高校生の倫社・政経や、大学生の演習本にお勧めの本

今回は、久しぶりに文系の本をお勧めしようと思う。最近は、数学書ばかり紹介してたけど、思い出してみると、ぼくの本業は経済学だからね(笑)。
お勧めするのは、4人の気鋭の学者の共著『大人のための社会科』有斐閣だ。著者は、井手英策さん、宇野重規さん、坂井豊貴さん、松沢裕作さん。

 序文を読むと、この本のコンセプトは、「日本社会の将来を語り合うための共通の理解、土台のようなものを提案する」ということだそうだ。いわく、

思想的な立場にとらわれず、この魅力的な日本社会、それ自体に関心をもってもらえるよう、日本社会の「いま」と「これから」を見通すための材料、共通の知的プラットホームを提供しようと、私たちが積みあげてきた「知性」をすべてのみなさんにひらこうと考えました。思い切っていえば、経済、政治、社会をめぐるさまざまな出来事を、できるだけわかりやすい言葉で、できるだけ多様な視点で説き明かし、最後に未来への一つの方向性を示したい、そんな想いを込めて、この『大人のための社会科』を書き上げたのでした。

 実際、この本は、このコンセプトに成功していると思う。「大人のため」と銘打っているけど、ぼくはむしろ、高校生の副教材や大学生の輪読の教材として使って欲しい本だと思う。大学の少人数授業では、学生にどんな本を読ませるかに、とりわけ苦労する。良い教材が持つべき特質は、
(1) 平均以下の成績の、学習意欲の乏しい学生にも読みこなせること
(2) 複雑な数式、錯綜したロジック、情緒的な煽りではない、すっきりした議論を展開していること
(3) 古典的な問題意識での、埃のかぶった内容ではなく、現在的な問題意識を備えていること
(4) 著者の個人的な思想・信条を開陳し、押しつけるものではなく、学術的に広く認められたバックボーンを持つこと
であろう。しかし、言うはやすしで、この4つの性質を備えている本は滅多にない。本書は、(まだ、一部しか読んでいないので、読んだ部分については)、この4つの性質を備え持った本なのである。
 以下、この本の一部を紹介するけど、それはすべて坂井豊貴さんの書いた章である。その理由は簡単で、まだ坂井さんの書いた3つの章しか読んでいないのだ(スンマセン)。
 ぼくは、坂井さんを、現在の経済学者の中で最も、専門外の人々へ経済学の成果を伝える力を持っている人だと思っている。専門のことを専門的に芳醇に伝えられる優れた経済学者はたくさんいる。でも、専門のことを、専門的だと思わせない雰囲気で、ほとんど専門知識を持たない人々に伝える力量を持っているのは、坂井さんがぶっちぎりだと思っているのだ。
 坂井さんのプレゼンを初めて目撃したのは、たしか10年くらい前の日本経済学会だったと思う。坂井さんは、ご自身の論文の報告でも、他の研究者の論文の討論でも、非常にシャープで、とても魅力的なプレゼンを繰り広げた。あまりに魅力的に語るので、ぼくはその後に、当該の論文をダウンロードしてしまったぐらいだ。一本の論文の内容を15分程度で要約して、オーディエンスに本質を伝えるには、二つの才能が必要だ。第一は、その内容を的確に掌握する才能。第二は、その本質や急所を聴衆がわかる言葉で魅力的に伝える才能だ。坂井さんは、両方の才能を余りあるぐらいに持った逸材なのである。(坂井さんについては、以前にも、古風な経済学の講義から脱出するために - hiroyukikojimaの日記とか、理系の高校生に読んでほしい社会的選択理論 - hiroyukikojimaの日記)とかにエントリーしている)
 以下、坂井さんの書いた1章、4章、7章について、簡単に紹介する。ただし、販売を妨害しないように、ネタ的なところだけをちょっとずつ紹介するに留める。
 第1章は、「GDPー「社会のよさ」とは何だろうか」と題された解説である。GDPとは国内総生産のことで、要するに、その国がここ一年に新たに生産した財・サービスを金銭的に集計した値だ。したがって、GDPは、その国の豊かさの指標として使われる。経済学部では、必ず教わる必須アイテムである。
 しかし、GDPは「国の豊かさ」、すなわち、「社会のよさ」を本当に表すのか、という問題は、近年、よく議論にのぼることだ。坂井さんは、この点を、「ネガティブな消費」という概念を軸に、噛んで含めるように丁寧に解説していく。その上で、「GDPの代替基準」をいくつか紹介する。もちろん、それは、学術論文での検証を備える基準たちだ。途中で『ドラゴンボール』のエピソードなどが出て来て度肝を抜かれたが、こういうところは若くてお茶目な坂井さんならでは、である。この章の論説は、最後に「数値の目的化」というところに向かう。「GDPの数値を増やすことが、政府の自己目的化してしまう」という問題だ。現在の日本でもこの問題は深刻だと思う。そんな中、非常に面白い研究が紹介されている。ここだけ引用しよう。

