数学の青写真をステキに語った本

 今回は、いつものように黒川信重先生の本の紹介をエントリーしよう。紹介するのは、絶対数学の世界』青土社である。

この本のセールスポイントを、ざっくりとまとめると、
(1) 縦書きである。
(2) 数論の歴史がわかる
(3) あまり知られていない数学者の伝記がわかる
(4) 数学者がどんなふうに青写真を描くのか、を垣間見れる。
本書は、青土社の月刊誌『現代思想』に掲載された論考をまとめたものである。だから縦書きなのは当然なのだ。でも、黒川先生にとって、初めての縦書きの本ではないか、と思う。
 横道にそれるが、和書は今でも縦書きが主流だ。これは本当に解せないことである。ウェブ上のホームページでも、メールでも、会社の書類でも、みんな横書きだ。だから、私たちは横書きを読むことに慣れている。なのに、書籍と新聞は頑なに縦書きをやめない。理系の本でなくとも、横書きにしてしかるべきだと思うのだが、編集者はとてもそれを嫌がるのだ。なので、理系の本を縦書きで書かざる得ないことが多く、ぼくは相当に苦労している。数式を導入するのに強い制限がかかるからだ。結局、図版で入れるしかなくなるのである。近著では、拙著『世界は素数でできている』角川新書が縦書きだが、書くのに相当苦労した。
 本筋に戻ろう。
ぼくは、本書に収められた黒川先生の論考を、雑誌掲載時に読んでいた。でも、今だから告白すると、当時はあまり意味がわからなかった。しかし、本書を読んでみると、ぼくはかなり内容がわかるようになっていた。その理由には、第一に、黒川先生との対談本を二冊も刊行したこと、第二に、さきほどの拙著『世界は素数でできている』角川新書を書くために、相当に現代の数論を勉強したこと、が挙げられる。
なので、皆さんも、本書を読む前に、次の三冊に目を通しておくことをお勧めしたい。一冊目は、黒川先生ご自身の本ラマヌジャン探検』(ラマヌジャンの正当な評価がわかる本 - hiroyukikojimaの日記で紹介している)、二冊目はガロアガロア理論のおまけについている辻さんの解説(おまけ目当てで買うべきガロア本 - hiroyukikojimaの日記で紹介している)である。この二冊がおおざっぱに頭に入っているだけで、本書の理解が劇的に変わると思う。三冊目は、販促として拙著『世界は素数でできている』を忍び込ませるが、もちろん嘘偽りではなく、本書の理解の助けになることはなる(素数についての本が刊行されました! - hiroyukikojimaの日記で紹介している)。
本書は、全体としては、黒川先生がリーマン予想解決のための武器として提出した絶対数学」に関する解説の本となっている。リーマン予想とは、リーマン・ゼータ関数の虚の零点が一直線を成して並ぶ、という予想で、提出されてから150年以上経過した今も未解決の難問だ。
絶対数学は、かなりな分量が構築済みだから、架空の理論ではない。しかし、まだその成果は未知で、特にリーマン予想の解決には至っていない。だから、ここに書かれているのは、絶対数学に対する黒川先生の青写真であり、数学者としての夢想である。
こういう数学書って、あるようでない。普通の数学書は、完成されている理論を厳密に提供するものだ。他方、本書は、定番の数学が厳密な形で提示されることは全くない。代わりに、黒川先生の現代の数論に対する評価と、それを踏まえて、未来の数論像に対する青写真が、喩え話を主軸に語られるのである。例えば、次のような感じだ。

たとえば、数学を離れて、植物の研究をしていると想像してみよう。もっと極端に言えば、地球に来訪者が来たとし、巨大木を見たとしよう。すると、そのような大木が「生きて」いることがわかったとしても、どうしてそんな大きなものが立っていられるのか、ましては何故「生きて」いられるのか、と考えてもなかなか本当のところはわからないだろう。それは、地下に隠れて見えない「根」があるからだ。
今までの数学も、同じような状況だったと考えられる。「根」にあたる「一元体」を見のがしてきた(存在に気づかないできた)のだ。ゼータの話では、どうしても理解の及ばない根本的難しさを感ずることが多いのであるが、それこそ「根」を忘れてしまったからだ。

次のガロア理論に関する喩え話にも、なるほど、とうならされる。

一本の大木が野原に立っているとする。葉がふさふさと繁って、木の実もたくさんなっているように見える、この木をゆすって木の実を落として取ったりすることがガロア理論である。(中略)
ところで、木をゆすることによって、クリの実が落ちてきたとすれば、木の種類までわかってしまうということにもなる。もちろん、クリを焼いておいしいご馳走にもありつける。
 さて、絶対ガロア理論とは、すると、何を指すのだろうか。それは、木を根こそぎゆらしてみよう、というものだ。いままで見えてこなかったことが見えてくることだろう。ガロア理論は大きな収穫をもたらす理論であったことは確かだが、そうは言っても、木の喩えで言えば、地上の幹をゆらしていたものだった。それには、限界がある。後で述べるように、ゼータ関数の根(零点)を問題にする数学最大の難問リーマン予想の解決には、そのような生半可なゆらし方ではまったく不充分なので、根からゆらさねばならないのである。
数学はながいあいだ根を忘れていたのである。

普通の数学書は、そこで説明されている数学そのものを応用することにしか使えない。しかし、本書は、黒川先生という数学者が、未解決問題を解く道筋を見出すための「哲学」のようなものを提示している。だから、数学以外のさまざまな分野にもヒントを与えるものである。例えば、ぼくの専門のミクロ経済学にも、何かの示唆がなされているように感じる。
 本書のもう一つの売りは、珍しい数学者の伝記が書かれていることだ。列挙すると、高木貞治、谷山豊、佐藤幹夫、ラングランズだ。高木貞治類体論を確立した人、谷山豊は谷山予想を提出した人で、その解決がフェルマー予想の解決をもたらした。佐藤幹夫は佐藤超関数で有名だが、佐藤テイト予想も重要な予想であり、つい最近テイラーらによって解決されて話題になった。ラングランズは、ラングランズ予想の提出者だ。伝記と言っても、人となりを紹介するのではなく、あくまで論文をベースにして、数学的業績とその歴史的意義について語っているのである。
中でも、ラングランズの紹介は、非常に参考になる。ラングランズ予想というのは、谷山予想を含む壮大な予想だ。黒川先生の記述を引くなら、類体論という可換群拡大の数論を、非可換群拡大の数論に拡張するもの、ということである。絶対ガロア群のn次元表現全体とGL(n)の保型表現の全体を対応させること、とも言える。このラングランズ予想は、現在の数論の最も重要な標的でありながら、ラングランズがどういう人で何をしたかは、一般レベルではほとんど知られていない。本書では、ラングランズの論文を取り上げながら、ラングランズ予想の意義と困難さを詳しく説明している。
本書は、決して「わかりやすい」本ではない。でも、「わかろうとする」のではなく、「感じよう」とするなら、いろいろ得られる本だと思う。「わかる」ことは辛い作業だけど、「感じる」ことは自分のレベルに応じてできるのでそんなに辛さはない。もう一度言うけど、数学の青写真を見せてくれる本なんて、そうそうないよ。