キングクリムゾンのライブを観てきた

 先日、キングクリムゾンのライブを観てきた。
クリムゾンは、ぼくにとって、今でも人生最高のバンド。ぼくの中では、懐メロではなく、現在形のバンドとして存在してる。実際、バンドメンバーも変わるし、新曲も作られている。
クリムゾンは、1969年から活動しているが、ぼくは14歳、つまり、72年から聴き始めた。だから、かれこれ、もう47年ぐらい聴き続けていることになる。
クリムゾンの思い出については、前に、堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記とか、続・続・堀川先生とキングクリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記とかにも書いたので、そちらも読んでほしい。
今回の編成も、トリプル・ドラム(ドラムが3機)で、2015年の来日と同じ。メンバーも演奏の形態もほぼ同じだった。昨年のシカゴでのライブ盤で、リザード組曲(1970年の3枚目のアルバムの曲)をやることは知っていたので、それが目玉の一つだった。ぼくが観た日にも、リザード組曲を演奏した。
ドラム3機は類例を知らないが、日本のバンドであるトリコ(Tricot)がドラム5機をやってのけたので(笑)、クリムゾンが最多ドラムスではない。でも、ドラム3機をあのようにアレンジし、別々のリズムを叩かせるという意味では、希有な演奏形態と言えるだろう。
クリムゾンのライブで最も注目しているのは、リーダーでありギタリストであるロバート・フリップがどのくらいちゃんと弾けるのか、という点だ。現在72歳、みまごうことなき高齢者。でも、今回のライブも、往年と同じく、みごとなギタープレーを見せてくれた。というか、難しい高速リフを、以前よりも軽々と弾いている印象があった。このプレイをするには、毎日毎日とんでもない時間の練習を要することだろう。少なくとも72歳までは、鍛錬によってはこのような技術水準が可能だ、ということだ。自分もがんばる勇気がみなぎった。何より、フリップが健在なうちは自分は死ねない(笑)、と思い新たにした。
 キングクリムゾンは、時期によって、表現する音楽が異なっている。初期はシンフォニックな曲をやっており、中期はジャズとクラッシックを融合したような音楽を作り、休止のあと再結成してからは、ハードな即興演奏を信条として、80年代に新規クリムゾンとなった際には、(スティーブ・ライヒを思わせる)ミニマル音楽を志向している。90年代以降は、それ以前のすべての音楽を発展・融合させた複雑な楽曲を生み出すようになった。
時期時期によって、フリップが志向する音楽が違うので、それぞれの時期にぼく自身が何をしていたか、ということが重なりを持って記憶に刻まれている。数学者を夢見ていた中高生時代、数学科で落ちこぼれている自分に苦しんだ大学生時代、塾講師時代、経済学部の大学院生時代、大学教員時代、とそれぞれに固有のクリムゾンが存在していた。
そういう意味で、今回のように、あらゆる時代から曲をやってくれると、「懐メロなんかでほだされないぞ」という気持ちとは裏腹に、走馬燈のように人生が蘇って、泣けてきてしまう。ぼくも老人だから、それはしゃーない(笑)。
 とは言え、今は、キングクリムゾンが一番聴く音楽ではない。というか、普段はほとんど彼らの曲を聴かない。普段聴いているのは、Aimerとか、凜として時雨とか、TK from 凜として時雨とか、Tricotとかだ。今年は、Aimerと、椎名林檎と、凜として時雨と、TK from 凜として時雨のライブに行った。来週にはAimerのライブにまた行く。1月には、Tricotの中嶋イッキュウのライブにも行く。人生のバンドと、現在追っかけるバンドは、もちろん違うのだ。