読売新聞で坂井豊貴さんが、拙著を書評してくれました!

 今日(10月14日)の読売新聞の書評欄で、慶応大学の経済学者・坂井豊貴さんが、拙著『宇沢弘文の数学』青土社を書評してくれました!
この本については、当ブログでは、新著刊行と、書店での講演会のこと - hiroyukikojimaの日記とか、『宇沢弘文の数学』について - hiroyukikojimaの日記とかでエントリーしている。
坂井さんの書評は、あまりにすばらしいので、是非とも、多くの人に読んでいただきたい。(ここで読めるはず→『宇沢弘文の数学』 小島寛之著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE))
実際、坂井さんは、ツイッターで、

多作な小島先生の著作のなかでも、ひときわ入魂の一冊。私も私なりに入魂の書評。

と書いています。うん、ほんと、ぼくの入魂の本なんですよ。そして、坂井さんの書評も、偽りなく入魂。ほんとすばらしいです。
名文なので、全文引用したくなるけど、それはルール違反だろうから、一部のみ抜粋。
 最も感心したのは、次のフレーズ

宇沢は終生、社会を支える「資本」に深い関心をもち続けた。それは前期には経済成長を複雑な経路で支えるものとして。後期には、人間の善き生存を支えるものとして。

後期のほうは、要するに「社会的共通資本」のことを言っているんだけど、この表現はあまりに的を射ている。「人間の善き生存を支えるもの」、こんなジャストな表現は、思いつきもしなかった。
あともう一カ所、とても嬉しかったのは、

先日ノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマ−の研究は、宇沢モデルを大きな礎とする。

そんなんです、そうなんです。昨日は、経済学者の集まりで酒を飲んでたんだけど、みんなが口々に、「宇沢先生が生きていれば、今年、三人目として受賞したに違いない」って話してた。実際、今年の受賞は、ノードハウスとローマ−。ノードハウスは、環境経済学者として温暖化の問題を研究した人で、ローマ−は内生的経済成長理論を研究した人で、どちらも宇沢先生が先駆者なんだ。だから、だから、生きてさえおられれば。。。
その無念さを、坂井さんも共有しているような感じが、この文面からくみ取れて、嬉しかったとともに泣けてきた。
 坂井さんの書評の良いところは、情に流されず、慎重に言葉をひとつひとつ選んでいるところ。宇沢先生について語る人は、(ぼくが代表例だが)感情に流されて、大げさすぎるものになってしまう。でも、坂井さんは、経済学者の節度として、ぎりぎりの表現を心掛けておられる。そこもまた、「入魂」というに相応しい。でも、ツイッターに坂井さんが書いた、こういう話がめっちゃ坂井さんらしくて好きだ。

私は学部4年生のとき、うっかり宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)を読んでしまって、自動車の免許をとるのをやめてしまった。取るのがダメというのではなく、宇沢の激情が私にそれを許してくれなかった。こういう本との出会いは「交通事故」のようなものだ。

ぼくも、宇沢さんの影響で自動車免許を持っていない(と吹聴している)が、本当は、適性がなさそうだから取らなかったのもある。
 ちなみに、ぼくも当ブログで、坂井さんの本を紹介したことがある。例えば、古風な経済学の講義から脱出するために - hiroyukikojimaの日記とか、理系の高校生に読んでほしい社会的選択理論 - hiroyukikojimaの日記とかだ。この期に、坂井さんの本を是非、読んでみてほしい。本当にすごい説明能力なんだから。