンにその創始を見ているようだ。新古典派の方法論でめざましい業績をあげ、ノーベル経済学賞までもらったスティグリッツが、制度学派に宗派変えをした、というのは驚くべきことだ。実際、次のように言っている。

 要するに、従来の経済手法も、制度派の経済手法も、これまでに起こった事態にある程度の説明を与えているが、構造的な要素の焦点をあてた後者の理論が、徐々に説得力を持ちはじめているのである。

スティグリッツは、制度学派は、「ルールの重要性」「権力の重要性」という、ふたつの単純な観察にもとづいている、と述べている。とは言っても、その根拠は、新古典派的手法によって提示された「情報の非対称性と不完全性」や「行動経済学」や「制度分析」などに求めていることで、現代の主流派経済学への一定の敬意を払っており、むしろ、主流派経済学に憎しみとも言えるような感情をあらわにしていた宇沢先生とはかなり違うようにも思える。
 2. スティグリッツは格差を問題にするが、ピケティの議論には与しない。
スティグリッツが、現代の経済社会、とりわけアメリカ経済において問題としているのは、「所得格差」だ。1パーセントの大金持ちが、経済成長の大部分を懐に収め、残る99パーセントの国民の所得がほとんど伸びていないことに怒りを爆発させている。日本でも話題になったピケティ『21世紀の資本』も、格差に関する問題提起だけど、スティグリッツはピケティの説明「r>g、すなわち、資本収益が経済全体の成長より大きい」には与していない。
スティグリッツは、ピケティが証拠して挙げているデータの問題点を次のように指摘している。

富の増加の多くは、生産的な価値上昇の反映ではなく、固定資産の価値上昇に起因する。最もあきらかで広範囲におよぶ例は、不動産価値の大幅な上昇だ。もし不動産価値が、実際的な改良ではなく土地の価格上昇だけのおかげであがるのなら、それは生産性の高い経済にはつながらない。労働者は雇われず、賃金は払われず、投資は行われないからだ。

要するに、資本所有者の取り分が大きく見えるのは、資本の価格評価にバブルが含まれるからだということなのだ。
 3. スティグリッツは、格差の真因を金融関係者の不当利益に見ている。
ちなみに、「不当利益」は、ぼくの造語である。スティグリッツは、「レント」と呼んでいる。「レント」についてのスティグリッツの説明を引用しよう。

`地代'(レント)という言葉は、もともと所有地の一部を使用させる対価のことだった(今もその意味は残っている)。それは所有の効能からもたらされる利潤であり、実際の行動や生産が創り出す利潤ではない。たとえば、労働者が労働の対価として受け取る`賃金'とは、正反対の概念だ。やがて`レント'は独占利益−独占状態を管理するだけで転がり込んでくる収入−をも意味するようになり、さらには、所有権から生じる利得にまで定義が拡大された。

スティグリッツは、金融関係者のレントが、格差の源泉である、と説く。それは、金融関係者が、ロビー活動などによって、自分たちに好都合な金融制度に誘導し、それによって膨大な利得を得ている、というわけだ。実際、金融商品が値上がりすればそれらの大部分は自分たちの収益となり、暴落が起これば税金で補填してもらえるわけだから、「必勝の賭場」だと言えよう。スティグリッツは、このようなレント・シーキングを、現代アメリカ経済の癌だと批判しているのである。
 4.スティグリッツがTPPに反対なのは、「自由市場」が不当利益の温床になると考えるから。
TPPについては、メモリアル・シンポジュウムで、スティグリッツが聴衆の質問に答えて、ちょっとだけ議論をしたが、今ひとつを何を言っているか不明だった(スティグリッツ氏の講演を聴いてきた - hiroyukikojimaの日記参照のこと)。しかし、著作を読んでみて、だいぶ、その言わんとすることがつかめてきた。例えば、次のような言説だ。

