会話型数学書の成功例

 今回は、小山信也さんの数学書『リーマン教授にインタビューする』青土社を紹介しよう。

この本は、高度な数学啓蒙書であり、かつ、近現代の数学史の書であり、かつ、数学思想の指南の書でもある。この本の良い点は、次の三点に尽きる。
1. 会話型で書かれた数学書として、出色の出来となっている。
2.ゼータ関数をとりまく数論のみごとな総覧的紹介となっている。
3. 数学の思想的な発展がどのような動機と経緯で成されるかが、よくわかる。
以下、もう少し詳しく説明しよう。
 実は、ぼくは、会話型の数学啓蒙書や受験参考書のほとんどを評価していない。会話文は簡単、と多くの数学者・数学教育者が思っているふしがあるが、それは単なる錯覚だと思う。会話文で最も大事なのは、「キャラクターの分離」だ。会話の登場人物は、人格も知識も性格も異なっていなければ意味がない。しかし、多くの会話型の啓蒙書・参考書では、どの登場人物も著者そのものであり、自分の独白を切り分けて提示しているにすぎない。全く書き分けがなされていない。これでは、読者は普通の文章を読むより苦痛を強いられる。本当は一つの流れを持った文章をぶつ切り状態で読まされるからだ。
 会話を書くのは、特殊な訓練とスキルが必要だ。だからこそ、シナリオ作家や劇作家という職業が成立するのである。シナリオは、通常の説明文とも、そして小説とも異なる技法で作られる。
そういう点から見て、本書は、出色の出来となっている。
本書は、19世紀の数学者リーマンに、著者の小山さんがインタビューする形式で書かれているが、みごとに「分離性」が成し遂げられている。この成功は、ぼくの憶測ではあるが、構成を黒川陽子さんという劇作家の方が行っているからではないかと思う。ちなみに黒川陽子さんは、数学者の黒川信重さんのお嬢さんであり、かつ、プロの劇作家だ。劇作家協会新人賞を受賞している優れたシナリオ作家さんなのである。そういうプロが会話を構成しているので、「キャラクターの分離」が実現しているのだと思う。数学の内容がわからなくても、「数学演劇」として読むだけで、十分に楽しむことができるだろう。
 次に本書では、会話型で書かれているため、通常の数学書とは全く異なる知識供給が可能になっている。インタビューや講演会を文章で読むのに近い感覚を得ることができる。しかも、リーマンという天才数学者のインタビューである。(もちろん、フィクションだけどね)。
 さすが、小山信也さん。リーマンの発言は、当時の数学史に忠実だ。だから、19世紀末の数論の歴史を子細に知ることができる。また、リーマンの理解を通して、その後の、20世紀・21世紀の数論の展開が開示されるので、「リーマンなら、どう感じるのだろう」というところが、(フィクションではあるものの)、瑞々しく伝わってくる。そういう意味で、異色の数学書だ。
 最後に、素数ゼータ関数についての数論の本として、本書にどんな貢献があるかを書きとめておこう。
ほとんどの数学書は、定義と定理を紹介しようとするため、定理たちの論理的な連関は提示されるけど、思想的な連関は与えられない。思想的連関とは、「数学の新しい道具が、以前の道具からどのような連関性の下で生み出されているか」という意味で使っている。本書では、その思想的連関が具に語られているのだ。
数学者が新しいアイテムを生み出すとき、基本的には、これまであったアイテムとの「類似物」を創案するのだろう。でも、一度創造がうまくいってしまう(証明に成功する)と、そういう「何を妄想してやったか」はないがしろにされてしまう。「証明されて正しいこと」が優先されるからだ。
でも、数学をファンとして楽しむ(ぼくのような)人々は、「どうして、そんなこと考えたの?」ということを知りたい。「何と何はどういう風につながっているか」ということをわかりたい。そして、厳密な証明なんて、ある意味どうでもいい。別に数学で飯を食うわけではないからだ。
本書は、リーマンとの対談という形式のため、そのような「類似物の構成」ということが赤裸々に説明されていて、すばらしい。
例えば、次のような歴史的経緯が説明される。
[ガウスの平方剰余相互法則]→[アルティンの一般相互法則]→[イデール類群]→[アルティンL関数のヘッケL関数による表示]→[保型形式のL関数]→[ラングランズ予想]→[フェルマーの最終定理の解決]
しかも、これらの道筋は、ヒルベルトの提示した第9問題と第12問題の統合である、という新鮮なことも説明されている(少なくとも、ぼくは知らなかった)。このように語られると、数学者の問題意識、つまり、一般化アプローチがどんなものであるかを実感でき、それが歴史的難問「フェルマーの最終定理」の解決に結びついた、という感激を得ることができる。
もう一つ例を挙げるなら、素数概念の一般化」という観点だ。
ゼータ関数は本当にたくさんの種類があるのだけど、基本的に「素数の類似物」が関与する。大元のリーマン・ゼータ関数は、オイラー積と呼ばれる全素数の積形式で表されるのだが、他の多くのゼータ関数も、素数の代替物を使って構成されるのである。それが本書で、うまく端的に説明されていて、「そういうことなのか」と腑に落ちる。おおざっぱに挙げると、
リーマン・ゼータ関数→全素数によるオイラー積で構成
環Aのゼータ関数→環Aの極大イデアルによるオイラー積で構成→環Aを整数環にすれば極大イデアル素数と対応
代数多様体(方程式のグラフ)のゼータ関数→座標環の極大イデアルによるオイラー積で構成→代数多様体の点が座標環の素イデアルに対応
リーマン面Mのセルバーグ・ゼータ関数リーマン面Mの素測地線のオイラー積→リーマン面Mの素測地線は素数の代替物
という感じ。これらによって、素数の代替物を見つければ、ゼータ関数を作り出せることが直感できる。そればかりではなく、セルバーグ・ゼータ関数ではリーマン予想が証明できるので、セルバーグ・ゼータ関数がリーマン・ゼータ関数となる多様体Mを発見すればリーマン予想が解決できるだろう、という戦略(夢)も提示されていて、ぐっとくる。
 本書は、まともにすべてを理解しようとすると、障壁が高い。しかし、会話型の啓蒙書なのだから、そもそもそんな読み方をすべきではない。あくまで本書は、19世紀の数学者と21世紀の数学者の(仮想)対談として、ふむふむと頷きながら読むのがよい。そうすれば、壮大な数学の世界を垣間見ることができる。
本書でゼータ関数に興味を持って、詳しく知りたくなった人は、黒川信重さんの著作(例えば、オイラーはやっぱりとんでもなくスゴイとわかる本 - hiroyukikojimaの日記とか数学の青写真をステキに語った本 - hiroyukikojimaの日記とかもはや思想書と呼ぶべき数学書 - hiroyukikojimaの日記とか)や、小山信也さんの著作(例えば、将棋の実況解説のような数学書 - hiroyukikojimaの日記とか)を読んだらいいのだが、これらに直接アタックするのは苦しいと思うので、その前にぼくの著作『世界は素数でできてる』角川新書を読んでおくと良いだろう(笑)。