21世紀の数学原論

 今回は、黒川信重先生の新著『絶対数学原論』現代数学社を紹介しよう。

 その前に、全く関係ないけど、映画『君の名は。の感想を述べたい。前に、シン・ゴジラ観てきた。シン・ゴジラ観るべし - hiroyukikojimaの日記において、映画『シン・ゴジラ』を絶賛推奨した。その後、大学で顔見知りの学生たちに最近観た映画を問うてみたら、『シン・ゴジラ』より君の名は。のほうが圧倒的に多かった。それで、とても気になってしまって、結局、奥さんを連れて観に行ってしまったのだ。
 はい、それで感想。いやあ、君の名は。、めっちゃすばらしかった!おっちゃん、感動しました!
 いや、信頼できる知り合いに、「自分はそれほどでもなかった」という感想を言った人もおるんよ。それで、多少の覚悟はして行ったんよ。でも、ぼくはすごく良いと思った。もちろん、ストーリー(シナリオ)は、破綻しまくっていて、突っ込みどころ満載。細部が気になる人はダメかもしれない。でも、そんなことを帳消しにするほどの感動的なプロットなんだね。
 『シン・ゴジラ』も『君の名は。』も、結局のところ、3.11をモチーフとしている。そこは同じ。でも、決定的に違うのは、『シン・ゴジラ』がシニカルに絶望的な世界観を描いているのに対して、『君の名は。』は、一抹の希望の光を描いている、ということ。作品論、文学論から言えば、前者のほうが圧倒的に優れている、と言うかもしれない。でも、今の若い人たちに必要なのは、後者なのだと思う。一抹の希望の光なんだと思う。なぜなら、今どきの若者は、生まれてからずっと、閉塞感と絶望感と不安感の中で生き続けてきているから。それも自覚できないほどに、当たり前のことになっているから。だから、彼らが『君の名は。』に飛びつくのはわかるし、それでいいし、むしろ推奨したい。ぼくが観にいった映画館も、中高生でいっぱいだった。こんなにたくさんの中高生と映画館で出会ったのは、初めてだと思う。奥さんによれば、終映後、トイレでたくさんの女子が泣いていた、という。そうだろうそうだろう。
 さて、黒川先生の本に戻ろう。
この本は、黒川先生が、21世紀の『数学原論』を目論んで執筆した本だ。専門外の我々には、非常に難しく感じる本だけど、「難しい」とか「さっぱりわからん」とかを超越して、「何かとてつもない息吹」を感じさせる本なのである。「ひょっとすると、我々は、とんでもないものの誕生に立ち会っているのではないか」と。
 Chapter 1.を読めば、それはすぐに伝わってくる。黒川先生は、「三大原論」として、次のものを挙げる。

 数学史上の有名な『原論』としては年代順に
(1) ユークリッド『原論』紀元前300年
(2) ブルバキ数学原論』1939年から
(3) グロタンディーク『代数幾何学原論』1960年代
という3つが挙げられます。

と言って、この「三大原論」を詳しく解説する。ぼく自身は、と言えば、「ユークリッド原論」は、中高生の頃に、敬意を持ち、図書館で一部を読んだ経験がある。それに対して、「ブルバキ原論」は、大学の数学科のとき、「戦わなければいけない敵」という認識を持ち、結局、敵前逃亡した。こいつは、数学に「げんなりさ」を感じた初めての存在だった。そして、「代数幾何学原論」は、存在は知っていたが、遠くの遠くの蜃気楼と思っていたものだった。このように、自分の中での存在感が異なるので、これらをひとくくりに、「原論」と呼ぶことには抵抗がある。とりわけ、「ブルバキ原論」には、憎しみのような感情さえあり、20年以上も前に『数学セミナー』の巻頭エッセイを持ったときは、これを念頭に数学批判のようなものを繰り広げ、一部の専門家から苦情が来てしまう顛末となった。つまり、ぼくにとっては、
ユークリッド原論→尊敬、 ブルバキ原論→宿敵(目障り)、 代数幾何学原論→未知未踏
という感じだったのだ。それを、20世紀までの「原論」と捉える黒川先生の括りには、驚きと感慨が満ち溢れた。
でも、ここ数年、数学を勉強した経験によれば、この黒川先生の「原論」論は、目から鱗である。そうなんだ、紀元前に書かれた「ユークリッド原論」から、次の原論(ブルバキ原論)が書かれるまでに二千年以上もの歳月が必要だった。そして、それは、すぐあとにグロタンディークによって刷新された。これは考えようによってはすごいことだと思う。そればかりではなく、黒川先生は、「ユークリッド原論」の不備についても次のように厳しく指摘している。

一方、ユークリッド『原論』の記述には決定的な欠陥があります。それは、上記の定理群のような人類にとって記憶すべき快挙に対して、誰が発見したのかという経緯に関して故意に触れないという点です。その結果、ユークリッドの『原論』はユークリッドが独自に発見した定理と証明から成っている、というような有り得ない誤解を後生に残す状態になっています

その証拠として、黒川先生は、第12巻・命題10として導出されている円錐の体積の公式が、ずっと前にデモクリトスが発見したものであることを挙げている。また、それが判明したのが、1906年イスタンブールの僧院で見つかったアルキメデス『方法』の写しであることの記述も非常に面白い。
 実は、黒川先生の特徴として、「数学者の業績を発表年で精緻に記憶している」というのを挙げることができる。ぼくは、黒川先生と何度も対談しているので、その記憶力の凄さを何度も目撃している。これは、ある種の「芸当」と言ってもいいくらいだ。そして、黒川先生がそのような超絶的な記憶力を磨き保持し続ける努力を怠らないのは、数学者の業績に対する敬意から来ていると思われる。
 このように、20世紀までの三つの『原論』を評価した上で、黒川先生は、ご自分が提唱された「絶対数学F1」の解説に進んで行く。それを(わからないなりに)読む進めて行くと、「これが21世紀の数学原論なのか!」というドキドキ感がわき上がっていく。
「原論」とは、その時代の数学を総合的に統一するものだ。「ユークリッド原論」は、それまでの数学、例えば、ピタゴラス学派の幾何学と数論、それとバビロニア幾何学ターレスが総合したもの、それらを集積し統合したものだ。「ブルバキ原論」は、カントールデデキント集合論を基礎としてヒルベルトが作り上げた形式主義的数学の土台の上に19世紀までの数学を統合したものと言えるだろう。さらには、「グロタンディークの代数幾何学原論」は、(加減乗を備えた代数系)環を位相空間化する、全く新しい幾何学を構築したものと言える。そういう視点から言えば、本書絶対数学原論』は、1×1=1だけを基礎に据えた「和のなくなった世界」、モノイド(単圏)という構造を打ち出す、21世紀の原論、ということなのである。
 本書はさすが「原論」というだけあって、「絶対線形代数」「絶対極限」「絶対・三角・ゼータ」「絶対オイラー積」「絶対保型形式」など、あらゆる数学の分野が順次解説される。つまり、1×1=1から出発する、すべての数学が水面の輪のように広がっていくのである。背景には、「カテゴリー」というグロタンディーク流の概念があるように読める。
 ぼく自身は、これを読んで、3割も理解できなかったけれど、その「魂」だけはわかった。それは「ユークリッド原論」で出会った中高生のときのドキドキ感と似ており、「ブルバキ原論」に対する忌避感を払拭するに十分なものであり、「代数幾何学原論」にチャレンジしてみたい、と今更の野心を与えるに十分な動機付けである。まさに、閉塞し絶望し諦めていた「おじさん」に、「一抹の希望の光」を与えてくれる本である。