GDPの高い国は、夜間の照明が質量ともに増し、ライトアップが強くなる傾向があります。だから人工衛星から地球を観察し、夜間の明るさを計測して、適切な統計処理を施すと、それなりの精確性でGDPを推計できます(Henderson, Storeygard and Weil 2012)

興味深い話だが、ここから坂井さんが何を言おうとしているかは、読んでのお楽しみ。
 4章では、坂井さんは、「多数決ー私たちのことを私たちで決める」と題して、選挙制度のことを解説している。この論点は、坂井さんがここのところ、何冊も本を出してきたものなので、目新しくなはないだろう。でも、高校生・大学生にも十分読みこなせるように、すっきりさわやかに、話題を厳選して書かれているからお勧めだ。とりわけ、日本ではまもなく衆院選が実施される。個人的には、今回の選挙は、錯綜・迷走の度合いが激しく、少なくない国民が暗澹たる気分になっていると思う。そうした中、この章を読むのは、タイムリーなことである。
 中心的な話題は、多数決(一人だけへの投票)が「票割れ」という深刻な問題を抱えていることだ。「票割れ」は、泡沫候補のせいで、勝つべき候補者が敗れる現象をいう。「票割れ」が、どんな形で民意を損なうかについて、アメリカの大統領選だけではなく、日本の過去の選挙での具体例も挙げられており、実に興味深い。
 ぼくが、目から鱗だったのは、「オストロゴルスキーの逆理」という選挙のパラドクスだ。これは、政党AとBについて、(原発とか、財政とか、外交とか)個別の政策別に投票すれば、どれでもB党が勝利するのに、全政策をまとめた上で投票するとA党が勝ってしまう、という目も当てられない現象なのだ。非常に簡単な具体例でわかるので、高校生でも普通の大学生でも理解できる。是非、読んでみて欲しい。
 第7章では、坂井さんは、「公正ー等しく扱われること」を論じている。公正の問題は、経済学において、重要でありながら、鬼門でもある。経済学が信奉する「スーパー合理性」には屈服しない概念だからだ。逆に言うと、経済学が単なる陳腐な応用数学に陥らないために大事にしなければならない概念だと思える。坂井さんは、古代バビロニアのタルムード問題を導入に選んでいる。「一枚の布に、二人の男が所有権を主張しており、一方はすべて自分のもの、と主張し、もう一方は、半分は自分のもの、と主張している」場合、どのように分配すれば公正か、という問題である。答えはシンプルだが、本書を参照してほしい。
 そして、後半では、「最後通牒ゲーム」の経済実験の結果について解説している。これは、プレーヤーAが10万円の金額のうちいくらをBに渡す、と提案し、Bがその分配額を承諾するか拒否するかを答えるゲームだ。Bが承諾すれば、Bは提案額を受け取り、Aは残り金額を受け取ることができる。Bが拒否すれば、両者とも受け取り額はゼロとなる。この最後通牒ゲームのゲーム理論における「解」は、「Aが微少額、例えば、10円を提案し、Bがそれを受け入れる」というものである(部分ゲーム完全均衡)。しかし、実験してみると、そうはならず、かなり公平に近い額が提案され承諾される。坂井さんは、このことを軸に、公正の問題を論じている。
実は、この実験は「行動経済学」という分野におけるものだ。今月に、行動経済学の業績からノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラ−の本にも書かれている研究である。そういう意味で、この坂井さんの論説は、ノーベル経済学賞の予言的な役割も果たしたと言える。
 とにかく、この三章は、非常にわかりやすい具体例を、きちんとした学術論文から引っ張ってきて、それを礎に現状の日本についての問題提起をしている。しかも、読んでいてすごく面白い、という非常によく書けた解説なのである。是非、高校生向けや、大学生向けの副読本として使ってほしい。もちろん、社会人が読んでも十分に勉強になる本であることは言うまでもない。