今頃になって、なんでか代数幾何が面白い

 今回は、お正月から読みつないでいる代数幾何の教科書について紹介しよう。読みつないでいるのは、河井壮一『代数幾何学培風館だ。

現代数学レクチャーズ B 5 代数幾何学

現代数学レクチャーズ B 5 代数幾何学

 

 この本は、数学科の学部生だった頃に購入して、数学科の院試を受験している頃にチャレンジした本だった。

 ちなみに、ぼくは、学部では代数幾何を専攻していた。残念ながら、好きだったから選んだわけではない。数論を勉強したかったがゼミの応募者が多く、成績が悪くて落とされたゆえ、やむなく選んだ専門だった。

 堀川先生のゼミで、Mumford``Algebraic Geometry Ⅰ:Complex Projective Varieties'' Springer Verlagを輪読した。輪読した、と言っても、1章(20ページ程度)を終えたか終えないか程度で一年が終わってしまったから、ほとんど読んでいないに等しい。なぜそんなに進まなかったかというと、毎週、発表者が先生に撃墜されて、お説教を受けて終了、の繰り返しだったからだ。この体験談については、

堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojima’s blog

続・堀川先生とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojima’s blog

などで読んでほしい。

 当時の噂に聞いたところでは、著者のMumfordは非常に変わった偏屈な人物だが、堀川先生は友人だったらしい。堀川先生は、実力のある数学者だったが、(ある事情←今回は略、があって)、なかなか教授になれなかった。それで親しい数学者たちが、Mumfordに、「堀川先生が教授になれるように推薦してあげてほしい」と頼んだのだそうだ。そのときのMumfordの答えは、「堀川はdifficultだから嫌だ」というものだったという。偏屈で有名なMumfordにdifficultと言われるとは、どんだけ堀川先生が困った性格だったかがしのばれる。

 今、Mumford``Algebraic Geometry Ⅰ''が横に置いてあって、めくってみたが、表紙裏に雑誌の切り抜きが貼ってある。それは、数学セミナー』に掲載された小平邦彦先生のコラム「ノートを作りながら」だ。思い出してみるとこれは、堀川先生がわれわれの体たらくに激怒した際に、自分で探して読むようにと命令したコラムだった。実際、これは今読んでもすごいコラムだと思う。ちょっとだけ引用しよう。

数学の本を開いてみると、まずいくつかの定義と公理があって、それから定理と証明が書いてある。数学というものは、わかってしまえば何でもない簡単明瞭な事項であるから、定理だけ読んで何とかわかろうと努力する。証明を自分で考えてみる。たいていの場合は考えてもわからない。仕方ないから本に書いてある証明を読んでみる。しかし一度や二度読んでもわかったような気がしない。そこで証明をノートに写してみる。すると、今度は証明の気に入らない所が目につく。もっと別の証明がありはしないかと考えてみる。それがすぐに見つかればいいが、そうでないと諦めるまでにだいぶ時間がかかる。こんな調子で一カ月もかかってやっと一章の終わりに達した頃には、初めの方を忘れてしまう。仕方ないから、また初めから復習する。そうすると今度は章全体の配列が気になりだす。定理3より定理7を先に証明しておく方がよいのではないか、などと考える。そこで章全体をまとめ直したノートを作る。

いやあ、小平先生でさえこのような勉強をしていたのだと思うと、数学の勉強って、荒行そのものだよな。

 では、もとの話に戻ろう。Mumfordは難しすぎて歯が立たないので、院試の勉強のために、河井壮一『代数幾何学を購入した。しかし、いくら読もうとしても、どうしても面白いと思えず、数行読んでは挫折、の繰り返しとなった。小平先生の勉強方法とは似て非なる状態だ(笑)。結局、学部時代には読まずじまいに終わり、院試にも落ちてしまった。それ以来、長い間、代数幾何の勉強は封印していた。

 それがなぜ、今頃になってこの本を読み始めたか、というと、意外なことから代数幾何への興味がやってきたからだ。それは、雑誌『現代思想』の数学者リーマン特集で、黒川信重さんと加藤文元先生と三人で鼎談したことだった。その鼎談は、リーマンの数学と思想について、ぼくが聞き手となって、お二人からリーマンへの愛と敬意を引き出すものだった。

 その中で加藤先生の次の発言がずっと心にささっていたのだ。

加藤 (前略) 

リーマンは、関数は一つの概念として自体存在、それ自体が存在するものだということをどうもやり始めているようなのです。それはリーマンの関数論へのアプローチにもよく表れています。リーマンは式をあまり書かないわけですが、関数を扱う上で非常に直観的なんです。例えば面というものを扱ってそれによって関数を書く。複素関数論の話になりますが、例えばリーマン球面上の正則関数は定数しかないわけです。そういう意味では、リーマン球面上の関数は特異点の位置で決まるわけです。このように、目で見てわかる幾何学的な状況で関数を書こうということを彼は始めたわけです。そしてそれが面の話になっていく。そうして彼は「関数は面である」ということを言い出すわけです。もちろん、そこまでだったらリーマンがいなくても誰か他の人がやったかもしれません。しかし、ここがとても大事なところですが、リーマンはその逆も言っているのです。つまり「関数は面である」というだけではなく「面は関数である」ということまで言い出した。要するに、面と関数は同じだということまで言っているわけです。つまり彼は関数を本当に見えるものとして捉えようとしていたわけです。(後略)

ぼくは、この発言を聞いたとき、正直、震えるような驚きを覚えた。加藤先生の念頭にある「リーマン面」というアイテムについては、予習して行ったせいもあって、多少の知識があった。けれども、リーマン面を考えたリーマンの頭の中にあったイメージが、「関数と面は同じだ」というとてつもない発想であるとまでは理解していなかった。だから、近いうち、そのことをもう少しきちんと理解したい、という願望が生じたのだ。

 この鼎談から3年以上が経過してしまったが、今年の正月に、ふと戯れに、書棚から河井壮一『代数幾何学を取り出して、ページをめくってみた。そうしたら、あら不思議、読めそうな気がしてきて、その上、すごく面白そうにさえ思えたのだ。

 そして読んでみたら、まじ面白かった。どう面白かったのか?

