ネコの物語が、こよなく好きだ

今回は、いつもと趣向を変えて、ネコにまつわる物語のことをエントリーしようと思う。どうしてそんなことを思い立ったかというと、ネットフリックス配信のアニメ『泣きたい私はネコをかぶる』を最近、観たからだ。

映画「泣きたい私は猫をかぶる」公式サイト|Netflixにて全世界独占配信中!

この映画を観たのは、そもそもは「ヨルシカ」という音楽ユニットの曲を聴いたのがきっかけだった。ヨルシカの曲はあまりにすばらしく、久しぶりにぞっこんになってしまった。

まずは、「花に亡霊」↓

https://www.youtube.com/watch?v=9lVPAWLWtWc

この曲は、アニメのテーマ曲で、PVがアニメの宣伝にもなっている。めちゃくちゃ良いPVなのでこれだけでも観る価値がある。是非、観てほしい。きっとアニメも観たくなると思う。

もう一曲は劇中歌で、「夜行」という曲↓

https://www.youtube.com/watch?v=MH5noJJfqDY

この曲も、めちゃめちゃ良い。なんか、子供の頃特有の不安感と高揚感を思い出してホロっとなる。

 なぜ、ヨルシカの曲がそんなに衝撃なのか。それは、曲の出来の良さや女性ボーカリストの声と歌唱技術もさることながら、とにかく歌詞がぐっとくるのだ。こういう歌詞は今まで、あるようでなかったと思う。単なるおじさん殺しの曲なのかもしれないけどさ。

 アニメ『泣きたい私はネコをかぶる』は、かぶるとネコになることができる仮面を使って、ネコになる女の子の物語だ。ネコになって、恋心を抱く男子に会いにいくのだ。人間のままだと素直になれない主人公だが、ネコになれば男子と素直にコミュニケーションできる。男子の心に寄り添うことができる。でも、ネコのままでは人間の言葉を話せないから、彼女の気持ちを伝えることはかなわないのである。

 アニメ『泣きたい私はネコをかぶる』には、新海アニメ(の中の『君の名は。』『天気の子』)のような派手さはない。また、宮崎アニメのようなダイナミックで思想的な深みもない。どちらかと言うと、テーマが(家庭問題とか)今風な卑近さで、ちんまりした話になっている。まあ、それはそれでとても楽しめるんだけどね。とにかく、なんと言ってもネコたちがかわいくて、それでもう、すべて許せてしまうのだ(笑)。

 驚くのは、新海アニメもそうだけど、このアニメも、宮崎アニメの洗礼を受けているように思われることだ。もちろん、これはぼくの個人的印象にすぎないけど、随所のシーンの絵コンテに宮崎駿さんの生み出したイメージが感じられる。やはり、宮崎駿さんは天才なんだと思う。

 ネコの物語のアニメと言って他に思い出すのは、アニメ『銀河鉄道の夜だ。

銀河鉄道の夜 [Blu-ray]

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 これは、ご存知、宮沢賢治銀河鉄道の夜』のアニメ化なのだけど、ポイントになるのは、登場人物をネコにして擬人化したことだ。絵は、ますむらひろしさんの漫画を原案にしている。そのおかげで、あの悲惨な物語(とぼくは思っている)がいくぶん緩和され、幻想味の中でやんわり鑑賞できるようになっている。細野晴臣さんの音楽もすばらしく、さめざめと切ない映画に仕上がっている。このアニメも名作だと思う。

 もう一つ、忘れられないネコの物語は、劇団唐組の演劇『さすらいのジェニー』だ。これは、1988年に唐十郎の作・演出で上演された舞台劇。原作は、ポール・ギャリコの小説である。ギャリコは、映画化された『ポセイドン・アドベンチャー』で有名だ。

 劇団唐組『さすらいのジェニー』は、浅草の川沿いの隅田公園に小屋を建てて上演された。記憶では、芝居小屋を設計したのは建築家の安藤忠雄さんだった。金属の棒のようなものを縦横無尽に組み上げたへんてこな劇場だった。舞台には水路のようなものがあり、船で流れながら物語が演じられる、というすごい仕掛けだった。まあ、水を利用するのは、唐さんの十八番なのだけどね。そして、ジェニーを演じる主演は緑魔子さんだった。

 ぼくが最初に観に行った日は、緑魔子さんが喉を壊したため、休演となってしまった。しかし唐さんは、せっかくがんばって並んでチケットを買ったぼくらに粋なはからいをしてくれたのだ。それは、緑魔子さんの登場シーンまでを無料で見せてくれる、というはからいだった。水路の向こうの舞台の扉が、ばーん、と開くと、そこにネコのジェニーにふんする魔子さまが立っている、というまさにそのシーンまでみせてくれたのだった。

 ぼくはどうしても演劇全体を観たい気持ちにかられて、別日に再度並んで当日券をゲットした。その日は、あいにくの雨で、金属の棒で組まれた小屋は雨音の反響で台詞が聴きづらく、さらには金属が冷たくて、ものすごい逆境の中で最後まで観劇をしたのだった。それでも、切ない切ないネコたちの物語に、ぼくらはさめざめ感動したのだった。(実は、今年、唐組はこれを再演したらしい!)

 最後にもう一つだけネコの物語を紹介したい。

 そう、ぼくの書いたネコの物語だ。(実は、これを書くのが、このエントリーの真の目的なのだ。笑)。それは、『夜の町はネコたちのもの』という児童小説である。この小説は、拙著『ナゾ解き算数事件ノート』技術評論社という短編集に収録されている。

ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

 

 この本は、「パラドクス探偵団シリーズ」という、パラドクスに遭遇して成長していく子供たちの物語の短編集なのだが、最後に一篇だけ別の物語が付録として収録されている。それが、『夜の町はネコたちのもの』なのである。これはもともとは、『中学への算数』東京出版という(中学受験を目指す)小学生のための雑誌に連載したものだった。

 これは、政治家や役人が権力を使って悪事を働いていることに、一匹のネコが気づき、それを暴く物語だ。推理小説仕立てになっており、数学のある著名な定理が解決の糸口を与えることになる。もったいないのでネタばれしないから(笑い)、是非とも、ご購入の上、お読みいただきたい。

 実はこの物語は、亡くなった愛猫に捧げるために書いたものだった。ぼくは、20代の10年弱の間、一匹の雑種ネコと暮らした。そのネコは、ぼくの兄弟姉妹がどっかからもらってきたネコで、アパートの大家に見つかったため、数日だけ預かってくれと置いていったものだった。数日預かったら、情が移って、ずっと飼うことになった。思えば、最初からそれを見込んで置いていったのだと思う。そのネコは、あまり人に馴れず、かみついたり引っかいたりする乱暴なやつだったが、それでも主であるぼくには全幅の信頼を持っていてくれた。だから、亡くなったときはあまりのショックで、ぼくは体調を崩してしまうほど落ち込んだのだった。そのネコへの弔いとして書き上げたのが、この『夜の町はネコたちのもの』なのである。もう30年も昔のことなのだけど、いまだに、そのネコの夢を見て、起きて涙ぐむことがある。