マリオ・リヴィオ『神は数学者か?』の解説を書きました!

 つい最近、文庫化が刊行された、マリオ・リヴィオ『神は数学者か? 数学の不可思議な歴史』ハヤカワ・ノンフィクション文庫の解説を書いた。

本の巻末の解説を書くのって、思いの外難しい。解説から先に読む読者もいるから、ネタバレはできないし、でも、解説を読んで買うかどうか決める人もいるので、この本がいかに面白い本かをアピールしなければならない、という二律背反に直面するからだ。でも、だからこそ、ライターの力量が試される仕事と言える。ネタバレなしに、いかにその口上で本をレジまで持っていかせるか。ここはプロの腕の見せ所である。
 ところで、このエントリーだが、ここで本の内容を紹介しようとすれば、当然、解説文と重複が起きることになる。それは、ぼくの解説文目当てで本を買う人(まあ、そんな人、数えるほどしかいないと思うけど)に水を差すことになってしまう。なので、今回は、本の内容を詳しくは紹介しないことにする。
 この本のタイトル「神は数学者か」は、端的に、この本の内容を表現している。これは、「数学の不条理な有効性」を述べたものだ。要するに、数学という単なる形式的な記号操作が、あまりに宇宙の法則たちにぴったり当てはまり、物質の性質を説明できてしまう、ということだ。これはいったいどういうことなのか、ということについて、いろいろな方角から議論する本なのである。
 この本を読んでいて思い出したのは、以前に、物理学者の田崎晴明さん、加藤岳生さんと、雑誌『現代思想』2010年9月号で対談したときのことだ。対談のテーマは、「自然からの出題にいかに答えるかー数学的思考と物理的思考」というものだった。この対談については、水がどうして凍るのかは、まだ物理で解けていない - hiroyukikojimaの日記にエントリーしてあるので、そちらで読んでほしい。そのときのエントリーには引用しなかった部分を今回は本書の関連として紹介しようと思う。次の田崎さんの発言だ。

私が特に面白いと思うのは、回転群のSO(3)とSU(2)の話です。SO(3)というのはわれわれの三次元空間での回転を記述する群です。こういうところにあるものを普通にグルグルと回転させたらどうなるかを記述する数学です。そのSO(3)の数学を一生懸命研究していた人たちが、それを複素表現したほうが計算が便利だと気づいて、SU(2)という新しい計算を発見します。SU(2)はSO(3)にとても似ているのだけど、SO(3)よりだいたい二倍くらい大きい。そして、SU(2)を調べると、360度回しても元に戻らなくて、もう一回転させて720度回すとようやく元に戻るというような変態なものが現れてしまうのです。もちろん、当時の数学者たちは数学的な計算の途中で変態なものが出てきたとしか思わなかっただろうし、それが正常な考えなわけです。ところが20世紀になって、スピン角運動量といういうものが発見されてしまう。そのスピンというものは、驚くべきことに、SU(2)で記述されるような不思議な回転だったのです。つまり、ある種のスピンは360度回転させても微妙に元には戻らなくて、720度回転させるとようやく元に戻るという性質を持っている。これは実験でも確かめられたことです。「神様」は本当に数学が好きなのかと思ってしまうようなエピソードじゃないですか

これは、まさしく、本書のテーマである、「数学の不条理な有効性」の証拠の一つだろうと思える。
 でも、一方で田崎さんはこうも言っている。

ただし、物理学者が使っている数学が全て必然的だというとウソになりますね、特に現在進行中の研究は数学を無理矢理使ってハズレのものも物凄く多いですから。

こういうところは、著者の天体物理学者・リヴィオ氏と田崎さんの感覚の温度差に思える。リヴィオ氏は、「数学は発見か発明か」という問いかけを論じているが、物理学に対して数学が有効性を持ってない場面についてはほとんど記述していない。(生物学などには有効でない場面があることには触れている)。
 いずれにせよ、本書は、「数学が、私たちの宇宙(この世界)に、なぜこうも当てはまりがいいか」を、実例から理解し、そういう哲学的な思索をするには抜群に面白い本である。是非とも手にとってみてほしい。

現代思想2010年9月号 特集=現代数学の思考法 数学はいかにして世界を変えるか

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