1.この本は、代数曲線の話から始まっている(リーマン面ではなく)。

ここで、代数曲線とは、(xとyを変数とする多項式)=0という方程式で定義される曲線。ただし、曲線とは言っても、高校で習う放物線とか円とかとは異なる。xとyは複素数なので、4次元空間の中の(太さのある)「線」。その上、曲線を考えるのは、射影空間という特殊な空間だ。他方、多くの代数幾何の教科書は、リーマン面(複素平面の開集合をぺたぺた張り合わせて作られる多様体)から入るので、多様体のイメージがないとなかなか何をしようとしているかわからない。ぼくには、リーマン面より代数曲線のほうがイメージしやすい。それは、高校数学での知識が多少役に立つから。

2.この本は、図形的なアプローチをしている(代数的ではなく)。

普通の代数幾何の教科書は、代数的なアプローチをする。環とかイデアルとかヒルベルトの零点定理とか必ず出てくる。ぼくは、こういう代数的(環論的)アプローチになじめなかった。でも本書は、解説を、非常に図形的に展開する。図が描いてあるので、イメージを作って解説を読み進むことができる。この手法は、久賀道郎『ガロアの夢』日本評論社を想起させる。『ガロアの夢』は、証明を数式一辺倒ではなく、図形と言葉で展開した斬新な本だ。詳しくは、次のエントリーで読んでほしい。

ガロアの夢、ぼくの夢 - hiroyukikojima’s blog

実際、久賀先生の本で勉強して、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社で解説した「被覆空間」が、河井壮一『代数幾何学でも重要な役割を果たしていて、非常に役立った。(皆さんは、被覆空間について、拙著のほうで勉強してほしい)。

3.この本では、代数幾何のおいしい話たちが早めに出てくる。

代数幾何には、ベズーの定理(m次曲線とn次曲線の交点数は、重複も含めると、mn個)とか、「2次元複素射影空間の解析的曲線は代数曲線」(複素微分可能な関数の零点で定義される曲線は実は多項式で定義されるのと同じ)とか、「2次元多様体の局所的正則関数の作る環では、因数分解の一意性が成り立つ」とか、かっこいい定理がいっぱいあるが、たいていの教科書では、たくさんのうんざりする準備のあとに解説される。でも、この本では、全体の3分の1ぐらい(60ページ程度)まで読めば、これらの証明を理解することができる。しかも証明が図形的なため、めっちゃ理解しやすい。

4.この本では、「関数と面とは同じだ」、の証明が、とてもわかりやすい。

この「関数と面とは同じだ」という定理も、本の真ん中くらいで出てくる。要するに、多項式f(x, y)=0で定義される代数曲線と多項式g(x, y)=0で定義される代数曲線があるとき、それらの「非特異モデル」が複素多様体として同型ならば(つまり、同じ形をしているならば)、それらの上の関数体は同型であり、逆もまた成り立つ、ということが示される。ちなみに、非特異モデルとは、代数曲線には自分同士で交わる点(特異点)が有限個あり得るが、その交差する点で一方の枝を持ちあげて立体交差にして、交わらないようにしたもの。

ただし、この関数体をちゃんと理解するには、多項式の作る環をイデアルで割った商集合を理解してなくちゃならないので(そいつの商体と同型になるから)、そのためには、拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書を読むと助けになるだろう(笑)。

 以上で、この本のおおよそ前半部分については紹介できたと思う。まさか、40年も経過してから、この本がこんなに面白いと思えるようになるとは想像もしなかった。タイムリープして当時の自分に教えてあげたい。この本の「はしがき」には、

現在活躍中の某氏が、かつて学生時代、「代数幾何をやらないやつの気が知れない」と言って、他分野の同級生達のひんしゅくを買ったという話があるが、そのような言葉が口からでるほど代数幾何はおもしろいものだということを伝えおきたい。

とあるが、このはしがきが、なまじ嘘には思えなくなってくるほど面白い。

 ただ、この本の唯一の、そして無視できない弱点は、「具体例がほとんどない」ことだ。具体例がないと、実際、定理たちがどういう計算で確認されるのかがよくわからない。そのために、ぼくは、以前から買ってあった上野健爾『代数幾何入門』岩波書店を併読した。

代数幾何入門

代数幾何入門

 

 この本は、もうまるで、河井壮一『代数幾何学の「資料集」として書かれたような本であることがわかった。実際、この本では、次に読む本として河井本を勧めている。上野本は、厳密な証明に拘泥することなく、具体例で代数幾何の醍醐味を伝えた貴重な本だ。残る半分くらいは、河井本とは異なるアプローチをしているが、並行して読むと双方の理解が深まると思う。

 ぼくが代数幾何を勉強したいもう一つの理由は、もちろん、スキーム理論やカテゴリー理論を理解して、リーマン予想の解決された部分を理解したいからだ。だから、河井本の残り半分もなんとか読破して、再度、スキーム理論にチャレンジしたい。

ガロアの夢―群論と微分方程式

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【完全版】天才ガロアの発想力 ―対称性と群が明かす方程式の秘密― (知の扉シリーズ)

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数学は世界をこう見る 数と空間への現代的なアプローチ (PHP新書)

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