スティグリッツさんの宇沢先生を思う気持ちに心が熱くなる

 宇沢先生の新著が刊行された。タイトルは、宇沢弘文 傑作論文全ファイル』東洋経済新報社だ。

本書は、宇沢先生のパソコンに記憶されていた大量の原稿を、東洋経済の編集者さんが丁寧に整理して、「絶対に世に残すべきだ」と考えた原稿(傑作論文)を編纂して本にしたものである。大事なことは、編集者さんは、宇沢先生が生前のうちにコンタクトし、この企画を開始した、という点だ。すなわち、本書は、宇沢先生のご意志の下に製作されたのである。
残念なことに、編纂の途中で宇沢先生がご逝去されたため、最後の原稿のチェックはご遺族が行われた。ご遺族の依頼を受けて、ぼくも原稿に目を通し、弟子として、経済学者として、いくつかの誤植を指摘し、コメントをし、提案をさせていただいた。本書は、400ページを越える大部である。本書の校閲に、ぼくは今年のゴールデンウィークをまるまる費やすことになった。でも、それはとてもとても楽しい時間だった。どの年のゴールデンウィークよりも充実した連休になった。ぼくは、本書を校閲しながら、宇沢先生から新たなご指導を受けた。本当に怒濤のようなご指導だった。
 本書で最も注目すべき点は、ノーベル経済学賞受賞者であり、宇沢先生の弟子である
スティグリッツさんの宇沢先生への想いが赤裸々に収められていることだ。本書の冒頭に、2016年3月16日の「宇沢弘文教授メモリアル・シンポジウム」におけるスティグリッツ氏の講演の一部が収録されているのだ(この講演については、スティグリッツ氏の講演を聴いてきた - hiroyukikojimaの日記にエントリーした)。
 この講演の中で、スティグリッツさんは、格差問題のこと、環境問題のこと、TPPのことなどを経済学者の立場から論じた。それと同時に、宇沢先生との思い出についても、誠実に、畏敬を込めて、そして何より熱く語ったのである。
すばらしい講演なので、是非、本書でまるごと読んでいただきたいが、少しだけ引用をしよう。

先生は、シカゴ大学で開かれたセミナーに、私たち数人の学生を誘ってくれました。そのなかには、私と共同でノーベル経済学賞を受賞したジョージアアカロフ教授もいました。宇沢先生は、MIT、スタンフォード、イェールの各大学から若手経済学者を集めて、シカゴを世界の知の集積地にしようと考えたのです。その考えはみごとに実現しました。私たちは、シカゴに集まったわずか一ヶ月ほどの間に、全員、宇沢先生の信奉者になってしまったのです。

なんと、涎の出るような環境だろう。
次の思い出も、ぼくには感慨深い

数学的手法を活用する能力に秀でていた宇沢先生は、私たちに最新の手法を紹介してくれました。たとえば先生は当時、微分位相幾何学の研究で知られるレフ・ポントリャーギンの理論に大変傾倒しておられ、それを問題解決に応用することを教えました。しかし、私たちが感銘を受けたのは、先生が数学的手法を使いこなすだけでなく、それを重要な社会的意味合いを持つ問題を解決するために応用しようとした点にあります。

ポントリャーギンは、動学的最適化法とか、連続群論など、たくさんの業績を持つ数学者。幼いときの事故で視覚障害者となってしまい、視覚がない中で数学を研究した。でも、視覚がない故か、彼の書く数学書は非常にわかりやすい。図の分を文章で補おうとしているため、文章を読むだけで図が頭の中に浮かび上がるように感じるのである。
実は、ポントリャーギンに対する宇沢先生の敬意は、ぼく自身も直接的にお聞きした経験があった。市民講座の打ち上げで少し飲んだあと、先生を最寄りの駅までお送りした際、先生は売店で夕刊をお買いになった。その新聞に、ポントリャーギンの訃報が掲載されていて、先生はそれをショックそうにぼくに伝えた上で、「ポントリャーギンは、本当にすばらしい数学者でね」と仰ったのだ。
次の発言からは、スティグリッツさんが先生を単なる新古典派の理論家と見ていたわけではなく、もっと深く先生の思想を感じ取っていたことがわかる。

多くの人は、先生の「二部門成長モデル」の論文を読んでも、その研究意欲の深さの真価を理解できないと思います。それはその背景にマルクス経済学の概念があることに気づかないからです。マルクス経済学は私たちがアメリカで学んだ経済学の対極にあり、私自身の経済学者としてのキャリアがいずれ向かうであろう方向からも遠く離れたものでした。しかし先生は、終戦直後の日本で熱烈に受け入れられたマルクス経済学の考え方の一部を現代の経済学に取り込もうとしたのです。先生は不平等の研究に数学をどう活用するかということにも強い関心を寄せており、私はその難題に強く惹かれました。それがきっかけとなって、当初考えていた物理学の専攻をやめ、経済学の道に進むことにしたのです。

ぼく自身も、先生から何度も、「マルクス経済学の道に進みたかった」とか「共産党に入党するつもりだった」ということを伺った経験がある。先生には、「二部門成長モデル」の前にも(とりわけミクロ経済学の)優れた論文がいくつもあるけど、ぼくはそれらは先生にとって、単なる「習作」だったのではないか、と思っている。ピカソが自分の画風を確立する前には、普通の(しかし、すごいテクニックの)絵を描いたのと同じことだ。先生は、「二部門成長モデル」を生み出すことで、自分の初心に近づいたのではないか。そして、初心に近づくと同時に、初心までの本当の距離・隔たりも感じ取ったのではないか。この数行のスティグリッツさんの言葉には、宇沢先生の経済学者として生き様に対する尊敬と、親愛と、そして戸惑いがデリケートに表現されていると思う。
次の発言は、スティグリッツさんが、自分の人生と先生の人生を重ねて述べたものであろう。

先生がアメリカを離れた時、私たちの誰一人として、日本で先生のその後の人生がどのように変化していくかを想像できませんでした。日本への帰国後、皆さんもご存じのように、先生は学者としての研究に没頭するするだけでなく、自動車が引き起こす社会問題や環境問題に関わっていくようになりました。

 以上は、ほんの一部にすぎないから、是非、本書を読んで、スティグリッツさんの宇沢先生に対する熱い想いを知ってほしい。これを読めば、スティグリッツさんという、単なるノーベル経済学賞受賞者という枠におさまらない偉大な経済学者に大きな影響を与え、方向性を育んだのは、宇沢先生なのだとはっきりわかると思う。理想の師弟関係で、うらやましくなる。
 ぼくは、本書を校閲する中で、いくつもの重要なことに気がついた。宇沢先生の本をほぼすべて読破しているにもかかわらず、新たな発見があった。それは、収録されている原稿に、刊行されているバージョンと異なるものがあることや、構成されている順序によって先生の真意に気づくことなどのおかげだと思う。長くなったので、それらの発見については、別のエントリーで書こうと思う。嬉しいことに、宇沢先生の業績(全ファイル)は膨大であり、その中に先生は今も生きておられ、まだまだいくらでもご指導いただけるのである。