『宇沢弘文の数学』について

 先週、9月18日に拙新著『宇沢弘文の数学』青土社が刊行された。
実は、9月18日は、宇沢先生の命日だった。実際、ぼくは4年前に、宇沢弘文先生は、今でも、ぼくにとってのたった一人の「本物の経済学者」 - hiroyukikojimaの日記のエントリーで、この日に宇沢先生が亡くなったことを書いている。この日を刊行日に選んだのは、編集者の粋なはからいだったのだと思う。でも、ぼくは、不覚にも命日を忘れていた。このエントリーに書いているように、ぼくは先生の冥福をいまだに祈っていない。先生はまだ、ちょっと離れて場所にいらして、ぼくを導いてくださっている、そういう感覚が抜けないからだ。
 でも、本書を刊行できたのは、この上なく嬉しい。本書は、追悼の本ではない。あくまで、宇沢先生の理論を世に知らしめるための啓蒙書・研究書なのだ。

 さて、本書刊行を記念した講演会が来週に迫ったので、もう一度告知しておきたい。

青土社宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会
宇沢弘文の思想に迫る】
日時 2018年10月5日(金)19:00〜20:30(開場18:45)
会場 書泉グランデ7階イベントスペース

予約受付 書泉グランデ4階レジ ※9/18(土)10:00〜受付開始
参加方法 9/18頃発売 青土社宇沢弘文の数学』小島寛之/著 1944円(税込)を書泉グランデ4階にてご購入の方1冊につき1枚参加券をお渡しします。
店頭もしくは、電話、上記お問い合わせボタンより予約も承ります。
イベント名【小島寛之先生講演会】、お名前、電話番号を明記の上お申し込みください。
イベント開始時間までに、書泉グランデ4階レジにて、書籍の購入、参加券をお受け取り後イベント会場へお越し下さい。
青土社『宇沢弘文の数学』発売記念 小島寛之先生講演会【宇沢弘文の思想に迫る】 - 書泉/神保町・秋葉原

 この講演会では、先生の理論ばかりではなく、先生のお人柄や、先生の思い出・エピソードもたっぷりお話しようと思っている。是非とも、足を運んでいただきたい。
 少し、本の内容について説明をしておこう。目次については、前回のエントリー新著刊行と、書店での講演会のこと - hiroyukikojimaの日記を参照してほしい。
本書は、講談社の雑誌『本』に寄稿した原稿の大幅改稿と、青土社の雑誌『現代思想』に寄稿した原稿の大幅改稿と、書き下ろし原稿から成る。書き下ろしは、第3章と第6章。とりわけ、第3章はぼくにとって、非常に大事な論考なのだ。なぜなら、この論考は、「数学は社会的共通資本である」という主張だからだ。
 数学が社会的共通資本である、とはどういうことか。それは、数学というものが、市民の共有財産であり、市民の基本的な生活や、人権や、尊厳に関わるものであるから、社会的に大切に管理・運営されるべきだ、といういうことである。数学に対して、このような見方をしている論説は世の中にはあまりないと思う。
 この論考は、実は、宇沢先生に依頼されて、先生が編纂する論文集に寄稿するべく執筆したものだった。先生は、その論文集に、「社会的共通資本としての医療」「社会的共通資本としての音楽」「社会的共通資本としての数学」の三本の論文を収録するつもりでおられた。最初のは先生自身が、二番目のは外国の女性研究者が、そして三番目のはぼくが寄稿することが予定されていた。先生が、「医療」「音楽」「数学」を社会的共通資本の三本柱とされたのは、非常に興味深いし、先生の心の豊かさを感じさせられる。
 けれども、この論文集は刊行されないまま、先生が他界されてしまった。だから、本書に、ぼくのこの論考を収録できたことは、先生のお導きのように感じられる。これほどに魂を込めて論文を書いたことはかつてなかったからだ。
 人生には、「すごく嬉しいこと」というのが、何回かは訪れる。ぼくにも、何回かあった。例えば、大学に合格したこと、査読付ジャーナルに論文がアクセプトされたこと、初めての本を刊行できたこと、息子が生まれたこと、息子が受験で合格したこと、などなど。
 でも、それらの中で、特別に嬉しかったことが二つある。両方とも宇沢先生に関することだ。
 一つは、宇沢先生から講演会での原稿の代読を依頼されたこと。これは、先生が参加されていた環境問題訴訟運動において、集会で先生が講演をすることになっていたのだが、うっかり渡航してしまい、帰国できなくなったときのことだ。起訴を担当している弁護士から、「それでは、お弟子さんが代読を」と言われ、ぼくに依頼してくださったのである。ぼくは、大学で先生のゼミを受けたわけではないので、本来の意味では「弟子」ではない。でも、この依頼を先生自身が海外からわざわざお電話してくださったとき以降、自分自身を宇沢弘文の弟子と名乗れるようになった。先生自身が弟子と認めてくださったのだから。ぼくは、訴訟運動をしている市民の方々に先生の声明を代読しながら、誇らしさと嬉しさをかみしめたものだった。
 もう一つは、本書の第3章の論文の執筆を依頼されたことだった。ぼくは、それまでも、先生にいろいろと褒めていただいたり、かいかぶられたり、励ましていただいたことがあった。でも、論文を依頼されたのは、このときが初めてだった。経済学者と認められた、ということだ。期待された、ということだ。こんなにも嬉しいことは、生きていて何度もあることではない。ぼくは、躍り上がるやら、涙ぐむやら、本当に大変な気持ちになったのだった。
 でも、先ほど述べたように、論文集は未刊行のままとなってしまった。先生と肩を並べて、論文を刊行する夢は潰えた。その論文を、今回、大幅な改稿の上、先生のお写真がカバーを飾る本に収録することができた。思った形ではなかったけど、先生の期待に応えることができたと思う。