このような状況にもかかわらず、経済学者を含め、TPPのような協定を熱心に支持する人は多い。擁護の基盤となっているのは、すでに正体が見破られた`えせ経済学'だ。`えせ'がいまだにはびこる主因は、富裕層の利益に合致するからである。
 経済学は成立した当初、自由貿易は教義の中心を占めていた。理論によれば、経済が勝者と敗者を生み出しても、勝者が敗者に補償を行うため、自由貿易は(自由化が進めな進むほど)`ウィン=ウィン'となる。残念ながら、この結論は、数多くの想定にもとづいており、想定の多くは単純に間違っている。

ようするに、「自由」貿易が全体に利益をもたらす、という理論の背景には、「市場の完全性」がある。しかし、「市場の不完全性」を前提とするスティグリッツは、むしろ、逆さまの見方をしている。「自由」貿易がもたらすのは、激しく抜け目ないレント・シーキングであり、不当利益だということだ。
  5. スティグリッツは、格差是正に税制度の戦略的利用を提唱している。
このような格差問題と、その真因とを指摘した上で、スティグリッツは、格差是正と、持続可能な環境を提唱する。二酸化炭素削減は、その一つの政策目標となる。このあたりでは、宇沢先生の思想と完全に一致し、そういう意味で、先生の完璧な後継者だと言えると思う。そういう世界を実現するため、スティグリッツは、さまざまな税制度の戦略的利用を提言している。税を、単なる政府の財源と見なすのではなく、経済活動を正しく導くための戦略装置と考えるのである。例えば、炭素税は、二酸化炭素排出を削減させ、環境維持に貢献するだろう。金融取引税(トービン税)は、過剰な金融肥大化とバブルを防ぎ、金融レントを減じる効果があるだろう。さらには、キャピタルゲイン税は、換金化部分ではなく、値上がり部分そのものに課税することを主張する。金融レントを市民に還元することを目的としている。また、相続税格差是正に大きな有効性があるだろう。
  6. 金融緩和についての議論が、ブレまくっていて、よくわからない。
1.から5.までのスティグリッツの主張には、諸手を挙げて賛成できるし、溜飲下がる。ただ、一点だけ、首をかしげる議論がある。それは、「金融緩和の是非」に関するものだ。この二冊の著作の随所で、中央銀行の金融政策について論じている。メモリアル・シンポジュウムでも、少し触れた。しかし、論じる場所場所で、言っていることが一貫しておらず、ブレている。ある場所では、金融緩和の有効性を説いている。例えば、「中央銀行は、インフレを過剰に恐れすぎで、そのため緩和を早期に解消し、それで失敗をおかす」というように言う。他方で、「金曜緩和にはあまり効果が期待できない」ともいう。また、あるところでは、「金融緩和がバブルを生み出し、金融関係者の巨大なレントの温床になった」とも言う。いったい、評価しているのか否定してるのか、どっちなんだ!
ただ、刊行年の順に読み、メモリアル・シンポジュウムを聞き、先日の政府公聴会での発言を見ると、「徐々に金融緩和否定派に傾きつつある」ようにほのかに感じる。もしそうだとすれば、その原因は、アメリカではある程度成功したように見える金融緩和が、日本では失敗してしまった(というのが言い過ぎなら、あまり成果が出ていない)ように見えるからではないだろうか。
とにかく、いつも何かの数理モデルを念頭に発言しているスティグリッツが、こと金融緩和についてだけは、確たるモデルをもとに議論しているように見えないのは残念だ。何かの数理モデルを望遠鏡にして経済の運行を見ない限り、政策が成功しても失敗しても、経済学者がそれから科学的に得るものは何もなく、単なる宗教の信心・不信心の振り分けに終わってしまうからだ。
 以上、スティグリッツの最近の著作から、氏の思想をまとめてみた。とにかく嬉しいのは、スティグリッツのような天才が、宇沢先生の思想の後継者になりつつあることだ。宇沢先生の業績は、単なる古典として回顧的に讃えたり、過去の遺物として葬りさったりするべきものではなく、21世紀の世界を良い方向に変えるかもしれない生きた思想として、発展させていくべきものだと思うからだ。